さて吾輩君は兵士達を相手にどうするでしょうか?今回もお楽しみくださいませ!
ぐるり、と空気の流れが変わった。
竜たる吾輩ほどになると、風向きひとつでこの森の事情が分かるのである。
この森の匂いにもすっかり慣れた。
樹液と湿った苔の香り、魔女殿の家から漂う甘ったるい煙の匂い、そして——
今日は殊のほか気になる匂いが漂っているではないか。
吾輩のお気に入り、うさぎである。
魔女殿が一時期は吾輩に放ってくれていたので実に楽であったのだが、最近は捕まえようにも羽ばたく音を捕まえる前に察知されて逃げられてしまう。
しかも捕まえて帰ってきても、寝床から少しでも出た所で食べようとすると魔女殿が霜を飛ばしてくるのである。
実に理不尽な話だが、吾輩は一応従順なのである。すごすごと寝床で食べていたわけだ。
おそらく捕まえたのは兵士達であろう、先程森へ入っていくのを見た。そしてあのうさぎは人間には食べられぬはずだ。吾輩の頑丈な口でもピリピリとして独特の旨味がある、吾輩の方が美味しく味わえる。うさぎも本望であろう。
ならば迎えに行ってやってもよいだろう。
うさぎ肉というものはすぐに冷えて硬くなる。新鮮が肝心である。
吾輩は木々の上を滑るように飛び、音を殺して降下した。
途端に、人間の匂いが一斉に立ち昇った。
五つ。
どれも嗅ぎ覚えがある。やはり魔女殿の家に屯していた兵士たちである。昨日、猪を引きずって帰ってきた連中だ。
(なるほど、うさぎを持っているな)
少し胸が弾む。
今日のおやつはうさぎに決まりである。
しかし彼らは吾輩が着地して目を向けると、なぜか一斉に地面に伏せているではないか。
顔だけこちらへ向け、ぎらぎらと目を光らせている。武器を構えた者までいるではないか。
(……なぜ?)
吾輩は首をかしげた。
魔女殿の前で大人しくしている吾輩を昨日も見ていたはずだ。怯える理由など皆目分からぬ。
試しに一歩近づいてみると、兵士たちの筋肉がぴくりと跳ねた。
ああ、これは逃げ出す前の匂いである。
(逃げるのか……?
いや、それよりもうさぎだ。落とされては堪らぬ)
心の広い吾輩は武器を向けられる無礼に、最も友好的な「鳴き声」を返すことにした。
魔女殿がこれを聞くと霜を飛ばしてこないのでおそらく有効であろう。
「ピ、ィ……」
……全員が石像になった。
(……通じておらぬな)
そこで今度は、目を細めてみた。
爪も立てず、翼も広げず、襲いませんよという姿勢を見せてやる。
すると五人のうち、首に木の飾りをつけた弓の男と魔法使いであろう者が、そろそろと身を起こした。
その目つきたるや、毒蛇でも睨むかのように慎重である。
(ああ、こやつが一番うさぎの匂いをまとっている)
吾輩は一歩進み、うさぎが入っているのであろう袋に鼻を寄せた。
「……ピィ?」
五人全員が別種の意味で固まった。
……これも伝わらぬのか?
致し方ないので、もう一度鳴く。
「ピ……」
すると魔法使いの女が、喉が詰まったような声で言った。
「……う、うさぎが……欲しい……?」
吾輩の目が輝いた。
(そう、それである! たまには通じる人間もおるではないか!)
尻尾が喜びで揺れた。
兵士たちの肩がびくりと跳ねた。
吾輩の好意を理解していないのはどう考えても彼らの方である。さっさと動いてほしいものだ。
弓の男が仲間に向かい、小声で言う。
「たぶん……怒ってない。
ただ……うさぎを……欲しがってる……だけだ」
その“たぶん”が余計である。
吾輩は怒ってなどいない。むしろ、うさぎを差し出されれば頬も緩む。
魔女殿ならもっと早く放り投げてくれたのに。食べている間尻尾を弄られるくらい許してやるほど吾輩は心が広いが、この沈黙は中々耐え難い。
霜飛ばしの躾を守り、吾輩は唸り声を上げてもいない。だというのにまだ足りないのであろうか、全く仕方ない。
そこで吾輩は、できる限り誠実に——
友好的な顔 をした。
目を細め、首を低くし、喉を鳴らし……
「ピィ……!」
五人全員、吾輩の見る目が変わった気がする。
(……………………なぜだ?)
かくして吾輩、おやつを勝ち取ったのである。
恥を忍んで鳴き声まで披露した甲斐があった。あれは本来、魔女殿の前でしか使わぬ必殺技なのだが、うさぎのためなら致し方ない。
さらに良いことに、兵士どもが吾輩を見て怯えなくなった。
あまりビクビクされるのは鬱陶しいことこの上ないのだ。いちいち声を上げられては何かあったのかと思ってしまう。
ほどよく恐れ、ほどよく敬えというのが竜に対する正しい態度である。
機会があればひとかじりして脅してやろうとも思ったが、今日はうさぎをすべて献上した功績に免じて許してやる。
感謝してほしいものだ。
さて、空の上から槍使いを眺めていた時、吾輩は一つ大発見をした。
奴は槍の先で“突く”のである。
吾輩といえば長い尻尾がある。これを振り回すばかりではなく——
尻尾の先で突けばよいのではないか!
吾輩は天才か?
魔女殿がわざわざ毒を採取してゆくほどの尾である。先端を突き込まれたなら、相手とてひとたまりもあるまい。
かくして吾輩、川に赴き、魚を相手に試してみた。
結果は実に鮮やかであった。
いつもは首を伸ばしている間に逃げ去る小賢しい連中が、今日はみな一突きで仕留められたのだ。
これには吾輩、ご機嫌にならざるを得ない。
オークのことなどすっかり頭から消えて、しばらく魚を堪能した。
——ちなみに最近はとんとオークを見ない。
以前は遠巻きにこちらを観察していたようなのだが、吾輩を傷つけたあの日を境に姿を見せなくなった。
まったく、あの図体で繊細な連中である。
もう少し堂々とせぬものか。そうすればすぐに見つけ出して殺してやるというのに。