「……どうしましょう、これ?」
神代悠夜は、目の前に広がる光景を前に、珍しく途方に暮れ、深々と頭を抱えていた。
悠夜の屋敷の広大な裏庭。そこには今、異様な光景が広がっていた。
辺り一面を埋め尽くしているのは、銀色の鈍い光を放つドラム缶の山だ。
それも、ただのドラム缶ではない。一つ一つが魔力による腐食を防ぐための、ミスリル製の特注品。それが万を越える数、横だけでなく縦にまで高く積み上げられ、巨大な金属の城壁のようになっている。
「大量に採れすぎましたね……」
悠夜の呟きは、その絶望的な物量に対する本音だった。
事の発端は、結城創の事件である。
悠夜はあの時、結城一家をスケープゴートにした権力者たちや、彼らの不幸を娯楽として消費し、匿名で誹謗中傷を繰り返した数万人の有象無象に対して、破滅の呪いをかけた。
彼らが天寿を全うするまで決して死なせず、自らの行いが何十倍にもなって返ってくる絶望を味わわせ続けるという、極めて陰湿な呪いだ。
悠夜は今回、彼らから生じる『絶望』や『後悔』といった負の感情を、食材として採取することにした。
だが、数万人分もの人生の記憶を一つ一つ結晶化して調理するのは、流石の悠夜でも面倒くさかった。そのため、彼らが味わう不幸な感情を、自動的に『不幸の蜜』として抽出し、屋敷へと転送・備蓄する術式を編み出したのだ。
数万人の人間が、数十年間にわたって死ぬまで生み出し続ける、絶望、後悔、悲鳴、そして転落の苦痛。
悠夜にとってもこの規模の自動採取は初めての試みだったのだが……完全に、加減を間違えてしまった。
「凄い凄い! 負の感情の香りで、頭がクラクラしそう!!」
頭を抱える悠夜の傍らで、『暴食』の魔王グラトニーだけは、目を輝かせて大はしゃぎしていた。
彼女は積み上げられたドラム缶の一つによじ登り、パコンと蓋を開けた。
瞬間、ドラム缶の中から、悪魔にとってたまらなく芳醇で、そして凶悪な香りが立ち昇った。
それは、人間のどす黒い悪意と絶望が極限まで煮詰まった匂い。下級悪魔が嗅げば、そのあまりの濃度に自我が耐えきれず、精神崩壊を起こして消滅してしまうレベルの劇物だ。
だが、グラトニーは平然とした顔で、そのドロドロとした真っ黒な蜜に指を突っ込み、ペロリと舐めた。
上位悪魔ですら、一口舐めただけで死ぬほどの、致死量の糖度。
「あんま~い!! 最高!!」
「ああもう、はしたないですよ、グラトニー。指を舐めない」
悠夜がハンカチを取り出して窘めるが、グラトニーは興奮冷めやらぬ様子で悠夜の服の裾を引っ張った。
「ねえねえ悠夜! どうやったら、こんな高純度な蜜をこんなに沢山採れたの!?」
「ああ……彼らに、創君の幸せな姿を時々見せてあげたんですよ」
悠夜は、ドラム缶の山を見上げながら淡々と解説する。
「以前の沙世子さんの件でも実証済みですが、自分を不幸のどん底に叩き落とした相手が、最高に幸せそうに笑っている姿を見せつけられるというのは、絶望を深める上で凄く効果的なんです」
「なるほどー!」
「他にも、ほんの少しだけ『やり直せるかもしれない』という希望を与えておいて、土壇場でそれを容赦なく叩き潰す(テコ外し)など、色々と小細工を仕掛けましたけどね。……もちろん、因果律レベルで、彼らが逆恨みして創君たちに危害を加えることが絶対にできないように、完全なプロテクトをかけた上で、です」
グラトニーは、尊敬の眼差しでパチパチと拍手をした。
「さっすが悠夜! 人の心を壊す事に関して、悪魔一だね!!」
「……失敬な。僕は『人間』に危害を加えたりしませんよ」
悠夜は、心外だとばかりに少し拗ねたように唇を尖らせた。
「奴らは人間ではありません、『害獣』です。他人の人生を踏み躙り、人が血の涙を流して苦しむ姿を平然とせせら笑うような連中に、『幸福』は勿体ない。……僕ら悪魔に狩られ、その悲鳴と苦痛をもって悪魔の腹を満たすしか価値の無い、ただの『餌』ですよ」
冷酷に言い放つ悠夜。
だが、彼の心中には、ほんの僅かばかりの言い訳もあった。
(まあ、心の底から自分の行いを悔いて、他人に責任転嫁せず己の境遇を受け入れたなら、自動的に呪いが解ける仕様にはしてあるのですがね。……もっとも、そんな真っ当な反省ができる人間なら、そもそも他人が不幸を娯楽にしたりしません)
(結果として、数万人いた対象者の内、呪いが解けたのはたったの3人しか……いえ、3人も居た、でしょうね)
そんな悠夜の内心での独り言を知ってか知らずか、グラトニーは呆れたように苦笑した。
「うーん、この悪魔」
「悪魔ですからね。……さて、この途方もない量の蜜で、どう料理するべきか……」
悠夜が再び考え込もうとした、その時だった。
ヒュンッ!!
背後から、風を切り裂くような鋭い音が迫った。
悠夜は振り返りもせず、スッと右手を伸ばす。
「おっと」
パシッ、と。
悠夜の手に収まったのは、巨大で重厚な金属製のスパナだった。もし当たっていれば、ただの悪魔なら頭が吹き飛んでいるほどの威力が込められている。
「やはり来ましたね。匂いで嗅ぎつけると思っていましたよ、エンヴィー」
悠夜がスパナを放り投げると、そこには一人の女悪魔が立っていた。
ボサボサの髪に、オイルで汚れた作業着。そして、その瞳には世界中のあらゆる幸福に対するドス黒い『嫉妬』の炎を燃やしている。
七つの大罪が一角、『嫉妬』の魔王エンヴィーである。
「うげ、陰気女」
グラトニーが露骨に嫌そうな顔をする。
「このクソ野郎……!」
エンヴィーは、グラトニーの挑発を無視し、血走った目で悠夜を睨みつけた。
「こんなにも、強烈で極上の『嫉妬』と『怨嗟』の香りをプンプンさせやがって……! あたしが気付かないとでも思ったか!」
そして、彼女の視線は、悠夜の背後にそびえ立つミスリル製ドラム缶の山へと向けられた。
「なんだよ、あの異常な高エネルギーの塊は!! そのドラム缶、一つ暴走して中身が漏れ出すだけでも、魔界の生態系を狂わすレベルの大惨事が起きるぞ! それが何万個って……馬鹿かお前は!!」
「いやあ……加減を間違えまして。どうしましょう?」
悪びれもせず微笑む悠夜に、エンヴィーの堪忍袋の緒が切れた。
「バカヤロウ!!!」
「悠夜って、頭良いのに時々おバカになるよね~」
「うっ、言い返せません……」
グラトニーの容赦ないツッコミに、悠夜は図星を突かれて視線を逸らした。
極上の食材が手に入れられそうなら、後のことを考えずに思わず限界まで手を伸ばしてしまう。それが、美食家たる悠夜の最大の悪い癖なのだ。
エンヴィーは、ギリギリと歯ぎしりをしながら、現実的な解決策を提示した。
「その蜜のままで保管しておくから危険なんだよ! さっさと加工しろ!! 別の形に変換してエネルギーを安定させろ!!」
「加工、ですか」
悠夜は顎に手を当てて思案した。
これだけの莫大な量を、一度に大量に加工できて、なおかつ長期保存と消費ができるもの。
そして、一つのアイデアを思いつく。
「ふむ……ならば、蜂蜜酒(ミード)を作るのはどうでしょう? これだけ大量の蜜があるなら、醸造してアルコールに変換すれば、エネルギーも安定しますし、長く楽しめます」
「ミードか。……それなら、まあ、エネルギーの安定化という点では理にかなっているが」
エンヴィーは腕を組み、怪訝な顔をした。
「それを作るための設備はどうするんだ? お前の屋敷のキッチン設備じゃ、質はともかく、この桁違いの『量』を処理するのは絶対に無理だぞ」
その瞬間。
悠夜は、エンヴィーに向かって、この上なく爽やかで、そして邪悪な笑顔を向けた。
「!」
エンヴィーの背筋に、強烈な悪寒が走った。嫌な予感しかしない。
「エンヴィー。魔界一の技師である貴女と見込んで、お願いが……」
「断る!! お前の頼みなんざ絶対にお断りだ!!」
食い気味に、エンヴィーは全力で拒絶した。
エンヴィーは、悠夜のことが嫌いだった。
強大な力を持ち、優雅で、いつも余裕があり、何でもそつなくこなす。あまりにも恵まれているように見える悠夜の存在そのものが、彼女の『嫉妬』を刺激してやまないのだ。
グラトニーは、そんなエンヴィーの態度にドン引きした顔を見せる。
「うっへ~。相変わらず、器がみみっち~」
「うるせぇ、チビ!!」
「誰がチビだ陰気女!!」
キャンキャンと吠え合う二人をよそに、悠夜はこれ見よがしに、大げさな溜息を吐いた。
「……仕方が無い。魔界一の技師様に断られてしまったのなら、他の方にお願いしましょう」
ピクリ、と。エンヴィーの耳が動いた。
「残念ですが、魔界中の職人や技師に片っ端から声をかけて、手伝ってもらいます。質を量で補う形ですね。当然、出来上がる施設のレベルも味も落ちるでしょうが……この危険な蜜を放置するわけにもいきません。背に腹は代えられない」
それは、誇り高き職人であるエンヴィーにとって、絶対に聞き捨てならない『殺し文句』であった。
「な……っ」
エンヴィーの顔面が引き攣る。
「どこの馬の骨とも知れねぇ三流どもが……あたしの代用、だと……?」
ギリッ、と奥歯を噛み締めるエンヴィー。
「この、見たこともない最高品質の蜜を加工する、歴史的な巨大プラントの建設を……あたし以外の、クズどもが……作る……?」
エンヴィーの脳裏に、最悪の光景がフラッシュバックする。
『おーい、聞いたか? あのエンヴィーが大仕事を前に、ビビッて逃げたらしいぞー!』
『おいおい、魔界一の技師って名乗っておいて、職人としてのプライドは無いのかよwww』
『しゃーねえなー。怖気づいた嫉妬の魔王様に代わって、俺たち一流がやってやるかー!』
──ぷつん。
その脳内の幻聴の笑い声が鳴り響いた瞬間。
エンヴィーの中で、何かが完全にキレる音がした。
「……ぐ、あああああああ!?」
エンヴィーは頭を抱え、その場に蹲った。
「脳が! 脳がこわれるううううううう!!?」
そして、バッと顔を上げ、血走った……いや、文字通り血の涙を流さんばかりの凄まじい形相で、悠夜に指を突きつけた。
「あたしにやらせろおおお!! どこの誰とも知らねぇ三流共に、この事業に指一本、一切かかわらせるなあああああ!!!」
嫉妬とプライドの暴走。エンヴィーは完全に悠夜の思惑通りに、プラント建設の仕事を受け入れた。
その様子を見ていたグラトニーは、冷ややかな目でドン引きしていた。
「うっわ、チョロ」
***
数分後。
ぜえぜえと肩で息をしながら、ようやく落ち着きを取り戻したエンヴィーが、悠夜を睨みつけた。
「おい、クソ野郎。タダ働きはしねえぞ。あたしへの報酬は、この不幸の蜜の『半分』だ」
「なっ!?」
グラトニーが抗議の声を上げる。
「幾ら何でもがめつすぎるだろ、陰気女!! 半分って、どれだけあると思ってんだ!」
「うるせぇ! この規模のプラントの設計から建設、さらに今後のメンテナンスまでロハ(無料)でやってやるって言ってんだから、安いもんだろうが!!」
「ぐぬぬ……!」
言い争う二人をよそに、悠夜は静かに溜息を吐いた。
「……良いですよ。半分、差し上げましょう」
「ちょ、悠夜!?」
慌てるグラトニーを、悠夜は手で制した。
「構いません。蜜を半分譲ったところで、まだまだ沢山ありますからね」
悠夜は、そびえ立つドラム缶の山を見上げた。
「あれだけの量の蜜が、ミードになって完全に無くなるまで……一体何千年掛かることやら。……下手したら、万年単位で飲み続けることになるかもしれませんね」
その言葉に、エンヴィーも呆れたように息を吐く。
「……本当に、これだけの質と量を集めるのに、どんなえげつない手段を使いやがったんだよ、クソ野郎」
「まあまあ、手段のことは置いといて」
悠夜はパンと手を叩き、話を戻した。
「保管庫と醸造設備は、頼めますね?」
「ふん。言われなくても、魔界の歴史に残る最高の設備を作ってやるよ。震えて待ってろ」
「ありがとうございます。頼りにしていますよ」
職人としての顔になったエンヴィーは、早速ドラム缶の材質や蜜の粘度などを調べ始めた。
「……ところで、だ」
エンヴィーが、ふと手を止めて悠夜に尋ねる。
「ミードを作るための『酵母』はどうするんだ? この超高濃度の不幸の蜜を発酵させるんだ。並の酵母じゃ、蜜の毒性に負けて死滅するか、逆に暴走して爆発するぞ」
その問いに、悠夜は待っていましたとばかりに微笑み、空間から一つの美しい結晶を取り出した。
「酵母には、これを使いましょう」
それは、虹色に輝く魂の結晶。
「それは……?」
「創君の、人生の記憶の結晶です」
悠夜は、その結晶を愛おしそうに撫でた。
「これは、この大量の蜜の元となった連中を不幸に陥れた『元凶』の記憶です。……自分達『加害者』の人生を完全に破壊し、地獄へ突き落とした『被害者』が、その後、誰よりも幸せで、愛に満ちた素晴らしい人生を全うしたという、完全無欠の幸福の記憶」
悠夜の笑みが、悪魔のそれへと深くなる。
「この圧倒的な『幸福』を酵母として、彼らの『不幸』の蜜に放り込めば……きっと、凄い勢いで発酵してくれますよ?」
「…………」
エンヴィーは、口をポカンと開けて、数秒間フリーズした。
そして、顔面を青ざめさせて叫んだ。
「お前……っ! そんな、ヤバすぎる化学反応を起こす組み合わせを、さらっと提案すんな!!」
エンヴィーは頭を抱えて後ずさった。
「自分を不幸のどん底に落とした奴の、この上なく幸福な人生を見せつけられながら、それに喰われて発酵させられるんだぞ!? どんな凄まじい『嫉妬』と『怨嗟』のエネルギーが生じるか、嫉妬の魔王である私でも想像がつかんわ!!」
「そこをなんとか」
「なんとかじゃねえ! 制御に失敗したら、今度こそ本当に魔界が吹き飛ぶぞ!!」
本気で拒否しようとするエンヴィーに対し、悠夜はスッと目を伏せ、この世の終わりのような悲しそうな顔を作った。
「……そうですか。魔界一の技師であるエンヴィーにも、制御は不可能なのですね。……出来ませんか。とても残念です。……仕方がありません、妥協して別の、ありきたりな酵母を探すことにしましょう。……ああ、この究極のミードの完成を見たかった……」
「〜〜〜〜〜ッ!!!」
自分よりも圧倒的に優れている(と思っている)相手から向けられた、明らかな『失望』と『憐れみ』の顔。
それが、エンヴィーのプライドの最も柔らかい部分を、容赦なく抉り取った。
「できらぁ!!!」
エンヴィーは、目から血を吹き出しそうなほどの形相で叫んだ。
「待ってやがれ! そのイカれた発酵プロセスを完璧に制御する専用設備とマニュアルを、今すぐ直に作ってやる!!」
「おお! 流石ですエンヴィー! 魔界一の技師に不可能はない! よっ! 魔界一!!」
悠夜がパチパチと拍手喝采を送る。
その傍らで、一部始終を見ていたグラトニーは、半目になってボソッと呟いた。
「……やっぱり、チョロい」
***
数週間後。
悠夜の屋敷の地下に、エンヴィーの手によって、魔界の技術の粋を集めた超巨大プラントが完成していた。
幾重にも張り巡らされた冷却パイプ、魔力制御のルーンが刻まれた巨大なタンク群。
今、そのメインタンクの中では、発酵によって生じた凄まじいエネルギーが、文字通り暴れ狂っていた。
『やめろぉ! 見せるなぁ!!』
『なんで! なんで殺人犯の息子があんなにも幸せそうなんだよおおおおお!!!』
『あいつのせいで! あいつが大人しく死刑囚の息子として生きてりゃ、俺はクビになんてならなかったのに……!』
『たかが貧乏人一人を踏み潰しただけで、一族が壊滅するなんて酷すぎる!! 俺たちは選ばれた人間なのに!!』
『なんで、ちょっとネットでコメントしただけで、こんな目に遭わなきゃいけないんだよぉ……』
タンクの厚い装甲越しにすら、ボコボコという沸騰音と共に、無数の怨嗟の声が幻聴となって響き渡ってくる。
嫉妬、逆恨み、責任転嫁、自己正当化。
タンクの中で渦巻く、何万という有象無象の無様な叫び。
だが。
その狂乱の嵐の中心で。
酵母として投入された核──『結城創の記憶の結晶』から、静かで、圧倒的な光と声が放たれていた。
『……下らない』
『ここまで来て、まだそんなことしか言えんのか?』
それは、様々な苦難を乗り越え、愛する家族と共に人生を歩み抜き、穏やかに天寿を全うした、年老いた創の静かな声だった。
『確かに、お前達に復讐したのは間違いだったな』
『お前達の不幸を見て笑い転げていたあの1ヶ月間は、俺の人生における唯一の汚点だ』
創の声には、彼らへの怒りすらない。ただ、絶対的な達観があった。
『だが、それでお前たちなんぞ、憎む価値も無い土塊だと知れたがな』
『せいぜい、そこでいつまでも己の不幸を呪って哭いてろ』
ズガァァァァァン!!!
タンクの内部で、閃光が弾けた。
創の圧倒的な幸福と、揺るぎない自己肯定感が、有象無象の薄っぺらい怨嗟を物理的なエネルギーとして完全に叩き潰し、発酵の熱へと強制変換していく。
タンクの中で、己の不幸を糧にされる恐怖から、不幸の蜜がさらに激しく暴れ狂う。
だが、創の記憶の結晶は微動だにせず、平然と彼らの絶望と嫉妬を喰らい尽くし、極上のアルコールへと変質させていった。
「……すげえ。本当に、一歩間違えれば魔界が吹き飛ぶかと思うレベルの暴走だが……」
エンヴィーが、制御パネルの異常な数値を睨みつけながら、額の汗を拭う。
「あたしの完璧な冷却システムと圧力制御の前では、手も足も出ねぇな。プラントは完全に安定して稼働してるぞ」
「流石です。見事な手腕ですね」
悠夜が、心からの感嘆の声を上げる。
そして。
プラントの抽出バルブから、最初のミード(蜂蜜酒)が完成の産声を上げた。
悠夜は、特製のクリスタルグラスを用意し、タンクから直接ミードを注ぎ入れた。そして、魔力でサッと極上の温度にまで冷やす。
トクトクと注がれる液体は、まるで溶かした金のように黄金に輝き、表面にはシャンパンのような細かい炭酸の泡が弾けている。
グラスから漂い始めたのは、極上中の極上のミードの香り。
それは、悪魔の魂の根源を揺さぶるような、芳醇で、甘く、そして深い罪の匂い。
「はやく! はやくはやくはやくはやく!!!!!」
グラトニーが、よだれを垂らしながらバンバンとテーブルを叩く。
「もったいぶるな! 焦らすな妬ましい!! 早く飲ませろ!!」
エンヴィーも、目を血走らせてグラスに手を伸ばす。
「はいはい、今出しますよ」
悠夜は苦笑しながら、三つのグラスを合わせた。
「まずは、あえて工夫せずに、そのままの味を楽しみましょう。……乾杯」
チンッ、と澄んだ音が地下室に響く。
悠夜、グラトニー、エンヴィーの三人は、黄金のミードを一気に呷った。
「────────ッ!!」
飲んだ瞬間。
三人の悪魔の脳内に、衝撃が走った。
不幸の蜜のドス黒い味は、完膚なきまでに創の圧倒的な幸福に喰われ、完全に調和していた。
ベースにあるのは、創の幸福な人生そのものを表す、優しく、深く、そして力強い黄金の甘み。
蜂蜜酒が喉を通る瞬間、温かい声が響いてくる。
『結局、爺さんになるまで長生きしちまったよ』
『沙織に先立たれちまったのは、すっげえ堪えたけどよ……』
『それでも、曾孫を抱くまで死んでたまるかと、歯を食いしばって頑張ったんだ』
『なあ悠夜、俺の人生はどうだった?』
『あんたへの報酬に、相応しい味になったか?』
不幸を乗り越え、家族を愛し、人生を駆け抜けた創のエネルギーは、凄まじいほどの生命力に満ちていた。
「ええ……素晴らしい。もう、それしか言えません」
悠夜は、ほうと陶酔の溜息を吐き、グラスを掲げて賞賛した。
そして、グラトニーとエンヴィーの食レポが続く。
「んん〜っ! 創ちゃんのあま~い幸福の味の片隅に、負け犬どものピリッとした呻きが聞こえる!」
グラトニーが、頬を押さえて身悶えする。
「妬ましい……っ! あれだけの理不尽な不幸に見舞われながら、最後にはこんなにも幸福そうに人生を終えたのが、本当に妬ましい!」
エンヴィーは、創の幸福への嫉妬に身を焦がしながらも、グラスを離せない。
「でも、最高だ……! 負け犬共が、ただの炭酸の泡みたいに弾けて、創ちゃんの幸福の『引き立て役(スパイス)』にしかなれてないのが、スッゴク惨めで笑えるwww」
「ふふふふふ、こんな底辺の連中の人生なんて、全然妬ましくない。……むしろ、ざまぁみろって感じで、大好き♡」
パチパチ、シュワッ。
ミードの表面で弾ける泡から、微かな声が聞こえる。
『いやだぁ、もういやだぁ……』
『ごめんなさいぃぃぃ、もうゆるしてぇぇぇ……』
『ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!』
『なんで、あんなことをしちまったんだぁ……』
『おれはわるくない、おれはわるくない、おれはわるくない……』
永遠に続く後悔と絶望の囁き。
それが炭酸の刺激となって舌を刺し、極上の甘みの中で最高のアクセントとなり、悪魔たちを深く愉しませる。
悠夜は、黄金のミードが注がれたグラスを、再び天高く掲げた。
「ありがとう、創君。……そして、名もなき有象無象の皆様」
魔界の地下深くで、悪魔たちの宴は終わらない。
数万人の絶望を糧にした、幸福な男の黄金のミード。
それが尽きるまで、まだ先は長そうだ。
以前のマルスとの対応が違うのは、彼が神によって歪まされた被害者の面があると判断したからです
今回不幸になった連中は超常的存在が一切関わってないので慈悲は欠片しかありません。