直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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懐玉③

教室の喧騒は、禪院家の空気とも高専の空気とも違う、独特の熱を帯びていた。

廉直女学院中等部の制服に身を包んだ七直の周りには、瞬く間に女子生徒の輪ができあがる。

 

「ねえナナちゃん、その髪ツヤツヤ! トリートメントは何使ってるの?」

 

「その筆記用具、見たことないデザイン……もしかして海外の特注品?」

 

矢継ぎ早に飛んでくる質問の嵐。

学校という未知の戦場に、七直は扇子を広げたい衝動を抑え、完璧な令嬢の微笑みを張り付かせた。

 

「ええ、文房具は家のお付きの者が用意したものですから、詳しくは存じませんの。髪はトリートメントの代わりに馴染みの薬師が調合した椿油を使ってますわ」

 

「椿油!? やば、マジでお嬢様じゃん……」

 

女子生徒たちが感嘆の声を漏らす中、一人が七直の首筋に鼻を近づけた。

 

「いい香り! 香水使ってるの?」

 

「香水……というほど強いものではありませんけれど。こちらの塗り香を少し使っておりますわ。よろしければ、手を出してくださる?」

 

七直が鞄から小さな漆塗りの薬入れを取り出すと、好奇心の視線が集中する。

白檀の甘く清涼感ある香りが広がった。

七直は女子生徒の指先に、滑らかな香薬を薄く伸ばしてやる。

 

「わあ……落ち着く香り。ナナちゃん、なんかお寺のお姉さんみたい」

 

「私も! ナナ、私にも塗ってよ!」

 

理子が身を乗り出して手首を突き出す。

七直は「はいはい、そんなに急がなくていいわよ」と苦笑しながら、理子の細い手首に香りを馴染ませた。

 

「なんか、ナナといると安心するなあ。……ねえ、ナナちゃんって呼ぶの恐れ多いかも。お姉様って呼んでいい?」

 

「お姉様……?」

 

七直は一瞬、真希や真依の顔を思い出して懐かしくなった。

そして、目の前のキラキラした瞳に抗えず「……ええ、構いませんわよ」と頷いた。

 

「やった! ナナお姉様!」

 

沸き立つ教室。その時、移動教室を告げる予鈴が鳴り響いた。

 

「あ、次は礼拝堂で音楽だ! 行こう、お姉様!」

 

「ええ。……その前に、理子、お手洗いへ案内してくださる? 慣れない場所で少し迷ってしまったみたい」

 

「いいよ! こっちこっち!」

 

理子の案内で廊下へ出る。

七直は手洗いの個室に入った瞬間にスカートのポケットからガラケーを取り出した。

慣れないボタン操作を、名家の当主のように迅速かつ正確に行う。

 

『件名:移動  本文: 今から別棟の礼拝堂へ移動するわ』

 

送信ボタンを押し、パチンと音を立てて携帯を閉じる。

淑女の仮面を被り直し、七直は駆け足で待つ少女たちの元へ向かった。

 

「お待たせ。行きましょうか」

 

白檀の香りをなびかせ、七直はお姉様として、再び理子の背中を守るために歩き出す

 

 

「七直からメールだ。これから礼拝堂へ移動するみたいだよ」

 

夏油がスチャっとスライド式携帯を開き、画面を五条と黒井に見せた。

そこには、状況を簡潔に示す七直らしい文面が並んでいる。

 

「レーハイドゥ!? なんで学校にそんなもんあんだよ。結婚式でもすんのか?」

 

五条が校門の柱に背を預けたまま、心底不思議そうに眉を寄せた。

 

「ここはミッションスクール、キリスト教主義の学校ですので……。音楽の授業や全校集会などで礼拝堂を使うことも珍しくありません」

 

黒井が丁寧に説明すると、五条は「へぇー、お嬢様学校ってのは面倒くせぇな」と興味なさそうに鼻を鳴らす。

 

「礼拝堂か……。窓が大きくて天井も高い。外からの狙撃や、死角からの侵入にはうってつけの場所だね」

 

夏油は周囲の建物の配置を脳内のマップと照らし合わせながら、空中にいくつかの呪霊を放った。

それらは透明な膜のように景色に溶け込み、学校の境界線を監視し始める。

 

「七直がわざわざメールしてくるってことは、あいつも中で何か嫌な気配を感じてんだろ。……しっかし、あいつがセーラー服着て女子中学生と讃美歌ねぇ。想像しただけで笑えるわ」

 

「悟、あまり茶化さないであげてくれ。彼女なりに必死に潜入しているんだから。……さあ、僕たちも持ち場を礼拝堂側に…偵察用の呪霊が祓われた。……来たぞ」

 

夏油の表情が瞬時に引き締まる。

穏やかだった空気が一変し、三人の間に戦闘の緊張感が走った。

 

「傑はそっちを頼む。俺と黒井さんは礼拝堂だ!」

 

五条の指示に夏油が短く頷き、呪霊と共に襲撃者の元へ跳ぶ。

そして、黒井を連れ、最短距離で理子たちのいる礼拝堂へと向かった。

礼拝堂の重厚な扉が、五条によって勢いよく開け放たれる。パイプオルガンの音が止まり、静謐な空間に五条のよく通る声が響き渡った。

 

「天内! 帰るぞ!」

 

「……はぁ!?」

 

理子が絶句し、周囲の女子生徒たちは一斉に扉の方を振り返る。

そこには場違いなほど背が高く、モデルのような体躯にサングラスをかけた不審なイケメンが立っていた。

 

「えーーー! なに、理子ちゃんの彼氏!?」

 

「ちょっと、超カッコいいんだけど! 高校生? 背ぇ高ぇ!」

 

「サングラス取って! 見せて!」

 

一瞬にして黄色い悲鳴が礼拝堂を埋め尽くす。

理子は顔を真っ赤にして否定する。

 

「い、いや、ちがっ……い、いとこだよ!知り合いなの!」

 

「えーっ、理子の知り合いどうなってんの!? こっちのお姉様もだし、美形揃いすぎじゃない!?」

 

女子生徒たちが五条に群がり、「ねえねえ連絡先は!?」「赤外線して!」とガラケーを突き出す大混乱の中、制服姿の七直が足早に五条の元へ詰め寄った。

 

「ちょっと、何やってんの!? 帰るんでしょ、緊急事態じゃないの!?」

 

七直が五条を叱りつけるように詰め寄ると、それを見た生徒たちがさらに沸き立つ。

 

「え!? ナナ姉様、まさかその人とそういう関係!?」

 

「美男美女すぎて眩しい……! 婚約者とか!?」

 

「なっ……! 違うわよ、こんなバカと一緒にしないで頂戴!」

 

七直が珍しく声を荒らげるが、五条は全く動じる様子もなく、ひょいと理子を脇に抱え上げた。

 

「あはは、愉快なお友達じゃねーか。悪りぃな、こいつちょっと急用なんだわ!」

 

「わー! 離せ不敬者! 下ろせー!」

 

暴れる理子を軽々と抱えたまま、五条は「じゃあな、お嬢様方!」と爽やかに手を振って礼拝堂を後にする。

 

「……本当、無礼極まりないわね」

 

七直は深々と溜息をつき、唖然とする生徒たちに「お騒がせいたしましたわ」と一礼すると、裾を翻して五条の後に続いた。

背後からは「ナナ姉様ー! また明日ねー!」という女子中学生たちの無邪気な声が追いかけてくる。

初めての学校体験がこんな形で幕を閉じるとは。

七直は、ポケットの中の携帯が再び傑からの『処理完了』の報告で震えるのを感じながら、足早に合流地点へと急ぐ。

一足遅く礼拝堂から出た七直の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。

世話役の黒井が、紙袋を頭に被った異様な風体の男を鮮やかな体術で撃退している。

そこへ、別の襲撃者を片付けた夏油も合流した。

 

「黒井さんも中々やるじゃないですか。……理子ちゃんは?」

 

夏油の称賛に、七直が走り寄りながら答える。

 

「悟が学校の外へ連れて行ったわ。早く合流しましょう。あいつ、女子生徒に囲まれて完全に浮かれていたから、隙を突かれないか心配だわ」

 

「はは、確かにね。……おや?」

 

夏油が視線を落とすと、黒井に打ちのめされて悶えていたはずの男が、急に「クックック……」と不気味な笑い声を漏らした。

 

「やっぱりさっきのが3000万か……」

 

直後、男の体は泥のように崩れ、跡形もなく溶けて消えてしまった。

 

「式神……!? いえ、手応えは人間でしたのに」

 

黒井が驚愕の声を上げる。夏油は男が消えた地面を冷徹に観察し、眉をひそめた。

 

「いや、式神とは少し違う。遠隔操作による『身代わり』のようなものか」

 

「傑、3000万ってどういうこと?」

 

七直の問いに、夏油はスライド式携帯を取り出し、闇サイトの掲示板を確認しながら厳しい表情で頷いた。

 

「合流しながら話すよ。……少し厄介なことになった。理子ちゃんの首に、3000万の懸賞金が懸けられたみたいだ」

 

「懸賞金!? 呪詛師集団だけじゃなく、金目当てのフリーランスまで敵に回すというの?」

 

七直の背筋に冷たいものが走る。

組織であれば元を断てば終わるが、賞金稼ぎとなればどこから誰が襲ってくるか予測がつかない。

何より、理子の顔は既に不特定多数のハイエナたちに晒されてしまった。

 

「お嬢様の身が危ない……! 夏油様、禪院様、万が一ということもあります! お二人の方が速い、先にお嬢様の元へ向かってください!」

 

黒井が必死に訴え、二人を促す。

七直は一瞬、黒井を一人にすることに躊躇したが、理子を守るという最優先事項を思い出し、短く頷いた。

 

「わかったわ。黒井さんも気をつけて。……傑、行きましょう!」

 

「ああ。悟に急がせないと。連中が群がってくる前にね」

 

二人は校舎の壁を蹴り、驚異的な速度で五条たちの後を追った。

 

 

五条と合流したころには、彼が紙袋の呪詛師を撃退した後だったが、理子は目に見えて動揺していた。

先ほど別れたばかりの黒井が拘束された写真メールが、理子の携帯に送りつけられていたのだ。

 

「私のミスだ。あそこで黒井さんを一人にすべきじゃなかった」

 

夏油が苦渋に満ちた声で呟く。

その肩に、七直がそっと手を置いた。

 

「いいえ、その場にいて同じ判断を下したのは私のミスでもあるわ。傑、そんなに気にしないで」

 

「七直の言う通りだ。そんなミスってほどでもねーだろ」

 

五条も同意し、サングラスの奥の瞳を鋭く光らせる。

 

「恐らく、次、相手は人質交換的な出方をしてくるはずだ。天内と黒井さんのトレードか、もしくは天内を殺さないと黒井さんを殺すと脅してくるか……」

 

「ちょっと悟、理子の前でそんな言い方……」

 

七直が理子を気遣い、五条を制止しようとした。

だが五条は淡々と、しかし確かな自信を込めて言葉を継ぐ。

 

「現実的な話だろ。だが、交渉の主導権は天内のいるこっちにある。後はどうにでもなるさ。とりあえず高専に天内を連れて戻る。とりま、影武者は七直で」

 

「ま、待て! 妾も取引に行く!」

 

理子の叫び声が響いた。驚いて振り返る一同に対し、彼女は震える声で続けた。

 

「ナナは信用できても、オマエラはまだ信用できん! それに……助けられたとしても、同化までに黒井が帰ってこれなかったら? まだ、お別れも言ってないのに……っ!」

 

その悲痛な叫びに、七直は何も言わずに理子の肩を抱き寄せた。

 

「悟。念のため、理子には別の格好をしてもらうわ。私はこのまま変装して囮になる。だから……」

 

七直の真剣な眼差しを受け、五条はしばし沈黙した後、理子を冷徹に見据えて条件を突きつけた。

 

「……いいか。もしあっちの頭が予想より回って、天内を連れていくことで黒井さんの生存率が下がるようなら、傑……そこの前髪のヤツと一緒に即座に撤退すること。それまでは七直が天内の影武者をして俺が交渉役として前に出る。これが条件だ」

 

「分かった、それでいい」

 

「前髪は一言余計だよ」

 

夏油は呆れつつも、笑った。

そして理子の強い返答に、七直は案じるように名を呼んだが、五条はニッと不敵に笑って理子を突き放すように言った。

 

「逆に言えば、途中でビビって帰りたくなってもシカトするからな! 覚悟しとけよ、ガキんちょ」

 

「ふん! 妾を誰だと思っておる! 貴様こそ、腰を抜かして逃げ出すなよ!」

 

意地を張って言い返す理子を見て、七直は少しだけ安心したように息を吐いた。

 

「決まりね。悟が交渉している間、私たちは理子の着替えの準備をしてくるわ。傑、買い物中の見張りは任せたわ」

 

七直がてきぱきと指示を出すと、理子も覚悟を決めたように力強く頷いた。

一触即発の緊張感の中、夏油だけはいつもの涼しげな笑みを浮かべ、恭しく一礼してみせる。

 

「かしこまりました、お嬢様方。……お買い物のお供なら、荷物持ちも喜んで引き受けよう」

 

「いいから、ちゃんと周囲を警戒して頂戴」

 

「おっと、厳しいね。悟、君が不作法な振る舞いをするから、私までとばっちりを受けているよ」

 

夏油は五条をチラリと見て肩をすくめると、どこか楽しげに、それでいて鋭い視線を周囲へと走らせつつ、着々と反撃の準備を進めるのだった

 




遅くなりました。

質問コーナー

Q.七直はいつ携帯を持ち始めたんですか?

A.17歳の早めの誕生日に買ってもらいました。同級生の連絡が不便で、ごねた(五条)ため仕方なく持ちましたが、便利すぎて驚いてます。なんなら最初は何かしらの呪具だと思ってました。

毎度毎度誤字脱字報告ありがとうございます!助かってます。
高評価、お気に入り登録、感想もありがとうございます!
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