準決勝の舞台となる演習場の中央。
対峙する二人の間には、同じ学校に通う同胞としての空気ではなく、御三家の意地がぶつかり合う独特の緊張感が漂っていた。
「よっ、直哉。準備はいい? 負けたら一ヶ月、俺の影踏む暇もないくらいパシリに使い倒してやるから覚悟しろよ」
五条が親指でグッと自分を指差し、不敵に笑う。
対する直哉は、屈伸をしながら五条を射貫かんばかりの視線で睨みつけた。
「……ハッ。パシリ? 笑わせんな。そんなん死んでも御免や。五条くん、お前は今日、生まれて初めて地面を舐めることになるんや。僕の加速に指一本触れられんまま、ボコボコにしたるからな」
「へぇ、威勢だけは当主級だね。……じゃあ、来いよ」
「準決勝第一試合、開始!」
合図と同時に、演習場を凄まじい風切り音が支配した。
直哉の姿が線となり、五条の周囲を包囲する。
「おっ、昨日よりキレてんじゃん。でも無駄だって」
五条はその場から動かない。
直哉が放つ最高速の打撃は、そのすべてが五条の数センチ手前で静止し、虚しく空を叩く。
五条はあくびを噛み殺しながら、地面を軽く踏み抜いた。
「術式順転・蒼」
吸い込みの反応が足元を襲う。
さらに五条は呪力の奔流で演習場の地面を意図的に爆破し、瓦礫の山へと変えた。
投射呪法は、あらかじめ描いた二十四枚の動きをなぞる術式。
足場が不安定になれば、その計算は一気に難易度を増す。
(……足場を奪って、軌道を制限するつもりか。舐められたもんやな!)
直哉の瞳が血走る。
彼は止まらない。
不安定な瓦礫の上を、あえて跳ねるようにして加速を重ね掛けしていく。
一秒を二十四分割、さらにその一秒を――。
直哉の姿が、五条の視覚からも、そして六眼の認識外へと消え始める。
「へぇ、そこまで上げるか」
五条がわずかに口角を上げた。
認識できない速度で叩くつもりなら、最初から全方位に壁を張ればいい。
五条は全神経を集中し、自身を全方位から不可侵の膜で覆う荒業に出た。
(いつでも来いよ、直哉)
その時、五条の六眼が背後に強烈な呪力の反応を捉えた。
(――来た!)
五条は確信する。
この圧倒的な熱量、この速度、間違いなく直哉だ。
五条はカウンターを叩き込むため、右拳に呪力を集束させる。
殴る瞬間、自身の拳が干渉しないよう、背後の無下限をコンマ数秒だけ解除した。
「捕まえたぞ、直哉!」
五条が振り返りざまに渾身の拳を振るう。
だが、そこにいたのは直哉ではなかった。
「……は?」
五条の拳が砕いたのは、直哉の呪力を纏わされ、投射呪法によって弾丸のごとく射出された、ただの大きな瓦礫だった。
「――遅いわ!!」
死角、足元の瓦礫の影から、本物の直哉が飛び出す。
無下限を解除し、振り抜いた体勢のまま硬直した五条。
その肩に、直哉の掌が触れた。
(投射呪法!!)
五条の体が、一瞬にして一枚のフレームに固定される。
最強が、一秒間動けない絵と化した。
「パシリは、お前がやれやぁ!!」
直哉の魂を乗せた右ストレートが、無防備な五条の顔面にクリーンヒットした。
轟音と共に、五条の体が後方の壁まで吹き飛んでいく。
観客席から、今日一番の絶叫と驚愕が上がった。
ドゴォォォン!!
演習場の壁にめり込んだ五条の体から、土煙が上がる。
静まり返る観客席。あの最強の顔面に、直哉の拳が完璧に突き刺さったのだ。
「……あ、当たった……?」
灰原が呆然と呟く。
七海は眼鏡を押し上げ、冷や汗を流しながらその光景を凝視していた。
「ハッ……ハハッ! 見たか! 触れたで、この僕が!」
直哉は激しく肩で息をしながら、勝ち誇った声を上げた。
拳には確かな手応えがあった。
無下限を解かせ、術式で固め、そこに全霊の力を叩き込んだ。これ以上の会心の一撃はない。
だが、土煙の向こうから、聞き慣れた不遜な笑い声が漏れ聞こえてきた。
「……痛ってぇなぁ、マジで。鼻血出ちゃったじゃん」
ゆらりと、白銀の髪が揺れる。
壁の窪みから抜け出した五条は、鼻から一筋の血を流しながら、親指でそれを拭った。
その瞳は、サングラスがない分、より鮮烈な青を放っている。
「今のデコイ、最高だったよ直哉。瓦礫に術式をかけるなんて、お前そんな頭いいことできたんだね」
「……なっ、まだ動けるんか!? 今のはクリーンヒットやったはずや!」
「ああ、効いたよ。でもさ」
五条がゆっくりと歩を進める。
その一歩ごとに、演習場の空気が目に見えて重質化していく。
「殴る瞬間、俺がわざわざ無下限を解く理由、わかる? カウンターの威力を最大にするためだよ」
五条の右手に、再び蒼の輝きが灯る。
先ほどまでの遊びの気配は消え、そこにあるのは対象をただ排除しようとする絶対者の意思だった。
「……お前の速さは認めてやるよ。けど、一度見せちまったら、六眼の敵じゃないんだわ」
直哉は戦慄した。
五条の立ち振る舞いが変わった。
再び加速を試みようとした直哉だったが、五条はすでに蒼の出力を一点に絞らず、演習場全体を広範囲に吸い込み始めていた。
「うわっ……ぐ、動けん……!」
「全方位からの吸引。これなら、どこに移動しようが関係ないだろ?」
足が浮く。瓦礫が、空気が、そして直哉自身が五条の指先へと収束していく。
抗えない引力の中心で、五条の拳が真っ青な呪力を帯びて迫る。
「じゃあな、直哉。パシリの初仕事は、放課後のコーラ。……冷え冷えのやつな」
「クソッ……ボケがぁぁぁ!!」
直哉の叫びも虚しく、五条の蒼を纏った拳が、直哉の腹部へめり込んだ。
今度は直哉の体が、弾丸のような速度で演習場の外、観客席の防護壁まで吹き飛んでいく。
「勝者、五条悟!」
直哉は壁に激突して崩れ落ち、そのまま白目を剥いて沈黙した。
五条は大きく伸びをすると、サングラスを拾い上げて再び装着した。
「ふー、危なかった。……さて、次は傑と七直か」
五条は鼻血を拭いながら、控室へ戻ろうとする夏油と七直の方へ視線を向けた。
その瞳は、さっきまでの激闘を反芻するように、ギラついた興奮を湛えたままであった。
◆
直哉の拳が五条の顔面を捉えた瞬間、演習場を包んだのは静寂だった。
五条悟という不可侵の概念が、物理的な衝撃によって弾け飛ぶ。その光景は、場にいた全員の常識を根底から覆すものだった。
「……あ、当たった……?」
灰原が呆然と呟く。
隣の七海は、眼鏡を押し上げる指先が微かに震えていた。
「……今の、デコイですよね。瓦礫に自分の呪力を乗せて、術式で射出した。悟さんの六眼の精度を逆手に取った、文字通りの命懸けの博打だ。……禪院直哉、とんでもない男ですね」
七海の冷静な分析には、隠しきれない戦慄が混じっていた。
一方、京都校の席は、もはやお通夜を通り越してパニックに近い状態だった。
「嘘やろ……あの五条に? 禪院家のガキが?」
「……東京校の連中、バケモノか。あんなん、どうやって対策立てろって言うんや」
京都校の生徒たちが、自分たちが戦わずに済んだ幸運と、眼下のレベルの高さに顔を青くしている横で、楽巌寺学長は苦虫を噛み潰したように杖を握りしめていた。
「……フン、不作法な。五条の慢心も大概だが、禪院のあやつ、術式の解釈を実戦中に広げおったか。これだから御三家の若造共は……」
その毒づきも、どこか言い訳めいて聞こえるほど、目の前の現実は圧倒的だった。
「……悟が、殴られた」
夏油が静かに呟く。
その瞳には、親友が不覚を取ったことへの驚きと、それ以上に、直哉という少年の執念に対する深い敬意が浮かんでいた。
「……良くやったわね、直哉」
七直は、担架で運ばれていく弟を見つめ、誇らしげに目を細めた。
禪院家という停滞した場所では、決して生まれなかったであろう限界を超えた一撃。
それを引き出したのが、皮肉にもあの軽薄を絵に書いたような不遜な同級生だったことに、彼女は奇妙な縁を感じていた。
夜蛾先生は、腕を組み、崩れた壁を見つめながら独り言のように漏らした。
「……悟。お前は今日、大きな糧を得たな。そして直哉、お前もだ」
五条が立ち上がり、圧倒的な呪力で逆転してみせた後も、観客席の興奮は冷めることを知らなかった。
直哉の敗北。
けれど、それは最強に触れた男としての輝かしい勲章でもあった。
◆
五条は肩をすくめ、鼻血を拭いながら七直たちの前まで歩いてきた。
「……ひどい顔だね、悟。あの直哉君に一発食らうなんて、余裕もなくなってきたかな?」
夏油がからかうように言うと、五条は不敵に笑って七直を見た。
「いやぁ、あいつマジでキレてたよ。七直。お前の弟、案外根性あるじゃん。……おかげでこっちも目が覚めたわ」
五条はサングラスを指でクイと上げ、戦いの高揚感を隠そうともせずに七直を見つめる。
「……直哉を、あまりいじめないでくださる? ああ見えて繊細なんですのよ、あの子」
七直は困ったように微笑みながらも、担架で運ばれていく直哉を慈しむような目で見送った。
そして、静かに夏油の隣へと並ぶ。
「さて、次は私たちの番ですわね、傑」
「ああ。悟がこれだけ会場を温めてくれたんだ。私たちも、それに負けないものを見せないといけないね」
夏油が袖を捲り、複数の呪霊の気配をその身に纏わせる。
五条戦で沸き立った演習場の空気が、今度は夏油の放つ重苦しい呪圧によって、密度を変えていく。
第二試合。
呪霊操術の物量 vs 五行想術の理。
東京校の黄金期を象徴する、もう一つの頂上決戦が始まろうとしていた。
直哉、パシリ決定。
質問コーナー
Q.直哉がやった術式拡張って?
A.簡単に言うと、物に投射呪法をかけて高速射出させることです。名前はまだ無し。ただかなり限定的で、一方向、一定距離、一秒間という制限があり、術式をかけてる最中に他の物に干渉したらもちろんフリーズします。また環境にも左右され、雨や強い風が干渉すると、上手く物を射出できない可能性があります。今回は五条の気を引くため大雑把な形になりました。まだ荒削りの拡張ですがこれから洗練されていくと思います。
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