魔界の夜。
悠夜の屋敷のリビングルームは、巨大なホームシアターと化していた。
80インチのモニターに映し出されているのは、人間界でヒット中のパニック映画。
巨大なサメがビーチを襲い、逃げ惑う人々を捕食していくシーンだ。
「行けー! そこだー! 右から来てるぞー!」
「ふん、脆い。人間とはなんと脆い生き物か。あんな軟骨魚類に遅れを取るとは」
ソファに座っているのは、二人の少女。
一人は、画面に声援を送る銀髪の幼女――『暴食』の魔王グラトニー。
もう一人は、腕を組み、ふんぞり返って画面を見下している金髪の幼女――『傲慢』の魔王プライドだ。
二人は相変わらず「寄生虫」「成金」と罵り合っているが、なんだかんだで気が合うのか、こうして一緒に映画を観たりゲームをしたりしている。
映画がクライマックスに差し掛かった頃、リビングの扉が静かに開いた。
「おや、盛り上がっていますね」
ワゴンの上に飲み物と、大きなボウルを乗せて入ってきたのは、この屋敷の主、悠夜だ。
「悠夜―! 小腹が空いたー!」
「我に合う気の利いたものはないのか?」
二人の魔王が振り返る。
悠夜は微笑みながら、ワゴンから色鮮やかなパッケージの袋をいくつか取り出した。
「ええ、ご用意しましたよ」
悠夜が取り出したのは、赤と黒の派手なデザインのポテトチップス袋だった。
パッケージには、デフォルメされた悪魔が親指を立てているイラストと共に、ポップなフォントでこう書かれている。
『小悪党(こあくとう)チップス うすしお味』
「あ〜! 小悪党チップスだ!」
グラトニーが目を輝かせて袋を奪い取る。
「なんだそれは? 聞いたことのない菓子だな」
プライドが訝しげに眉をひそめた。
彼女は普段、最高級の魂や、歴史に名を残すような大悪党の重厚な記憶しか口にしない。スナック菓子など、彼女の美学には存在しないカテゴリーだ。
「プライド様には馴染みがないかもしれませんね」
悠夜はボウルにチップスをザラザラと開けた。
見た目は普通のポテトチップスだが、表面には微かにノイズのような黒い粉末がまぶされている。
「これは、適当に破滅させた社会のゴミから作ったおやつです」
「社会のゴミ?」
「ええ。具体的には……『迷惑系YouTuber』と呼ばれる種族ですね」
悠夜はさらりと説明した。
「彼らの薄っぺらい人生の記憶を、極薄にスライスして、高温の油で揚げて味付けした商品です」
「……は?」
プライドは呆気にとられた。
「なんだその……聞くからに栄養価の低そうな、中身のない素材は。そんなものが美味いのか?」
「ふふ。プライド様、美食とは奥が深いものですよ」
悠夜は一枚のチップスを摘み上げた。向こう側が透けて見えるほど薄い。
「確かに薄っぺらい記憶ですが、だからこそ見える境地(味)があるのです。まあ、騙されたと思って一枚どうぞ」
グラトニーは既にバリボリと音を立てて食べている。
「ん〜っ! この軽さ! 薄くてサクサクしてる!」
「……ふん。まあ、毒見してやる」
プライドはおそるおそる、チップスを一枚口に運んだ。
パリッ。
軽快な音が響く。
瞬間、口の中に広がったのは、驚くほどチープで、ジャンキーな味わいだった。
『うぇーい! どーもー! 今日もヤバいことやってみたw』
『有名になれたんだから俺に感謝しろよw 店の商品全部買い占めてみたw』
チップスを噛み砕くと同時に、脳内に薄っぺらい男の声が再生される。
承認欲求だけが肥大化した、空っぽな自我。
他人の迷惑など微塵も考えず、再生数と注目だけを追い求める、浅ましい思考回路。
「な、なんだこの……底の浅い味は!」
プライドは顔をしかめた。
「プライド(誇り)の欠片もない! あるのは虚栄心と自己顕示欲だけ! 信じられんほど中身がないぞ!」
彼女が普段好む「傲慢」とは、王者のような揺るぎない自信や、実力に裏打ちされた高慢さだ。
だが、このチップスから感じるのは、実力もないのに自分を大物だと勘違いしている、メッキが剥がれかけた安っぽい全能感だけ。
「不味い! こんな下賤なもの……!」
プライドは吐き出そうとした。
だが、次の瞬間。
パリッ。
無意識のうちに、二枚目に手が伸びていた。
「……む?」
パリッ、サクッ。
三枚目。四枚目。
「な、なぜだ……? なぜ手が止まらんのだ!?」
プライドは焦った。
味は間違いなく安っぽい。深みなどない。
なのに、強烈に後を引くのだ。
『お前らも迷惑なんて知るかよ! 俺が楽しければいいんだよ!』
『ちょ、待って、警察はやばいってw 謝るからw 動画消すからw』
チップスを噛み砕くたびに、男の人生が走馬灯のように駆け巡る。
調子に乗って迷惑行為を繰り返し、炎上し、特定され、追い詰められていく過程。
そして、最後の一口。
『うあああああ!? なんで俺が垢バンされるんだよおおおおお!?』
『ふざけんな! 俺は悪くない悪くない悪くない悪くない!』
『訴えた奴が悪い! ネットが悪い! 社会が悪い!!』
パリィィィン!!
チップスが粉々に砕け散ると同時に、男の社会的な死――破滅の絶叫が弾けた。
「……っ!!」
プライドの背筋に、ゾクゾクとした快感が走る。
なんて……なんて心地良い音色なのか。
身勝手なクズが、自分の撒いた種で自滅し、全てを失って泣き叫ぶ。
その惨めな姿。
その愚かな涙。
その希望が砕け散る瞬間の、カタルシス。
「くっ……悔しい! 悔しい……なんなんだこれは!!」
プライドは顔を赤らめながら叫んだ。
認めたくない。こんな品性の欠片もない味に魅せられるなんて。
だが、舌は正直だった。
「プライドには、ある意味こっちの方が新鮮かと思ったからね」
悠夜はニヤリと笑った。
「貴女が司る『傲慢』にとって、自分が至高だと思い上がっている小物が、無様に転がり落ちていく様を見るのは……最高の娯楽でしょう?」
「……否定はせん!」
プライドはボウルを抱え込んだ。
「前回の権藤のような筋金入りの傲慢は、確かに食べ応えがあった。だが、あれは重い! 消化に時間がかかる!」
「その点、こいつらは軽い!」
パリッ!
『俺はインフルエンサーだぞぉぉぉ!』
サクッ!
『借金やばいって! 親にバレるって!』
プライドは次々とチップスを放り込む。
「まるでプチプチを潰すような感覚だ! 気軽に、手軽に、他人の人生(プライド)を噛み砕ける!」
「そう! それそれ!」
グラトニーも同意する。
「ポテチ感覚で人の一生を食い尽くす! この背徳感がたまんないのよ〜!」
「うすしお味がまた絶妙だ。奴らの涙の塩気が、薄っぺらい人生に適度なアクセントを与えている……!」
プライドの手が止まらない。
これは「やめられない、とまらない」悪魔の嗜好品だ。
あっという間にボウルが空になった。
「おかわり!」
「我にもだ! もっと寄越せ!」
悠夜は苦笑しながら、ワゴンの下の段からダンボール箱を取り出した。
中には小悪党チップスがぎっしりと詰まっている。
「どうぞ。僕が所有するお菓子工場で、沢山作ってますから」
「なぬぅ!?」
プライドが目を見開く。
「工場生産だと!? これほどの『クズ』を、安定供給できるというのか?」
「ええ。コイツらは、どの世界線でも掃いて捨てるほど居ますからね」
悠夜は遠い目をして語った。
「特に、21世紀以降の地球系列の世界は凄いですよ? 嘆かわしいくらいに大豊作です」
スマホとSNSの普及により、承認欲求モンスターが爆発的に増殖した世界。
そこは、悠夜たち悪魔にとっては巨大な養殖場のようなものだ。
「誰もが発信者になれる時代。それは同時に、誰もが『小悪党』になれる時代でもあります。少しチヤホヤされればすぐに調子に乗り、簡単に一線を越える。収穫しても収穫しても、次から次へと新しい芽が生えてくる」
悠夜はパッケージの裏面を見せた。
「色んな味付け(フレーバー)があります」
『炎上バーベキュー味』:炎上して批判殺到した時の、焦げ付くようなストレスと辛味。
『特定コンソメパンチ』:住所や本名を特定された時の、濃厚な恐怖のエキス。
『謝罪会見サワークリーム』:嘘泣きと保身にまみれた、酸っぱい敗北の味。
「……ラインナップが豊富すぎる」
プライドは戦慄した。
「これらは今、下級悪魔達に大人気なんですよ。安くて、手軽で、そこそこ栄養(負の感情)もありますから」
魔界のコンビニには、このチップスが山積みになっているらしい。
「そして味も評判です。彼らいわく、生前はあんなに不味そうだったのに、加工されることで『あのクソマズイ記憶が、こんなにも美味しく食べられるなんて……!』と、涙を流して喜んでいます」
「なんと……」
プライドはチップスの袋をまじまじと見つめた。
生前は社会のゴミとして人々に迷惑をかけ、嫌われていた存在。
それが死後、こうして加工され、悪魔たちの腹を満たし、喜ばれている。
「ある意味、究極のリサイクルですね」
悠夜は爽やかに言った。
「社会の不要物をエネルギーに変える。これぞSDGs(サステナブル・デビル・グルメ・システム)です」
「……ふ、ふん。興味はないな」
プライドはツンと顔を背けたが、その手はしっかりとチップスの袋を握りしめている。
そして、ちらりと悠夜を見た。
「まあ、そこの穀潰し(グラトニー)のせいで、貴様の家の家計も危ういのだろうから……買ってやってもいいぞ?」
「えっ?」
悠夜が目を丸くすると、プライドは顔を赤らめて早口でまくし立てた。
「勘違いするな! 別に我が気に入ったわけではない! 部下たちの餌にしてやろうと思っただけだ!」
プライドが統治する「傲慢」の軍勢。
彼らへの配給品として採用してやる、というのだ。
「うちの兵隊どもは最近、たるんでいるからな。このチップスを食わせて、『調子に乗るとこうなるぞ』という反面教師(教育)にするのだ! 決して、我が夜食にしたいわけではないぞ!」
「はあ……。ありがとうございます?」
悠夜は深々と頭を下げた。
まさかの大口契約ゲットである。
(予想以上に刺さりましたね……)
元々、プライドに何かの勉強になればと思って出したのだが。
どうやら彼女は、この「ジャンクな破滅の味」の虜になってしまったらしい。
「よし、ではこのダンボール全部貰っていこう! 支払いは金塊でいいか?」
「ええ、もちろん。毎度あり」
プライドはダンボール箱を軽々と持ち上げ(見た目に反して怪力だ)、満足げに鼻を鳴らした。
「グラトニー! 映画の続きを見るぞ! チップスを開けろ!」
「えー、私の分とんないでよー!」
「うるさい、寄越せ!」
再びソファに座り、映画鑑賞を再開する魔王たち。
画面の中ではサメが暴れ、リビングではチップスを噛み砕く音が響く。
パリッ、サクッ。
『有名になりたかっただけなのにぃぃぃ!』
『チャンネル登録解除しないでぇぇぇ!』
悲痛な叫び声が、映画のBGMに心地よいアクセントを添えていた。
悠夜は空になったワゴンを引きながら、静かに部屋を出た。
キッチンに戻れば、まだ在庫の山がある。
人間界がなくならない限り、この工場のラインが止まることはないのだから。
グラトニーの食費は悠夜の莫大な稼ぎの前には大した痛手ではありません。
魔界随一の資産家です、プライドちゃんは知りませんが。
この後、プライドちゃんの領地でブームが出来たとか出来ないとか。