デビル・グルメ   作:ナオ3

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ネタバラシ回です。


不幸の蜜酒4

「あなたー! 一緒に遊びましょー!」

 

 

 遠くから響く沙織の明るい声と、キャッキャとはしゃぐ幼い我が子の笑い声。

 その光景に向けて、結城創は穏やかな、そして力強い足取りで駆け寄っていく。

 その眩しく、温かな光景を……少し離れた公園の木陰から、静かに見守る二つの影があった。

 一つは、漆黒のスーツを身に纏った悪魔、神代悠夜。

 そしてもう一つは、どこにでもいるような平凡な中年男性の姿をした影。

 だが、その男の身体は半透明に透けており、木漏れ日や背後の樹木の輪郭を不自然に透過させていた。

 彼は、生者ではない。この世に未練を残し、彷徨い続けていた亡霊であった。

 

 

「……良いのですか?」

 

 

 悠夜は、隣で創の背中を見つめ続ける半透明の男に向けて、静かに口を開いた。

 

 

「僕の本当の契約者が、貴方だと……彼に伝えなくて?」

 

 

 そう。

 あの日、絶望の雨の中で創に語りかけた悠夜の言葉には、一つの重大な『嘘』が混じっていた。

 悠夜は創と契約などしていなかったのだ。

 真の契約者は、死刑執行という理不尽な死を遂げ、その無念と残していく息子への強烈な未練から成仏できずにこの世の淵で蠢いていた、創の父親その人であった。

 悠夜は、絶望のどん底で泣き叫ぶ創の前に姿を現すより先に、刑務所の冷たい地下で、この父親の魂と契約を交わしていたのである。

 契約の内容は、ただ一つ。

『創の幸せ』。

 それだけだった。

 

 

「……良いのです」

 

 

 父親は、半透明の瞳からとめどなく涙を溢れさせながら、首を横に振った。

 

 

「創には……これ以上、過去に囚われてほしくありませんから」

 

 

 父親の顔には、息子への深い愛情と共に、拭いきれない激しい後悔の色が滲んでいた。

 

 

「私は……本当に、酷い父親です」

 

 

 懺悔するように、父親の唇が震える。

 

 

「妻を亡くしてから、私は絶望のあまり……戦うことを諦めてしまった。無実を証明することも、生きる気力も、全て投げ出してしまったんです」

 

「……」

 

「創だけに……まだ子供だったあの子一人だけに、世間の冷たい悪意と戦わせてしまった。あの子を一人ぼっちにして、重い十字架を背負わせた、最低な男です……」

 

 

 父親の目からこぼれ落ちた霊体の涙は、地面に落ちる前に光の粒子となって消えていく。

 

 

「だから、私の事など、あの子の中では完全に『過去』にするべきなのです」

 

 

 父親は、芝生の上で妻と子供を抱き上げ、心底幸せそうに笑う創の姿を、愛おしそうに見つめた。

 

 

「あの子がまた笑えるようになった。創の嫁を、可愛い孫の姿を見ることができた。私にとって、これ以上望むことは何もありません」

 

 

 父親は、深々と、悠夜に向かって頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます、悠夜さん。貴方のおかげで、あの子は救われました」

 

「いえ、僕は契約に従ったまでですから」

 

 

 悠夜は事もなげに首を振った。だが、父親は苦笑して顔を上げる。

 

 

「ですが、私の願いは『創の幸せ』だけだった。それなのに、あなたはあの巨大な権力を相手に私の冤罪まで完全に晴らし、あの子に復讐まで遂げさせてくれた」

 

 

 ただ幸せにしてほしい、という漠然とした願いに対し、悠夜の取った行動はあまりにも大掛かりで、徹底的だった。

 その指摘に、悠夜はやれやれと肩をすくめて苦笑する。

 

 

「創君の幸せには、それが必要不可欠だったんですよ」

 

 

 悠夜の紅い瞳が、遠くの創を捉える。

 

 

「己の人生を理不尽に破壊されたという、逃げ場のない怒りと憎悪。それを抱えたままでは、彼が心からの笑顔を取り戻すことなど絶対に不可能でした。だから、一度彼自身の手で徹底的に復讐を果たさせ、その内面を完全に『空っぽ』にしてやらないと、新たな幸せという水を注ぎ込む隙間ができなかったのです」

 

 

 悠夜はふう、と大げさに溜息を吐いた。

 

 

「……まあ、その過程で、契約において創君に『嘘』をつくという、僕の美学に著しく反する行いをしてしまいましたが」

 

 

 悠夜は、契約において相手を騙すことを何よりも嫌う。リスクも代償も全て説明し、完全に納得させてから魂をもらうのが、彼の悪魔としての絶対的なポリシーだ。

 だが今回、悠夜は創に対し「君と契約する」という明確な嘘をついた。彼に復讐の当事者としてのカタルシスを与え、内面を浄化させるための、必要悪としての嘘だった。

 

 

「すみません……私のせいで、貴方の信条を曲げさせてしまって」

 

 

 申し訳なさそうに身を縮める父親に、悠夜はフッと口角を上げた。

 

 

「良いですよ。契約者の為なら、僕の美学なんぞ幾らでも捨てましょう」

 

 

 悠夜の言葉には、確かな敬意が込められていた。

 

 

「それに……貴方の願いは、とても美しかった」

 

「美しい、ですか……?」

 

「ええ。自らを陥れた者への復讐でもなく、自分自身の名誉の回復でもなく。ただひたすらに、残された息子の幸せだけを願う祈り。その無償の愛の為なら、泥など幾らでも呑みましょう」

 

 

 悠夜は、遠くのベンチで創と並んで座る沙織へ視線を移した。

 

 

「それに、彼を騙した慰謝料の分は、あんな最高の良縁を紹介することでキッチリ補いましたしね」

 

 

 悠夜の悪戯っぽい笑みに、父親も釣られて相好を崩す。

 

 

「ええ。あんな優しくて、芯の強い良い娘を嫁に貰えるなんて……創のやつ、本当に果報者め」

 

 

 親としての心からの喜びを噛み締める父親。

 その姿を見届けた後、悠夜はスッと表情を引き締め、悪魔としての冷徹な顔に戻った。

 

 

「さて、代価の事ですが」

 

 

 その言葉に、父親は居住まいを正した。

 悪魔との契約。願いを叶えてもらった以上、己の魂と記憶を差し出すのは当然の理だ。

 

 

「はい。私の魂を、どうかお持ちください」

 

 

 覚悟を決めて目を閉じる父親。

 しかし、悠夜の口から紡がれたのは、予想外の言葉だった。

 

 

「貴方からは、もう何も取りません」

 

「……えっ?」

 

 

 父親は驚いて目を開けた。

 

 

「どういう……ことですか?」

 

「創君が、血反吐を吐くような想いで僕に願ったのですよ」

 

 

 悠夜は、雨の降る公園で、地を這うような殺意と哀しみを抱えて自分を睨みつけてきた、あの日の創の顔を思い出していた。

 

 

「彼は一片の迷いもなく、己の記憶も、魂も、未来すらも、全てを僕に捧げると宣言したのです」

 

 

 悠夜の声に、熱がこもる。

 

 

「彼のその魂の絶叫と、両親への深い愛情が刻まれた記憶を受け取らないのは、彼の『覚悟』を根底から踏み躙る行いだ。悪魔として、それだけは絶対にできない」

 

 

 悠夜は、自らの胸にスッと手を当てた。

 

 

「だから、貴方からは何も受け取れません」

 

「ですが、それでは貴方が……!」

 

「一度の案件で、親と子の両方から報酬を二重取りするなんて……品が無いにも程がありますからね。僕のプライドが許しません」

 

 

 悠夜はウインクをして見せた。

 だが、すぐに真面目な顔に戻り、言葉を続ける。

 

 

「ですが、こちらの勝手な都合で、契約時に取り決めた報酬の支払いを変更するわけです。その分の『詫び』を、貴方にしなくてはなりません」

 

「詫び、だなんて……私はもう、十分すぎるほど……」

 

 

 恐縮する父親の言葉を遮り、悠夜は優雅な所作で右手を掲げた。

 

 

「だから」

 

 

 パチン、と。

 軽快な指鳴らしの音が、木漏れ日の下で響いた。

 瞬間、父親のすぐ隣の空間が、淡い光の粒子を集めて渦を巻いた。

 光は次第に人の形を成し、やがて一人の女性の姿となって実体化する。

 

 

「……あ」

 

 

 父親の半透明の瞳が、限界まで見開かれた。

 そこに立っていたのは。

 

 

「あなた……!」

 

「おまえ……!!」

 

 

 生前と変わらない、優しく、そして涙に濡れた笑顔を浮かべた、創の母親の姿だった。

 彼女もまた、愛する夫の冤罪と、残された息子への気が狂うような心配から、無念のあまり成仏できずにこの世の淵を彷徨っていたのだ。

 悠夜は、その魂を見つけ出し、丁寧に救い上げて、夫の元へと導いたのである。

 

 

「ああ、ああ……っ!」

 

 

 二つの半透明の魂は、互いの存在を確かめ合うように、強く、強く抱きしめ合った。

 霊体同士の抱擁。物理的な体温はなくても、そこには確かに、長年の苦しみから解放された魂の安らぎと、愛の熱が存在していた。

 二人は抱き合いながら、光の向こうで笑い合う息子夫婦と、新しい命の姿を見つめ、静かに涙を流し続けている。

 全てが、終わったのだ。

 結城家を覆っていた理不尽な呪いは完全に解け、因果は正しく精算された。

 

 

「さて……」

 

 

 悠夜は、互いを抱きしめ合う夫婦の魂を見つめながら、満足げに微笑んだ。

 

 

「旅立ちの時だ」

 

 

 悠夜のその言葉を合図にするかのように、春の温かい風が公園を吹き抜けた。

 風に包まれ、二人の魂は無数の光の粒子となって、青く澄み渡る空へとゆっくりと昇っていく。

 最後に、光の中の父親と母親が、悠夜に向かって深々と頭を下げたように見えた。

 遠くの芝生広場で、創がふと空を見上げる。

 何かを感じ取ったのか、彼は眩しそうに目を細め、そして、どこか吹っ切れたような、清々しい笑顔を見せた。

 

 

「俺はもう大丈夫だよ...父さん、母さん」

 

 

 その呟きは風に乗って、確かに悠夜の耳に届いていた。

 悠夜は目を細め、誰もいなくなった木陰から、一歩を踏み出す。

 黒いスーツの悪魔は、誰にも知られることなく、静かに現世の景色に溶け込み、消え去っていった。




悠夜のついた『嘘』は、そもそも契約なんてしていない、でした。
悠夜にとって契約の虚偽はタブーです。
1で、契約なんて一言も言っていないのはその一貫です。
そして、契約は一つの案件につき一人のみが悠夜の絶対的ルール。
父の心意気にうたれたので美学を捨てました。
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