木漏れ日がまばらに地面を照らす森の中で、ライラックとレイニーが並び屈んで地面を探っている。ライラックは大柄な体躯を縮めて、不慣れな様子で真剣なまなざしを地面にさまよわせ、その隣でレイニーは手慣れた手つきで地面を探り、目的のきのこを次々と、かごに放っていく。
ライラックが傍らに居るレイニーへ声を掛ける。
「これは?」
「そいつは毒はないけど食ってもおいしくないやつです」
「……これは?」
「それは食べられるやつですね。かごに入れてください」
「これは!」
「そいつは毒ありです」
「むずかしい……」
意気揚々と示したきのこがレイニーに毒ありだと判別され、ライラックはしおれたようにうな垂れた。
骨太で隆々とした体格の男が、ちまちまとした動きできのこを探している様子は、いつもと違う愛嬌があってレイニーは微笑ましく思った。
世話になった礼として、ライラックがレイニーのこまごました仕事を手伝うのはいつものことだ。
とはいうものの、近頃はその頻度が増えており、時折、職務から長い時間、離れることもある。
北の国は戦争が終わって比較的、安定した時勢だが、国の要職を務める人間が、城での業務を放って、こんな場所で油を売って許されるのかといえば、むしろ逆に、城の人間がライラックに、一旦、業務から離れるように勧めたのだった。
ナタリオの身から不死の力がなくなってから、ライラックは今まで以上に鍛錬に入れ込むようになった。そのまま続けていれば身を壊すほどの気迫に、周りの人間が息抜きするべきだと、強く提案したのだ。
ライラック自身もそれに自覚があったのか、皆の提案をおとなしく飲んで、この状況になっている。
――その提案に、他の意図も少しだけ含まれているのだが、レイニーはあえて、気付かないフリをしている。
城の人間達はレイニーとライラックが懇意にしているさまが好ましいらしく、あまりわざとらしくならないよう、何かと画策している。レイニーはその思惑をそっけなくスルーすることもあれば、気まぐれに受け入れたりもしていた。
当のライラックはそんな周りの心情を汲んでいる様子は見られないようだが。
神――などという大層な概念を被せられただけの、小さな魔物と人間が絆を育んで、一体何になるというのか。
などと内心、レイニーが嘆息すれば、脳裏で古馴染みが「本当に?」という表情で悪戯っぽそうに微笑んだ。
思わず浮かんだ想像をやんわり頭から追い出すように、ゆっくりと呼吸して、少しだけ芽を出した後ろめたさから目を逸らした。
そんな折、思わぬタイミングでレイニーに声を掛ける存在が居た。
「ソランジュ。こんなとこでぼうっと何してんだ。消耗からまだ回復しきってないだろ。まさか消えかけてないだろうな」
ぞんざいな態度でそう投げかけたのは病の神だった。
トゲのある言い回しだが、気にかける言葉に偽りないような声音だ。
かつて、名のある神の立場を奪うために、レイニーを食らおうとしたというのに、まったくのんきな振る舞いをする。
創造主の住まう場所から逃げる際に、レイニー達を気遣っていたので、当然のなりゆきとも言えるのだが。
そんな病の神にレイニーはどう対応すべきか決めかねた。
ライラックもまた、まるで敵意のない様子だったからか、病の神の姿を目にして、ぽかんとした表情をしていた。
しかし、いつぞやレイニーから助けを求められた暴漢だと思い出してか、警戒を全身にみなぎらせて、いつでも飛び出せるように体勢を整える。
それでやっと病の神もレイニーの傍に別の人間が居るのに気付いたようで、焦りをそのまま顔に出し、降参とでも示すように諸手を挙げる。
「あ~~。すまねぇ、あんたらの邪魔をするつもりはなかったんだ」
そう言い置くやいなや、強い風が逆巻くと、煙が消えるように病の神の姿が消えた。
「またか……」
周囲を見回し、男が気配の欠片も残さず消え去ったのを確認して、ライラックは自身の不甲斐なさをにじませた声を零した。
「……ソランジュ?」
警戒を解いた後、ライラックはふと気付いたようにぽつりと零した。
思わず問うような声音にレイニーは体をびくつかせた。
後になって思えば、ライラックが神の名を呼ぶ際は尊称を付けるので、ただ、病の神が告げた名を反芻しただけだった。
そんなレイニーの様子を目ざとく捉えてライラックはレイニーに尋ねる。
「どうした。レイニー」
「……さあ、一体なんだったんでしょうね」
レイニーは他人事のように返事をした。
その声に滲んだわずかな強ばりに何かを感じ取ったのか、ライラックが一度、ぱちりと目を瞬かせる。
「ソランジュ様……?」
「違いますよ」
改めて呼ばれた名に、レイニーは否定を返したが、自分でも空々しく聞こえた。
静かな森の中に沈黙が落ちる。しばらく、風にそよぐ葉擦れの音と、遠くの鳥のさえずりだけが二人を包んでいた。
再び、ライラックは口を開くと、静かにレイニーに語りかける。
「もし、ソランジュ様に再び会えることがあったら、言いたいことがあったんだ。……レイニー、聞いてくれるか?」
誠実に願うライラックに、レイニーは逡巡したものの、彼の態度に隠しきれない切実さを見て、こくりと小さく頷いた。
ライラックが言葉を紡ぐための息を吸う。
レイニーは無言でライラックの次の言葉を待つ。
まるで、断頭台の上で、自分の首に刃が落ちるのを待つように。
やがて、呼気は音を伴い、意味を紡ぎ、レイニーの耳朶を震わせる。
「弟を救ってくれて、ありがとうございます」
ライラックはレイニーに対し、静かに
穏やかな音で紡がれた意味を、レイニーはうまく汲めなかった。
レイニーが顔を上げるとライラックと目が合った。彼は家族や友に向けるとも違う、穏やかで敬愛の念がそこにはあった。彼はそんな表情で
その視線から逃れるように、レイニーはライラックの肩口へと目を逸らす。
「……貴方がたは、ソランジュに救われたことで、背負わなくてもいい重責を背負い、抱えるはずのなかった苦しみを抱えたはずです」
ライラック達がソランジュに対して抱えるべき感情は感謝ではないはずだと、レイニーは語る。
常人ならば致死するほどの傷を負っても癒える体になり、いつでも自分を殺せる手段を抱えて過ごすことになった。
生まれていくばくほどの時間も経っていない子供が、自らを傷つけ、その身全てを
目の前で消えゆく小さな命を救うつもりで繋ぎ止めた。
救ったのだと勘違いしていた。
レイニーが小さな手で拳を握りこむのを見て、ライラックは言葉を紡ぐ。
「ソランジュ様。弟にそうさせてしまったのは、俺の不甲斐なさが原因だ」
ライラックはレイニーの罪を自分のものだと告げる。
「弟の覚悟は途方もなかった。周りの者も何も言わずに、もちろん、それぞれに葛藤はあったかもしれない。それでも弟の選択を尊重して受け入れて……。俺は、それに向き合うのを逃げてしまった。共に背負うべきものを、うまく抱えてやれなかった……」
ナタリオが魔物に襲われ倒れた時、ライラックは流れる血と共に体温が失われていく体を抱きしめて、涙を零して震えるしか出来なかった。
ソランジュに救われナタリオが息を吹き返した時は、嬉しさと安堵で胸いっぱいに満たされた。
すぐに傷が治るのは、ソランジュ様のご加護だと安易に喜んでさえいた。
数年ほど経った頃だろうか、ナタリオはどんな傷なら致命傷になり得るか、確かめるべきだと言い出した。
恐ろしいことを口にした弟に、ライラックは当然、反対した。
今はまだ、大人よりも全く頼りないかもしれない。ナタリオがそんなことをしなくて良いように、これから強くなるのだと、幼いながらに言葉を尽くした。
しかし、ナタリオはライラックに対して、致命傷を確認する必要性を理路整然とよどみなく並べ立てた。当時のライラックには理解しきれない内容だったが、ナタリオが自棄になっているわけでも、救われた命を粗末に扱っているわけでもなく、広く遠く未来のことを考えてのことなのだと伝わった。
そして、その提案を聞いた城の一部の者も、ナタリオの話を否定することはなかった。
王の役目を取り計らう資質はナタリオが持っており、ライラックにはないと判断されていた。
ナタリオを止める言葉を、ライラックは持ち得なかった。
苦い過去に囚われそうになる意識を呼び戻すために、ライラックは深く息を吐いた。
木漏れ日の中に立つ、レイニーの姿を目に映して、改めて今を語る。
「今では支えてくれる者もそれなりに居るし、弟が心を開いている者もいくらか居る。先は容易いばかりではないだろうが、苦難ばかりでもない」
ライラックはそれぞれの顔を思い浮かべて、心強さに身が引き締まる思いがした。
「それに、ソランジュ様が弟を救ってくださらなかったら、俺は一人きりで自棄になって、ろくでもない最期を迎えていたかもしれない」
冗談めかしたようにライラックは肩をすくめる。
「そんなことは……」
「ああ、誰にだって起こらなかったことは分からない」
ライラックは目を閉じ、小さく
伏せていた目をレイニーにまっすぐ向け、ライラックは改めて口を開く。
「俺達に申し訳ないというだけで、居なくならないでくれ。弟を救ってくれた恩があるだけじゃない。君は、俺にとって、ひいきにしている弁当屋で、大事な友人なんだ」
真正面から偽らざる感情をぶつけられて、レイニーは戸惑い立ち尽くす。
ライラックからそう思われていることは、正直、喜ばしい。
しかし、ひもじさから周りにあった諸々を食べ続けて、最後には友人すら喰らった化け物が、こんな高潔な人の隣に居てもいいものかと、レイニーは気後れした。
レイニーが答えあぐねていると、ライラックは次の言葉を紡いだ。
「もし、どうしても消し去らなければならないほど、後悔しているというなら、その時に消すのは、貴方自身でも弟でもなく、俺にして欲しい」
ライラックの嘘偽りのない声音がレイニーの胸をつく。彼はその双眸を逸らすことなくレイニーに向けている。
後ろめたさも臆することもなく、また、自分自身が消えるという結果を、厭うことなく受け入れるであろうと見て取れた。
その事実がレイニーの心を激しく揺さぶった。
「何をばかな!!」
愚かしいことを口走ったライラックを、レイニーは頭ごなしに叱責した。
誠実な願いに対して、強い否定の言葉を返されてライラックはまごついた。
「い、いや、しかし……」
「旦那を……私自身も消すなんて、しませんよ」
レイニーがそう言うと、ライラックは大人しくなった。
気まずそうにしゅんとしているライラックに、レイニーは諭すように言う。
「大体、ナタリオ殿やイーゼル殿だけでなく、この国の大勢が旦那のことを必要としてます」
人懐こく、すぐに誰かを信用するライラックは、確かに政には向かないが、周りの者に心から寄り添い、気さくでまっすぐな性根の彼を、家族や仲間だけでなく、この国のたくさんの人々が好いている。
「む、そうか……」
そんな自覚がなかったのか、ライラックは戸惑うように頬をかいた。
ライラックの様子を見て、周りの人の苦労がありありと思い浮かぶ。だけど、そんなところがなんだか、ライラックらしいとレイニーは思った。
「ソラン……いや、あー……。レイニー……?」
神としての名を呼びかけて、途中で止め、それからライラックは伺うようにレイニーの名前を呼ぶ。
しかし、そこから先に続く言葉をうまく紡げないのか、まごまごしている。
そういえば、目の前の偉丈夫はよく自分の願いを引っ込めたり、飲み込んだりするのだと、レイニーは思い出した。
助け船を出すように、レイニーは言う。
「今のところ、この国を離れるつもりはありませんよ。ダリアの歌を広めるために、どこかに旅に出るにしても、旦那に挨拶なしには行きませんとも」
「そ、そうか」
レイニーの言葉にライラックはあからさまにほっとした顔をする。
それからはっとして、少し居心地の悪そうな、くしゃりとした表情をする。
「あー……、無理強いをしたみたいで……」
「無理なことはありませんよ」
レイニーの言葉にライラックはきょとんとした顔を向ける。
「だって、旦那は私にとっても大事な友人なんですから」
「……! ああ!」
そう言うライラックの表情は、まぶしいほどの宝石をもらったようにもったいなさそうで、また、心からとても喜ばしそうだった。
そんな表情を向けられたレイニーは春風に頬をなでられた時のように、くすぐったそうに目を細める。
(ああ、私はいつだって小さな魔物の頃と変わらない)
シュヘルと共に過ごしていた時と変わらない。
ただの人間の――大事な友人の、何気ない返事ひとつで、救われてしまう程度の存在だ。
気を取りなおすようにレイニーはライラックに声を掛ける。
「旦那は明日も弁当を買いに来る予定で?」
「ああ、その予定だ。また鮭は入っているか?」
「ええ、安く仕入れた分を日持ちするようにいくつか仕込んでおきましたから、あと何日かは鮭の弁当が食べられますよ」
「そうか!」
快活に返事するライラックの様子が愛おしくて、この時間が少しでも長く続くことをレイニーは願うのだった。