東方楽酔録 ~ Perfect Sake Bliss.~ 作:地軸
春も半ばを過ぎた昼下がり、窓の外では満開の桜が風に揺れていた。俺、酒飲楽はカウンターで桜湯を湯煎で温め、たけのこを薄切りにして出汁に浸していた。春の酒には、やっぱり春の味が欲しくなる。
ガラガラッ!
「おーい楽! アリス連れてきたぜー!!」
勢いよく戸を開けて飛び込んできたのは、やっぱり霧雨魔理沙だった。背後から金髪の人形使いが疲れた顔で入ってくる。アリス・マーガトロイドだ。青いドレスに白いエプロン、腕には上海人形を抱えていた。
「……魔理沙が『近所にすごい酒屋ができたから行こう』って半ば強引に連れてきたの。爆弾の実験途中で……まあ、いいわ。付き合ってあげる」
アリスはため息をつきながらも、興味深そうに店内を見回した。上海人形の瞳がキラキラ光る。
俺はカウンターから顔を上げて笑った。
「ようこそ、酒呑蔵へ。魔理沙からよく名前は聞いてたよ、アリスさん。白玉楼の宴会以来だね」
アリスは一瞬目を丸くして、すぐにクスッと笑った。
「……魔理沙が随分騒いでたから、どんな人かと思ってたけど」
「ちょっと待て楽! 奢りは聞いてないぜ!」
「冗談冗談。今日は特別に、外の世界から取り寄せた白ワインもあるよ」
俺が冷えたシャルドネを注ぐ。アリスは小さく「ありがとう」と呟いてカウンターに腰掛けた。上海人形は膝の上にちょこんと乗っている。
魔理沙は早速熱燗を注文し、グビグビ。俺も付き合いで一杯。
と、その瞬間だった。
上海人形がふわりと浮かび上がり、俺が置いたばかりの徳利を勝手に掴んだ。
小さな口に盃を当てて――ごくっ。
アリスが目を丸くする。
「ちょっと!? 上海!? 何してるの!?」
人形は満足そうに盃を置き、今度はゴリアテ人形が厨房から焼き鳥の串を持ってきてテーブルにドン。
さらに小さい人形たちが次々と盃を掲げ、勝手に飲み始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 私の人形は飲食できないはずなのに……!?」
アリスが慌てて糸を切ろうとするが、人形たちは止まらない。
魔理沙は腹を抱えて転げ回った。
「ははははは! 最高だぜ! 楽の能力が人形まで酔わせてるー!!」
俺も呆然。
「……あれ? 俺、何もしてないつもりなんだけど……」
どうやら俺の能力が勝手に発動したらしく、人形たちにまで「飲む楽しさ」が感染したらしい。
上海人形が俺の前に飛んできて、小さな手で盃を差し出す。
俺が恐る恐る注いでやると、またごくごく。
「ひゃっ!? ちょっと、熱い! ……って、なんで味が伝わってくるの!?」
アリスが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ご、ごめん! 俺の能力が暴走してるみたいで……!」
「暴走って……これ、どうやって止めるのよ!?」
もう完全にカオスだった。
蓬莱人形が味噌田楽を運び、ゴリアテ人形が巨大な体で徳利を抱えておかわりを注ぎまくる。小さい爆弾人形たちが枝豆をばら撒きながら「乾杯ー!」と叫んでいるように見える。
蓬莱人形が突然俺の背中に乗ってきて、肩越しに盃を差し出す。ゴリアテ人形はカウンターをテーブル代わりにして熱燗を一気飲み。小さい人形たちは床に座り込んで輪になって桜湯を回し飲み。
魔理沙は涙を流して笑い転げている。
「やべえ! 最高の酒場だぜここ!!」
アリスは頬を染めながらも、だんだん真剣な表情になっていった。
「……楽。これって、本当に人形が自分で飲みたいと思って飲んでるの? それとも、あなたの能力に操られてるだけ?」
上海人形が小さく首を傾げる。
俺は首を振った。
「俺にもよくわからねえ。ただ『楽しく飲みたい』って気持ちが伝染ってるだけだと思うけど……」
アリスは人形の頬にそっと指を這わせた。
「上海、聞こえる? 今、あなたは本当に『飲みたい』と思ってるの? それとも誰かの命令?」
上海人形は一瞬動きを止め、まるで考えているように瞳を揺らした。
そして、ゆっくりと――俺の方を向いて、小さな手で盃を差し出した。
アリスの目が大きく見開かれる。
「……自分で、選んだの?」
人形は小さく、確かに頷いたように見えた。
アリスは息を呑み、震える声で言った。
「これは……自律に、ほんの一歩近づいたかもしれない」
でもすぐに冷静さを取り戻し、俺を鋭く見据えた。
「でも、まだ確証はない。次は私が一切指示を出さない状態で、完全に自由にさせてみる。あなたの能力の影響がどこまで及んでるか……ちゃんと確かめないと」
魔理沙が「めんどくせーなー」と笑ったが、アリスはもう完全に研究モードだった。
「……帰ったら、すぐに記録を取らないと」
俺が苦笑いすると、アリスは小さく付け加えた。
「だから、今日はもう少し付き合ってもらうわよ」
上海人形が俺の前に再び盃を差し出し、アリスは真剣な目でそれを見つめていた。
外はすっかり夕暮れ。桜の花びらが風に舞って、店内に降り注ぐ。
俺たちはそのまま朝まで飲んだ。
人形たちは最後まで元気で、朝陽が昇る頃にようやく動きが止まった。
アリスは俺の肩に寄りかかって、静かに寝息を立てていた。
魔理沙はカウンターで爆睡。
俺は徳利を片付けながら、思った。
──今日も、いい酒だった。
それからアリスは、本当に週に一度は店に来るようになった。
毎回「今日は人形の自律実験だから」と宣言し、俺の能力を徹底的に観察する。
人形たちは新しい肴を覚えたり、俺の肩に乗るのがお気に入りになったり、上海人形は俺にだけ特別に盃を差し出したり。
アリスは最初は「これは能力の影響か」と冷静にメモを取りながらも、だんだん笑顔が増えていった。
ある日、アリスは一人で来た。
「今日は魔理沙は?」
「さあ? いつも一緒にいるわけじゃないし。霊夢のところか、パチュリーのところにでも遊びに行ってるんじゃないかしら」
俺が冷酒を注ぐ。アリスは静かに飲んだ。
「ねえ楽」
「ん?」
「あなたの能力……私の人形を、少しだけ『生きてる』ようにしてくれる」
「……そうか?」
「ええ。だから、嫌いじゃないわ」
アリスは微笑んだ。
上海人形がふわりと浮かんで、俺の前に盃を差し出した。
俺が注ぐと、アリスが「ありがとう」と小さく呟いた。
春の夜、魔法の森の小さな酒場は、静かに酒の香りに包まれていた。