風鳴ノ聲《―名ヲ捨テタ者ノ詩―》   作:曇らせの翁

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継がれる翼

 

2031年 8月某日

 

──風鳴総本家 邸宅内 庭先にて―――

 

 真夏の蝉声が、古びた縁側の木を震わせていた。 母の墓参りを終えた午後、自分はギターを手に、静かに弦を鳴らしていた。

 

『―――翔逸(しょういち)おじさん!!』

 

  廊下の奥から、風を切るような足音が響いた。 振り向いた先に、夏の陽を背負った小さな影があった。青い瞳がきらめき、笑顔が一瞬で部屋の空気を変えた。兄上・八紘の娘、つまり姪にあたる『風鳴翼(かざなりつばさ)』だった。

 

 まだ幼い彼女は一直線に自分の元へ駆け寄り、無邪気に抱きついてくる。その小さな体を抱き留めながら、自然と笑みが零れた。

 

「―――久しぶりだね。翼ちゃん、また大きくなったね」

 

「はい!おじさんもお元気そうで‥‥」

 

「‥‥いいよ、そんなに畏まらなくても、同じ()()()()()じゃないか」

 

 そう言いながら頭を撫でてやる。普段は兄上の屋敷で暮らす翼も、お盆の時期だけは風鳴家の本家に戻ってくる。初めて会った頃はどう接していいのか分からなかったが、あるきっかけで距離が縮まり、今では数少ない心を開ける存在となっていた。「()()()()」と呼ばれるのは少し複雑な気持ちもあるが、今ではその無邪気(むじゃき)さが愛おしい。

 

「翔逸おじさん!今年はどんな歌を歌ったり教えたりしてくれますか!?」

 

 目を輝かせ期待に満ちた瞳を向けられ、自分は苦笑する。今や恒例となった歌の催促だ。昨年の演歌メドレーはさすがに避けたいところだが、この無邪気さを見ているとつい応えてしまう。成長すれば、こうしたやり取りも少なくなるだろうと思うと、少し寂しい気持ちが胸をよぎった。

 

「えーと、翼はもっと女の子らしい曲は聞かないのか?例えば‥‥ほら()()()()の曲とかさ」

 

 しかし頑固な翼は青髪を横に振り、その誘いを断固として拒否をする。

 

「―――いいえ!やはり今日教わるのは演歌にします!」  

 

「はは‥‥そうか、じゃあ今日は‥‥」

 

 その時、遠くから足音が近づいてくる。

 

「―――そこで何をしているのだ、翼」

 

 

 その声に思わず体が硬直する。聞き覚えのある威厳(いげん)ある声の主翼の父、風鳴八紘(かざなりやつひろ)だった。その気配に気づいた翼は慌てて離れ、不安そうな表情を浮かべる。

 

(‥‥‥まずい、兄上の存在に気づかなかった)

 

 八紘は兄弟の中でも最も厳格で、自由奔放にしている自分は、彼にとって目障りな存在であることは間違いない。自分は姪を守るため、すぐさま兄上に向き直り、深く平伏した。

 

「―――兄上、ご無沙汰しております」

 

 

 その声を聞き、八紘は鋭い視線を自分に向けた。そして低く、重い声で告げる。

 

 

「相変わらず風鳴の家には相応しくない男だなお前は‥‥」

 

 その視線は、自分が手にしていた古びたギターに向けられていた。恐らくこれが気に入らないのだろう――――このギターは、もう一人の兄貴から誕生日に贈られたもので、古い物だが今でも自分の宝物であり、日々の練習に欠かせない相棒だった。

 

「改めて聞くぞ、翼。此奴(こやつ)と何をしていた」

 

 再び投げかけられる質問に、翼は怯えながらも答えようとする。

 

「その翔逸おじさんに‥‥」

 

「‥‥お待ちください」

 

 自分はその言葉を遮るように、慎重に、しかし確かな声で答えた。

 

 

「‥‥申し訳ございません、兄上。自分が翼に歌を教えようと()()()()()()()()

 

 八紘は一歩、畳を軋ませた。それを聞くと八紘の眉がさらに険しくなる。彼は少し間を置き、重々しく言葉を続けた。

 

 

「―――お前が‥‥翼に?」

 

 八紘の鋭い視線に少したじろいだが、自分はもう以前の、()()()()()()()()()()()ではない―――夢のために努力し、己の足で歩んできた自分は、もはや引け目を感じる必要はなかった。自分は真っ直ぐに兄を見据え、言葉を重ねる。

 

 

「―――はい、ですので翼には()()()()()()()()()()

 

 

 八紘はしばし黙り込み、眉間のシワを深く刻んだまま、ゆっくりと自分の方へ歩み寄る。そして低く、しかし静かな声で告げた。

 

「―――翼は次期当主(じきとうしゅ)となる身だ。お前のような出来損(できそこ)ないが側にいると、家の品位に関わる‥‥お前は早々に()()()()ことだな」

 

 

 その厳しい言葉に、翼は小さく震える。兄上は昔からこうだった。自分にも、他の親族と同じように厳格に律してきた。そのことは理解していた。だから自分は反論せず、深く頭を下げて謝意を示す。

 

「‥‥来なさい、翼。おじい様への挨拶がまだ済んでいないだろう」

 

 

 八紘は翼の手を引き、その場を後にしようとする。しかし、自分にはどうしても一つだけ伝えたいことがあった。

 

「‥‥待ってください、兄上!」

 

 その背に声を投げかけた瞬間、喉が焼けるように痛んだ。兄は振り返らない。夏の陽が障子越しに揺れ、沈黙だけが返ってくる。

 

「‥‥あの子は、歌っていました。誰に教えられたわけでもなく、庭でひとり‥‥翼は天賦の才(歌う力)を持ち合わせています!どうか‥‥‥あの子の声を、()()()()()やってください!」

 

 言い終えた瞬間、八紘の肩がわずかに動いた。だが振り向くことはなかった。

 

「貴様に言われるまでもない‥‥」

 

 

 その声には、どこか寂しげな響きが混じっていた。その後、翼は八紘に連れられ、屋敷の奥へと消えていく。最後に自分をチラリと見たが、言葉はなく、ただ連れて行かれた。あの子が歌の道に進むかは分からない。ただ、歌を愛する心だけは忘れずにいてほしい――――そう願うことしかできなかった。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 数日後、また翼を見かけた。今度は屋敷の縁側で一人、俯きながら塞ぎ込んでいた。声を掛けようとしたが、先日の兄上との一件を思い出し、躊躇してしまう。しかしその横顔はどこか悲しげで、まるで()()()()()()を映しているかのようだった。気づくと、自分はいつの間にか庭へ降り、翼の隣に腰を下ろしていた。

 

 

「―――おじさん」

 

「どうした‥‥?またお父様に叱られたのか?」

 

 

問いかけると、翼は俯いたまま首を横に振る。その次に紡がれた言葉に、自分は耳を疑った。

 

 

 

「―――お父様が‥‥私は‥‥どこまでも(けが)れた‥‥風鳴の道具(どうぐ)に過ぎないって‥‥」

 

 

幼い少女の口から出るには、あまりにも残酷で悲しい言葉だった。その言葉に自分は胸の奥から怒りが湧き上がる。どうしてこの子が、たったそれだけで傷つけられなければならないのか。自分もかつて父に疎まれてきたから、その痛みが()()()()()()()。だからこそ、こんな理不尽は許せなかった。

 

 

(―――それが、実の娘に掛ける言葉か‥‥!)

 

 

拳を強く握り締め、奥歯を噛みしめながら、自分は翼を抱き寄せる。胸元で泣く彼女を見て、思わず自分の目からも涙が零れ落ちた。

 

「翼‥‥そんな風に思う必要はないんだ。何も悪くなんかない‥‥」

 

その言葉に、翼は自分の胸に顔を埋めたまま泣き続ける。小さく、頼りなげな彼女の姿は、まるで今にも壊れてしまいそうだった。自然と自分の手が伸び、翼の頭を優しく抱き寄せる。拒むことなく、翼は静かに頭を預けた。その髪を撫でながら、そっと囁く。

 

 

()()()だ‥‥翼‥‥俺は、翼の味方(みかた)だ‥‥絶対に(まも)ってやる」 

 

 

 

それは偽りのない、本心からの言葉だった。たとえ相手が兄上であろうと、この子を傷つけさせることは決してしない―――そう誓った。少し落ち着いた翼をゆっくりと離し、静かに立ち上がる。

 

「少し待っててくれ‥‥俺は兄上と、少し()()()()をしてくる」

 

胸の中で沸き上がる感情を必死に抑えながらも、顔にはそれが滲んでいたかもしれない。自分の表情を見た翼は、一瞬怯えたような目をした。しかしすぐに笑顔を向け安心させる。翼が何か言おうとした気配を感じつつも、自分は察し、彼女のために背を向けて歩き出した――その小さな背中を、心の中で守ると決めながら。

 

 

 

 自分は()()()を尊敬していた。『風鳴八紘(かざなりやつひろ)』は若き日から文武両道を体現し、二十代にして内閣から声がかかるほどの()()だ。

 

—―あの人の姿勢が自分が密かに追い求めた理想の『大人(おとな)』であった―――だが今は違った。自分の姪を『道具(どうぐ)』呼ばわりしたその声を思い返すたび、胸の奥の何かが静かに、しかし確実に壊れていくのを感じた。

 

 あの人は翼の幸せを願っているのではなく、ただ家の都合だけで娘を扱ったのだ。そんな人間を「兄上(あにうえ)」と呼ぶことに、今は()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を歩くと、使用人たちは一応頭を下げる。しかし誰も目を合わせようとはしない──それもいつものことだと自分は念じた。気にするまでもない、そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥の苛立ちは収まらない。

 

 八紘の書斎の前に立つと、ためらわず扉を押し開けた。ノックもせずに入ったその部屋には、いつも通り机に向かい書類を裁く八紘がいた。自分の姿を認めるや否や、彼は冷たく、突き放すように言葉を放つ。

 

「―――何用だ‥‥防人(さきもり)の務めも果たさず、(うた)などにうつつを抜かす者と話すことはない」

 

 その言葉に、自分の中で堪忍袋の緒が切れかかる。怒声をあげ飛びかかりたい衝動に駆られるが、必死に理性を保ち、冷静を装って問いただす。

 

「―――兄上、あの言葉は本当ですか‥‥翼を『(けが)れた風鳴の道具(どうぐ)』だと仰ったのは、本当に――」

 

 八紘は眉間に深い皺を刻み、こちらを睨みつける。その瞳の奥に一瞬だけ哀愁が差したようにも見えたが、やがて彼はゆっくりと口を開いた。

 

「‥‥そうだ。あの娘は、我が一族に代々伝わる使命(しめい)を果たすための道具だ」

 

 その一言が自分の胸を打ち砕いた。理性がほとばしり、部屋にあった書斎机を思い切り蹴り飛ばす。かつて病弱だった自分を鍛え上げたのは、弦十郎の()()()()()()だ。あの稽古が自分に常人を超えた身体を与えた。

 

 しかし、机を蹴った痛みがあっても、八紘は微動だにしない。

 

「何故です!?翼は兄上の大切な一人娘ではないのですか!?」

 

 怒りに震えながらも、精一杯の言葉をぶつける。

 

「――お前に何が()かるか‥‥!」

 

 しかし八紘の眼光が鋭く光る。声はいつになく低く、鋭利だった。兄上の声は怒りに満ちていたはずなのに―――その奥に、()()()()()()()が微かに混じっていた。

 

「お前のような半端者(はんぱもの)が首を突っ込む問題ではない。詮索は不要だ、()く失せろ!」

 

「‥‥‥そうですか」

 

【―――ヤッチマエヨ‥‥‥ドウセ兄上モ他ト同ジダ―――】

 

 誰かが自分の脳裏に()()()―――その瞬間、最後の理性(リミッター)が崩れ去り、体が勝手に動いた。気づけば足が畳を蹴り、拳が兄上の右頬へ一直線に伸びていた。

 

 我流(がりゅう)の重いだけの大振り。弦十郎兄貴なら鼻で()()()()()()()()()一撃だ―――だが八紘兄上は避けなかった。受けた。真正面から。鈍い手応えと共に、逆にこっちの肩が痛烈に跳ね返された。口元から血が滲む。立ち上がる間もなく、八紘は静かに自分を見据えていた。

 

(‥‥‥なんで避けなかった)

 

 反撃の兆しのないその表情に、胸の内に得体の知れぬ苛立ちと屈辱が渦巻く。八紘も弦十郎ほどではないが武道の心得があった。怒りのままの自分の攻撃など避けれずとも防ぐことは()()()()()

 

 それはまるで「出来損ないの拳など()()()()()()()()」と自分が侮蔑されたかのように感じ、再び詰め寄って彼の胸ぐらを掴んだ。

 

【―――見テミロ、兄上ハオ前ノ事ヲ嘲笑ッテル‥‥‥報イヲ受ケサセロ】

 

「―――黙れ!馬鹿にして‥‥!」

 

 無性に頭が痛い。手に伝わる彼の背の固さ、静かな呼吸。そこにあるのは、憧れた男の冷たい現実だった──そして、戦いはただ感情だけを燃やすに留まらなかった。

 

「教えてください‥‥!なぜあの子を道具と呼ぶのですか‥‥!」

 

「―――お前が翼を甘やかせば、あの子は”防人(さきもり)”になれぬ。情に流されれば、誰も救えん‥‥!」

 

「娘を傷つける権利など誰にもありません。例えそれが自分の子であろうとです‥‥兄上!それを認めることは‥‥決して許されない!」

 

―――自分はもう引かない!◼️を守るためなら、たとえ◼️◼️や◼️◼️◼️に背を向けられ、疎まれようとも、絶対に譲ることはしない、その覚悟だけが胸にあった、何故なら‥‥

 

【ソウダ‥‥()()()()()()、だからコイツを‥‥‥にしろ】

 

 自分は怒りのままに再び殴りかかろうと腕を後ろに引くが、その腕は何者かによって掴まれた。それは万力のようにのように()()()()()()()。そしてその手の主へ振り返るより早く、低い声が落ちる。

 

 

 

 

 

『―――まったく‥‥実家に帰って早々、翼が飛んできたと思ったらまさか()()()()()になっているなんてな‥‥』

 

 

 

 背後から聞こえた声に咄嗟に振り返ると、そこには最も信頼し、尊敬する兄弟『風鳴弦十郎(かざなりげんじゅうろう)』が立っていた。

 

「弦十郎の、あ、兄貴‥‥。」

 

 

 そう呟くと、弦十郎は真剣な目つきでこちらを見据え、ゆっくりと語りかける。

 

『話は翼から聞いた。お前の気持ちはよく分かる‥‥だがな、その拳を()()()()()振るうことができるのか?』

 

 その言葉にハッとし、振り返ると不安そうな顔で自分を見つめる翼の姿があった。

 

「―――翔逸おじさん‥‥!」

 

 泣き声が割り込む。翼が二人の間に飛び込んできて、小さな腕で翔逸の背を掴んだ。その手が震えている。

 

 その瞬間、自分の沸き上がるものが一気に冷め込み、そしてハッと息を呑んだ。八紘を掴む手が力を失い、ただその場に立ち尽くした。汗と涙が混ざり、喉の奥で言葉が詰まる。

 

「―――おじさん‥‥私、もう泣きません‥‥立派な防人(さきもり)になります。だから―――もうお父様を、()()()()()‥‥」

 

 涙を流しながら自分の背中に抱きつく翼。その小さな体は震えており、心まで揺さぶられる。

 

「ごめんな、翼‥‥!俺が悪かった」

 

 

 自分の浅はかさに嫌気が差す。翼を悲しませた事実が重く胸にのしかかる。こんなにも幼い彼女に、なぜこんな過酷な運命を背負わせなければならないのか――――そして本当の自分は怒りのままに彼女のことすら()()()()()()()

 

 

 それからこの一件は本家で大きな騒動となり、自分は1カ月の謹慎処分(きんしんしょぶん)となった。

 

 

 

◇◇

 

 

 

 謹慎が解けて数日後、二人の元に呼び出される。先日の一件の責任を問われるのだろうと覚悟を決め、部屋に入ると、二人は黙って座っていた。自分も正座して向き合う。沈黙が続いた後、弦十郎が口を開く。

 

 

「―――翔、今から話すことは、本来お前には伝えないつもりだった。八紘の兄貴と決めていたことだ。」

 

「‥‥‥俺を家から追い出す算段でも建ったのか?」

 

「‥‥翔、今は真面目な話だ。黙って聞け」

 

「‥‥‥‥‥悪かった」

 

  その威圧感に自分は黙って耳を傾ける。そして兄貴の方は見たことがないほどに緊張して言葉に詰まらせていた。

 

 

「それで‥‥話は翼のことだ‥‥‥翼の()()()()()()

 

 兄貴が語りだした事に深く違和感を覚える。翼についてと聞いて身構えたが、彼女の生まれについてなど、()()()()()()()()だ。

 

(‥‥‥出生?何を言ってるんだ、翼は風鳴本家の跡取りで兄上の‥‥‥)

 

 

―――その瞬間、考えを遮るように庭にある鹿威しの竹筒がカコンと()()()

 

 

 

 

 

 

『―――翼は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

時間(とき)が止まった。

 

(せみ)の声も、(かぜ)も、何も聞こえない。

 

心臓(しんぞう)だけが、やけにうるさかった。

 

自分の鼓動(こどう)だけが現実(げんじつ)を主張していてほかのすべてが夢みたいに遠のいた。

 

弦十郎の兄貴の瞳だけが、真実(しんじつ)を語っていた。

 

「‥‥‥‥なんと言いましたか」

 

 

(‥‥万が一にも隠し子だとしても、父上が気づかぬ筈はない‥‥まさか‥‥!)

 

脳裏に一つの仮説が浮かぶ。それは()()()()()()なものだった。だが口に出す前に、弦十郎が先に言葉を続ける。

 

「―――おそらく、お前が今考えていること‥‥ほぼ間違いないだろう」

 

 

 その言葉に、背筋が凍る。翼は八紘の子ではなく、あの『風鳴訃堂(かざなりふどう)』が生ませた娘――兄貴の言葉には嘘偽りがない。目が真っ直ぐ自分を見据えている。

 

 

 

(‥‥どうしてあんなに優しい子が、こんな防人の宿命(しゅくめい)を背負わなければならないんだ!)

 

 

 

『―――翔逸おじさん!』

 

 

 あの子の眩しいほどの純粋な笑顔を思い出す―――もし翼が普通の家に生まれていれば、歌を愛するただの()()()()()()として過ごせただろう

 

 

  しかし、風鳴の家に生まれたがゆえに運命(うんめい)は狂い、その優しさは重荷(おもに)となった。その事実が、自分の胸に激しい怒りと悔しさを生む。

 

「―――何故です‥‥何故、翼がそんな目に遭わなければならないんですか!?」

 

「‥‥‥それは防人として使()()()()()()()だ」

 

「それではあまりにもあの子が‥‥‥!」

 

 

 

 真っ直ぐ自分を見据えて言った言葉に、自分は歯噛みしながら八紘を睨む。しかし、机の上に置かれた握ったその拳には()()()()()()()

 

 

 きっと自分の無力さへの怒りなんだろうと、自分は思った。翼を守りたいのに、“風鳴”という名前の前では身動きが取れない、その悔しさなんだと。

 

 その様子を見て、自分の中で渦巻いていた怒りは静まる。翼のことばかり考え、兄上の苦悩に気付いていなかったのだ。兄上は自分などよりもはるかに翼の苦しみを()()()()()()()()のだ。

 

 自分はその場に崩れ落ち、兄上に額を床に擦り付けるようにして頭を下げる。

 

「―――申し訳ありませんでした‥‥兄上!私は兄上の苦悩を考えずに、あのような無礼を‥‥」

 

「―――貴様の様な出来損ない弟のしでかしたことなど、端から気にしていない‥‥頭をあげろ」

 

 俯く兄上はただ一言、自分の謝罪を受け入れた。

 

「―――いいか、まだ決まったわけではない‥‥だが可能性があると()()()()であるお前には説明しておきたかった‥‥分かるな?」

 

「―――あぁこの事は誰にも口外しない‥‥するわけ無いだろ」

 

「‥‥‥そうだよな」

 

 

 しばらくして、弦十郎の兄貴は自分と目を合わせて語りかける。今度は厳しい表情は消え去り少し穏やかに感じられた。

 

「そして、もうひとつはお前の話だ‥‥翔、お前の(ゆめ)は、歌を大勢の前で歌うこと‥‥‥そして()()()()()()()()()()()()‥‥‥そうだな?」

 

 

 その言葉に自分は頭を殴られたような気分になる。自分の心の奥に隠していた感情(ゆめ)だ。かつてそれを吐露したしたのは()()()()()()()

 

「‥‥な、なぜそれを、それは兄貴には一言も」

 

自分は驚きを隠せなかった。母にしか話していない夢を、兄貴が知っていることに‥‥。その自分の様子を見て、弦十郎は微笑みを浮かべる。

 

「あぁ、すまん!いきなりで驚くよな。だがお袋が亡くなる前に、俺にだけ話してくれた。そして兄貴としてお前を()()()()()()()()()頼まれたのだ」

 

「‥‥母上(ははうえ)がですか」

 

 

『―――貴方を認めてくれる人が、私以外にも現れる日が来る―――』

 

 

 

 あの時、母上は本当に自分を一人にしていなかったんだ、と胸の奥で気づいた。自分はその言葉に、思わず涙が溢れそうになる。しかしここで泣いてはいけない。兄貴に余計な心配を掛けたくない。優しい目で自分を見つめる兄貴は、さらに言葉を紡ぐ。

 

「立派な(ゆめ)だな‥‥俺は兄貴としてお前が(ほこ)らしいよ」

 

 母以外に、自分の夢を否定しない存在がいたことに胸が熱くなる。肩に手を置かれ、真剣な表情で言われるその姿から、この先の言葉の重みを感じ取った。弦十郎はしばらく何も言わず、拳を膝の上で握ったまま俯いていた。やがて顔を上げ、真正面から自分を見た

 

「―――だから‥‥翔、お前はこの家から出ろ!この家で生きていくには、お前は優しすぎる。そしてお前の夢はここでは叶えられん。‥‥お前の(つさば)は、()()()()()()()()()んだ‥‥!!」

 

 昔から自分の味方であり、優しく頼れる存在。憧れであり、いつか自分も()()()()()()()()()()と思っていた。そんな兄貴から告げられた言葉に、嬉しさの余り言葉が詰まる。兄貴は黙って、自分を見守ってくれていた。

 

 やがて、八紘は静かに立ち上がり、部屋を出ていく。しかし最後に振り返り、静かに言葉を残した。

 

愚弟(ぐてい)が一人出て行った所で、風鳴は何も変わらぬ。お前の好きな様に()きるがいい‥‥」

 

 その言葉には、いつもの棘はなく、兄上なりの優しさが込められているのだろうと自分は黙って頭を下げた。心の整理はついたが、ただ一つだけ気掛かりなことが残る。

 

 それは、翼のことだった。あの子の今の境遇を思うと、彼女を残して立ち去ることに躊躇いがあった。しかし、それに気付いたのか、弦十郎兄貴が真っ直ぐな目で自分に声をかけた――。

 

 

「―――翔、安心しろ。翼は俺と八紘兄貴が守る‥‥そしてお前が家を出て夢を叶えられれば、翼の夢にも必ず繋がる‥‥!」

 

 

 (‥‥‥そうか、自分がいなくなっても、翼には()()()()()()()―――そして自分自身が先頭を飛ぶ渡り鳥のように先に飛んでいれば、翼の歌の道を()()()()()()()!)

 

 

「―――分かった、自分の夢の為にも、そして翼のためにも俺は家を出るよ」

 

今までは此処を出る覚悟が無く、ただこの鳥籠で引き籠っていた‥‥しかし弦十郎兄貴の言葉を聞き、自分の決意は固まった。

 

 

◇◇

 

 

 しばらくして、覚悟を決めた自分は、父・訃堂の元を訪れ家を出る意思を告げる。風鳴家の内情を一切口外しないことを条件に、あっさりと家を出奔(しゅっぽん)することを許される―――しかし去り際、父から冷たい言葉が投げかけられた。

 

 

――貴様(きさま)はこれで風鳴(かざなり)()から(のが)れられると思うのか?―――

 

 

 その言葉に胸がざわつくが、振り払い、背を向ける。もう迷わない。自分は()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 旅立ちの朝、光がやけに柔らかく見えた。春先の空気が屋敷を包んでいて、自分の背中を押してくれているようだった。雪が解けた庭には、母が好きだった菊や百合、色とりどりの花々が咲き誇る。手にした花束を胸に、屋敷から離れた墓前へと足を運ぶ。

 

「―――申し訳ありません、母上‥‥暫くはお別れです‥‥」

 

 土に触れた手を合わせ、深く頭を下げる。静かな墓前には、かすかな風が吹き抜け、花の香りが鼻をくすぐる。

 

「‥‥‥ですが、母上との誓いは胸に刻んでおります―――そしていつの日か、必ず()()()()()()母上に報告しに来ます」

 

 その言葉を言い残すと、ゆっくりと顔を上げ、墓石に背を向け歩き出す。門前には弦十郎兄貴が一人、見送りに立っていた。

 

「―――本当にいいのか?翼に別れを伝えなくても」

 

 

 その問いに、自分は少し躊躇いながらも強がりの笑顔浮かべて答える。

 

 

「‥‥‥あの子の顔を見ると、きっと決意が鈍ってしまうから‥‥それに()()()()もあったからな、悪いけど、翼によろしく言っておいてくれ」

 

「‥‥‥はぁ、どうなっても知らんぞ‥‥‥」

 

 兄貴はぼやきながらも歩み寄ると堅く握手を求めてきた。二人の手が固く結ばれる。沈黙が流れる中、最後に口を開く。

 

 

 

 

「―――翔‥‥お前の道は険しいかもが、夢を諦めるな、お前なら夢を叶えられる‥‥!なにせお前は俺の()()()()だからな!」

 

 

 

 その言葉に、自分は力強く頷く。胸の奥にある決意が、一層揺るぎないものになるのを感じた。

 

 

「―――あぁ、次会うときは、兄貴の隣に並び立てる男になって帰ってくるよ!じゃあな!()()()()()()!」

 

 そして振り返ると自分は長い石段を、一段一段、慎重に踏みしめながら屋敷を降りていく。振り返れば、屋敷の屋根越しに春の光が差し込む。背中に、母上(ははうえ)の誓い、(えがお)の笑顔、弦十郎兄貴(げんじゅうろうあにき)の激励を感じながら、自分の心は未来への期待で満たされていた。

 

 

『―――大丈夫よ』

 

 ふと誰が囁やき、背後から誰かがわずかな風が吹いたようなが気がした。

 

 その風は母の声のように、優しく自分の()を押していた。

 

 

 




――KEYWORD 用語·設定解説――

【翔逸と翼】

どちらかと言えば奥手な性格の二人であったが、翼が敬愛する演歌歌手『織田光子』の話になると意気投合し、歌を愛する者同士として親密になる。

 そして翼の主催(独断)により前年開催された『織田光子ヒットメドレー』は原曲の力強い歌のせいで翔逸の喉が潰れかけたとのこと(本人証言)

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