デビル・グルメ   作:ナオ3

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ラースちゃんの初体験回!(意味浅)


箸休め 憤怒の激辛カレー

 

 魔界の荒野にそびえ立つ、鉄と岩でできた無骨な城塞。

 普段は重苦しい空気が漂う『憤怒(ラース)』の屋敷だが、今日の空気はどこか違っていた。

 屋敷の巨大なダイニングルーム。

 そこに、魔界の要人たちが招かれていた。

「よく来てくれました! 悠夜様、グラトニー様、それにグリード様!」

 出迎えたのは、この城の主である憤怒の魔王、ラースだ。

 以前会った時の泣き腫らした顔はどこへやら。今日の彼女は、まるで初めてのお使いに成功した子供のように、瞳をキラキラと輝かせていた。

 

 

「やあ、ラース。招いてくれてありがとう」

 

「ヤッホーラースちゃん! 今日はご馳走なんだって?」

 

「へっ、随分と機嫌が良いじゃねえか。何か良いことでもあったか?」

 

 

 悠夜、グラトニー、グリードの三人が席に着く。

 ラースは満面の笑みで大きく頷いた。

 

 

「はい! ご報告があります。……ついに、初めて私の契約者が、真っ当に天寿を全うしたんです!」

 

 

 その言葉に、三人の悪魔は目を見張った。

 ラースの契約者はその性質上、復讐の途中で命を落としたり、復讐を果たしても虚無感に苛まれて自滅したりすることが多かったからだ。

 

 

「ほう……それはめでたい」

 

「詳しく聞かせなさい。どんな人間だったのです?」

 

 

 悠夜が促すと、ラースは嬉しそうに語り始めた。

 

 

「名前はジン。とある寒村に住む少年でした。……強盗に両親を殺され、家を焼かれた孤独な少年です」

 

 

 始まりはありふれた悲劇だった。

 だが、その後の展開が違っていた。

「私は彼と契約しました。ですが、すぐに力を与えることはしません……悠夜様がアレンさんに施した『訓練』を参考にしたのです」

 

 

 かつて悠夜が担当した、アレンという少年の事例。

 愛する者を守るために、怒りを制御し、自らを修羅に変えた少年の物語だ。

 

 

「私は彼に提案しました。『怒りをただ爆発させる火薬にするのではなく、己を鍛え上げるための炉の火としなさい』と」

 

 

 ジン少年はラースの指導の下、過酷な修行に身を投じた。

 来る日も来る日も、親の仇を討つために。

 だが、ただ憎しみに任せて暴れるのではない。ラースの権能である『憤怒』の炎を、彼は自らの心身を焼き鍛えるための熱源として利用したのだ。

 筋肉が断裂し、骨が軋むほどの鍛錬。

 心が折れそうになる夜もあった。寂しさに泣いた夜もあった。

 だが、その度に彼は胸の中の怒りの炎を燃やし、涙を蒸発させ、鋼鉄のような意志で立ち上がった。

 

 

「彼は……本当に頑張り屋でした。多大な苦痛を伴う鍛錬でしたが、弱音一つ吐かずにこなしきったのです」

 

 

 数年後。

 そこには鋼の肉体と、剃刀のように研ぎ澄まされた精神を持つ一人の戦士が完成していた。

 彼は復讐を果たした。

 両親を殺した強盗団を、たった一人で壊滅させたのだ。

 

 

「でも、そこで終わりではありませんでした」

 

 

 ラースは誇らしげに胸を張った。

 

 

「彼は復讐を終えた後、その鍛え上げた力を『自分のような悲しい子供を出さないため』に使ったのです」

 

 

 用心棒として村を守り、時には悪党を退治し、弱きを助けた。

 復讐のために研いだ刃を、今度は守るための盾として使ったのだ。

 やがて彼は、彼を慕う女性と結ばれ、子供を授かり、孫に囲まれ……。

 先日、老衰で静かに息を引き取った。

 

 

「最期は、家族みんなに手を握られて……『いい人生だった』って、笑って逝きました」

 

 

 ラースの目じりにうっすらと涙が浮かぶ。それは悲しみの涙ではなく、達成感と感動の涙だった。

 

 

「素晴らしい」

 

 

 悠夜は惜しみない拍手を送った。

 

 

「怒りを建設的なエネルギーに変換し、人生を切り拓いた。……憤怒の魔王として最高の仕事をしたね」

 

「へへッ、やるじゃねえかお嬢。先代の親父さんも、きっと草葉の陰で喜んでるぜ」

 

 

 グリードがニカっと笑う。

 

 

「あいつ、強面で分かり難かったけど、とんでもねぇ親バカだったからな! 今頃地獄の底で『うちの娘が天才すぎる』って自慢して回ってるはずだ」

 

「そ、そうですか……お義父さん……」

 

 

 養父のことを思い出し、ラースは照れくさそうに頬を染めた。

 彼女にとって先代は偉大な師であり、最愛の父だった。その父に認められるような仕事ができたことが、何よりも誇らしかった。

 

 

「それで……その、今日は皆さんに感謝を込めて、彼の記憶を使った料理を振る舞おうかと思いまして!」

 

 

 ラースが立ち上がり、キッチンの方向を指差した。

 

 

「料理……?」

 

 

 悠夜が小首をかしげる。

 

 

「いつもは眷属の誰かが作ってくれるので、私自身に経験はありませんが……」

 

 

 ピクリ。

 悠夜とグリードの眉が、同時に動いた。

 経験がない。

 その言葉が持つ、不穏な響き。

 

 

「でも、大丈夫です! 色々と調べましたから!」

 

 

 ラースは自信満々に拳を握った。

 

 

「今回は『カレー』を作ります! 本には『カレーなら初心者でも失敗しない』『誰でも美味しく作れる魔法の料理』って書いてありましたから!」

 

「……」

 

「……」

 

 

 悠夜とグリードの視線が交差する。

 そこには、言葉にしなくても通じ合う、強烈な危機感があった。

 

 

(おいおい悠夜、なんか嫌な予感しかしねえんだが?)

 

(……奇遇ですねグリード。僕もです)

 

 

 初心者でも簡単に作れる。

 それはあくまで、「料理の常識を知っている人間が」「レシピの行間を読み」「適度な加減を知っている」場合の話だ。

 

 

(レシピ通りに作れば、って言葉には『常識の範囲内で』という注釈がつくんだよな……?)

 

(ええ。しかも初心者と言っても最低限の知識があることが前提です)

 

 

 だが、ラースの瞳は期待に輝いている。

 

 

「さあ、皆さん待っていてください! すぐに持ってきますから!」

 

 

 彼女は弾むような足取りでキッチンへと消えていった。

 

 

「ラースちゃんの手料理! 楽しみー! 大盛りでお願いねー!」

 

 

 何も知らないグラトニーだけが、無邪気にフォークとスプーンをカチカチと鳴らしている。

 

 

「……悠夜」

 

「……はい」

 

「覚悟を、決めようぜ」

 

「ええ。……僕が何とかしますよ、グリード」

 

 

 二人の大悪魔は、戦場に向かう兵士のような顔つきで頷き合った。

 

 

          ***

 

 

 数十分後。

 重厚なワゴンを押して、ラースが戻ってきた。

 

 

「お待たせしました! 特製・憤怒カレーです!!」

 

 

 ドンッ!!

 テーブルの中央に、巨大な寸胴鍋が置かれた。

 その瞬間。

 ダイニングルームの空気が変わった。

 

 

「……ん?」

 

 

 グラトニーの手が止まる。

 

 

「……む?」

 

 

 グリードの顔が引きつる。

 

 

「……これは」

 

 

 悠夜が目を細める。

 鍋の蓋はまだ開いていない。

 だというのに、隙間から漏れ出す蒸気が、赤い。

 いや、赤いだけではない。

 空気がビリビリと震えている。生存本能が警鐘を鳴らしている。

 「逃げろ」と。

 

 

「さあ、開けますよ!」

 

 

 ラースが蓋に手を掛けた。

 パカッ。

 ドロリ……。

 そこに現れたのは、カレーと呼ぶにはあまりにも禍々しい、暗黒のマグマだった。

 色は漆黒に近い赤。

 表面には、地獄の血の池のように気泡がポコポコと浮かび上がり、弾けるたびに刺激臭──否、殺気が飛散する。

 

 

(こ、これは……悠夜、お嬢は味見をしたのか!?)

 

(……間違いなく味見していないようですね……)

 

 

悠夜は絶望的な推論を導き出した。

 

 

(マジかよ……大概のメシマズがやらかす『味見をしない』を、一番やっちゃいけねえ場面でやっちまったのか!?)

 

(やっちまったようですね……本当に初心者だとやってしまうんですよ。『レシピ通りにしてる(つもりだ)から大丈夫!』という、何の根拠もない謎の自信を抱きながら……!)

 

 

だが、目の前には、エプロン姿で期待に胸を膨らませているラースがいる。

その瞳はキラキラと輝き、尻尾(があればの話だが)をブンブンと振って褒め言葉を待っている子犬のようだ。

 

 

「さあ! 沢山作りましたから遠慮なく!!」

 

 

ラースの満面の笑顔。純度100%の善意。

 

 

(ま、まるで子犬みてぇな笑顔だ……断れねぇ……)

 

(そんな、断るなんて貴方は悪魔ですか!?)

 

(おめえも悪魔だろうが!!)

 

 

悠夜とグリードは、互いの背中を押し付け合うようにして冷や汗を流した。

ふと見ると、流石のグラトニーもスプーンを持ったまま硬直している。あの何でも食べる『暴食』の魔王が、本能的な危機感を抱いて怯えているのだ。

 

 

「グラトニー様? どうかされましたか?」

 

「えっ、あ、う、ううん! な、なんでもないよ!」

 

 

ラースの純真無垢な笑顔に射抜かれ、グラトニーも後ずさりできなくなっていた。

 

 

「……悠夜」

 

 

グリードが、遺言を託すような悲壮な顔で悠夜を見た。

 

 

「悪魔に来世ってもんがあるなら、また友達になってくれよ!」

 

「不吉な事を言わないでよ、グリード……」

 

 

悠夜は溜息をつき、隣で震えているグラトニーに小声で語りかけた。

 

 

「グラトニー、無理しないで……。君でも、これは……危険だ」

 

「っ!」

 

 

だが、その悠夜の言葉が、逆にグラトニーのプライドに火をつけてしまった。

 

 

「だ、大丈夫! 私は暴食の魔王だから、へっちゃらだもん!」

 

 

グラトニーは涙目になりながらも、スプーンを力強く握りしめた。

こうなれば、もう引き返す道はない。

 

 

「それでは……いただきます」

 

「い、いただくぜ……」

 

「いただきまーす……」

 

 

三人の悪魔は、一斉にスプーンを暗黒物質へと沈め、それを口へと運んだ。

 

 

          ***

 

 

「────────ッ!!!!??」

 

 

食べた瞬間、声にならない絶叫がダイニングに木霊した。

辛い。

いや、違う。そんな生易しいものではない。

これは──『痛い』。

口に入れた瞬間、何千本もの熱した針で舌を突き刺されたかのような激痛が走った。

そして、その痛みは爆発的な熱量となって食道から胃袋へと突き進み、全身の血管をマグマが駆け巡るかのように燃え上がらせた。

 

 

「ガハッ……! ゲホッ、ゴホォッ!!」

 

 

グリードが喉を掻きむしりながら床に転げ回る。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ! 辛いぃぃぃぃぃぃ! 痛いぃぃぃぃぃ!! 舌が焼けるぅぅぅぅぅ!!」

 

 

グラトニーは大粒の涙をボロボロと流し、両手で顔を覆って泣き叫んだ。

 

 

「うぐぅッ……!!」

 

 

悠夜もまた、テーブルに突っ伏し、必死に口を押さえて悶絶していた。

全身から滝のような汗が吹き出し、魔力による自己治癒が追いつかないほどのダメージが内臓を焼き焦がしている。

 

 

「えっ……ええっ!? み、皆さん、どうしたんですか!?」

 

 

自分の作ったカレーを一口食べたラースも、その強烈な痛みに目を見開き、スプーンを取り落とした。

だが、自分が作った手前、泣き叫ぶわけにもいかず、ショックで顔面を蒼白にして固まっている。

 

 

(こ、これは……辛味(スパイス)の分量を間違えたとか、そういう次元の話じゃない……!)

 

 

悠夜は、口から火を吹きそうになるのを魔力で強引に抑え込みながら、必死に思考を回転させた。

味覚への攻撃。これは物理的なスパイスのせいではない。

この異常な熱と痛みの正体は、使われた『記憶』そのものの味だ。

 

 

(ジンの記憶……両親を殺された怒り、修羅の道を進んだ苦痛……。ラースの『憤怒』を司る力が、ジン君の記憶から『怒り』の感情だけを純度1000パーセントで存分に引き出してしまっているんだ!)

 

 

ラースの魔王としての能力が、皮肉にも悪い方向に働いてしまったのだ。

ジンという男の人生の原動力であった「怒り」。ラースの力がそれに共鳴しすぎた結果、記憶の結晶から「喜び」や「楽しみ」、「哀しみ」といった他の不純物(感情)が一切排除されてしまった。

残ったのは、加工されていない剥き出しの殺意と、自分を焼き尽くすほどの強烈な怒りの炎のみ。

そんなものを直接胃袋にぶち込めば、魔王でさえ悶絶するのは当然である。

 

 

「わ、私……やっぱり料理なんて……皆さんを苦しめて……っ」

 

 

ラースが、自責の念でボロボロと涙をこぼし始めた。

せっかくの契約者の美しい人生を、自分のせいで台無しにしてしまったというショックが彼女を打ちのめす。

 

 

「待って……ください……ラース……」

 

 

悠夜は、震える足で立ち上がった。

そして、涙ぐむラースの頭にポンと手を置く。

 

 

「泣くのは……まだ早いですよ。これは、素材の下処理が……少しばかり尖りすぎていただけです」

 

 

悠夜は、荒い息を整えながら、キッチンへと向かった。

彼の手には、ジンの記憶の結晶が握られている。

 

 

「僕が……少し、魔法(フォロー)をかけましょう」

 

 

悠夜は鍋の前に立ち、深呼吸をして意識を集中させた。

 

 

「ジンの人生は、確かに強烈な怒りが大きく占めています。……ですが、それだけでは無いはずです。怒りだけで、あんなに穏やかな最期を迎えられるはずがない」

 

 

悠夜の指先から、繊細な魔力の糸が紡ぎ出される。

それは、ラースの『憤怒』の力によって偏ってしまった記憶のバランスを丁寧に解きほぐしていく作業だった。

結晶の中から隠れてしまっていた感情の粒子を掬い上げる。

復讐を終えた後、村人たちに向けられた感謝の笑顔。

妻と出会い、共に食卓を囲んだ時の温かい『喜び』。

子供が生まれ、その小さな手を握った時の『楽しみ』と慈愛。

悠夜はそれらの「甘み」と「旨味」の感情を抽出し、鍋の中に溶け込ませていく。

荒れ狂っていた怒りのマグマが、少しずつ、まろやかなとろみを帯びていく。

 

 

「そして……隠し味です」

 

 

悠夜が最後に引き出したのは、ジンの心の奥底に沈んでいた『哀しみ』だった。

両親を失った喪失感。もう二度と戻らない日々への哀愁。

ほんの僅かな塩気と苦味が、カレー全体に深いコクと立体感を与え、ただ甘いだけではない、大人の味わいへと味を引き締めていく。

 

 

「……完成です」

 

 

数分後。

悠夜が再びテーブルに運んできたカレーは、先程の暗黒物質とは全く違うものになっていた。

スパイシーでありながら、どこか家庭的で温かい、食欲をそそる芳醇な香り。

色も赤黒いマグマから、艶やかな深いブラウンへと変化している。

 

 

「さあ、もう一度食べてみてください」

 

 

悠夜に促され、恐る恐るスプーンを手にするラース、グリード、そして涙目から復活したグラトニー。

パクリ。

 

 

「あ……」

 

 

ラースの瞳から、再び涙がこぼれた。だが、今度は痛みの涙ではない。

 

 

「美味しい……。怒りの奥に、こんなに温かくて、優しい味が……」

 

 

口に入れた瞬間、最初に舌を打つのは、ジンの生き様そのものであるピリッとしたスパイスの『怒り』。

だがそれはもう、痛みを伴う暴力的なものではない。心地よい刺激として食欲を刺激する。

そして、その奥からじんわりと溶け出してくる野菜と肉の濃厚な甘み。

それはジンが後半生で得た、家族との『喜び』と『楽しみ』の味だ。

最後に残る微かな『哀しみ』のほろ苦さが、彼の人生が決して平坦なものではなかったことを物語り、味に底知れぬ深みを与えている。

 

 

「うめぇ……! なんだこれ、さっきの凶器が嘘みたいにスプーンが止まらねぇ!」

 

 

グリードが顔中を汗まみれにしながらも、夢中でカレーを掻き込む。

 

 

「美味しい! すっごく美味しいよラースちゃん! おかわり!」

 

 

グラトニーはあっという間に皿を空にし、バンバンとテーブルを叩いてお代わりを要求した。

 

 

「悠夜様……ありがとうございます……」

 

 

ラースが、安堵と感謝の入り混じった笑顔を向ける。

悠夜はハンカチで額の汗を拭いながら、優しく微笑み返した。

 

 

「彼の人生は怒りが大きく占めています。ですが、それだけでは無いのです。……貴女が、彼に怒り以外のものを与え、見守った証ですよ、ラース」

 

 

ラースの『憤怒』は、ただ壊すだけのものではない。

契約者の魂を鍛え上げ、その先に穏やかな幸福を見出させるための温かい炉の火なのだ。

窓の外では、魔界の月が静かに輝いている。

 

 

「さて、グラトニー。お代わりは幾らでもありますよ」

 

「やったー!」

 

「俺も頼むぜ! このカレーなら鍋ごとイケる!」

 

「ふふ、じゃあ私は、ご飯を炊いてきますね!」

 

 

笑い声が響くダイニング。

魔界の夜は、極上のカレーの香りと共に、穏やかに更けていった。




ちゃんと味見をしましょう、それだけで悲劇は九割防げます。
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