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む……むぅ……。
まぶしい。
目蓋の裏から光が差し込んでいる。
吾輩は重たくなった尻尾を引きずりながら、のそりと頭をもたげた。
寝床の藁が、昨日の大暴れと魔女殿の“鎮圧行為”でぐしゃぐしゃである。
鼻を鳴らし、空気を吸い込む。
……あたり一面、静かだ。
いつもなら朝に鳴く鳥の声があるはずなのだが、今日はほとんどしない。
代わりに、森の奥から微かな焦げ臭い匂いと、皮膚がざわつくような魔力の波が漂っている。
(む……? 森がおかしい)
吾輩は寝ぼけながらも鼻先を振って匂いを確かめた。
吾輩より遥かに強く、どこか懐かしい――けれど胸がざわつく匂いが混じっている。
……母上の匂いに似ている。
だが近くにはない。
いや、むしろ近くにあれば吾輩は眠ってなどいない。
母上がここに来るなら、地面が揺れ、木々が折れ、吾輩は飛び起きているはずだ。
これはもっと……薄い。遠い。
残り香のような……しかし嫌に強烈な。
(……よく分からん)
吾輩は欠伸をし、翼を一度大きく広げる。
ぱん、と骨が鳴った。よし、問題なし。
飛ぶ準備も、尾を振り回す準備も完璧である。
昨日より強くなっている気さえする。
さて、と寝床から這い出した。
すると魔女殿がこちらを睨んでいた。
腕を組み、眉間に皺を寄せている。
顔色はいつもより少し悪い。
どうやら昨日の吾輩の大暴れは予想以上に疲れを与えたらしい。
魔女殿は何か言いながら、吾輩の鱗を軽く叩いた。
怒っているのか、心配しているのか、判断が難しい。
そして、家の外を指差した。
――そこには、昨夜兵士からひったくったうさぎの“残り”が置かれていた。
(……朝食ということか?)
吾輩は喉を鳴らし、うさぎを脚でつかんだ。
腹は空っぽではないが、食べられるものは食べるのが竜の流儀である。
魔女殿と兵士が森へ出て行ったのを横目で見送り、吾輩はひとつ大きく伸びをした。
「さて――暇だ。実に暇だ。暇というのは心身に良くない。うむ」
周囲には昨夜の乱闘の名残が点々とし、折れた枝やえぐれた地面が口を開けている。
その全てが吾輩の仕業だと思うと、背の毛がぞわりと逆立つ。成長とは嬉しいものである。
竜の気配は、今も森の奥の奥で燻っている。
まるで空気そのものが震えているような、胸の奥を爪でひっかくような、あの尋常ならざる威圧感。
「……行きたくないな」
正直な本音が漏れた。
あれに近寄るのは愚か者のやることだ。いや、愚か者でも途中で思い直すレベルかもしれん。火砕流に突貫するものなどいない。そういうものだ。
危機感がしっかりしているのは生存力の証である。
うむ、吾輩は決して臆したわけではない。学習能力が高いだけである。母上も褒めてくれるであろう。
とんでもない気配を避けるように、吾輩は森の反対側へ向かう。
「まずは、オークだな」
歩きながら鼻を鳴らす。昨日の戦いによって熱は抜け、冷静な思考が戻ってきていた。
奴らは鈍いくせに繁殖力だけはある。草むらの向こう、倒木の陰など、好き放題に巣を作るものだから、油断ならん。
魔女殿は人間の言葉で何やらを言っていたが、吾輩の目的は単純である。
「見つけて、叩いて、終わり。実にわかりやすい」
耳を澄ますと、遠くから濁った唸り声のようなものが聞こえた。
オーク特有の、喉の奥に泥を詰めたような低音。
「いたな。よしよし、ちょうど気晴らしが欲しかったところだ」
吾輩は尾を揺らし、雲の影の中を滑るように進む。
脅威を避けつつ、自分より弱い相手を狩る――これは合理的判断である。断じて小心ではない。うむ。
そして、草むらをそっとかき分けた刹那。
そこには、三匹のオークが背を向けて何やら言い争っていた。
「……よし。まずは一匹ずつ静かに、だ」
吾輩は口の端を上げ、姿勢を低く落とした。
――獲物を狩る時間である。
腹ごなしにちょうどいい。
草むらを押しのけた瞬間、三匹のオークが槍や棍棒を手に警戒しているのが見えた。
吾輩の姿を確認した瞬間、その顔が恐怖で歪む。
当たり前だ。
吾輩は――竜であるのだ。
「グルルル……」
喉の奥で低く唸ると、オークたちはビクリと跳ねた。
その隙に、吾輩は地を蹴った。
踏み込み一つで地面が抉れ、吾輩の体が弾丸のように飛ぶ。
オークの胸へ頭突き――竜種特有の頑丈な鱗で、肉を砕き骨を折る。
「グボッ!?」
巨体が吹き飛び、木に叩きつけられて動かなくなる。
まず一匹。
残る二匹は恐怖よりも怒りが勝ったらしく、槍を同時に突き出してきた。
だが、それは思い上がりである。
竜たる吾輩には通じない。
吾輩は翼を軽く広げ、僅かに浮力を得て横へ滑るように回避した。
同時に尾を横薙ぎに叩きつけ――
バキッ!
槍ごとオークの体をへし折った。
「グオオオッ!」
オークが悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。
吾輩は続けざまに足で踏みつけ、捻りを加える。
メリッ。
二匹目、沈黙。
最後の一匹は逃げるどころか仲間を庇うように立ち塞がった。
愚かだが……勇気だけは買ってやらんこともない。
吾輩は鼻息を一つ漏らし、前脚を地に叩きつけた。
ドンッ!
その衝撃で地面が波のように揺れ、オークが膝を突く。
その隙に吾輩は飛び立った。
もう吾輩は油断はしない。
気を抜いて痛い目を見るのは、もうごめんである。
空中で体を丸め、急降下の姿勢に入る。
吾輩とオークの視線が重なった。
オークは勇敢にも槍を突き出した。
だが――
ドガァッ!
衝突の瞬間、ボロ槍の穂先は吾輩の胸鱗に触れた途端、乾いた音を立てて粉砕された。
砕け散った破片が空中に舞い、同時に吾輩の体重と速度がオークの胴を押し潰す。
「グギャ――ッ」
悲鳴は途中で途切れ、巨体は地面へ押し込められ、土が爆ぜて盛り上がった。
オークは二度と動かなかった。
「グルゥ……」
吾輩は残心のように唸り、周囲を一瞥した。
竜の気配はまだ森の奥にある。
あれは明らかに“格が違う”。
幼い吾輩でも、本能が警鐘を鳴らす。
「……近寄らぬが吉であるな、うむ」
吾輩はそう思いながら、尻尾をゆらりと揺らし、オークの死体から離れた。
吾輩は翼を広げ、森の上空を滑るように飛んでいた。
風が心地よい――などという余裕はない。
鼻の奥では血の匂いがまだ残り、胸の内側では戦いの熱がじりじりと燻っている。
(見つけたら落ちて、潰す。逃がさん。)
それだけだ。
それ以上の思考は必要ない。
上空から森を覗き込む。
動く影、複数。
重い足音、獣臭、踏まれた枝の折れる音――
(居たな、オーク!)
吾輩は翼をたたみ、急降下へ移った。
ひゅうぅぅぅううう――!
空気が吠える。
体が矢のように落ちていく。
地上のオークたちが気づいて顔を上げた瞬間――
ドガァァッ!!
吾輩のドラゴンダイブが直撃した。
衝撃で大地がえぐれ、オーク数匹が原形を失いながら地面に散る。
爆風のように舞い上がる土砂で周囲のオークがひるむ。
(次ッッ!!)
吾輩は地面を蹴って跳躍。
振り向きざまに尾を横薙ぎに振り抜いた。
バシュッ!!
樹をへし折る勢いの尾撃。
オークの胴体が宙に浮き、両側へ弾け飛ぶ。
「グルルルル……ッ!」
胸の奥から唸りが漏れる。
だが吾輩は油断しない。
(生き残りが離れた。よし、上へ!)
再び翼を広げ、一気に上昇。
オークが反撃できる距離から離脱し、空から次の獲物を探す。
視界の端で、逃げ惑う影が走る。
逃げる? 良い。
探す手間が省けるだけだ。
吾輩は滑空しながら旋回し、狙いを定める。
(今度もまとめて、だ。)
翼をたたみ、
急降下――!
落下の勢いのまま、地面スレスレで翼を広げて軌道を変え、横方向の遠心力を最大まで引き出す。
そして尾を――
薙ぎ払う!!
肉が裂け、骨が砕け、二匹のオークが同時に吹き飛ぶ。
片方は木に叩きつけられ、もう片方は地面を転がりながら沈黙する。
吾輩は鼻息を荒くしながら周囲を見渡す。
(まだいるだろう……吾輩の心は満たされておらんぞ。)
血の匂いが森へ広がり、戦意がまた沸き立つ。
しかし、遠く――森の奥から、再びあの“格の違う竜の気配”が咎めるよう微かに響く。
吾輩は思わず翼を震わせた。
(あれは……無理。あれは狩りではない。死ぬやつだ。)
胸の奥の獣性が吠える一方で、背骨のあたりが冷えていく。
「……うむ、あれには近寄らん。」
吾輩は低く唸りながら体勢を整え、空へ舞い上がった。
そして再び、次のオークを探しに森の影へと目を向けるのだった。
はい、お母さんの苦労を全く察さずにビビりまくってる吾輩君でした。いつ気づくでしょうね、君の為なのに。
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