あの襲撃の後、直毘人はすぐ皆を家に連れ戻し、事態の収拾に勤めていた。
それから一日経って、夕方頃の京子の自室。
行灯の淡い光が、眠る京子の穏やかな寝顔を照らしていた。
その枕元に、直哉は幽霊のように座り込んでいた。
自身の腕の中で失われかけた母の体温。
それを救った、姉の圧倒的な力。
強者は弱者を守る必要などない、弱者は強者の糧であるべきだ これまで禪院家で、そして直毘人から教え込まれてきた絶対の価値観が、音を立てて崩壊していた。
「…………っ」
京子の睫毛が震え、その瞳がゆっくりと開く。
「……あ。直哉、さん……」
「お母はん……!」
直哉が思わず身を乗り出す。
京子は弱々しく、けれど慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、直哉の頬に手を添えた。
「良かった……。お怪我は、ありませんか……?」
「何言うてんねん! 傷だらけなのは、お母はんの方やろ! ……なぁ、なんでや。なんでアンタ、術師でもないのに、俺を庇ったんや」
直哉の声が、子供のように震え始める。
「俺は、禪院家で一番の天才になる男や。……弱くて、呪力も持たんアンタなんかが、俺の盾になる必要なんて、どこにもなかったんや!」
京子は、直哉の絶叫を優しく受け止めるように、ゆっくりと首を振った。
「直哉さん。強さとか、術師とか、そんなことは関係ありません。……子供を守るのが、大人の役目です。……私ね、あなたが無事なら、それだけでいいのですよ」
直哉の脳裏に、これまでの教えがフラッシュバックする。
弱者に守られるなど、強者の恥辱。
だが、今自分を包んでいるこの温かさは、恥辱などという言葉では到底片付けられない、根源的な肯定だった。
「おこがましいですが、ここ数年、私は直哉さんの事を、本当の息子かのように想っておりました」
「……俺を……」
直哉は、京子の掌に自分の顔を埋めた。
強さとは何なのか。守るとは何なのか。
これまで追いかけてきた父のような背中の先に、母を傷つけ、姉に救われた自分という無力な現実が重なる。
直哉の価値観が、音を立てて塗り替えられていく。
「俺は……もっと……強くならなあかん。お母はんを、誰も傷つけられんくらい。姉貴に、情けない顔を見せんでええくらい……」
涙が、京子の手にこぼれ落ちる。
それは、傲慢な神童としての直哉が死に、一人の愛される息子として、そして大切な人を守りたいと願う少年として生まれ変わった、産声のようでもあった。
◆
禪院家、当主私室。
立ち込める白檀の香りと、直毘人が煽る酒の匂いが混じり合う。
畳に膝をつく七直の正面には、いまだ興奮の余韻を隠しきれぬ父の、値踏みするような視線が突き刺さっていた。
「して、七直。あの式神は何だ?洗いざらい吐いてもらうぞ」
嘘を吐いてごまかせるほど直毘人は甘くはない。
七直は包帯の巻かれた両手を握りしめ、絞り出すように真実を告げた。
秘匿し続けるには、あの雪原で見せた深淵はあまりに巨大すぎた。
母の命を繋ぎ止めるために縋ったその術理が、かつて土御門の血筋が封印した禁忌の一端であることを。
「泰山府君祭!」
直毘人の口角が、醜悪なほどに吊り上がる。
「素晴らしい。土御門の遺産、まさかこれほどの形で開花しようとはな。七直、案ずるな。核となるべき死体、あるいは生贄ならいくらでも用意させよう。貴様はただ、最強の駒を並べればよい」
やはり、七直の感は正しかった。
直毘人なら絶対にこの禁忌の術を、喜々として禪院家の力にしようとする。
「ここ最近の体たらくときたらと思っていたが、まさかこれほどの物が出てこようとはな」
「お父様。せっかくのお言葉ですがその提案、断らさせていただきます」
冷徹な拒絶。
直毘人の目が細まり、室内の呪力による圧が一段階跳ね上がる。
「……何だと?」
七直は、自身の震える掌を見つめた。
命を奪うことへの忌避感と、それによって守り抜けた安堵感。
その矛盾した葛藤が、彼女の心を激しく削っている。
「私は命を弄ぶつもりはありません」
「綺麗ごとだな。じゃあどうやってお前はこれから強くなるつもりだ?その式神を空っぽのまま腐らせるか? 泰山府君祭とは、器に魂を込めてこそ完成する術だ。中に何も入っておらぬ式神など、ただの呪力の塊に過ぎん」
七直は、自身の震える掌を見つめた。
あの雪原で呪詛師の命を削り合った感触。
母の傷を強引に塞いだ、命を弄ぶにも似た神業。
だが、他人を害する忌避感、それによって守り抜けた安堵感。
その矛盾した葛藤が、彼女の心を激しく削っている。
だからこそ、彼女はもう、誰も殺させないと誓った。
「入れ物は、空のままでいいのです。私は、器の中身を欲しているわけではありません」
七直は、泰山府君祭の記述から導き出した、独自の理論を語り始める。
「昼・晩」という、正負の呪力を司る極限の式神。
それを、単なる兵隊として使うのではない。
「式神を使役するのではなく、術式そのものを使役する。……対象となる術師から呪力の情報を読み取り、その術のみを式神の核に書き出す。いわば、術式のコピー……いいえ、インストールです」
死体も、生贄もいらない。 ただ、その術師が持つ術式という設計図を式神にトレースさせることで、七直は自身の式神を介し、あらゆる術式を自身の駒として運用する。
直毘人は、酒を煽るのをやめ、興味深そうに身を乗り出した。
「術式の書き出しだと……。面白い、式神の核を術式の外付けハードにするというわけか。……だが七直、他者の術式を己の回路に馴染ませるなど、並大抵の負荷ではないぞ。貴様の脳が焼き切れるのが先か、あるいは……」
「脳への負荷が起きない、ギリギリの範囲まで書き出す術式を廉価させ、かつ、あまり術式を多様化させないことで最小限に抑えたいと考えてます。多くても3種まで」
直毘人は、七直の提案を反芻するように目を細めた。
術師にとって術式とは、魂に刻まれた唯一無二の設計図だ。
それを廉価版として切り出し、外付けのパーツとして運用する。
その発想の根底にあるのは、強者ゆえの傲慢ではなく、限られた器でいかに効率よく
守るかを考え抜いた、泥臭いまでの生存戦略だった。
「……フン。欲をかかず、己の器を弁えているか。あるいは、その臆病さこそが、貴様をここまで至らせたか」
直毘人は空になった瓢箪を畳に転がした。
「よかろう。外道の道を選ばぬというのなら、勝手にしろ。だが、忘れるな。禪院において弱さは罪だ。貴様が選んだその術理、もし実戦で使い物にならぬと分かれば、その時は儂が自ら、貴様の式神に相応しい死体を詰め込んでやる」
「……肝に銘じておきます、お父様」
七直は深く一礼し、立ち去ろうとしたが、その背中に、直毘人の低い声が追いつく。
「……して、七直。貴様が最初にその式神へ刻もうとしている設計図。誰の術式を欲している」
七直は足を止め、振り返ることなく答えた。
「禪院で、一番強い術師の術式です」
直毘人の頬が、愉快に痙攣する。
「まさか、七直…!」
背中越しにも関わらず、彼女の声は不敵に笑っているように感じた。
「そう、投射呪法です」
ここまで長かったぜ。
質問コーナー
Q.式神・昼と晩を神懸したら最強なんじゃね?
A.適応する前に脳の処理が追い付かず廃人になるので無理です。前提として式神を使役すること目的としてるので、脳よりも肉体、その依り代を優先的に補完しようと反転術式が働きます。一つの核を入れるだけでも相当の負荷なのに、二つの式化の術式が人間の脳に耐えられるはずがありません。即、頭がパァになります。それをやったら最期、指揮系統を無くした式神が出来るだけで、後は呪力供給をなくし消滅するだけです。
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