直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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己の価値

ある日の午後。

七直が任務で屋敷を空け、京子が母同士の茶会で席を外していた時のことだ。

七直の部屋に向かおうとしていた直哉の耳に、幼い子供の笑い声が届く。

真希と真依。

四歳になったばかりの双子が、廊下で無邪気に追いかけっこをしていた。

 

「あ、直哉様!邪魔ですよー!」

 

「わ、お姉ちゃん待って!」

 

何も知らず、天真爛漫に自分を避けて通ろうとする双子。

自分がどれだけ研鑽を積んでも届かない姉の隣。

そこを、呪力も持たない出来損ないのガキ共が、さも当然のように陣取っている。

七直の慈愛を、自分よりも受けている。

その瞬間、直哉の中で何かが弾けた。

 

「……チョロチョロすんなや、出来損ないが」

 

直哉は冷酷な声と共に、逃げる真依の襟首を掴み、乱暴に引きずり戻した。

 

「痛っ……! 直哉様、放して……っ!」

 

「お姉ちゃんに懐いとるからって、自分まで偉くなったつもりか? お前らは、ゴミなんや。扇の叔父貴が言う通り、生きてるだけで禪院の恥なんや。わかっとるんか?」

 

「やめて!! 真依を放して!!」

 

真希が小さな拳で直哉の脚を叩く。

だが、その抵抗は直哉の歪んだ自尊心をさらに刺激するだけだった。

 

「うるさいわ、呪力も無いカスが。お前らがおるから、姉貴の時間が無駄になるんや。……消えろ、この虫ケラ共」

 

直哉は真希を突き飛ばし、泣き叫ぶ真依をさらに責め立てようと腕を振り上げた。

 

「――直哉、何してるの…」

 

背後から、心臓が凍りつくような冷気が流れ込んだ。

ゆっくりと振り返った直哉の目に映ったのは、任務から予定より早く帰還し、買い物袋を提げたまま立ち尽くす七直の姿。

その瞳は、雪原で呪詛師を相手にした時よりも、ずっと深く、昏い怒りに沈んでいた。

その声が聞こえた瞬間、直哉の背筋に氷の楔が打ち込まれた。

乾いた衝撃が頬に走る。

 

パァァァン!!

 

静まり返った廊下に、肉と肉がぶつかる音が異様に大きく響き渡った。

呪力を一切込めていない、純粋な、けれど七直の魂が震えるほどの拒絶が乗った一撃。

 

「……あ。……ね、え……貴……?」

 

十四歳になり、姉の背を追い越した直哉の顔が、無様に横を向く。

視線の先には、肩を激しく震わせ、泣き出しそうなほどに歪んだ表情をした七直が立っていた。

その瞳に宿っているのは、怒りではない。

底の知れない悲しみと、耐え難いものを見るかのような嫌悪だった。

 

「あんた、今……自分が何をしたか、分かっているの?」

 

「な、何って……。こいつらは禪院の恥やし、ちょっと教育してやっただけで――」

 

「教育!? そんな卑怯な言い訳で自分を飾るなんて、情けないにも程があるわ!!」

 

七直の怒声が、廊下を震わせる。

彼女は震える手で、泣きじゃくる真依を抱き寄せ、真希の肩を支えた。

 

「呪力の有無で人を踏みにじり、自分より弱い子供をいたぶって悦に浸る……。直哉、あんたがやっていることは、かつて甚爾さんを追いやった、この家の汚くて卑怯な奴らと全く同じよ!」

 

「――っ! 甚爾くんと、一緒にすんな!! 俺は、俺はあんな奴らとは違う!!」

 

憧れの名を引き合いに出され、直哉が激昂する。だが、七直の視線はそれを許さなかった。

 

「いいえ、同じよ!力がある者が、ない者を虐げる。それが禪院の美徳だと信じているなら、あんたは一生、私にも甚爾さんにも届かない。禪院の恥なのはあんたよ!直哉!」

 

七直は、悲しそうに目を伏せた。

その瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちる。

 

「……がっかりしたわ。私の速さを預けるに相応しい男だと思っていたのに。私の知っている直哉は、そんなに心の貧しい子じゃなかったはずよ」

 

「……、……っ」

 

七直が背を向け、双子を連れて歩き出す。

失望という言葉が、直哉の胸を深く、残酷に切り裂いた。

父に殴られるより、七直に負けるより、今の言葉は何倍も痛かった。

 

「……待って、姉貴。……すまんかった、俺、そんなつもりじゃ……」

 

反射的に口から出た謝罪。だが、七直は振り返りさえしなかった。

 

「私に謝ってどうするのよ!謝る相手は、この子たちでしょう!!」

 

火に油を注ぐようなその一喝に、直哉は一歩も動けなくなった。

廊下に残された直哉は、赤く腫れた頬を押さえながら、自分の震える掌を見つめる。

強くなりたかった。

姉に認められたかった。

なのに、自分が取った行動は、最も愛する人から最も蔑まれるものだった。

一人、薄暗い廊下に取り残された直哉は、腫れ上がった頬を押さえながら、自分の震える掌を見つめていた。

自分は何をやっているのか。 憧れた甚爾のようになりたいと願いながら、自分がやっていたのは、甚爾を苦しめた醜い禪院そのものではなかったか。

その夜、直哉は一人、暗い部屋で、七直の悲しげな瞳を思い出しては、自身の愚かさを呪い、声を殺して咽び泣いた。

 

 

七直に突き放されたあの日から、直哉の時間は灰色に染まった。

訓練場へ行っても、七直は必要最低限の言葉しか交わさない。

目は合うが、そこには以前のような、共に高みを目指す者への信頼はなく、ただの未熟な弟を見るような冷ややかさだけが漂っていた。

そんな中、直哉は七直の京子に呼び出される。

いつもなら自分を甘やかし、愛おしそうに目を細める母が、今はただ、感情を削ぎ落とした静謐な顔で座っていた。

部屋に流れる沈黙は、鋭利な刃物のように直哉の肌を刺す。

 

「……話は、七直から聞きました」

 

京子の第一声に、直哉の肩が跳ねる。

 

「……お母はん。あれは、その」

 

「どうして、あんなことをしたのですか?」

 

遮るわけでもなく、ただ淡々と、事実を問う。

その声には怒りも憎しみも混じっていない。

だからこそ、直哉は自分の言い訳が、どれほど惨めで、吐き気がするほど幼稚なものかを突きつけられる。

 

「……むしゃくしゃしてたんや。姉貴は俺の速さを認めてくれたんに、あのガキ共、呪力もない出来損ないの癖に……姉貴の隣を、俺の場所を奪うから……っ」

 

「そうですか」

 

京子は短く応じ、ふぅ、と小さく息を吐いた。

 

「直哉さん。私は、あなたが誇らしいと思っていました。術師として、そして何より、あの雪原で私を救おうとしてくれた、優しい子として」

 

京子の言葉が、直哉の胸に重くのしかかる。

 

「けれど、あの日あなたがしたことは、私を救ったその手で、罪のない子供たちを奈落へ突き落とす行為です。……真希さんも真依さんも、私と同じ、呪力を持たない弱い存在。あなたがゴミだと言って虐げたのは、私と同じ存在なのですよ。分かっていますか?」

 

「っ……違う! お母はんとあんなガキを一緒にすんな!!」

 

「いいえ。この家の理屈では、同じなのです」

 

京子の声が、わずかに低くなった。

 

「あなたが、力を持たない者を踏みにじることでしか強さを証明できないのなら……いつかあなたは、私をも踏みにじることになる。今のあなたは、あの時の優しい子ではなく、ただの禪院の怪物そのものです」

 

「…………」

 

直哉は絶句した。

自分が守りたかった唯一の温もり。

その人からお前はいつか自分を害する存在になると宣告された。

視界が歪む。

膝の上の手が、止まらないほど震えていた。

 

「直哉さん。七直があなたを叩いたのは、あなたが憎いからではありません。……あなたが、自分の愛した弟のままでいてほしかったからです」

 

京子はゆっくりと立ち上がり、直哉の前に跪いた。

そして、あの日雪原で彼を庇ったときと同じ、温かい手で直哉の震える手を包み込む。

 

「直哉さん、あなたがするべきなのは力の誇示ではありません。真希さんと真依さんに、そして七直に、あなたの言葉で謝る事です。……取り繕う必要はありません。今のその、無様で情けない心のまま、謝りなさい。それができなければ、あなたは七直の隣に立つ資格はありません」

 

「……………はい……!!」

 

直哉は声を殺して泣いた。

禪院家の力こそが正義という呪いから、彼が完全に解き放たれた瞬間だった。

その数日後、直哉は七直と双子の前に現れることになる。

ひどく憔悴し、けれどその瞳には、今までになかったものを宿していた。

 

 

翌朝、直哉は腫れた眼を隠しもせず、七直の部屋を訪れた。

そこには、まだ怯えた表情の真依と、妹を守るように身構える真希がいた。

後ろに立つ七直の視線は、まだ冷たい。

直哉は、二人の少女の前に、泥を舐めるような思いで頭を下げた。

 

「……すまんかった」

 

絞り出すような声。

 

「俺が、……俺が、悪かった。……ごめん、なさい。……もう、二度とせぇへんから……」

 

真希と真依は驚き、七直の顔を見上げた。

七直は、まだ許したわけではないという風に厳しい顔を崩さなかったが、直哉の震える背中を見て、わずかに瞳を揺らした。

 

「……あんな謝り方、直哉様らしくないね」

 

真希の小さな呟き。

直哉はその言葉を噛み締め、二度と強さという言葉を履き違えないことを、魂に刻んだ。

直哉の謝罪を受け、部屋を支配していた重苦しい沈黙が、わずかに解けていく。

けれど、直哉が頭を上げた先にあったのは、かつてのような甘えを許す空気ではなかった。

 

「……信じられない。直哉様が、あんな……」

 

真依が真希の服の裾を握りしめながら、不思議なものを見るような目で直哉を見つめる。 直哉は、畳に擦りつけた拳を固く握りしめたまま、顔を上げることができなかった。

自尊心を削り、無様に謝る自分。

だが、不思議と胸の内の澱は、吐き出したことで少しだけ軽くなっていた。

 

「……別に、信じんでええ。俺が、最低なことしたんは事実やから」

 

直哉の掠れた声に、真希がふん、と鼻を鳴らした。

 

「……まぁ、いいわよ。七直お姉様を泣かせたのは許せないけど、あんたがそんな顔して謝るなら、今回はお相子にしてあげる」

 

「お姉ちゃん…………うん、私も。直哉さん、もう怖いことしないでね」

 

幼い双子の、あまりにもあっさりとした許し。

それが逆に、直哉の胸を締め付けた。

自分が出来損ないと蔑んだ子供たちは、自分よりもずっと、他者を包み込む器量を持っていた。

 

「……あぁ。約束するわ」

 

直哉がそう答えると、ようやく背後に立っていた七直が、ゆっくりと歩み寄ってきた。

直哉の隣に膝をつき、彼の赤く腫れた頬に、冷たい手をそっと当てる。

 

「……姉貴」

 

「謝れたわね。……でも、勘違いしないで。言葉にしたからといって、あんたが犯した卑怯な振る舞いが消えるわけじゃないわ」

 

七直の指先が、直哉の頬の熱を吸い取っていく。

その声は、昨日の烈火のような怒りとは違い、凪いだ海のように静かだった。

 

「あんたは一生、この瞬間の情けなさを覚えておきなさい。自分がどれほど醜かったか、そして誰に救われたのか。それを忘れず、一生抱えて生きていくこと。……それが、私からあんたへの罰よ」

 

「…………」

 

「いいわね、直哉。あんたの速さは、誰かを踏みつけるためにあるんじゃない。……私やお母様、そしてこの子たちを、誰よりも早く助けに行くためにあるのよ」

 

七直の言葉は、呪いのように深く、温かく直哉の魂に刻み込まれた。

直哉は、姉の手のひらに自分の顔を預けるようにして、静かに目を閉じた。

 

「……わかっとる。……全部、覚えとくわ。死ぬまで」

 

「よろしい」

 

七直はわずかに表情を和らげ、直哉の頭を一度だけ、乱暴に撫でた。

ようやく、止まっていた時間が動き出す。

直哉はまだ、傲慢で口の悪い少年ではあったが、その瞳には強者の義務という、禪院家の誰も持たない新しい芽が芽吹き始めていた。

 




やっと書けた…この「直哉のお姉ちゃんになっちゃった…」の中でも最大の山場だと思っています。

質問コーナー

Q.なんで「直哉のお姉ちゃんになっちゃった…」ってタイトルなの?ぱっと見、転生者ものにみえるじゃん。

A.感想でもいただいた質問なんですけど、もともと七直は転生者の予定でした。しかも名前も最初は「七直」じゃなく「有紗」でした(全然違うやん…)。
構成は「やべー禪院家に生まれちまった!しかも女じゃん!?オワタ…直哉カワヨ‼‼直哉更生して自分の身の安全守ったろ!」のノリだったんですが展開を考えていく中で、転生じゃなくてしっかりこの呪術世界の中で原作知識ナシであがくところが見たいなと思って、転生者じゃなくなりました。なので、タイトルはその名残りです。結構気に入ってるのでこのままにしてあります。


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