情報収集を行うために、とある酒場を訪れた承太郎と青年。
そこで彼らは、敵のスタンド使いに襲われる。
負傷した承太郎に代わり、青年はたった一人で敵に立ち向かう。
敵の名はマリスカ。
そのスタンドは、ショッキングブルー。
青年のスタンドはMr.BIG。
背後には、酔っ払いたちの大歓声。
──そして、戦闘が始まった。
◆ ◆ ◆
この小説は以下の要素があります。
・主人公は、女好き東郷普通男
・同行者は、承太郎
・普通男の口が悪い
・マリスカ戦ネタバレ
・戦闘、流血、(結果的に)飲酒描写有り
苦手な方は、ご注意ください。
7スタのwebアンソロ企画に寄稿した小説です。
pixivにも掲載しておりますが、そこからさらに加筆修正を行いました。
Xfolioにもこちらと同じものを掲載しております。
ぴちゃり、と木床に水音が跳ねる。床に広がる真紅の水。──鮮血だ。
血液の雨は降り止まず、じわじわと血溜まりを広げてゆく。
大きな体が膝を付いて崩れ落ちる。端正な顔が苦痛に歪んでいた。形の良い太眉が、苦痛を表すように眉間に皺を寄せている。
「承太郎!」
悲鳴に似た声音で、目付きの鋭い青年が彼の名を呼ぶ。
「おい、大丈夫か? 油断するなんてお前らしくな──ッ!」
刹那、青年のわき腹を熱の塊が抉る。
あちぃ! と叫びながら負傷した箇所を探る。しかし、外傷は無い。学生服にも傷どころか、綻びも無い。
だが、濡れた服の下──皮膚は、ひりつく痛みを発していた。この感覚が何か青年には分かる。火傷だ。
熱く濡れた学生服。そして発生した負傷は火傷。これにより、彼は攻撃の正体が何かを悟る。
「熱湯、か?」
「ご名答」
愉快そうな女の声が耳に届く。声の出所へと少年は視線を移す。
酒場の中央に位置する場所、女はそこにいた。
女は青年と目を合わせば、見下すように半眼を送る。
「ニホンザルの癖して、知能はあるみたいね」
女の装いに、青年は思わず口笛を吹く。
彼女は酒場に似合うバニースーツを着ていた。
豊満とは言い難いが、それが良い。女性らしい体躯を惜しみなく曝け出している。控えめに膨らんだ胸、細腰、大きめな尻。柔らかな弾力のありそうな白い肌が、なんとも蠱惑的だ。
切れ長の鮮緑の瞳がまた情欲を唆る。首筋で切られた栗色の髪を彼女が右手でかき上げれば、動作に合わせて胸が揺れる。
女の頭の傾きと同時に、頭上の兎の耳も跳ねて揺れる。
マリスカ、と女は名乗った。青年たちにかけられた賞金を得るために現れた刺客だと言う。
蔑みの色を瞳に浮かべて、マリスカはバーカウンターに上に腰掛けている。組まれた足が交差するたびに、その動きを目で追ってしまう。
「さて、優しいマリスカちゃんのお話はこれでおしまい。そんなワケだから、とっとと死んでくれる?」
マリスカが立ちあがる。同時に彼女の背後に水柱が立った。それ徐々に形を持ち、半実体化をする。
スタンドだ。
デッサン像のように胸部より上しか形の無い、ロボットのような外見。左腕は水れる水で作られているのに対して、右腕は形になっている。だが、その手首から先は細い筒のようなものになっていた。
その右腕は、アクションゲームのロボットヒーローがバスターを構えるようにこちらに向けている。筒の先からは、硝煙のように蒸気が漏れていた。
つまりは、水鉄砲だ。ただ、玩具とは威力が違う。強い水圧は鉄をも切断することを、青年は知識で知っている。
承太郎の傷は深い。負傷範囲は狭いが、出血は収まらない。
青年は舌打ちをする。そして、同時に己の油断を悔いた。
ほんの数分前、彼らはこの酒場に訪れた。食事が目的ではない。聞きこみを行うためだ。酒場は様々な人が集うため、情報収集にもってこいだった。
そんな中、前触れもなくスタンドが現れたのだ。マリスカの背後にいるものと同型だ。それは、躊躇もせずに攻撃を繰り出す。
驚きつつも、それを迎撃したのだが、同じスタンドが次から次へと湧き出てきた。倒しても倒してもキリは無く、本体の捜索を視野に入れた瞬間だった。承太郎が負傷したのは。
承太郎がこうなったのは、青年のせいだ。
青年はバニーガールのことを完全に無関係と決めつけていた。巻き込まれてしまった哀れな女性であると。怯えよるうに机の下に隠れている彼女にスケベ心を抱いてないといえば嘘にはなるが……。
ともあれ、後悔しても遅い。今はこの状況を打破することだけを考えるしかない。
ふ、と吐息を漏らしてから青年は口元に笑みを浮かべる。臆した態度を見せたら、敵の思う壺だ。
「おいおいマリスカちゃん、いいのか? 周りに客がいるんだぜ」
両腕を大仰に広げて、彼は言う。
「アンタ、ここの店員なんだろ。お客様を傷つけるのは、さすがにマズいんじゃね?」
ヘタすりゃクビだぜ、と青年は茶化す。が、マリスカはそれを鼻で笑った。
「何で私が、コイツらの心配なんかしなくちゃいけないの?」
マリスカが鼻で笑う。
今の発言は間違いなく彼女の本心からなのだろう。徹底的な差別主義者。短いやり取りだが、彼女がそうだと判断出来る。
(あぁ、本当にいい体してるし。顔なんか、すっげぇ俺のストライクなんだけど)
改めて目の前にいる女が敵だと青年は認識する。一歩、彼は前へと足を踏み出した。
「おい、承太郎。お前はそこで見てろ」
「何を馬鹿なことを言ってんだ。お前のスタンドは一対一には向かないだろうが」
怒ったような声に、青年は振る無ことなく右手を振って答える。
「この俺を見くびるんじゃねーよ。その傷で何が出来るんだよ。はっきり言って足手まといなんだよ、今のお前は」
承太郎は腹部を右手で押さえつけている。その隙間から血が滲み、服は赤で染まりつつあった。
恐らくは彼へ放たれた一撃は必殺のものなのだろう。運悪く承太郎はそれをまともに食らってしまった。いくらタフな彼でも、戦い続ければ出血過多で眩暈を起こすだろう。
幸か不幸か、青年の傷は浅い。ならば、取るべき手段は一つだ。
まっすぐに敵を見据えたままで青年は言い放つ。
「マリスカちゃんのお相手は俺一人で充分だっつの。分かったら隠れてろ、バーカ」
「馬鹿はお前だろうが。これぐらいなんともねぇ」
「来るんじゃねぇ!」
立ち上がろうとする承太郎を青年は声で制した。
普段とは違う真剣な声音。仲間たちとふざけている時とはまるで違う口調。その響きに承太郎の動きが止まったことを、青年は背後の気配で悟る。
分かっている。確かに、承太郎の言う通りだ。
青年のスタンドは承太郎の【星の白金】よりも火力は低い。接近戦にも向かない。追い詰められたら、窮地に陥ることも多々ある。
だが、青年は振り向かない。振り向くわけにはいかない。
「俺を信じろ」
たった一言。
その一言で、承太郎は完全に沈黙した。
わずかに間を置いてから、彼の口癖が投げられた。やれやれだぜ、と。
「頼んだぞ」
「おう、頼まれた」
そうして青年は再び敵へと意識を切り替える。
マリスカはつまらなさそうな表情で彼らのやり取りを眺めていた。所詮友情ごっこと見下しているのだろう。
しかし、その割にこちらの会話が終わるまで攻撃を控えていてくれたようだ。ずいぶんと律儀なものだと青年は感心する。だから、それを使わせてもらう。
「やっさしーねマリスカちゃん。待っていてくれたんだ。何? ひょっとして俺にホレちゃった? 俺の啖呵に聞き惚れちゃったってか。だが、俺に惚れたら火傷するぜ?」
挑発にマリスカの顔が嫌悪にゆがむ。同時に青年目掛けて、マリスカのスタンド──ショッキングブルーが水圧砲を打ちつけてきた。
例えるのならば、ホースの先を握りしめた時のような鋭い水圧だった。先鋒槍のような勢いで、青年目掛けて飛んでくる。
すんでの所で彼はそれを回避した。あっぶねーと飄々とした笑みを浮かべてはいるが、その内心は焦っていた。鼓動が早まり、指先が震える。
先ほどまでの立ち位置を見やれば、木床には穴が開いていた。まともに直撃したら間違い無く風穴が空くだろう。冷や汗が背中に伝うのを感じながら、青年は体勢を持ち直す。
続いての一撃が放たれる前に、青年は右手をマリスカに向けてかざす。銃を握る形を取る掌へと意識を集中させる。念じる、というのが正しいのかも知れない。
眼光を鋭くさせ、射るべき敵を睨みつけたまま彼は叫ぶ。彼は呼ぶ。彼は求める。
──自らのスタンドを。
「Mr.BIGッ!」
青年の声に応じるように空間が歪む。蜃気楼のようにゆらりとそれは現れ、実体化する。
狙撃用のライフル銃。これが青年のスタンドだ。
持ち慣れたずしりとした重みを感じながら青年は引き金を引く。発砲音を立てて飛び出した銃弾は、軌道上で炎を纏う。標的はマリスカのスタンド、ショッキングブルー。
「馬鹿ね」
マリスカの嘲笑と同時に、ショッキングブルーは水圧砲を放つ。
空中で炎と水はぶつかり合う。瞬間、濃い水蒸気が酒場内を覆う。熱を孕む湿気った空気の中を、青年は駆ける。
先ほどの一撃は、初めから命中させるつもりは無かった。こちらが炎を放てば、必ず鎮火のために水を飛ばすだろう。そう賭けた。
結果、彼の思惑通りの展開となった。
視界が晴れる前に狙撃し易い場所へと移動する。泥酔からか、現状を把握出来ずにけたたましい笑い声を上げる一般人たちの間を縫って、青年は目的の場へと辿り着いた。
バーカウンターから離れた位置、店内の左奥に設置されたテーブルの下。少年はそこに潜り込むと、無人の椅子の上でMr.BIGを構える。
狙うは一撃必殺。白い霧の中で、彼の目はスコープ越しに獲物を見据える。
引き金は──まだ引かない。
呼吸を整え、狙撃先一点に集中する。日の光が束なり焦点になるように、意識が一つになったその瞬間、撃つ。そうすれば必ず命中する。
スタンドに目覚める前、彼は銃なぞ握ったことは無かった。争いとは無縁の学生生活を送っていたのだから、当然だろう。
だからこそ、初めてMr.BIGが自分の手に現れた瞬間は驚愕してしまった。突然ライフル銃が目の前にあるという事実に驚き、思わず取り落としたほどだった。
当時は射撃するよりも、棍棒さながらに振りまわして敵を気絶させるという攻撃手段を取っていたほどだ。
だが、それも過去のことだ。今では自分の一部のように、このスタンドを使いこなせる。
どうすれば、威力ある弾が撃てるのか。
どうすれば、一つも外さずに狙撃出来るか。
どうすれば、自身のスタンド能力を最大限に発揮できるのか。
そういった感覚は、ごく自然に彼の中に蓄積されていた。生死が裏表になる戦いの場に立たされたという経験が一番大きいのだろう。極意を伝承されなくとも、彼はライフルによる戦い方を学習した。
今では、自分たちを付け狙う金で雇われた狙撃兵よりも、自分の方が射撃の腕があると自負しているくらいだ。
しかし、青年の立ち位置は主に味方の補助だ。様々な特殊能力を付与させた弾丸を駆使して仲間たちを強化させる。
あるいは物陰に隠れて隙を狙う。敵の注意が仲間だけに向かっている間に、暗殺者のように急所目掛けて弾丸を放つ。
今回は、後者の戦法を取った。だが、頼るべき仲間はいない。
時間も無い。青年の脳裏に浮かんだのは、承太郎の姿。流れ出す血の量は多く、顔色だって悪かった。
(すぐに終わらせてやるよ)
すぅ、と静かに息を吸う。
一呼吸ごとに彼の神経は研ぎ澄まされてゆく。それを淡々と繰り返す。
いつしか空気の流れに、彼の呼吸音は溶け込んでいた。殺気すら漂わない。
自然と彼の表情は引き締まったものへと変化する。マリスカを挑発した時のようなふざけた色合いは全くと言っていいほど無い。ここに潜むのは、数多の死線を潜り抜けた一人の狙撃手だ。
紅蓮の瞳に静かな闘志が燃ゆる。指先に力が籠もる。
Mr.BIGに装填は必要無い。彼の意志が敵を撃ち抜く弾丸と成る。戦おうとする意志が。
青年が思い浮かべるのは、銃弾が放たれるイメージ。真っ直ぐに、自身の腕の延長線のように、敵を撃ち貫く。それだけだ。
スコープを覗き、銃口を合わせ、引き金に指を当てる。いつでも撃つ準備は出来ている。
そして──ついに霧は晴れた。
瞬間、青年は引き金を引く。
狙いはバニー姿の妖艶な女。
目立つ兎耳のおかげで対象を絞り込めるのは安易だった。余裕からなのか、彼女は最初の位置から全く移動していなかった。
だが、容赦はしない。
消えて貰う。
狙ったのは、彼女の額。弾丸は真っ直ぐに標的目掛けて飛び進む。
相手にこちらを悟られる前に全てを終わらせる。これが少年の必勝哲学だ。
そして、今回もそれが見事に適用──されることは叶わなかった。
彼の放った弾丸は目標を大幅に反れて、酒棚の瓶を一本撃ち抜いた。
硝子の破裂音を耳にしながら、青年は目を疑う。
有り得ない。そんな言葉が薄い唇からこぼれ落ちる。
今の射撃は普段通り、いや、普段よりも精密に狙撃出来たはずだ。なのに、何故?
その疑問はすぐに氷解した。移動しようと立ち上がった少年の足場がぐらりと揺れた。バランスを崩しかけ、彼はとっさにテーブルに左手をついた。
周囲に漂う強い芳香に、青年は舌打ちをする。
──酔っちまったか。
悪ぶったフリをしていても、青年は非行に走ることなく過ごしてきた。ゆえに、他の仲間たちと比べればアルコールに対する耐性は皆無に等しい。
先ほどから感じていた万能感は酔いから来るものだったのだろう。気付いてしまえば、己の過大評価への恥が湧いて出る。
マリスカと目が合う。
「あらあらぁ? 足元がふらついているじゃない」
甘ったるい女の声と共に放たれる水圧砲。青年は避ける──が、俊敏力が鈍っていた。右腿に激痛が走る。
転倒しかけるも、そのまま走りきる。背後から二撃目、三撃目と次々に水圧砲が発射される。その幾つかを被弾しながら、彼はまたテーブルの下に潜り込む。
すでにそこに陣取っていた肥り気味の先客に対し、青年は頭を下げる。
「すまねぇ、おっちゃん!」
言うなり彼はテーブルを蹴り倒し、大盾にする。瞬間、水圧砲がテーブルに命中した。貫き飛び出した水の弾丸は、青年の頬をかすめて壁にまた穴を空ける。
間一髪だ。わずかばかりに安堵をする青年に、アルコールグラスを持ったままの男性が声をかけてきた。
「君は、スタントマンかい?」
笑いながら男性はそう言った。目鼻を赤くさせているところを見るに、彼は相当酔っ払っているらしい。
スタンドは、その力無き者は視認出来ない。酔いも廻りきった彼にとって、今の青年たちの攻防戦はさぞかし見応えのある出し物に映るのだろう。
この男以外の客も楽しんでいるようだった。酒場内は歓声と口笛に包まれている。
(スタントマンっつーか、スタンド使いなんだがな)
しかし、訂正するつもりは無い。親指を立て、サンキューと適当な返事を青年は返した。
爆笑する男を無視して、青年は銃口を腿の傷口に押し当てる。
Mr.BIGの弾丸は、自らの意志。
破壊のイメージならば、敵を撃ち抜く弾丸に。そして、その逆ならば──。
躊躇いも無く、青年は引き金を引いた。発砲音と共に、刺し傷に似た熱い痛みが腿を走る。下唇を噛んで苦痛の呻きを抑え込む。
脂汗を浮かべる前に、傷口に変化が訪れる。流れ出る血液が止まり、抉れた肉が盛り上がり、破れた皮膚が急速に塞がり始めた。
痛みが完全に消え去る頃には、傷は完全に塞がっていた。
まるで最初から傷なぞ存在していなかったかのように。穴が開き、血がこびり付いたズボンだけが青年の怪我を現実のものであったと物語っている。
続いて他の傷の治療と行きたいところだが、残念ながらのんびりとしている暇は無い。
倒れたテーブルからわずかに顔を出し、牽制弾を一発放つ。撃ち込んだら、すぐさま青年はその場から飛び出す。次なる狙撃ポイントへ移動するためだ。
背後から連続で撃ち込まれる水圧砲を避けながら、彼はまたテーブルの影に隠れる。滑り込んだ瞬間、彼の頭上を水圧砲が走る。
緊迫感溢るる立ち回りに周囲から喝采が沸く。完全に余興として見られている。
青年が今回の盾代わりにしたテーブルにいた客から、酒の入ったグラスを押し付けられた。チップだ、吞めと呂律の回らない舌で言われる。
「未成年なんで! お気持ちだけ頂きます!」
それでも勧められるグラスを肘で押しのけながら、また意識を集中させる。
次は一撃必殺の殺傷弾では無い。例えるのならば、そう──マシンガンのような連続発砲。
引き金を引いた瞬間、ライフルらしからぬ大量の発砲音がMr.BIGから洩れる。
その音に見合う量の弾丸が、青年が引き金を引き続けている間に連射される。しかし、雨あられと降り注いだその弾丸も、マリスカおろかショッキングブルーにすら命中しない。
弾は酒瓶に、酒樽に、ジョッキに、グラスに、酒場内の様々な備品を破壊してゆく。が、肝心の敵にはかすりもしない。
さすがにこれはおかしい。
青年の頭に、焦りと疑問が浮かび始める。
いくら酔いが回っているとはいえ、ここまで命中精度が下がるものだろうか。
彼が戸惑っている間にも、客たちは赤ら顔でやんややんやと囃し立てる。その声が癇に障り始める。
パニックになられるよりはマシなのかも知れないが、これはこれで戦い辛い。というよりも、邪魔だ。集中を削がれる。
同卓の客からは、今も頬にグラスを押し当てられ続けている。吞め吞めと繰り返す彼を振り切って、青年は駆ける。その後を追うのは連続で放たれる水圧弾。
薄れることのない焦燥感は、徐々に青年の精神を蝕んでゆく。攻撃と回避を繰り返し、敵の消耗を待つ戦法は避けたい。今は青年の挑発に乗っているマリスカが、負傷している承太郎にターゲットに切り替える可能性がある。
ちょこまかと逃げ回る標的よりも、深手を追った獲物を狩った方が効率が良い。青年だったらそうする。きっとマリスカも、いずれはそう思い至るだろう。
そうなったら、悲しむ女性がいる。
承太郎の母ホリィは息子のことを大切にしていた。ほんの少ししか彼女と接していない青年だったが、それでもその愛情深さを理解していた。
自身のスタンドによって命の危機にあるのに、彼女は明るく笑って家族に心配をかけまいと振る舞った。健気なその姿に、青年は人知れず拳を震わせた。
この旅はホリィを救うためにスタートしたものだ。その道中で承太郎が命を落とせば、きっと彼女は嘆き悲しむだろう。
あのような、心優しい女性を泣かせる真似は許さない。
自らの信条に反すると、青年は己の言動を理由付けた。これ以上、承太郎を傷つけさせる訳にはいかないと誓う。
だから何としても、マリスカは自分一人で撃破するしかない。例え圧倒的不利な状況だとしても。
また別のテーブルに滑り込む。料理が並べられたテーブルを倒して、青年は決意を弾丸に変える。何発かの銃撃戦を得て、彼は舌打ちをする。軽い眩暈がしたのだ。
この感覚が何なのか、青年は知っている。
スタンドの源は精神力。使えば使うほど、疲弊する。そろそろ弾切れが近い。
(だったら、次の一撃で決める……!)
幸い、敵もそうなのだろう。先ほどよりも水圧砲の威力が下がって来ている。
木製のテーブルを貫くほどの威力を持っていたはずの水圧砲は、今はテーブルの表面を濡らす程度で留まっている。
ならば、余裕がある。最高の一撃を放つ余裕が。
再び意識を一点へと集中させる。彼が思うは、破壊により産まれる絶望のイメージ。全ての神経を壊し、安寧を消し去り、強烈な熱さも寒さも、痺れるほどの痛みもその全てを同時に味わう、地獄の責め苦よりも痛ましい苦痛。
攻撃の合間を計る。
一つ、二つ……三つ! ──今だ!
呼吸するよりも早く、青年はテーブルから頭を出し引き金に指をかけ──。
彼の耳に聞き覚えのある流水音が届く。
音は青年のすぐ後ろから──。
振り向いた彼が見た物は、揺らめく水の柱。この現象を青年は知っている。見ている。
水柱はうねりを持って実体化する。スタンド──ショッキングブルーの形となる。
ショッキングブルーの銃口が、戸惑う少年の眉間を狙う。
水圧砲の発射と、青年がMr.BIGを盾にしたのは同時だった。
水圧により、盾にしたテーブルごと青年は後方へと突き飛ばされる。
致命傷は避けられたが、それでも至近距離からの衝撃の強さを和らげることは出来ない。バーカウンターを砕き破り、そのまま酒棚へと激突する。その衝撃で酒瓶が雨霰と降って割れる。
全身酒浸しになるのは避けられず、そのアルコールの強さに彼は咳き込む。
幸い瓶底で頭を強打して再起不能という間抜けなオチにはならなかった。が、背中に刺さる木屑がジワジワと彼の痛覚を刺激する。
Mr.BIGは、いつの間にか青年の手元から消え去っていた。背中を打った瞬間に意識が散漫したからであろう。念じればまた呼び戻すことが出来るだろう。しかし、まだそこまで青年の精神力は回復はしていない。
酒場内をどよめきが揺らし、それに紛れて承太郎が青年の名を叫ぶ声が聞こえた。
「出て来るな、承太ろ──ぐぁッ!」
「仲間の心配をしてる余裕なんてあるの?」
仰向けに倒れた青年の胸部にマリスカのヒールが食い込む。彼女はそのまま右足に体重をかける。青年の肺ごと潰す勢いで。
めきり、と嫌な音が少年のあばら付近で響いた。折れてはいないだろうが、ヒビは入ったのかも知れない。息苦しいまでの激痛に、思わず彼は苦しげな呻きを漏らす。
バニーガールを真下から見上げる。夢のようなその絶景を、拝んでいる余裕なんて無い。
状況は不利にも関わらず、彼の眼光はますます強くなる。眉根を寄せ、青年はマリスカを睨む。まだ勝負は決してない──そう言いたげな眼差しだった。
「……ねぇ、知ってる?」
青年のフルネームをマリスカは口にする。
「アンタ、一番賞金額が低いの。何故だか分かる? 弱いからよ。ジョースター一行でアンタが一番、最弱で貧弱ってことなのよ」
わざと彼女は青年を挑発するような言い回しをする。弱者をいたぶる強者の傲慢さを、サディスティックな笑みを浮かべていた。
右手に持った空き瓶を、マリスカは乱暴に投げ捨てた。割れること無く床の上を転がる瓶を視線で追って、青年は理解する。何故、水圧砲の威力が弱まっていたかを。
あの時、テーブルに撃ちつけられていた水はマリスカが放ったものだろう。だから、テーブルを貫くことなく床に滴った。
「それと、もう一つアンタの疑問を解決してあげるわ」
何故、青年の射撃が一つも命中しなかったのか。彼をもはや敵とした見なしていないのだろう、その仕掛けを彼女は嬉々として説明する。
「最初に言ったでしょ? 私のスタンドは『驚かせた相手の体内に侵入する』って」
つまり青年の命中精度を意図的に鈍らせたということだ。
彼は悟る。何故マリスカが挑発に乗ってきたか。
挑発に乗せられたのではない。彼女は、わざと乗ってきたのだ。
青年は驚いた。マリスカの正体が露わになる前に。
聞き込みを行う最中に突如出現した、ショッキングブルーに。
その瞬間に、青年の狙撃術が敗れることは決定していたのだ。
「本当にバカねぇ、ニホンザルは!」
蔑みの言葉と共に、彼女は青年を更に痛みつける。肺を押され、彼は血が混じった咳を漏らす。
息が詰まる。
視界が曇る。
痛みをそれほどまでに強く感じないのは、酔いのおかげか。
いっそ痛みで気絶してしまったほうが楽になれたのかも知れない。
だが、そういうわけにはいかない。今ここで倒れるわけにはいかない。青白い顔に似合わぬ強い眼差しを、青年はマリスカに送る。
それがマリスカは気に入らない様子だった。溢れんばかりの殺意と共に、彼女は青年を踏む足に、さらなる体重を乗せる。
「弱いクセに何カッコつけてるのよ、このサル!」
「──チを……」
息も絶え絶えになりつつも、青年はマリスカを睨む。眼光の鋭さは鈍らない。
「ダチを、傷付けられて……腹が立たねぇ、ヤツは、いねーよ」
その返答を、マリスカは鼻で笑う。
「情が厚いわねぇ。でも! 弱いヤツが粋がっても無駄なのよッ!」
マリスカの背後にうねる水柱が立つ。トドメを刺すつもりなのだろう。今度こそあの水圧砲を回避する術は無い。
負傷して床に貼り付け状態の自分。それに対し、敵は無傷で勝利を確信している。完全に詰みの状態だ。
だが、だからこそ少年は屈指ない。
──いいか。最後の最後まで諦めるんじゃあないぞ。
酸欠により朦朧としかけた彼の脳裏に浮かぶのは、承太郎の祖父ジョセフの言葉。
──こちら側があからさまに劣勢な時、その時、必ず相手は油断する。勝負が決したわけじゃあないのに勝利を確信する。その瞬間こそ、そいつは負けたような物じゃ。
スゥ、と深く息を吸い込む。一定のリズムで呼吸を繰り返す。何度も何度も。頭に昇る熱を鎮めるかのように。
──呼吸を乱すな。絶対に、何があっても。
ジョセフが最初に青年に教えたのは一つの呼吸法だった。
そして、こうも教えられた。この呼吸法を常にしろ。例え寝ている時でも。
じわりと青年の体に活力が戻ってきた。酔いから来るものとは別の高揚感が彼の中で湧き上がってくる。
動かなかった右手に力が宿る。同時に青年の口元に笑みが浮かぶ。
「ぶっつけ、本番……上等、じゃあねぇか……」
青年は拳を上げる。
ゆるゆると伸ばした腕から、酒と木屑が滴り落ちる。
不審げに片眉を上げるマリスカは、それでも自らの勝利を信じてやまないようだ。己の下にいる青年の動作を悪あがきと取ったらしい。一笑すると、ヒールに力を込める──が、青年の胸筋に押し返される。
疑問の声を彼女が上げる前に、青年が声高らかに宣言する。
「水も滴る良い男には、最強の必殺技があるってコトだッ!」
その気迫に、マリスカが怯んだ。その一瞬を青年は見逃さない。
床に伏したままの左手に力を込め、瞬時に起き上がる。その反動でマリスカの体勢が崩れる。
時間が、青年の目にはコマ送りのようにゆっくりと映る。
周囲のざわめきも彼の耳には届かない。
無音の世界で響くのは、ジョセフの教え。
──相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北している。
踏み込み、一気に距離を詰める。
マリスカの驚きに満ちた表情。
その翠玉の双眸に、青年の顔が映る。
彼は、笑っていた。
不敵に、怯むことなく。ただ突き進むことだけを思う、戦士の笑み。
「山吹色の波紋疾走ッ!」
背中から倒れ込む彼女の腹部目掛けて、青年は拳を叩き込む。渾身の力を籠められた拳は空中でさらに強度を増し、鉄球さながらの硬さとなる。
骨と肉が潰れる音。空気を切り裂き、女は飛ぶ。
鼻と口から血を吐き散らしながら、マリスカが後方へと吹っ飛んだ。その速度に、土煙が酒場内に巻き立つ。
壁に大きな穴が開き、マリスカはそこに座り込むように倒れていた。ショッキングブルーは彼女の傍らにはいない。
苦しげに咳き込むマリスカの頭上から影が落ちる。彼女が顔を上げたのと同時に、その額に細い銃口が押し当てられた。
「……ニ、ニホンの、サルなんかに、この、私が──」
有り得ない。こんなこと、許されるはずがない。
そう言いたげな敵視を送る彼女に、青年は冷たく言い放つ。
「じゃあ、アンタはそのサル以下だな」
途端にマリスカの顔が憎悪に満ち溢れる。血に染まった唇が開かれる前に、青年は引き金を引いた。
銃声が一発、静寂の中で響いた。
硝煙は出ない。銃筒も熱くは成らない。思念で放たれる弾丸。それが青年のスタンド。
おぼつかない足取りで彼は踵を返す。道々で観客たちが彼に勝利の健闘を称える。事態の深刻に気付いている様子は全くない。
愛想笑いでそれらを流しながら、青年は負傷する仲間の元へと辿り着く。
酒場入り口近くのテーブルの脇に彼はいた。
「終わったぞ」
戦闘の疲労を隠した結果、ふてぶてしい態度で青年が言った。濡れて額に張り付いた前髪を無造作にかき上げるその姿は、もう普段通りの彼だった。
対して承太郎もまた素っ気ない態度で応じる。
「お前がじじいと同じ技が使えるなんて知らなかったぜ」
「いや、実戦で使ったのは今日が初だ」
その返答に、承太郎の片眉が跳ねた。
「……何だと?」
ああ、その顔が見たかった。してやったりと、青年は笑う。
「ジョースターさんから波紋を教わったのは最近からでよー。やー成功して良かった良かった! ま、俺の才能を持ってすりゃあ当たり前だがな」
さすがは俺、天才過ぎて怖いぜ、などと自画自賛する青年に、承太郎は呆れ気味に呟く。
「近頃、じじいと二人で何かコソコソしてると思ったらそういうことか」
不審を抱いてはいたが、見逃していたらしい。どうせロクでもないことだろうと判断されていたようだ。
承太郎が青年を顔を見る。強がっていても、疲労は青年の顔に張り付いている。
「回復を頼みたいところだが、その様子じゃあ」
「あぁ、すまねぇ。弾切れだ」
空になった右手を青年は振る。
それならば、別の手段がある。それをさっき、承太郎は見せてもらった。
「なら、波紋で頼む」
「悪ィな。俺が教えてもらった波紋技、あれだけなんだ」
回復技はスタンドを使用すればいい。青年はそう判断したのだ。むしろ己のスタンド能力の方が、回復力が強いとまで青年は思い込んでいる。
自信家な彼らしい返答に、承太郎は帽子を深く被り直す。
「……やれやれ」
溜め息漏らす彼に、青年は右手を差し出す。
「感謝しろよな。お前を運ぶだけの体力は残してやったんだからよォ」
承太郎は青年を一瞥する。波紋技の影響で出血は止まっていた。それでも、顔色が悪い。
怪我も完全には回復しておらず、所々に赤い痕が学生服からにじみ出ている。貧血のせいだろう、足元もふらついている。
「どう見てもてめーの方が重傷じゃねぇか。青白い顔して良く言う」
「なぁーに言ってやがんだ。俺を見くびるなよ? これぐらいの傷なんざ痛くも痒くもねぇよ」
事実、痛みはそれほど感じてはいない。波紋の回復力と酔いとの相乗効果なのだろう。
酔いが醒めたらどうなるか、などという後ろ向きな考えが一瞬青年の脳裏に浮かぶが、その時はその時だと軽く流した。
「ま、俺に言わせりゃあ、これぐらいただのかすり傷ってやつだ。分かったらすぐにでも──」
「花京院のことは、お前一人が気に病むことはない」
承太郎の言葉に、青年の饒舌さが途絶えた。
緑がかった目。
承太郎の目は不思議な色だ。安らぎを連想させる緑色なのに、威圧するような鋭い輝きを放つ。
その瞳が、硬直する青年を静かに見据えている。
言葉を失い、青年は目を逸らす。それが彼の動機を雄弁に語っていた。
二人の間に沈黙が流れる。周囲の喧騒だけが雑音のように店内に響く。
少し前の出来事だ。
敵スタンド使いとの一戦で、彼らの仲間二人が負傷した。
その内の一人──花京院は目に傷を負うという重傷だった。その時、青年は彼のすぐ近くにいた。
何も出来ずに、いた。
両目から血を流し、砂漠の上に倒れ伏す彼を、青年はその瞬間まで見ていることしかできなかった。
青年がジョセフに師事を願い出たのは、そのすぐ後だ。
何のために青年が波紋技を習得しようと決意したのか。聡明な承太郎は、青年の沈黙で理解できてしまうだろう。
彼の顔が見れないまま、青年は苦し紛れに言い放った。
「……ばっかじゃね? なぁんで俺があいつの心配をしなけりゃあいけねぇんだよ」
しかしその声に、先ほどのような傲慢さは無い。それでも強がりを込めて、早口で言葉を続ける。
「大体なぁ! 俺が波紋技覚えたのはな、悪漢に襲われるシニョリーナを華麗に救うためで、決して、あんな口煩い前髪を助けてやろうとかそんなつもり欠片にも思ってねぇ! 誤解すんなよ!」
「分かった分かった」
「おいコラ、絶対お前分かってねーだろ! 何笑ってやがんだッ!」
無愛想な印象を抱かせる割に、承太郎は案外表情が豊かだ。今も笑いを噛み締めるような表情を見せている。
気恥ずかしさは、青年の怒りを呼び起こす。座ったままの承太郎を残して酒場の出口へと歩を進め始める。威嚇するように大きく足音を立てながら。
「もうてめーなんて知らねぇよ! ばーかばーか!」
「ガキか、お前は」
呆れ混じりの発言も、どこか愉快そうな響きが潜んでいた。完全に承太郎は青年をからかっている。
そのことが気に食わない。助けるんじゃ無かったと青年は舌打ちを鳴らす。
しかし、承太郎は怒ることなく言い放つ。
「お前が一人で勝手に盛り上がったんだろうが」
やれやれと口癖を呟きながら、承太郎も立ち上がる。
出血は収まってないようだ。脇腹を抑える左手の隙間から、鮮血が漏れ滴り落ちている。顔色も心なしか先ほどよりも悪くなっていた。唇の色も白い。
さすがに青年も心配になったのか、眉尻を下げて彼に問う。
「ジョースターさんの所まで保つのか? 途中で気絶するのだけは止めてくれよ」
巨体な承太郎を運ぶのは不可能だ。青年一人ではどうしようもできない。
そんな心配を、承太郎は一蹴する。
「そこまでヤワな鍛え方はしてない」
「本当かよ。倒れたら置いてくからな」
とは言いつつも、青年は先に行かない。
こちらに向かって歩く承太郎を、待つかのように戸口で突っ立っている。やがて承太郎が酒場から出るのを見届けると、青年はその後ろに続く。
明らかに承太郎を気遣うような行動だ。だが、青年はそれを認めたくはないようだ。わざと大きなため息を吐いて大声で言い放つ。
「あーあ! せっかく可愛いバニーちゃんとお近づきになれると思ったのによぉ。何だよ、この結末は。目の前には承太郎。背後には酔っ払いの笑い声。俺ってすげー不運じゃね?」
ぶつくさと文句を垂れ流す青年の耳に、承太郎の呟きが届いた。
「……ダチ、か」
再び青年が沈黙する。
黙り込む彼の緋色の目に承太郎の広い背中が映る。その肩は小刻みに震えていた。
「言ってねぇ! そんな単語、俺言ってねぇからな!」
吠える青年に、承太郎はわらいが込められた声で言い返す。
「いや、確かに言っていた。『ダチを傷付けられて腹が立たねぇヤツはいねー』とな」
「復唱すんなよ、この地獄耳! 本ッ当に性格悪いな、てめーは!」
青年の怒声が青空に響く。突然の咆哮に道ゆく人々が一斉にこちらを見るが、知ったことではない。
苛立ちを足音に込めて歩けば、不意に承太郎が立ち止まった。歩みを緩めるのが遅れたため、その大きな背中に青年はぶつかりかけた。
「危ねーだろうが。何だよ、やっぱり俺の手が必要なんじゃね? カッコ付けてねーで素直に──」
「ありがとな。お前のおかげで助かったぜ」
軽くこちらへと振り向いて、承太郎はそう言った。
照れもせず、からかいもせず。緑の瞳を緩く細めて。
そして、呆気に取られている青年を残し、承太郎はまた歩き始める。
しばし呆けていた青年だったが、すぐに不機嫌そうに叫んだ。
「礼を言うのが遅ェよ。つーか、別に俺はてめーに礼を言われるつもりじゃあなかったし。ただ波紋技を試したかっただけだし!」
毒づく青年だったが、その口元は笑みの形を取っていた。
【了】