直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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玉…③

長野県の深い山中、湿り気を帯びた夏草の匂いが鼻を突く。

整備の行き届かない登山道を、三人の少年たちが進んでいた。

 

「……あー、面倒や。なんでわざわざこんな山奥まで来なあかんねん。都内の任務でええやろ、都内で」

 

先頭を行く直哉が、扇子で顔を仰ぎながら不機嫌そうに毒づく。

 

「そう言わないで直哉!長野は空気が美味しいし、東京より涼しいよ!ほら、セミの声も東京とは違って力強い!」

 

灰原がキラキラとした笑顔で、リュックを揺らしながら後に続く。

 

「……灰原。いくら蝉が元気良くたって我々の任務には一切関係ないじゃないですか。直哉も、そんなに急ぐと余計に体力を消耗します。少しは静かに歩きましょう」

 

最後尾で七海が溜息をついた。

三人は、いまや高専二年生として多くの現場を潜り抜けてきた。

直哉の毒舌を、灰原が光の速度で肯定し、七海が冷静に切り捨てる。

それがこのチームの日常だ。

直哉は足を止め、不意に左肩を回した。

一年前、甚爾との死闘。

あの男の刃によって斬り飛ばされた左腕は、今もそこにはない。

死の淵で反転術式という奇跡に触れたが、直哉のそれは五条のような完全な再生を許さなかった。

彼はあえて、左腕を再生しないという縛りを課すことで、肉体全体の生存能力と呪力の効率を底上げする道を選んだ。

その左袖から覗くのは、生身の肌ではなく、鈍い光沢を放つ金属の義手。

義手は直哉の精密な呪力操作によって、あたかも実在する筋肉が駆動するように滑らかに動いている。

無骨で重厚な造りは、投射呪法の超高速移動によって生じる凄まじい負荷に耐えるための、機能美を度外視した「剛性」の結果だった。

 

「その腕、相変わらず格好いいね!直哉によく似合ってる!」

 

灰原の屈託のない言葉に、直哉は一瞬だけ左腕を視界に入れ、ふんとそっぽを向いた。

 

「……ま、これのおかげで、重心のバランスも以前より安定しとる。悪くはないわ」

 

そう、この義手は単なる精密機械ではない。

禪院家の工房で、一人の少女が鼻血を出しながら、その幼い命を削るようにして「構築」した部品が組み込まれているのだ。

 

 

冬の澄んだ空気が、真新しい主屋の廊下を冷たく撫でていた。

一年前のあの血生臭い夏が嘘のように、今の禪院家には穏やかな日常の音が流れている。

 

「直哉!大変、大変!真依が、は、鼻血出してぶっ倒れた!!」

 

主屋の奥から響いた真希の悲鳴に近い叫びに、縁側で茶を啜っていた直哉は、茶碗を放り出すようにして立ち上がった。

 

「はぁ!?何言うとんねん真希!」

 

「いいから早く来て!」

 

真希に手を引かれ、直哉が駆け込んだ部屋。

そこには、顔を真っ白にして畳に突っ伏した、まだ幼い真依の姿があった。

その鼻からは一筋の鮮血が流れ、床を小さく汚している。

 

「おい!真依、しっかりせえ!真依!!」

 

直哉は柄にもなく声を荒らげ、ぐったりとした妹の体を抱き起こした。

その時、真依の小さな、泥にまみれたような掌から、カランと硬い音を立てて何かがこぼれ落ちた。

それは、金属製の小さなネジのような、あるいは精密機械の接合部のような、親指ほどのサイズの部品だった。

 

「……なんや、これ。真依、お前……」

 

直哉はその部品を拾い上げ、絶句した。

まだ呪力の練り方も教わっていないはずの子供が、自らの生命力を文字通り削り取って、無から有を産み落としたのだ。

数時間後。

七直が呼んだ医師と硝子の診断を受け、深い眠りに落ちた真依の枕元で、直哉は複雑な表情でその部品を見つめていた。

 

「構築術式……。無から有を生み出す、呪術界でも稀な、そしてひどく効率の悪い術式」

 

隣に立つ七直が、静かに解説する。

彼女の瞳には、妹を案じる色と、その覚悟に対する痛々しいほどの敬意が混じっていた。

 

「あの子……ずっと気にしてたんでしょうね。真希は最近、元躯倶留隊の皆と混じって楽しそうに体動かしてるって聞いたし、直哉も炳の中でいろいろ頑張ってる……そんな中で自分だけ、何もできないって」

 

直哉は、義手ではない方の右手で、真依の冷たい手を握り締めた。

 

「それを、僕のために使おうとしたんか。……アホやな。ホンマにアホや。こんなもん作って死にかけとったら、世話ないわ」

 

毒づく言葉とは裏腹に、直哉の喉は熱く震えていた。

かつての禪院家なら、こんな術式は燃費が悪いと切り捨てられ、真依は再び日陰に追いやられていたかもしれない。

だが、今のこの家には、その一滴の血、一欠片の鉄に価値を見出す者たちがいる。

真依が目を覚ましたのは、翌日の夕暮れ時だった。

 

「……あ、お兄様」

 

「起きたか。……お前、あんなもん作ってどないするつもりやったんや」

 

直哉がぶっきらぼうに問い詰めると、真依はまだ青白い顔で、けれど誇らしげにふっと微笑んだ。

 

「……お兄様の腕…作ったは良いけど、加速に耐えられないって聞いたことあったから。……だから、お兄様の動きに追いつけるくらい……軽くて、強いパーツを、私が作ってあげたかったの……」

 

その言葉が、直哉の胸を鋭く貫いた。

一年前、左腕を失った自分。

それを縛りにして、今の自分があり、選んできた。

そこに後悔はない。

そんな自分を、この幼い真依はただ痛々しいと感じ、助けたいと願ってくれた。

「……せやったら、もっと腕上げぇ。こんな小さなネジ一個じゃ、僕の加速には耐えられへんわ」

 

直哉は真依の頭を乱暴に、けれど壊れ物を扱うような優しさで撫でた。

 

「この左腕、全部お前の作った部品で埋め尽くしてみぃや……そんくらい、立派な職人になれ。それまで、この出来損ないのネジは僕が預かっといてやるわ」

 

 

「……うん。約束。絶対お兄様を支えてみせる」

 

あれから、真依の日常は一変した。

それまでは真希の背中を追って庭を駆け回っていた少女が、今では油の匂いと鉄粉が舞う工房、あるいは古びた書物が積み上がり、曰く付きの呪具が並ぶ忌庫にその身を置くようになった。

真依の構築術式は、相変わらず効率が悪い。

指先ほどの精密部品を一つ作るだけで、彼女の呪力は底を突き、ひどい時には知恵熱のような発熱に見舞われる。

だが、真依はその限界を逆手に取った。

既存の部品で代用できる場所は職人に任せ、最も負荷がかかり、かつ緻密さが要求される核の部分だけに、自分の魂を注ぎ込む。

それが彼女の見つけた、今の自分にできる精一杯の戦い方だった。

真依は真っ黒に汚れた作業着の袖で汗を拭い、技術班の老人たちに混じって図面を睨み続ける。

直哉の義手は、禪院の技術と真依の想いと努力の集大成でもあった。

 

 

直哉は自らの左腕――真依の執念が宿るその義手を、駆動音を確かめるように静かに握り、開いた。

金属の擦れる冷たい感触が、今は自分の体の一部として馴染んでいる。

 

「そういえば夏油さんからお土産を頼まれたんだけど、長野って何が有名なの?」

 

灰原が登山道の脇に咲く高山植物を眺めながら、ふと思い出したように尋ねる。

七海は手元の地図を確認しながら、淀みなく答えた。

 

「あの人、蕎麦が好物だと言ってた気がします。長野と言えば信州蕎麦が有名ですし丁度いいのでは?」

 

「へぇ、傑君、蕎麦好きなんや。意外と渋いもん食うんやな」

 

直哉が義手の親指で顎を擦りながら応じる。

最強の一角、夏油傑が蕎麦を啜る姿は、直哉の目にはどこか浮世離れした隠者のようにも、あるいはただの真面目な学生のようにも映った。

 

「そうなんだ!でも夏油さんからは甘い物が良いって言ってたから、お菓子がいいかな!」

 

灰原が元気よく拳を握る。

その言葉に、七海が歩みを止めず手元の地図を回転させる。

 

「……甘い物、ですか。夏油さんは確かに甘党の五条さんの付き合いでよく食べていますが、自ら進んで土産に所望するほどでしたか?」

 

「あ、それ僕も思った!でも夏油さん、なんだか、七直さん……や、五条さんや家入さんにも分けたいからって、ちょっと言い直してて。結局、甘いもの!って」

 

そして、さらに思い出したように続ける。

 

 

「あ!好みって言ったら!昨日高専に綺麗な女性が来てたよ!バイクに乗ったカッコいい人でさ、『どんな女性が好み?』って聞かれたんだ!」

 

灰原が思い出したように声を弾ませると、直哉が面倒そうに眉を寄せた。

 

「はぁ?なんやその不審者。……で、お前なんて答えたんや」

 

「自分はたくさん食べる女性が好きです!って。そしたら『健やかだねぇ』って褒められちゃった!」

 

「……知らない人に聞かれて答えるのもどうかと思いますよ、灰原」

 

七海は呆れるが、灰原はどこ吹く風で話を続ける。

 

「そのあと、夏油さんにも同じこと聞いてたんだ。夏油さん、最初は困ってたけど、すごく真面目に答えててさ……。凛としていて、自分を律することができて、でも苦しい時には隣にいてくれるような人がいい、とか何とか!」

 

その言葉を聞いた瞬間、直哉の歩みがピタリと止まった。

灰原に向けられた直哉の視線が、急激に温度を下げたのを七海は敏感に察知した。

 

「……ほぅん。傑くんが、そんな具体的なことを言うたんか」

 

直哉の声は低く、どこかドスの利いた響きを帯びている。

直哉にとって、七直は唯一無二の姉であり、地獄のような禪院家で共に戦い、自分を導いてくれた光だ。

それを「凛としている」だの「隣にいてくれる」だのと、いかにも彼女を連想させる言葉で語る男がいる。たとえそれが尊敬する夏油傑であっても、穏やかではいられない。

 

「そうなんだよ!だから自分、思わず言っちゃった。『それ、七直さんのことですよね!』って!」

 

「灰原。……貴方、本当に」

 

七海が頭を押さえて天を仰ぐ。

一方、直哉は義手の拳をミシリと鳴らした。

 

「……お前、本人の前でそれ言うたんか」

 

「うん!そしたら夏油さん、顔を真っ赤にして僕の口を塞いできてさ!あんなに慌てた夏油さん、初めて見たよ!」

 

灰原は「お似合いだと思うなぁ」と無邪気に笑っているが、直哉の周囲には、夏の湿気を蒸発させるほどの不穏な呪力が渦巻き始めていた。

 

「……あの、クソ真面目な顔して仏の真似事しとる前髪男が……。姉貴をそんな目で見てたんか……」

 

直哉の脳裏に、この一年の夏油の行動が走馬灯のように駆け巡る。

任務のたびに七直を誘い、二人で呪霊狩りと称して出かけていた姿。

七直が渡す飴を、慈しむように口に含んでいた横顔。

 

「傑くん……。いくら恩がある言うても、姉貴を嫁にやるなんて、僕が一秒も許さへんで」

 

直哉の独り言に、七海が冷静にツッコミを入れる。

 

「直哉。まだ誰も嫁にやるなんて話はしていません。それに、七直さんの人生を決めるのは七直さん自身です」

 

「うるさいわ!……よし、決めた。この任務、さっさと終わらせるぞ。帰りに一番高い信州蕎麦と、これでもかってくらい甘い菓子を買い込むんや。……土産は、僕からやって言って渡したる。傑くんの入る隙間なんか、一ミリも作らせへんからな!」

 

直哉はそう叫ぶや否や、投射呪法を発動し、山道の斜面を平地のように駆け抜けていく。

 

「あ!待ってよ直哉!早いよー!」

 

「……やれやれ。嫉妬深い弟を持つと苦労しますね」

 

七海は腕時計で時間を確認し、地図をしまう。

逃げ場のない山中へ、暴走し始めた直哉を追いかけて足を踏み出した。

真夏の山嶺に、灰原の笑い声と直哉の苛烈な駆動音、そして七海の深い溜息が木霊した。

 




どっかで見たことあると思ったらハガ〇ンだった。

質問コーナー

Q.禪院家騒動で扇どうなったの?

A.「星結び」と「茈」の余波で瓦礫の下敷きになり気絶してました。

直哉&直毘人(あ…あっちの方角は確か…まぁええか)

的な感じで。気絶してる間に再収用されました。ご安心を。


またね!
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