今は叶わぬ恋心 作:おっはい
「―――すみません、あなたとは付き合えません」
芯の通った男性の声。迷いも葛藤もなく、交際を断る様には言外に、縋るなと告げていた。
「……そっか……ままならない、ね…」
なんて残酷なのだろう。迷う素振り、あるいは猿真似でもいいから悩んで欲しかった。叶わないと分かっていても。否定されると知っていても。
心做しか頬を痙攣させる快感に深い深い溜息をこぼし、視界を遮る前髪を癖のように耳にかける。
ああ、ままならない。焦がれたソレは、しかし私には劇毒が過ぎたらしい。胸を巣食う虚空が身を焦がさなかったのは、皮肉にも彼が嫌味なほどにいつも通りだったから。壁に張り付いている虫を見つけたとき、或いは空に変な形の雲が浮いていたとき。きっと彼は同じ抑揚で、同じ心持ちで言の葉を紡ぐのだろう。
本当に、ままならなくて―――最高。大好き。
「理由、聞いてもいい…?」
「俺がプロデューサーで、貴方がアイドルだからです。他に理由なんて必要ですか?」
まるで、ファンからは女神のように扱われている私を零落させまいと、理性で堪える―――なんて事は欠片もなく、素で言い切られる。それ以上の押し問答は時間の無駄なのだと鬼畜なプロデューサーは冷めた視線で物語っていた。
だから、少しだけ縋ってみる。この時間すら愛おしくて、愛おしくて、堪らないのだから。
「必要だと思う。一般的には」
「そうですか」
「うん、そうなの」
「そうでしたか。それは置いときまして、丁度良いので今後のプロデュース方針について面談をしましょう」
「………正気?」
「至って正気のつもりですが…」
淡々と、さっきのプロポーズが笑うに値しない前座だったかのように。おおよそアイドルに告白された男性とは思えない反応だった。
相手が相手なら怒ったり泣いたりしていてもおかしくはない。私も大概変な女の子扱いされるけど、目の前の男だって変人だ。まるでプロデューサーを前提とした人格形成は、濃い人生経験を自負している私の記憶にも例がない。
―――私のプロデューサー。
鬼畜で、全国のアイドルの中でも一番貧弱な私に無理難題を突き付ける、最高のプロデューサー。お友達はあまりいなそうなのに、人脈が広い。教師やトレーナー達とも仲良し。つまり浮気者。
プロデューサー科では群を抜いて優秀な模範的生徒―――と、言うワケではないらしい。そこそこの成績で、それなのに実績とコネクションがあり、中の上程度の成績には不釣り合いな『実践に強い』特性。行動力もあって、私の唐突な我儘を叶えてくれる。
私のプロデューサーなのに、私の友達の関係者との繋がりもあるらしい。千奈のお家、佑芽や佑芽のお姉さん、元SyngUp!のメンバーとの交流もある。とても浮気者。
そんな浮気者に、改めて問うてみた。
「………ちなみに、理由は?」
「理由?先程も話した通りですが」
「ううん。それは、嘘じゃないけど本音でもない。わかる、よ?プロデューサーは建前を使うとき、少しだけ目を逸らして唇に右手を添える」
「………………」
「びっくり、した?プロデューサーが私を覗いているとき、私もプロデューサーを覗いている。どやぁ」
ここで
不思議と確信はあった。プロデューサーは私のことが大好きだから、きっと
プロデューサーは数秒の熟考の後、遠慮がちに重たい口を開く。
「……広さん」
「ん」
「
「………?なんのこと?」
逆に聞かれた。
神妙な顔付き。限りなく無駄を削ぎ落とした問い掛けは、何処か淡く、私への信頼にも思えた。自慢はしないし事実だから謙遜もしないから言うと、私は敏い。とても賢い。
そんな私への信頼だった。
最初の問い―――『分かりませんか』と聞かれた瞬間は、プロデューサーの心情を察してくれないのかという意地らしい、可愛らしい質問にも思えた。でも瞬間的に言い改められた言葉、『自覚』。
それで初めて気が付く。交際を申し出たのは私なのに。平然と断ったのはプロデューサーなハズなのに。その言葉は一切の曇りも憂いもなく、私自身に問題があると告げている。
「広さん、あなたの言葉を借りましょう。あなたが私の内心を覗いているならば、私もあなたの心を覗いている」
「……プロデューサーのえっち」
「失敬な」
―――自覚。
自覚のない原因があって、私のことが大好きなプロデューサーは私との交際を断った。
だったら必然、その原因が解消されたら―――少し、頬が緩んだ。今はアイドルだから"そーゆー関係"は難しいかもだけど、どうせ私がアイドルであるうちはプロデューサーも変わらずプロデューサーで在り続ける。隣で同じ景色を見続けるのだから、趣味の延長線上でてっぺんに至るまでは。
その必然を必然たらしめるには、私は『自覚』しなければいけない。プロデューサーが覗いた私の何かを。
「………ヒント、ほしいかも」
「クイズや謎かけではないのですが…」
「でも必要、でしょ?たぶん、アイドルとしても必要なこと。とても致命的ななにか……な、気がする」
「……ふむ。捉えようによっては、これもプロデュースの一環か……あなたが一番星と至るには、"それ"を自覚しなければいけない。『篠澤広』と名付けられた
「知って、識って、理解して。その上で知らんぷりをしなければいけないの?それもアイドルだから?」
「そうです」
「そっか。やっぱりアイドルは、私には不向きみたい……俄然、楽しくなってきたね。じゃあ教えて、プロデューサー。プロデューサー好みの『わたし』を完成させる為に、私が自覚しなければいけないこと」
この人は、何処までもプロデューサーだ。私の恋心すら利用して一番星に祀り上げようとしている。やっぱり最高。素敵。
プロデューサーはホワイトボードの前まで移動して、ペンで『アイドル』とだけ書く。教員というには雑な導入だから、どちらかと言えばアルバイト塾講師のように見える。
「では一つ一つを紐解いていきましょうか」
「おおー」
「まず、基本的な部分です。そして広さん、きっとあなたが
「……なるほど。わからない。プロデューサーは、遠回りな説明が好きだね。ちょっと下手だね」
「……………続けても?」
「うん」
「それでは問いましょう。そも、アイドルがアイドルで在る為に必要なモノとは?」
なんとも抽象的なクイズに思える。捻くれた答えなら幾らでも浮かぶけど、今回の題材は『告白』と『自覚』だ。話を繋げるのであれば、答えはそこにある、と思う。
少しだけ深く考えてみる。とても簡単な質問、アイドルがアイドルで在る為に必要なモノ。もの、モノ、物、或いは『者』。
………あまりにも基本だった。当たり前すぎて、逆に疑ってしまう程度には簡単な質問だった。
「―――ファン、だね」
「正解です」
「ふふん。ご褒美は?」
「この程度でご褒美が貰えるとでも?……さて、では第二問。『ファン』とは何ですか?」
「……………」
改めて言語化しろ、と言われると一瞬だけ言葉に詰まった。fanaticが短縮されたもの、狂信者を意味するfanatistが語源、日本に浸透している意味合いは愛好者や応援者。
………違う。意味は違くないけど、プロデューサーの真意は違う。
問い、ファンとは何か。
応援してくれる人―――少し弱い。
信仰してくれる人―――過剰、かも。
例えば、私は千奈や佑芽のファンだ。普段は友達で、ステージで歌って踊るアイドルの大ファンだ。きっと、普段とステージの上、その二つは繋がってはいるけど別物。別者として捉えている節がある。
彼女達の『実像』は慣れ親しんだ親友で、ステージ上の『虚像』は声を出してペンライトを振って応援するアイドル。つまり私はファン。
ならば、後は感情を当て嵌めるだけ。
ファンとは―――私が、アイドルに向ける感情は?
「―――わかった。ファンは、虚像に対して恋慕を持つ人。憧れの押し付け、叶わないから非現実的な夢物語に心から安心して浸れる環境、不純が過ぎる愛の結晶」
「……そこまで拗れているのはあなただけでしょう。ですが、正解です。ファンとは、虚像に恋してしまった末路。届かない星を愛してしまった者、それがアイドルのファンなのでしょう」
「…………プロデューサーは、私のファン?」
「大ファンですよ、アイドル『篠澤広』の」
「…意地悪だね」
「お互い様でしょう?」
少し、わからなくなった。プロデューサーは目の前の貧弱な私と、ステージの上で崇められる私。どっちの方が好きなのだろう。どちらも私だけど、きっとステージの上の『私』は誰の手も届かない。だって、硝子に映る虚像とは斯くも儚いものなのだから。演出とは、現像とは程遠いのだから。
でも実際、トップアイドルはそんな小難しい事なんて考えていない。考えなくても理解している、それがアイドルの才能。私にはない才能。私が追い付くには、やっぱり考え続けるしかない。
「続けましょう。ファンとは虚像を、理想を愛する者。でしたら、アイドルにとってファンとは?」
「数字」
「絶対に外では言わないでください」
「冗談。一人一人、ちゃんと大切。私のファンは特殊な人が多いけど、それでも私の虚像を愛してくれている。だったら、私もファンを裏切らないように『アイドル篠澤広』を提供し続ける。だから、ファンは―――生命線。ファンが居なければ私はアイドルにはなれないから、ね」
「大正解です。尤も、答えなんてアイドルの数だけ存在するのでしょう。あなたにとってのファンを言語化出来たので、まずは大正解です。アイドルとして、格段に成長している」
彼は相変わらず淡々と、何処までも
…………なんだか、わかったかも。
私がプロデューサーにフラれた理由、わかった。
「自覚………うん。プロデューサーの言いたいこと、そーゆーこと……?」
「……………」
確かに、私は思った。考えた。疑って、でも理解しようとしなかった。
―――《まるでプロデューサーを前提とした人格形成は、濃い人生経験を自負している私の記憶にも例がない。》
―――《どうせ私がアイドルであるうちはプロデューサーも変わらずプロデューサーで在り続ける。》
―――《この人は、何処までもプロデューサーだ。》
……今日、さっき。私が内心で思い、呟いた言葉だ。プロデューサーは『虚像』と『ファン』について説いた。それは単に私をアイドルとして成長させる為だけじゃなくて、つまりは
これは私とファン、私とプロデューサーの話ではなかった。
私が
それは言い換えれば、虚像に憧れを押し付けているだけ。恋に恋する、ちっぽけな子供のおなはし。
「自覚は出来ましたか?」
「……いじわる」
「嫌いになりましたか?」
「……………いじわる、だね。ほんとうに」
私はプロデューサーが好き。じゃあ、プロデューサーではない彼は?ファンが私の虚像を愛しているように、私もプロデューサーの虚像に恋しているだけ?それとも、この恋は―――
深い思考に没頭しそうになる刹那、パンッ!と唐突な手拍子に頭が真っ白になった。どうせロクな答えなんて出ないけど、思考を邪魔されたことで少しだけ恨めしく思い、プロデューサーに視線を向けると。
「………プロデューサー…?」
「全く別口の、最後の質問です。広さん―――虚像が虚像でなくなるとき、それはいつですか?」
……果たして、それはアイドルなのか。プロデューサーなのか。ずっとずっと先、お互いにそうではなくなる時がくる。
深く、深く、もっともっと深く。これまでに無いくらいの溜息がこぼれた。
「とっても、永い答え合わせになりそうだね、
お互いに虚像を捨てる時は、まだまだ後。それまでの時間、ゆっくりと考えよう。彼の内面を。私の恋心を。遠くの景色のように思えて、でも、不思議と嬉しく思えた。
―――だって、プロデューサーが私を覗いているとき、私もプロデューサーを覗いているのだから。