直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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懐玉⑤

那覇空港で、目の下に深い隈を作った直哉や、表情筋が凝り固まった七海、そしてそれでも健気に手を振る灰原と合流した一行は、ようやく辿り着いた高専の校門前で足を止めた。

 

「悪いな、お前ら。後日、美味いもん奢るからさ。それで手ぇ打ってくれよ」

 

五条が能天気に片手を上げると、七海は「期待せずに待っています」と冷たく言い残し、灰原を連れて先に寮へと戻っていった。

一人残った直哉は、相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らし、理子を値踏みするように見つめる。

 

「ほんで…なんや。この子がわざわざ僕らを駆り出した星漿体か? まだ乳臭いガキやんけ」

 

その視線に、理子が即座に噛みついた。

 

「なんじゃ、この女殴ってそうな狐顔は! 妾に近寄るでないわ、顔が不吉じゃ!」

 

「なんやとぉ!? 誰が狐顔や、このクソガキ!」

 

「やめなさい、直哉。みっともないわよ」

 

一触即発の二人を、七直がため息混じりに制した。

理子の肩を抱き、宥めるように言い聞かせる。

 

「ごめんね、理子。私の弟で直哉っていうの。悪い子じゃないけど、腕だけは確かだから」

 

「えええええーーーーー! た、確かに言われてみれば、ナナに似てる……けど、中身は全然違うし、何より何か悪そうな顔じゃ!」

 

「おう、上等や。その減らず口、今すぐ叩き割ってやるわ。……姉貴、こいつ一発しばいてええか?」

 

「だめよ直哉。理子は今、私の大事なお客様なの」

 

直哉は「けっ!命拾いしたな、クソガキ」と毒づきながらも、渋々拳を収めた。

理子も七直の後ろで舌を出して威嚇する。

夏油はそのやり取りを苦笑いしながら眺め、五条は結界をくぐった安堵から、ようやく無下限呪術を解除して大きく背伸びをした。

 

「二度とゴメンだね、ガキんちょのお守りなんて」

 

その軽口が空気に溶けきるよりも早く、事態は暗転した。

 

高専の結界という絶対の安息地に入った瞬間、五条が術式を解き、全神経を緩めたその無の刹那を狙い澄ました刃。

 

背後から音もなく現れた鉄の塊が、五条の背中を無慈悲に貫通した。

 

「――っ!?」

 

あまりに唐突な暴力に、理子が短い悲鳴を上げる。

 

「甚……爾さん……?」

 

七直の喉から、震える掠れ声が漏れた。

視界の端で、鮮血が舞う。

異常事態に即座に反応したのは夏油だった。

彼の叫びと共に、影から巨大な芋虫型の呪霊が這い出し、五条を貫いたままの男をその巨大な口で強引に飲み込んだ。

静寂が、一瞬だけ高専の正門を支配した。

五条は血を吐き出しながらも、ゆっくりと振り返る。

胸には穴が開き、鮮血が滴っている。

だが、その瞳には驚くほど冷徹な「生」の光が宿っていた。

 

「悟!」

 

「……問題ない。術式は間に合わなかったけど、内臓は避けた」

 

五条は自らの胸の傷を片手で押さえ、忌々しそうに吐き捨てた。

 

「そのあと呪力で強化して、刃をどこにも引かせなかった。ニットのセーターに安全ピン通したみたいなもん。まじで問題ない」

 

五条は芋虫呪霊がのたうつ先を睨みつけた。

そして、幽霊でも見たかのように青ざめ、立ち尽くしている七直と直哉に鋭い声を飛ばす。

 

「おい七直、直哉!しっかりしろ!知り合いか何だか知らねーが、天内優先だ。ここは俺が持つ。傑たちは先に天元様のところへ行け!」

 

「……! 僕もここに残るわ。あの男は……」

 

直哉が震える拳を握りしめ、一歩前に出ようとする。

憧憬と恐怖が混ざり合った、歪な表情。

しかし五条はその言葉を冷たく遮った。

 

「いや、お前も一緒に行け、直哉。お前じゃ足手まといだ」

 

「なんやと……僕だって、アイツの動きは……!」

 

「直哉、行くわよ!」

 

七直が、弟の肩を強く掴んだ。

彼女の指先は、かつての別れを告げられたあの日と同じように冷たく震えていたが、その瞳には今、守るべき現在への覚悟が宿っていた。

七直は五条の背中を見つめ、祈るように声を絞り出す。

 

「悟、気を付けて……絶対によ」

 

「誰に言ってんだよ」

 

五条は不敵に笑おうとしたが、七直の表情があまりに切実だったことに、わずかに目を見開く。

 

「それでも!」

 

七直の強い念押しに、五条は一つ溜息をつき、サングラスの奥で青い瞳を輝かせた。

 

「……あぁ、早く行け」

 

五条の言葉を合図に、夏油が理子と黒井を促し、七直が抗う直哉を半ば引きずるようにして奥へと走り出した。

 

背後で、凄まじい肉の裂ける音が響く。

芋虫型の呪霊が内側から真っ二つに切り裂かれ、血飛沫の中から男が這い出してきた。

手にはさっき五条を貫いた刀とは別の刃が握られていた。

甚爾は頭を掻くような仕草で、五条の前に立ちはだかる。

 

「星漿体がいねぇな」

 

五条は、傷口から流れる血を呪力で抑え込みながら、目の前の呪力ゼロの怪物を見据えた。

 

「……七直や直哉の知り合いっつーことは、アンタ、禪院家の人間だよな?」

 

甚爾は、五条の問いに鼻で笑い、全てを嘲笑するような虚無の瞳で応えた。

 

「どいつもこいつも、昔の名前で呼びやがって。……今の俺は、伏黒だ」

 

甚爾は無造作に得物を構え直す。

その構えは、七直がかつて命懸けで盗もうとした、一切の無駄を排した究極の暴力そのものだった。

最強の術師と、術師を殺すために研ぎ澄まされた男の、血塗られた殺し合いが始まった。

 

 

走る足音だけが、静まり返った高専の回廊に虚しく響く。

夏油は隣を並走する七直を横目で捉え、その異様な様子に息を呑んだ。

七直の顔からは完全に血の気が引き、陶器のような白さというよりは、死人のような土気色に染まっている。あれほど凛としていた瞳は焦点が定まらず、かすかに震える唇を必死に噛み締めていた。

 

(こんなに七直が怯えるのを見たことがない。悟のピンチだからか? いや、それだけじゃない……)

 

「……大丈夫かい、七直」

 

夏油が努めて穏やかな声で語りかける。彼女の精神的な糸が今にもぷつりと切れてしまいそうだったからだ。

 

「ええ……何とかね……」

 

返ってきたのは、風に消えてしまいそうなほど力ない声だった。

いつもの気丈な彼女なら「問題ないわ」と即答するはずの問いに、彼女は嘘をつく余裕すら失っている。

 

「……さっきの男は、何者なんだい?」

 

夏油は前方を警戒しながらも、好奇心と、得体の知れない不安が混ざった問いを投げた。

呪力が一切感じられないにもかかわらず、あの五条悟を正面から出し抜いた怪物。

七直が言葉を詰まらせ、視線を泳がせたその時。

 

「甚爾くんや」

 

後ろを走っていた直哉が、吐き捨てるように、それでいてどこか熱に浮かされたような声で代わりに答えた。

 

「禪院甚爾。呪力も術式も一切持ってへん……一族の恥、猿、落ちこぼれ。家じゃあ、そう呼ばれとった男や」

 

夏油の眉がぴくりと跳ねる。

非術師が術師の最高峰を襲ったというのか。

 

「……そんな男が、なぜこれほどの……」

 

「『天与呪縛』。呪力を完全に捨て去った代わりに、人智を超えたフィジカルを手に入れた、本物の怪物なんや。……それに、姉貴にとってはただの親戚やない」

 

直哉は七直の背中を、嫉妬と憐憫が混ざった歪な目で見つめながら続けた。

 

「僕や姉貴にその体術を、戦い方を教え込んだ師匠や。……ついでに言えば、姉貴が生まれて初めて惚れた男でもある」

 

「……っ、直哉! 余計なことを……!」

 

七直が鋭く制したが、その声には以前のような威厳はなく、秘め事を暴かれた少女のような悲痛さが混じっていた。

夏油は衝撃に足を止めそうになるのを必死に堪えた。

 

(あの七直が……師と仰ぎ、恋をした相手?)

 

夏油は自分の喉の奥が、不味い呪霊を飲み込んだ時とは違う、別の苦い感覚に支配されるのを感じた。

目の前で震えている彼女が、どれほどの絶望の中にいるのか。

 

「……そうか。なら、なおさら今は前を向こう」

 

夏油はあえてそれ以上の追及をせず、前方の本殿を見据えた。

 

「今は星漿体の護衛が最優先だ。私情を殺せとは言わない。ただ、君が彼から教わったことが『生き残るための力』なら、今こそそれを使う時だ。……だろう?」

 

七直はハッとしたように顔を上げ、夏油の横顔を見た。

恐怖に支配されていた瞳に、わずかだが、かつて裏納屋道場で甚爾に食らいついた時の、泥臭い光が戻り始める。

 

「……そうね。皮肉なものだわ、傑。あの人に殺されないために、あの人の教えが必要になるなんて」

 

七直は自嘲気味に笑い、震える拳を強く握り込んだ。

その時、背後を走っていた足音が唐突に途絶えた。

 

「直哉……?」

 

七直が振り返ると、回廊の途中で直哉が立ち止まっていた。

その肩は微かに震え、視線は自分たちが走ってきた校門の方へと向けられている。

 

「何してるの、直哉! 早く来なさい!」

 

「……姉貴。やっぱ、僕戻るわ」

 

低く、地を這うような直哉の声に、七直の心臓が跳ねた。

 

「何を言ってるの!? 悟があんなに念を押したでしょう。あんたが行ったって、今のあの人には――」

 

「わかっとる! 足手まといなんやろ。わかっとるわ、そんなこと!」

 

直哉が激昂したように叫んだ。

その瞳には、かつての憧憬が剥がれ落ち、代わりに逃れられない運命への悟りが宿っていた。

 

「でもな、これは禪院(うち)の問題や。あの人があないな怪物になって、今日ここで僕らの前に現れたんは……巡り巡ってきた、禪院(うち)の呪いなんや」

 

七直は言葉を失った。

甚爾を地下の懲罰房へ追いやり、呪力がないというだけで猿と蔑み、その尊厳を執拗に踏みにじり続けたのは、紛れもない自分たちの親族――禪院の大人たちだ。

あの男が禪院という名を捨て、呪術師を殺す刃となったのは、家が撒いた種が実を結んだ結果に他ならない。

 

「次期当主の僕が、ここで背中向けて逃げてみぃ。一生、あの人の影に怯えて生きることになる。……そんなん、死んでも御免や」

 

「だめ!直哉、待ちなさい! 相手は、あの甚爾さんよ!? 死にに行くようなものだわ!」

 

七直が必死に腕を掴もうとするが、直哉はそれを冷たく振り払った。

その顔には、傲慢な子供の面影はなく、泥と血にまみれた家系を背負おうとする一人の術師の覚悟があった。

 

「姉貴は、その子を守ったれ。……それが姉貴の戦いなんやろ。僕は僕で、落とし前つけてくるわ」

 

直哉はそれだけ言い残すと、投射呪法の予備動作とともに、弾かれたような速さで回廊を逆走していった。

 

「直哉――!!」

 

七直の絶叫が虚しく響く。

隣で様子を見ていた夏油が、その肩に手を置いた。

 

「……行かせよう。今の彼は、止められる顔をしていなかった」

 

夏油の瞳には、友を思う焦燥と、親弟を思う七直への配慮が混ざり合っていた。

 

「私たちが理子ちゃんを無事に送り届けることが、結果として彼らの負担を減らすことになる。……行くよ、七直。君の弟を信じなさい」

 

「…………ええ」

 

七直は、直哉が消えていった闇を一度だけ強く睨みつけると、溢れそうになる涙を呪力で蒸発させるようにして前を向いた。

禪院の呪い。

初恋の終焉。

そして、弟の覚悟。

全てを飲み込み、七直は再び走り出した。

 

 

理子と黒井は、目の前で繰り広げられる異様な会話の応酬に、ただ立ち尽くしていた。

 

「……何なの、今の」

 

理子の声は小さく震えている。

自分を救うために走り、そして今、死地へと引き返していった少年。

彼が口にした禪院の呪いや一族の落とし前という言葉の重みが、この平和な日常を生きてきたはずの少女には毒のように重苦しかった。

 

「あの男……私を殺しに来た男は、ナナの身内なの? それに、ナナの……」

 

理子は言いかけて、七直の痛々しいほどに強張った背中に言葉を飲み込んだ。

最強と謳われる五条悟が血を流し、凛としていた七直が顔を蒼白にさせ、あの生意気だった直哉が死を覚悟してまで立ち向かう相手。

自分という存在が、これほどまでに残酷な因縁の渦中に放り込まれていることに、理子は激しい恐怖と申し訳なさを覚えた。

隣で控える黒井は、理子の肩を抱き寄せ、その震えを抑えるように強く力を込めた。

 

(他の懸賞金稼ぎの術師とは比べ物にならない…)

 

黒井は使用人として、数々の術師の家系の歪みを見てきたが、これほどまでに剥き出しの殺気は初めてだった。

彼女は絶望を押し殺し、前を向く七直に向かって深く頭を下げた。

 

「禪院様、そして夏油様……申し訳ありません。私たちのために、お身内同士でこれほどまでの……」

 

黒井の言葉を、七直は振り返らずに遮った。

 

「黒井さん、謝らないで。……あれはもう、私の知っている人じゃない」

 

その声は、感情を無理やり凍らせたかのような冷たさを帯びていた。

 

「理子、行こう。天元様の場所はもうすぐよ」

 

七直は理子の手を、以前よりもずっと強く握り締めた。

理子は、七直の手から伝わってくる微かな、しかし止まることのない震えを掌に感じていた。

それは恐怖だけでなく、かつて愛した者、そして今命を懸けている弟への、引き裂かれるような悲鳴だった。

理子は何も言えず、ただ頷いた。

自分を守るために崩壊していく家族の絆を背負いながら、彼女たちは暗く深い薨星宮の深淵へと、一歩を踏み出すしかなかった。

 

「ごめんなさい……私のせいで、その…弟まで……」

 

理子の瞳から涙がこぼれ落ちる。

「星漿体」として死ぬことを受け入れていたはずなのに、自分を守るために戦う者たちの痛みがあまりにも生々しく、重い。

七直が涙を蒸発させ、前を向いたその瞬間、理子はその凄絶なまでの覚悟に言葉を失った。 自分よりもほんの数歳しか変わらないはずの少女が、初恋の残骸を振り切り、弟を死地へ送り出し、それでもなお護衛という責務を全うしようとしている。

 

「……泣かないで、理子」

 

七直が振り返らずに言った。

その声は、かつての裏納屋道場で、失禁し、泣きじゃくりながらも、まだやれると立ち上がった時の、あの地を這うような強さを取り戻していた。

 

「直哉は……あの子は、自分の中の恐怖に決着をつけに行ったの。私は、私のやるべきことをやる。……あなたを、必ず目的地まで送り届けるわ」

 

理子は唇を噛み締め、黒井の手を強く握り返した。

もはや、逃げたいなどとは言えなかった。

この姉弟が命を懸けて向き合おうとしている呪いに対し、自分ができる唯一の報いは、立ち止まらずに歩むことだけだと、理子は本能で悟った。

 

「……わかったわ。私も逃げない。……案内して、ナナ!」

 

理子の叫びに応えるように、一行は再び速度を上げた。

 




甚爾、参戦。

質問コーナー

Q.直哉と、七海、灰原の交友関係ってどんなの?

A.割と良好です。ムードメーカーの灰原、冷静突っ込みの七海、普段は術師として頼もしいのに姉の事になると壊れる直哉、の仲良し組です。一般家庭出身の二人に、呪いの事や、術師の事を講釈垂れたり、組手の相手をしてますし、逆に一般社会の事を二人から学んだりしてます。
七海の髪の色が地毛で金髪なのがええなぁと心の底でひそかに思っており、いつか金髪に染めたいと思っています。
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