直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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玉…④

直哉、七海、灰原の三人が山道の石段を上がりきった瞬間、山の清涼な空気は一変し、鼻を突くような腐敗臭が重く立ち込めた。

 

「……おるな」

 

直哉が義手の指先を小さく弾く。

視界に飛び込んできたのは、無残に散らばった肉の残骸だった。

山に住む獣、そして任務報告にあった行方不明者たち。

それらは一様に、凄まじい力で叩き切られたように真っ二つに両断されていた。

だが、その断面は鋭利な刃物によるものではない。

無理やり引き千切られ、叩き潰されたような荒々しさが、犯人の凶暴性を物語っていた。

 

「……酷い。これ、全部あいつがやったのかな…」

 

灰原がいつもの笑顔を消し、境内の中心を鋭く見据える。

そこには、老朽化して崩れかけた拝殿を背に、異形の地蔵が佇んでいた。

高さ2メートルほど。

体には無数の蛇が絡み合った巨大な注連縄を纏い、地蔵の顔にあたる部分は、目も鼻もなく、ただ無機質な石の質感だけが不気味に、木々の間からの木漏れ日を反射している。

その周囲の樹木や石碑は、まるで巨大な鞭で抉られたかのように深く刻まれていた。

 

「っち。面倒やな。明らかに術式持ちやんけ」

 

直哉が不機嫌そうに吐き捨て、義手の駆動音を低く鳴らす。

 

「二級案件と聞いてましたが……神社、産土信仰……。これは土地神に近い、一級案件だ」

 

七海がナタを握り直し、慎重に間合いを詰めたその時。

無機質だった石の地蔵の口にあたる部分が裂け、洞穴のような暗闇から、湿った大気を震わせる声が漏れ出した。

 

[去ね]

 

呪霊の口のない場所から響いたのは、石を擦り合わせたような、重苦しく平坦な言霊。

 

「喋った……!?」

 

灰原が驚愕に目を見開くと同時に、さらに詳細を掴もうと無意識に一歩踏み出した。

その瞬間、地蔵の体に巻き付いていた巨大な蛇の注連縄が、意志を持つ生き物のように蠢き、急速に解け始める。

 

「灰原、不用意に近づくなや!下がれ!!」

 

直哉の対応は迅速だった。

 

その場に展開された見えない生得領域。

だが、[去ね]という言霊が放たれてから、猶予はわずか三秒。

三秒後、領域内に存在する、呪霊に最も近い者に対し、回避不能の断罪が下る。

 

三、二、一。

 

直哉は、灰原の肩を背後へとひったくった。

だが、その回避運動すらも、必中の術式は「確定事項」としてなぞる。

 

バキィッ!!

 

生木が折れるような、あるいは肉が爆ぜるような嫌な音が静寂を切り裂いた。

 

「ぐあああああああッ!!?」

 

灰原の絶叫が山中に木霊する。

直哉の手によって僅かに軌道が逸れたものの、逃げ切れなかった必中の鞭は、灰原の左脇腹を無慈悲に抉り、その先にある左腕を肘のあたりから容易く切断して宙に舞わせた。

ドサリと、鮮血を撒き散らしながら灰原が地面に転がる。

 

「灰原!!?」

 

最後尾にいた七海が、かつて見せたことのない焦燥を顔に張り付かせ、即座に駆け寄って止血のための呪力を練る。

灰原の顔からは急速に血の気が引き、土色の表情で喘いでいた。

 

「灰原……ッ!あ、アホかお前は!喋る個体相手に距離詰める奴があるか!!」

 

直哉は叫びながらも、その視線は灰原の切断面。

かつての自分と同じ、失われた左腕に釘付けになっていた。

一年前の自分の姿が、血に濡れる後輩の姿に重なる。

義手の拳が、軋むような音を立てて握り込まれた。

 

「……くそッ!この腐れ地蔵が……ッ!僕が、今ここで叩き潰したる!!」

 

直哉の左腕――真依が命を削って作り上げた精密な義手が、怒りに呼応するように高音の駆動音を鳴らし始めた。

 

一級仮想怨霊「御射軍神様(みしゃぐじさま)

 

それは、古来より信州の地を中心に畏怖されてきた、正体不明の土着信仰の成れの果て。

諏訪の理に根ざし、時に石であり、時に蛇であり、時に精霊とされたそれは、人々の間で触れてはならぬ祟り神として祀り上げられてきた。

現代において、その触れれば祟るという共通認識が呪いとなり、この異形の地蔵を形作ったのである。

この呪霊の術式は、徹底した拒絶にある。

自身を中心とした一定範囲内に立ち入った者に対し、[去ね]という警告の縛りを課すことで、その後の攻撃を必中へと昇華させる。

 

一つ、呪霊が「去ね」と発声。

二つ、三秒の猶予。

三つ、猶予内に領域を脱さぬ者に対し、蛇の注連縄による不可避の断罪が下る。

 

また、自分から立ち去る者を追わない、攻撃しない縛りを課し、領域の範囲を広げている。

複数人が領域内に存在する場合、攻撃対象は最も近い個体へと固定される。

 

その術式構成は極めて強力かつ理不尽。

自身に向かってくる全ての生き物を薙ぎ払う。

呪霊を祓う事を生業としている呪術師にとって相性は最悪。

 

「七海!灰原を連れて下がれや!」

 

直哉の怒号が、死の気配に支配された境内に響く。

七海は一瞬の逡巡を見せたが、灰原の出血量と浅い呼吸、そして目の前の呪霊が放つ異様な圧を測り、歯を食いしばって頷いた。

 

「……死なないでくださいよ、直哉!」

 

「あァ!?誰に口聞いとんねん!はよ下がれ!」

 

七海が灰原を抱え、全力で領域の外周へと退避する。

それを見届けた直哉は、義手の出力を最大まで引き上げた。

蛇の注連縄が再び鎌首をもたげ、二度目の[去ね]が山を震わせる。

 

(……恐らく領域。言葉の後に続く、必中の鞭。ほな、やることは一つやろ)

 

「秘伝――落花の情」

 

直哉は足を止め、呪力を皮膚表面に極限まで高めて展開した。

迫りくる必中の攻撃に対し、触れた瞬間に呪力を爆発させてカウンターで相殺する防御の極致。三秒のカウントがゼロになる。

 

ドォォォォォォン!!

 

地蔵の注連縄が解け、視認不可能な速度で巨大な蛇の鞭が直哉を襲った。

本来、落花の情は必中を呪力の反撃で弾き返す。

事実、直哉の義手から放たれた衝撃波が鞭の先端を確かに捉え、相殺した――はずだった。

 

「な、んやと……っ!?」

 

バキッ、という鈍い衝撃。ガードしたはずの義手ではなく、直哉の右肩に、燃えるような激痛が走った。

蛇の鞭は、物理法則を歪めるように義手のガードを回り込み、無防備な肉体側へと食い込んだのだ。

 

(必中対象が……義手やなくて、僕の肉体に固定されとるんか!?)

 

この呪霊の術式、御射軍神様の拒絶は、立ち入った生き物そのものを排斥する。

どれほど精巧に作られた義手であっても、それは死物。

呪霊にとっての去るべき対象は、その内側で脈打つ直哉の心臓であり、血の通った筋肉だ。必中効果が直哉の生身のパーツを自動追尾し、落花の情の迎撃範囲を嘲笑うように避けて肉を削ぐ。

 

「……っは、石コロの分際で、えらい偏食家やな」

 

右肩から溢れる血を、直哉は意に介さず、不敵な笑みを浮かべた。

肩の傷は深いが、骨は逝っていない。

一年前、甚爾に腕を捥がれた時の絶望に比べれば、この程度の痛みは生きている証でしかない。

 

(あいつにはこの義手が見えてないんやろな…………あっ)

 

直哉は右肩から流れる血を義手で強引に拭うと、確信に満ちた冷ややかな笑みを地蔵へと向けた。

 

(なるほどな。この石コロ、無機物には興味がないんやな)

 

必中の術式がわざわざ生身の肉体を狙ったという事実は、この呪霊にとって呪具や義手は風景の一部に過ぎないという致命的な欠陥を露呈させていた。

「去ね」という言葉は、生命への拒絶。

ならば、生命の介在しない一撃は、この絶対領域において感知されない物となる。

 

「……ほな、お望み通り僕の代わりにお迎えに行かせたるわ」

 

直哉は足元に転がっていた、崩れた狛犬の頭部を右腕でひっつかんだ。

生身の肩が悲鳴を上げるが、それを義手のトルクで強引に補強し、正面に据える。

 

投射呪法・拡張術式―閃!

 

直哉の瞳が、一秒間を24分割する理に固定される。

手に持った瓦礫に対し、呪力を流し込みながら一秒後の終着点を、地蔵の不気味な顔面へと固定・定義した。

 

「……ぶっ飛べや」

 

直哉が瓦礫を軽く放る。

刹那、物理法則を置き去りにした加速が爆発した。

術式拡張によって投写された瓦礫は、初速から最高速へと一足飛びに到達し、空気を切り裂く衝撃波を伴って一直線に地蔵へと突き進む。

 

[――]

 

呪霊が再び警告を発しようとしたが、その声が完成することはなかった。

超高速で射出された瓦礫は、呪霊の蛇の鞭に干渉されることも、必中の術式で防がれることもなく、無防備な石の頭部を真正面から粉砕した。

 

ドォォォォォォン!!

 

轟音と共に、地蔵の顔があった場所には大きな風穴が空く。

それだけではない。

直哉が飛ばした重弾は、地蔵の内部構造を内側から爆ぜさせるように破壊し尽くした。

 

[……、……]

 

先ほどまでの神々しい圧はどこへやら、地蔵の体は脆い石膏のようにボロボロと崩れ始めた。

この御射軍神様という呪霊は、立ち入る者を拒絶する術式に特化した分、その物理的な耐久力は二級呪霊にも劣る脆さだったのだ。

触れさせなければ最強、だが触れられれば紙細工。

その天秤の極端さが、直哉の合理的な一撃によって完全に破壊された。

 

「……あーくっそ…、しょーもな。ただの漬物石やったな、お前。こんなんに良いようにされとったんか」

 

直哉は反転術式で肩を治す。

傷口が塞がっていく感触を確かめながら、崩れた呪霊の残骸を蹴り飛ばして灰原の元へ駆け寄った。

地面は灰原の鮮血で赤黒く染まり、七海が懸命に呪力で止血を試みている。

だが、その顔はこれまでに見たことがないほど蒼白だった。

 

「灰原、大丈夫か!?」

 

「……あ……直哉……僕、ちょっと、ドジ、しちゃったみたい……」

 

「喋るな!……おい七海、どうなっとる」

 

直哉の問いに、七海は唇を噛み切りそうなほど強く結んで首を振った。

 

「……血を流しすぎてます。止血はしましたが、傷口が大きすぎる。内臓まで損傷している可能性があります。補助監督にも連絡は入れましたが、ここは麓から遠すぎる。車が来るまで、恐らく持たない」

 

七海の震える声。

それは、事務的な彼が初めて突きつけられた死への恐怖だった。

灰原の呼吸は浅く、視線が定まらない。

今この瞬間も、命の灯火が指の間からこぼれ落ちていく。

 

「……死なせん。死なせんぞ、こんなところで」

 

直哉の脳裏に、あの日の中庭で自分を救った七直の姿がよぎった。

もし今、ここに姉がいれば一瞬で解決する話だ。

だが、今この場にいるのは、反転術式で他人を治せない自分。

 

「……七海、そこをどけ」

 

「直哉……?」

 

「どけ言うとるんや!灰原、ええか。今から根競べや。僕の呪力が尽きるのが先か、助けが来るのが先か、のな」

 

直哉は震える灰原の胸元に右手を置いた。

 

「……投射呪法」

 

直哉が触れた瞬間、灰原の体がピクリと跳ね、パキィィィン!と不自然な静止状態に陥った。

 

「直哉、一体何を……っ!?」

 

「黙って見とけ!……こいつの意識に、一秒間24回の『正しい動き』を強制的に流し込んどるんや!」

 

投射呪法のルール。

一秒間に24コマ。

もし、術者が定めた動きをトレースできなかった場合、被術者は一秒間、完全にフリーズする。

直哉は、瀕死で動けるはずのない灰原に対し、あえて回避不能なほど複雑な動きを秒間24回、イメージとして叩き込み続けた。

案の定、灰原の肉体はその理不尽な命令を処理できず、術式のペナルティに捕らわれる。

一秒間の、完全な硬直。

それは、灰原の心臓の鼓動も、流れる血も、細胞の壊死さえも、術式のペナルティによって一秒間停止させられることを意味していた。

 

「……ッ、ぐ、あぁ……!」

 

直哉の額に滝のような汗が流れる。

本来、投射呪法は一瞬の隙を作るためのもの。

それを連続で、しかも他者に対してフリーズさせ続けるためにかけ続けるなど、精密機械を全力疾走させ続けるような暴挙だ。

一秒間のフリーズが解ける瞬間に、再び次の不可能な動きを叩き込む。

灰原の時間は、一秒進んでは一秒止まり、また一秒進んでは止まるという、歪な断続を繰り返す。

 

「これなら……時間は半分に稼げる。一秒の出血で、二秒生きられるんや。……七海!補助監督に連絡や!高専から悟くんでも傑くんでも、最速でこっちに向かわせろ!間に合わんかったら、僕がそこの補助監督を呪い殺すって伝えろ!!」

 

「……っ、分かりました!」

 

七海は直哉の意図を理解し、弾かれたように携帯を取り出した。

直哉の右腕が、呪力の過剰消費で悲鳴を上げ、義手の接続部から火花が散る。

 

(……動くな、灰原。死ぬな。一秒でも長く、生きるんや!)

 

自分はこの不完全な体でも一人の術師の命をこの世に繋ぎ止めている。

 

「……ええか、灰原。お前、お土産買うてくる言うたやろ。……それ食うまで、一秒たりとも離したらんからな」

 

山の静寂の中、直哉の義手の駆動音と、断続的に静止する少年の不自然な吐息だけが響いていた。

それは、かつて傲慢の塊だった禪院直哉が、初めて他人のために捧げた、泥臭くも神聖な一分一秒の戦いだった。

 




お待たせしました。

質問コーナー

Q.仮想怨霊—御射軍神様について。

A.オカルトとか土着信仰では有名な神様ですよね。長野県の諏訪辺りで、古く歴史が長いため、いろんな言い方があったりします。今回は、祟り神としての恐れをイメージして登場させました。
作中の[去ね]の言葉の後、必中攻撃が飛んでくるのに加え、さらに半径1m以内に入ると三秒後に呪力砲を放つクソ仕様になってました。それを描写する前に直哉が攻略法に気づいたのでこうなりました。
領域内に入って来た「生き物」に反応する術式なので、呪骸とかで来たら攻撃されることなく簡単に祓えます。簡易領域に近い感じです。


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