直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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継承

甚爾が禪院家を去り、扇を半殺しにした騒動から数ヶ月。

季節は巡り、道場の空気もひんやりとした秋の気配を帯び始めていた。

甚爾がいなくなってから、七直の日常は以前にも増してストイックなものへと変わっていた。

心に開いた穴を埋めるように、彼女は自らを鍛錬の渦に投じていた。

 

裏納屋道場。かつて三人で泥にまみれたその場所で、七直と直哉は向かい合っていた。

 

「……遅い」

 

七直は直哉の放った速攻を、最小限の動きで受け流す。

かつて甚爾に叩き込まれた、呪力に頼らない体捌きだ。

 

「っ、調子乗んなや姉貴!」

 

直哉が毒づきながら、さらに速度を上げる。

直哉の動きも、数ヶ月前とは比較にならないほど洗練されていた。

彼は彼で、甚爾という理想を追いかけ、がむしゃらに地を這っていた。

七直はふと、自分の身体が甚爾の教えを完璧に記憶していることに気づく。

彼がいなくなっても、彼が与えた暴力への耐性と生存の嗅覚は、七直の血肉となって息づいていた。

 

(……ああ。もう、胸が苦しくない)

 

甚爾の背中を思い出しても、以前のような、息ができなくなるほどの喪失感は襲ってこなかった。

代わりに残ったのは、冷たく、しかし確かな武器としての感覚だった。

組み手が終わり、二人は道場の床に座り込んで息を整える。

 

「……姉貴も、やっとまともなツラになったな。一時はどうなるかと思ったわ。甚爾くんのことで一生シクシク泣きよるんちゃうかって」

 

直哉は意地悪く口角を上げる。

彼にとって、七直の失恋は一生擦り続けられる格好のネタだった。

 

「……失礼ね。私は泣いてなどいないわ」

 

「嘘つけ。あの朝のツラ、般若より怖かったで?『この世の終わり』みたいな顔して。ま、あの甚爾くんに相手にされんかったんやから、同情くらいはしたるわ」

 

「……」

 

七直は言い返さなかった。

かつてなら激昂していたかもしれない。

しかし今の彼女には、直哉の言葉を受け流す余裕があった。

 

「直哉。……あんたは、甚爾さんがいなくなって、寂しくないの?」

 

「は? 寂しい? 何言うとんねん」

 

直哉は鼻で笑い、真っ直ぐに自分の拳を見つめた。

 

「俺は、あの人が残した最強を盗むのに忙しいんや。寂しがってる暇なんてないわ。……姉貴も、いつまでも未練たらしいこと考えとる暇があったら、もっと動けや。金払って習ったんやろ、俺らの秘密や」

 

直哉なりの、不器用で傲慢な共犯者としての言葉。

七直は、わずかに微笑んだ。

 

夕暮れ時、七直は母・京子の部屋を訪れる。

母の病状は安定し、最近では一緒に庭を眺める時間が彼女の癒しになっていた。

 

(甚爾さんは、私を客と呼び、金で繋がっただけの関係だと言った)

 

でも、そのおかげで手に入れたこの力があれば、母を、そして自分自身を守り抜くことができる。

 

(恋は終わったけれど、私の戦いはこれから……)

 

七直は、懐に忍ばせている甚爾が唯一残した、彼が使っていた古びた手拭いを握りしめた。それはもはや、悲しみの象徴ではなく、過酷な禪院家で生き抜くためのお守りに変わっていた。

 

「お母さま、今日もお茶をいれましょうか」

 

七直の声は、数ヶ月前よりもずっと凛として、力強く響いた。

 

 

七直の心が落ち着いてしばらく経った。

寒さが染み入る季節に移り変わるころ、彼女は父、直毘人に呼ばれ当主の部屋へ来ていた。

微かに漂う酒の匂いと、古い紙の香りが混ざり合うその部屋に、七直は静かに足を踏み入れていた。

 

「失礼します、お父様。いま参りました」

 

「来たか七直、そこに座って楽になれ」

 

襖を開けると、そこには相変わらず酒を片手に、不敵な笑みを浮かべた直毘人が座っていた。

だが、その視線の先、机の上には見慣れぬ古い巻物と、数冊の分厚い叢書が積まれている。

 

「……ほう、面構えが変わったな。あの『落ちこぼれ』がいなくなってから、より一層、鍛錬に励んでると聞いているぞ」

 

直毘人の言葉に、七直の心臓が一瞬跳ねる。

甚爾との密約が漏れているのか。

だが、父の目は探るようなものではなく、純粋に娘の成長を愉しんでいるようだった。

 

「……日々、精進しております。それで、この書物は?」

 

「土御門から取り寄せた。お前の母、京子の生家からな」

 

「お母様の…土御門家からですか…」

 

「ああ。連中も、背に腹は代えられんらしい。……二億ほど吹っ掛けられたがな」

 

「二億…」

 

かつて甚爾に支払った金額に届くほどのものがいま七直の目の前にある。

禪院家にとって、七直はもはやそれだけの投資をするに値する最高級の駒へと昇格したのだ。

直毘人は酒を持った手で巻物を指し示した。

 

「これは歴代の『五行想術』使いが綴った、極秘の術式解釈書だ。土御門は没落したが、その血に眠る叡智までは腐っておらんかったらしい。これらの書物はそれ自体が呪物化しており、土御門の血を引く者……すなわち、お前にしか紐解くことはできん」

 

七直が恐る恐る巻物に手を触れると、指先にピリッとした拒絶の感覚があった。

しかし、彼女が呪力を流した瞬間、巻物に施されていた封印の呪いが、するすると解けていく感覚をおぼえる。

直毘人の言う通り、これは土御門の血筋にのみ反応する特級相当の呪物だった。

中身を開き、見て七直は書物とにらめっこする。

 

「…お父様…」

 

「なんだ」

 

「古文で書かれてるので…その、読めません…」

 

「……何?」

 

直毘人は酒を飲む手を止め、心底意外そうに目をしばたたかせた。

沈黙が部屋を支配する。一秒、二秒。

やがて、直毘人の喉の奥から絞り出すような笑いが漏れ出した。

 

「……くっ、ははははは! 傑作だな、七直!」

 

直毘人は膝を叩いて豪快に笑い飛ばした。

あまりの笑いように、手に持っていた酒が畳に数滴こぼれる。

対照的に、七直は顔を真っ赤にして俯くしかなかった。

 

「……だって、お父様!私はまだ七歳です! 家庭教師の勉強だって、ようやく始まったばかりなんです。こんな崩し字だらけの、呪力の残滓まで混じった古文書なんて……っ」

 

「ははは! 違いない。お前が直哉を負かす術師であることを先に認識しすぎていたわ。そうか、お前はまだ子供だったな」

 

直毘人はようやく笑いをおさめると、酒器を置いて、面白そうに七直を眺めた。

 

「土御門の連中も食えないな。二億も取っておきながら、読み進めるための手引書すら付けてこんとは。……だが、七直。これも修行だ。術師たるもの、歴史と知識を軽んじる者は大成せん」

 

「それは分かっています。でも、これを自力で解読していたら、お母様を救い出すのに何年かかるか……」

 

七直の必死な訴えに、直毘人はふむ、と顎を撫でた。

 

「いいだろう。儂が他の家庭教師を付けてやる。……と言いたいところだが、この書物は土御門の血を引くお前にしか視認できん呪いがかかっている。他人に教わることはできんぞ」

 

「そんな……。じゃあ、私はこれをどうすればいいのですか?」

 

絶望的な表情を浮かべる娘に対し、直毘人は意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「自分で学べ。幸い、お前には知識欲も、そのための根気もある。書庫に古文の辞書と、歴代の解読記録が山ほどある。それを片手に、一文字ずつ噛み砕け。それしかあるまい」

 

直毘人は再び酒を煽ると、突き放すように、しかしどこか期待を込めて言った。

 

「二億の投資だ。元を取るまで死ぬ気で励め。……それと、直哉にはこのことは黙っておいてやれ。あいつが知れば、臍を曲げるか、また図に乗って姉貴は字も読めんのか、と騒ぎ立てるだろうからな」

 

「……言われなくても、内緒にします」

 

七直は重い巻物と叢書を抱え直した。

甚爾から教わった泥臭い戦いの次は、文字通り泥臭い学問との戦いが始まる。

部屋を出る間際、背後から直毘人の楽しげな声が追いかけてきた。

 

「読めたところから順に、儂に報告しに来い。お前の翻訳を楽しみにしているぞ、七直」

 

七直は返事の代わりに背中で小さく一礼し、足早に廊下を歩いた。

抱えた書物は重く、そして果てしなく遠い道のりのように感じられたが、その重みこそが自分が手に入れた価値なのだと、七直は唇を噛み締めて自分に言い聞かせた。

 




やっと進んだ感じがします。

Q.七直の呪力量ってどのくらい?

A.かなり多いです。それこそ祖先が安倍氏に繋がる家系なので、五条や乙骨並みに多いと思います。また、彼女の術式は呪力性質の変化させて戦うので、やや燃費は悪め。それを補うため、土御門家は呪力の多い人を取り込んで、その特徴を引き継がせようとしました。歴代の五行想術使いも皆、呪力量は多めです。出力はまちまち。人によるかも。


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