直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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新人歓迎会

その日の放課後、高専の食堂には賑やかな声が響いていた。

五条が勝手に注文した大量のピザや寿司、そしてどこからか調達してきた菓子が机を埋め尽くしている。

二年生たちが今年の新入生歓迎会を開いていた。

 

「いいか一年生!先輩の奢りだ、腹いっぱい食えよ!特に直哉、お前はもっと食って体力つけろ、灰原に引きずられないようにな!」

 

「うるさいわ、誰が食うかこんな脂ぎったもん……!」

 

直哉が悪態をつきつつも、灰原に「これ美味しいですよ!」と無理やりピザを口にねじ込まれている横で、七直は静かに座っていた。

彼女の前には、自分が寮の自室から持参した茶器と、厳重に管理された茶葉で淹れた紅茶だけがある。

 

「七直、君も少しは食べたらどうだい? 硝子が買ってきたサラダくらいなら、口に合うと思うけれど」

 

夏油が気遣わしげに声をかける。

隣で硝子も「そうだよ、これくらいなら太らないし」と皿を差し出した。

だが、七直はそれを優雅な仕草で辞退した。

 

「お気遣い痛み入ります。ですが、私は夜に多くを食さない主義ですので。……皆様が楽しんでいらっしゃる姿を見るだけで、十分満足ですわ」

 

その完璧すぎる拒絶。 昼のパンに続き、一切の他人の手が入った食物を口にしないその姿に、その場の酔いか、あるいは高揚感の回った五条が、面白そうに身を乗り出した。

 

「なーに気取ってんだよ七直。さっきから一粒も食ってねーじゃん。……あ、わかった! 禪院家のお嬢様は、僕ら庶民の食い物じゃ毒だとでも思ってんの?」

 

五条の言葉に、一瞬だけ場が凍りついた。

直哉が青ざめた顔で五条を睨むが、五条は止まらない。

 

「そんなにビクビクしてさ。何? マジで過去に毒でも盛られたことあんの? 時代劇じゃあるまいし、そんなわけねーだろ?」

 

「……悟、言い過ぎだぞ」

 

夏油が咎めるような声を出す。

だが、五条の六眼は見ていた。

冗談を吐いた瞬間、七直の呪力の流れが一瞬だけ鋭く、冷たく凍りついたのを。

七直はゆっくりとティーカップを置いた。

その指先が、微かに、けれどはっきりと震えている。

脳裏をよぎるのは、血を吐いて倒れた母の姿。

美しかった菓子の表面にこびりついた、死の気配。

 

「……悟」

 

七直の声は、驚くほど静かだった。だが、そこには教室で見せたような余裕は一切なかった。

 

「……何がおかしいのか、私には分かりかねますわ。……皆様、申し訳ありません。少し、気分が優れませんので、先に失礼させていただきます」

 

彼女は一度も五条と目を合わせることなく、完璧な所作で椅子から立ち上がると、背筋を伸ばしたまま食堂を後にした。

 

「……おい、悟。お前、今のは最悪だぞ」

 

硝子が冷ややかな視線を五条に向ける。

 

「……。なんだよ、ただのジョークだろ……」

 

五条は毒づいたが、残された直哉が、今にも術式を発動させそうな形相で自分を睨みつけていることに気づき、言葉を失った。

 

「……五条。自分を最強やと思うて調子乗るんは勝手やけどな。……姉貴に二度とその口利いたら、僕が殺すぞ」

 

直哉の瞳には、昼間の情けない姿とは別人のような、本物の殺意が宿っていた。

静まり返った食堂で、五条は自分が踏み抜いたものの正体が、想像以上に深い闇であったことを悟り始めていた。

 

七直が静かに食堂を去った後、残された空間には耐え難い沈黙が満ちていた。

灰原さえも言葉を失い、夏油は厳しい表情で五条を睨みつけている。

五条は、自分が口にしたジョークが、彼女の呪力をあそこまで凍りつかせた理由を測りかねていた。

 

「……おい、直哉。今の、そんなにヤバいこと言ったかよ」

 

五条が、どこか落ち着かない様子で直哉に問いかける。

直哉は、俯いたまま肩を小さく震わせていた。

そして、ゆっくりと顔を上げたその瞳には、かつてないほどドロドロとした暗い感情が宿っていた。

 

「……五条。お前、人の心とかないんか?」

 

その低く、冷え切った声に五条の眉が跳ねる。

 

「……そんなわけねーだろ、やて? お前、御三家の五条家におって、自分の周りで何が起きてるか知らんわけやないやろ。それとも、お前の六眼は、都合の悪いもんは映らん仕様になっとんのか」

 

直哉は、机の上にある五条が買った華やかな菓子を、汚物でも見るような目で見つめた。

 

「……去年のことや。姉貴がまだ家にいた頃、叔父の扇が、真希と真依……まだ幼い双子の妹に菓子を持たせてきた。姉貴への贈り物やってな。……お前、禪院家で当主の子供らに他所から食い物が届く意味、分からんわけないやろ」

 

「……っ」

 

五条の表情から余裕が消える。

御三家という呪いの煮凝りのような世界で育った者なら、その菓子が持つ意味を察しないはずがない。

 

「姉貴は慎重やからすぐには手を出さんかった。けど……側にいた姉貴の母親が、毒味のつもりか、あるいは単に腹が減ってたんか、先に一口食べたんや。……その瞬間に血吐いて倒れて、そのままや。命は取り留めたけど、今も意識は戻っとらん」

 

静まり返った食堂に、直哉の震える声だけが響く。

 

「姉貴が毒を警戒しとんのは、お嬢様の潔癖やない。あんな腐った家で、唯一の味方やった母親を、身代わりにして失ったからや。……それを、お前は……!」

 

直哉は立ち上がり、五条を真っ向から指差した。

 

「姉貴は、あんたらに期待してここに来たんや。御三家の檻の外には、もっとマシな奴がおると思ってな! ……それを、あんたが一番最悪な形でぶち壊したんやぞ!!」

 

吐き捨てるようにそう言うと、直哉は姉を追うように食堂を飛び出していった。

残された五条は、サングラスを外し、その最強の瞳を所在なげに泳がせた。

六眼は万物を見通すが、他人の痛みの深さまでは映し出さない。

 

「……悟。明日の朝一番に、謝りに行こう。……今のは、本当に取り返しがつかない失言だ」

 

夏油の静かな、けれど拒絶を許さない声が響く。

五条は、手元の冷めきったピザを見つめ、初めて最強では埋められない、自分と他者との圧倒的な断絶に直面していた。

 

 

「姉貴ィ! どこや、返事してくれ姉貴ーっ!!」

 

静まり返った高専の敷地に、直哉の悲痛な叫びが木霊している。

直哉は、投射呪法を本来の用途とは程遠い姉の捜索のために乱用し、狂ったように校舎中を駆けずり回っていた。

あの無神経な白髪のガキに傷つけられた姉が、一人でどこかへ消えてしまった。その恐怖が、彼のプライドを完全に塗りつぶしていた。

一方、当の七直は…

 

「……はぁ。やっぱり、外の空気は少し冷えるわね」

 

日が沈み夜の帳が降りたころ。

月明かりの下、校舎の屋上のフェンスに手をかけ、七直は夜風に吹かれていた。

食堂での完璧な淑女の仮面は、今は少しだけ外されている。

五条の言葉に震えた指先は、柵の上で固く握りしめられていた。

 

「あー、やっぱり。ここ、先客いたんだ」

 

不意に背後から声がした。

振り返ると、そこにはジャージ姿で気怠げに歩いてくる家入硝子がいた。

指先には、今火をつけたばかりの煙草が一本。

 

「……硝子。あら、お邪魔でしたかしら」

 

「いいよ、広いし。……それより、大丈夫? 悟のあれ、わざとじゃないんだろうけど、マジでデリカシーの欠片もないからさ」

 

硝子はフェンスに背を預け、紫煙を夜空に逃がした。

七直は少しだけ視線を落とし、自嘲気味に微笑む。

 

「……わざとでないことくらい、分かっておりますわ。……ただ、少しだけ油断してしまいましたの。外の世界には、あのような無邪気な残酷さがあるのだと、失念しておりました」

 

「残酷、ね……。まあ、あいつは最強すぎて、足元の蟻に気づかないタイプだし」

 

硝子は、七直の横顔をじっと見つめた。

食堂での直哉の独白を、彼女も聞いていた。

去年の毒殺未遂。

意識の戻らない母親。

その全てを背負って、この少女は笑っている。

 

「……七直。ここ、高専だよ。禪院家じゃない。……毒味なんてしなくても、死なない場所なんだよ。本当はね」

 

七直はその言葉に、一瞬だけ目を見開いた。

硝子の言葉は、夏油のような甘い勧誘でも、五条のような強引な誘いでもない。

ただ、事実を淡々と告げる、医者のような響きがあった。

 

「……そう、かもしれませんわね。……ふふ。少しだけ、毒気が抜かれましたわ」

 

七直がようやく小さく笑った時。

 

「――っ、姉貴ーー!! どこやーー!! おらんかったら僕、五条のガキ殺して自分も死ぬからなー!!」

 

はるか下の方から、もはや迷子のような血迷った絶叫が聞こえてきた。

 

「……まったく。うちの直哉が、お騒がせして申し訳ありません」

 

七直は深くため息をつき、完璧な姿勢を正した。

その表情には、先ほどまでの翳りは消え、いつもの気高く、けれど少しだけ柔らかい姉の顔が戻っている。

 

「愛されてるねぇ。……ほら、早く行ってあげな。あいつ、本当にどっかに突っ込みそうだよ」

 

「ええ。……硝子、少しだけ、気が楽になりましたわ。ありがとうございます」

 

七直は優雅に一礼すると、屋上の扉へと向かった。

扉を開ける直前、背後から「明日、悟に何奢らせるか考えといて!」という硝子の声が追いかけてくる。

 

「ええ、とびきり高いものを考えておきますわ」

 

そう言い残して、七直は夜の校舎へと戻っていった。

一階に降りた瞬間、涙目で廊下を爆走してきた直哉に「姉貴ィー!」と抱きつかれそうになり、それを華麗に回避して「直哉、廊下は走らないの」と窘める彼女の日常が、再び始まろうとしていた。

 

 

翌朝、高専の廊下には、およそ似つかわしくない重苦しい足音が響いていた。

 

「……離せよ傑、自分で行けるって」

 

「昨日からずっとそう言っているじゃないか。ほら、着いたよ」

 

夏油傑に文字通り引きずられるようにして七直の部屋の前に現れた五条悟は、その最強の瞳を隠すサングラスを少しだけ下げ、人生で一番と言っていいほど気まずそうな、あるいは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

コンコン、と夏油が丁寧にドアを叩く。

 

「七直、入ってもいいかな。……昨日の不届き者を連れてきた」

 

「ええ、どうぞ。鍵は開いておりますわ」

 

中から聞こえてきたのは、昨夜の動揺など微塵も感じさせない、涼やかで凛とした声だった。

二人が入室すると、そこにはすでに完璧に身支度を整え、茶を嗜んでいる七直と、その傍らで五条を親の仇のように睨みつけている直哉がいた。

五条は、自分に向けられる直哉の殺気と、七直のあまりにいつも通りな微笑みの板挟みになり、数秒間、言葉を探して口をパクパクと動かした。

 

「……あー。その。なんだ」

 

五条は後頭部を激しく掻きむしり、視線を斜め下の畳に落としたまま、絞り出すように声を絞り出した。

 

「……昨日の、あれ。……悪かったよ。……その、デリカシーがなかった。……マジで」

 

あの傲慢な五条悟が、ここまでしおらしく謝罪の言葉を口にする。

夏油ですら少し驚くほどの負け顔だった。

 

「……あら。何のことかしら? 昨夜は少し疲れが出てしまっただけですのに。悟がそんなに気に病む必要はありませんわ」

 

七直は優雅に首を傾げ、あくまでなかったこととして流そうとする。

だが、その微笑みの奥に潜む、許してはいるが、信頼の度合いからは一段落とされたような静かな壁を、五条の六眼は見逃さなかった。

 

「……流すなよ。直哉から全部聞いた。……お前の母親のこととか、禪院のクソったれな内情とか。……俺が一番嫌いな種類の話だった。それを知らずに茶化したのは、俺のミスだ。……謝る」

 

五条が真っ向から七直を見据える。

その青い瞳には、いつもの不遜な光ではなく、少しだけ痛みを知った少年のような真摯さが宿っていた。

 

「……そうですか。直哉が、お喋りをしたのですね」

 

七直は隣の弟に冷ややかな視線を向けると、直哉は「だって姉貴ィ……」と気まずそうに目を逸らした。

七直は一つ、小さく溜息をつくと、五条に向き直った。

 

「分かりましたわ。悟の謝罪、しかと受け取りました。……ですが、ただ悪かったで済ませるほど、私はお安い女ではありませんのよ?」

 

「……。あ? 何、金か? 呪具か?」

 

五条が少しだけいつもの調子を取り戻して聞き返すと、いたずらっぽく目を細めた。

 

「いいえ。……私からも、昨夜の空気をお悪くしてしまったお詫びをさせてください。昨夜の歓迎会、今夜やり直しましょう?」

 

七直の予想外の提案に、五条だけでなく、背後で控えていた夏油や直哉も目を丸くした。

 

「やり直し……?」

 

「ええ。昨夜は私が席を立ってしまいましたもの。……今夜は、悟が自信を持っておすすめできる、とびきり美味しいものを教えてくださいな。それをお取り寄せしてくださる?」

 

七直はいたずらっぽく微笑み、五条の瞳を覗き込んだ。

 

「あ、もちろん。お代はすべて、言い出しっぺの悟持ち。……それで、昨夜の件はすべてお相子。……これなら文句はありませんわね?」

 

五条は数秒間呆然としていたが、やがて噴き出すように笑った。

自分を責めるでもなく、腫れ物に触るように扱うでもなく、むしろ埋め合わせに最高級の飯を奢れと堂々と要求してくる。

その強かさと気高さが、たまらなく心地よかった。

 

「ハッ、いいぜ! 言ったな? だったらお前が一生忘れられないくらい美味いもん用意してやるよ。俺の財布の底が見えるまで注文していいぞ」

 

「あら、頼もしいことですわ。……あ、それと」

 

七直は少しだけ声を和らげ、付け加えた。

 

「食べ物は、まずおすすめしてくださる悟が一口。その後に、私が一口。……そうやって、毒の有無ではなく『美味しさ』を共有させていただけないかしら?」

 

「あ? なんだよ、それ」

 

五条は一瞬ポカンとしたが、すぐに七直の意図を察して、ニッと不敵に笑った。

 

「あぁ、なるほどね。俺が先に食えば、余計な心配しなくて済むってことか。いいぜ、毒でも呪いでも俺が全部先に食ってやるよ」

 

「まあ、頼もしいことですわ。……ですが、毒味としてではなく、あくまで『一緒に楽しむ』ため、ですわよ?」

 

七直の言葉は、単なる警戒の裏返しではなく、五条との間に引かれた不信の線を一歩踏み越えようとする、彼女なりの譲歩だった。

それを見ていた夏油は、安堵したように息を吐く。

 

「いいね、それが一番だ。悟のおすすめなら、きっと直哉君も満足するはずだよ」

 

「まぁ、それなら問題あらへんな」

 

直哉は不満げに口を尖らせたが、その実、姉が五条と同じものを食べるという約束をしたことに、どこか救われたような顔をしていた。

 

 

その日の夜。 五条が「僕のカード、限度額まで使ってもいいから一番いいの持ってこい」と豪語して取り寄せたのは、銀座の老舗の寿司と、最高級の和菓子だった。

食堂のテーブルに並べられた宝石のような食事を前に、五条がまず、一番大きな大トロをひょいと口に運ぶ。

 

「んー! やっぱこれだわ。ほら七直、死んでねーだろ? 早く食えよ、とろけるぞ」

 

五条がもぐもぐと頬張りながら、促すように顎をしゃくった。

七直は、その様子をじっと見つめていた。五条が食べ、飲み込み、そして無邪気に笑っている。

その光景が、彼女の脳裏にある毒を飲んで倒れた母の記憶を、わずかではあるが上書きしていく。

七直はゆっくりと箸を取り、五条が食べたのと同じ皿から、一貫の寿司を手に取った。

指先は、もう震えていない。

 

「……いただきますわ」

 

一口、 口の中に広がるのは、金属のような毒の味ではなく、豊潤な脂の甘みと、確かな幸福の味だった。

 

「……ええ。とても、美味しいですわ。悟」

 

「だろ? 俺の舌に狂いはないんだよ」

 

五条は得意げに鼻を鳴らし、次々と他のネタを自分の口に放り込んでいく。

その隣で、直哉も「……まあ、悪うないな」とボソボソ言いながら、負けじと手を伸ばし始めた。

 

「七直、こっちの茶菓子も絶品だよ。悟のセンスには脱帽だね」

 

「……甘すぎ。お茶、もう一杯淹れてくる」

 

夏油と硝子も加わり、昨夜の凍りついた空気が嘘のように、穏やかな熱気が食堂を満たしていく。

 

七直は、賑やかに笑い合う同級生たちを見つめながら、心の中で母に語りかけた。

 

(お母様。……この場所は、少しだけ、私に甘いようですわ)

 

まだ仮面を完全に外したわけではない。

それでも、七直の心の中には、新しい友人や後輩が、確かな重みを持って並び始めていた。

 




しれっと七直の部屋にいる直哉。
あといつもの時間に間に合いませんでした。すみません。

質問コーナー

Q.そういえば七直の身長ってどのくらい?

A.165~170㎝くらいです。日本女性の平均身長よりは高いですが、周り男勢が高身長過ぎて霞んでしまってます。直哉にも身長を越されて「昔は自分より背が小さかったのに。男ってずるいわ」って思ってます。


グワーッ!毎回誤字脱字をしてしまうー!皆様、いつも訂正ありがとうございます!
おかげで、一歩この作品が良くなります!助かってます!
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