東方楽酔録 ~ Perfect Sake Bliss.~   作:地軸

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幕間1 狛犬に酒を飲ませる不審者

博麗神社の境内は、今日もいつもの静けさに包まれていた。秋の風が木々の葉を優しく揺らし、紅葉がちらちらと色づき始めている。落ち葉が地面を転がり、賽銭箱は相変わらず空っぽだ。霊夢は箒を手に、ゆっくりと掃除を進めていた。毎日のルーチンだが、退屈さは否めない。たまには面白い異変でも起こればいいのに、と思うこともあるが、平和が一番だと自分に言い聞かせている。神社巫女として、毎日変わらぬ風景を見守るのは義務だが、時には変化が欲しいと思うのも本音だ。

「今日も平和だなぁ……って、ちょっと待ちなさいよ!!」

視界の端で、何かがおかしい。狛犬の台座の前で、見知らぬ男が片膝を立てて上半身を台座に乗りかけている。作務衣はくしゃくしゃで、黒髪は寝癖と二日酔いで完全に爆発している。両手で特大の酒瓶を高く掲げ、まるで赤ちゃんにミルクをあげる母親のような格好で、狛犬の石像の口にじょぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……と黄金色の酒を注ぎ続けていた。

溢れた酒は台座を伝って滝のように流れ落ち、境内中に甘く芳醇な香りが立ち込める。落ち葉さえ酒臭くなり、空気そのものが酔いしれそうなほどだ。霊夢は箒を放り投げ、腰の陰陽玉に手をやる。不審者だ。神社でこんなことを許すわけにはいかない。陰陽玉を構え、すぐに弾幕で威嚇する準備をする。

「あんた何やってんのよ!! 狛犬に無理やり飲酒させるんじゃないわよ!! 台座びしょびしょじゃない!!」

男はびっくりして振り向き、満面の笑みを浮かべた。頰は赤く染まり、目は完全に酔っている。

「うわっ! 巫女さんだ。すげー可愛い巫女さんじゃん。一緒に飲もう」

瓶を離しても、なぜか空中で勝手に傾き続け、狛犬の口に酒を注ぎ続ける。霊夢は眉をひそめたが、香りに一瞬足を止めた。甘い酒の匂いが、普段の苛立ちを少し溶かす。

「……ちょっと、いい匂いするじゃない」

「だろ? ほら、巫女さんも一杯どうだ」

「あんた、まず名乗るところからでしょ。不審者」

男は頭を掻いた。

「俺、酒飲楽。さけのみらく。最近魔法の森の入り口に蔵を構えた酒屋の店主だ。神様だって毎日お参りされてるんだから、たまには一杯くらい飲みたいと思ってさ」

「神様に飲ませる前に私に挨拶しなさいよ」

霊夢は呆れつつも、差し出された新しい瓶を受け取る。栓を抜いた瞬間、甘く深い香りが立ち上った。一口含んでみる。……めちゃくちゃ美味しいじゃない。体がぽかぽか温まり、疲れが溶けるような感覚だ。霊夢はもう一口飲む。外の世界の高級酒みたいな味わいだ。酒は体を巡り、普段の苛立ちを少し和らげる。能力とやらで湧いてくる酒、悪くないわね。

「だろ。俺の能力で、楽しく飲むために必要な酒が勝手に湧いてくる」

「能力?」

「ああ。制御はできないんだけど」

楽が手を振ると、境内が一瞬で変わった。座布団がぽんぽん出現し、枝豆、焼き鳥、漬物、チーズ、ナッツ、干物、塩辛、珍味各種がテーブルにずらりと並ぶ。完全に宴会仕様だ。霊夢はため息をつきながら座布団に腰を下ろした。

「まぁ……タダなら許してあげるわよ。でもちゃん付けはなし。私は博麗霊夢」

「霊夢ちゃん、よろしく」

「だからちゃん付けしないでって言ってるでしょ!」

それでも酒は美味い。霊夢は盃を重ねる。楽は陽気で、ホストのような話し方がうまい。外の世界の酒の話、銘柄の自慢、酔った勢いで妖精の宴会のエピソードを語る。霊夢は最初こそ警戒していたが、酒が進むにつれ、笑いがこみ上げる。外の世界の話は面白い。人間里で聞く噂とは違う本物の体験談だ。楽の話は、酒の銘柄の歴史から始まり、外の世界の宴会の風習、珍しいつまみの作り方まで広がる。霊夢はつい聞き入ってしまう。

「俺の蔵、能力で勝手に建ったんだ。酒が無限に湧く。でも翌朝の二日酔いが地獄だ」

「便利ね。神社にもそんな能力があれば賽銭が湧くのに」

楽は大笑いして、狛犬を振り返った。

「狛犬さんもゴクゴク飲んでくれてるみたいで嬉しい」

霊夢は狛犬を見た。石像は変わらないが、口元の酒雫が光り、なぜか目が一瞬だけ金色に輝いた気がした。尻尾の先が、ぴくっと動いたような……。霊夢は目をこすり、もう一度見る。気のせいか? でも、酒の雫が石像の口からスッと吸い込まれていくように見える。

「は? 石像が飲むわけないでしょ。でも、なんか機嫌良さそうね」

「神様だって楽しく飲みたい時くらいある。霊夢ちゃん、これからも神社で宴会やろう」

霊夢は盃を置いて軽く睨む。

「……まぁ、酒持ってくれば、また来てもいいけど」

秋の陽光が境内を照らし、狛犬は静かに佇んでいた。口元に残る酒の雫が、ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。霊夢は盃を片付け、掃除の続きを始めた。不審者だった男は、蔵に戻っていった。

しかし、境内には酒の香りがまだ残っていた。霊夢は狛犬をもう一度見て、首を傾げた。あの石像、いつもより生き生きしているような気がする。気のせいか? 彼女は箒を手に取り、落ち葉を掃き始めたが、心のどこかであの酒の味を思い浮かべていた。タダ酒は悪くない。次に来たら、また許してあげるわよ、と心の中で呟いた。

楽は蔵に戻り、カウンターに突っ伏して二日酔いの予感に顔をしかめた。能力の暴走は便利だが、翌日の代償が大きい。だが、巫女さんとの出会いは楽しかった。神様も喜んでくれたはずだ。狛犬さんの機嫌が良かったしな。俺の能力でみんなが楽しく飲めるなら、それでいいや。

数日後、楽はまた神社に向かう。酒瓶を抱えて、狛犬さんに挨拶。霊夢は箒を止めて、ため息をつく。

「あんた、また来たの?」

「酒持ってきたぞ。狛犬さんも一緒に」

霊夢は笑いをこらえて、座布団を広げる。こうして、神社で宴会が始まった。狛犬は静かに見守る。口元が少しだけ満足げだ。

霊夢は酒を飲みながら、楽の話を聞く。外の世界の風習、酒の種類、能力の暴走エピソード。興味深いわね。幻想郷に外来人が増えるのは珍しくないけど、この男は何か違う。能力がご都合主義すぎるけど、害はなさそう。

楽は霊夢の反応を見て、笑う。

「霊夢ちゃん、神社って寂しいだろ? 俺が来て賑やかになるよ」

「余計なお世話よ。でも……まぁ、たまにはいいかもね」

宴会は続き、夕方まで続いた。狛犬の台座はまた酒で濡れ、香りが広がる。霊夢は少し酔って、珍しく本音を漏らす。

「あんたの酒、クセになるわね」

楽は満足げに頷く。

「それが俺の能力だよ。みんなが楽しく飲めるように」

霊夢は盃を置く。外来人だけど、幻想郷に馴染みそうね。狛犬も気に入ってるみたいだわ。

宴会が終わると、楽は蔵に戻る。霊夢は境内を掃除し、狛犬に声をかける。

「今日は楽しかったわね、狛犬」

石像は変わらないが、目が優しく光った気がした。

こうして、霊夢と楽の出会いが始まった。神社の日常に、少し変化が訪れたのだ。霊夢はこれから、この男がもたらす宴会の頻度が増えることを予感していた。タダ酒は歓迎だけど、掃除が増えるわね、とぼやきながら、箒を振るう。幻想郷はいつも通り、穏やかに流れていく。




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