東方楽酔録 ~ Perfect Sake Bliss.~ 作:地軸
薬を売りに、魔法の森の入口にある噂の酒屋──「酒呑蔵」を訪ねたのは、永夜異変が起きるほんの少し前のことだった。
普段から人里へ薬を売りに行っている手前、「そういえば最近面白い店ができたらしい」と聞いて、ついでに寄ってみただけ……のはずだった。
店先に立つと、店主の楽さんが陽気な笑顔で両手を広げて迎えてくれた。
初対面なのに妙に距離が近い。いや、あの人、全員にこんな感じなのかもしれない。
「ようこそ。お名前は?」
「鈴仙です。薬を売りに来ました」
「鈴仙ちゃんか、いいねぇ! 薬の効果をじっくり試してやろうじゃないか。それより折角酒屋に来たのに飲まないなんてことは……ないよね? 俺のおごりだよ、一杯どうだ?」
……なぜ“薬の効果を試す”と“お酒を飲む”が同列に置かれるんですか。
本来なら丁重に断るところだ。
けど、その瞬間、私の耳──いや、月兎としての「波長感知」がズレた。
ぞわりと胸中に違和感が走り、周囲の波長が揺れ、頭の奥がざわめき始める。
(おかしい……。なんで私の能力、暴走しかけてるの?)
波長が乱れたのか、心が乱れたのか……どちらが先かは、今では正直もう自分でもよく分からない。
気づいたときには、断るという選択肢がすでに吹き飛んでいた。
「……じゃあ、一杯だけ」
たぶん、この一杯がいけなかった。
目の前で注がれた酒は、やけにきらきらして見えるし、香りは甘いし、波長は妙に柔らかいし──
一口飲んだら、頭の中がカオスになった。
そこから先は、薬の話がいつの間にか宴会になっていて、
楽さんは楽しそうに酒をすすめてくるし、
私は「ダメなのに……ダメなのに……!」と思いつつ、拒絶する機能が完全に死んでいた。
……気がついたら、私はべらべらと喋っていた。
酔いのせいなのか、それとも私の波長が暴走しているのか――
どちらにせよ、止めようとしても言葉が止まらなかった。
「……私、逃げてきたんです。
本当は、みんなと離れたくなんてなかったのに……
怖くて……ぜんぶ置いてきちゃって……」
こんな弱音、誰にも言ったことがなかった。
でも主人公は怒りもしないし、詮索もしない。
ただ、いつものゆるい笑顔で杯を傾けていた。
「逃げたっていいさ。俺だって都合悪くなるとすぐ酒に逃げてる。」
その軽い一言が、胸のどこかにすっと落ちた。
「けどな、鈴仙。逃げた先でも、息できる場所くらいはあるんだよ。
……たとえば、ここみたいな?」
「……ここ、ですか?」
「うん。気が向いたら、またふらっと来りゃいい。
ひとりで逃げ続けるのも疲れるだろ?
逃げ仲間くらい、使っとけよ。俺で良けりゃさ。」
軽口みたいに聞こえるのに、心の奥の痛いところだけ、やさしく撫でられた気がした。
この人は、私の正体なんて知らないのに。
……違う。
暴走したのは能力なのか?
それとも、落ちかけているのは私の心なのか?
そんな自問自答をしている間に、彼はもう次のお酒を注いでいた。
「ほら、飲め飲め。逃げ話の続き、聞いてやるから。」
その言葉に、胸がドクンと跳ねた。
こんなふうに“逃げてもいい”なんて言われたのは、初めてだった。
師匠や姫様にばれたら何言われるかわからないのに、気が付いたら一夜を共にしてしまった。
いや正直に言おう私から襲ってしまったようなものだ、能力が暴走したとはいえ何をしてしまっているんだ私は。
波長が乱れたのか、心が乱れたのか……どちらが先かは、今では正直もう自分でもよく分からない。
──しかし、さらに問題が発生する。
異変が終わり、地上の宴会に顔を出したときだ。
たまたま視線を上げたら、そこに楽さんがいた。
ばちん、と目が合った瞬間、思わず固まってしまった。
やばい、顔が熱い。なんでこんな時に限って波長がぐわんぐわん暴れてるの!?
いや、待て……暴走してるのは能力じゃなくて、私の心の方なのでは? え、私そんなに意識してたっけ!?
(なんで!? え、なんでいるの!? 異変関係者じゃないよね!?)
後で聞けば、宴会に提供された酒の一部を卸した代わりに普通に参加してるだけらしい。
こっちは心臓が爆発しそうなのに、あっちは手を振ってくるし──
酒を勧められたらまた断れない気がして、思わず障害物の影に隠れてしまった。
あの後師匠たちが話しかけに行くのを見かけたけど大丈夫だったのだろうか、いや、師匠達なら問題無いだろう。
そして運命の朝。
師匠と姫様の部屋から、なぜか起きてくる気配がない。
変だな、と様子を見るために扉を開けたら──
部屋の扉を開けると、そこに師匠の永琳と姫様の輝夜が、楽さんと一緒にベッドに。
三人ともシーツを纏った半裸の姿で、事後の空気が漂ってる。
「わわわわっ!? 師匠、姫様、何してるの!? な、なんで楽さんまで!?」
私はその場で倒れそうになりながら、
(……これ、今日の私の仕事、何から手をつけたらいいんだろう)
と遠い目をした。