直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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玉…⑥

七直は夏油に対する気持ちに向き合いつつあった。

かつて彼女は、甚爾に対する恋慕でその身を焦がし、彼に対する愛憎と、彼を怪物にした禪院家に対する怨嗟と、彼を殺した五条に対する殺意が坩堝のように混じり合い、そして、あの星空の下に全てを出し切り、真っさらになった。

あの日から、甚爾への想いに区切りをつけ、禪院家は生まれ変わり、五条との間のわだかまりもなくなった。

その、更地となった七直の心に染み入るように入ってきたのが、夏油との、呪霊狩りという名の逢瀬だった。

きっかけは何気ない、呪霊の味についての会話だった。

そして彼女は、夏油の強さが正に泥を啜るような苦行の末に手に入れた努力の賜物であった事を理解する。

七直は以前に夏油と交流会で戦ったとき、彼の手持ちの呪霊を7割弱まで削ったことに罪悪感を覚えるも、その戦い以降、七直と夏油、そして他の高専の生徒との距離感は近くなった。

一般の出身でありながら己の術式を使いこなし、弱さを決して見せず、弱者救済という危うい理想を持ってはいたが、誰かのために頑張れるその姿勢に、七直は尊敬に似た共感を覚えていた。

甚爾が嵐の海なら、夏油は凪いだ海のような存在だろう。

夏油は基本的に他者に弱みを見せない。

だが、七直といる時の彼は少し違った。

吐瀉物雑巾のような、人の負の感情が澱り重なったものを取り込む苦痛を知っている彼女の前では取り繕わなくなった。

自分にだけ見せる最強の片割れの、年相応な弱み。

呪霊を取り込むときに顰める顔が、本当の彼の正体であり本音なのだと思った。

そして、その後のお口直しにと七直に甘味をねだる。

 

『君がいないと、私の喉は驚くほどわがままになってしまったみたいだ』

 

夏油の言葉。

 

(アレって、そういう意味、よね)

 

医務室の外、夜の静寂が広がる廊下で、七直は自分の頬が熱を帯びていくのを自覚していた。

夏油傑という男は、その端正な容姿に違わず、言葉の選び方もどこか浮世離れして優雅だ。だが、先ほど彼が口にしたわがままになったという言葉は、彼の丁寧な仮面の下にある、もっと剥き出しで、切実な渇望を孕んでいたように思えた。

七直は、カバンの中にある空になった飴缶をそっと握りしめる。

かつて甚爾に抱いていた想いは、嵐の中で難破しないよう必死に岩に縋り付くような、痛みを伴う渇きだった。

報われないと知りながら、自らを焼き尽くすまで止めることのできない猛火。

対して、今の夏油との時間は、穏やかな潮溜まりで静かに水を分かち合うような、深い安らぎに満ちている。

 

(……ズルいわ、傑)

 

七直は独りごちた。

彼は最強の一角でありながら、呪霊を取り込む瞬間にだけは、一人の人間としての苦渋を露わにする。

その醜悪な味を、不快な業を、世界でたった一人自分だけが共有し、飴というささやかな甘みで彼を現世に繋ぎ止めている。

その事実に、七直の心は甘美な優越感と、それ以上に深い愛おしさで震えていた。

 

『君がいないと、私の喉は驚くほどわがままになってしまったみたいだ』

 

言葉を反芻する。

それは、単に飴が欲しいという言葉ではない。

私の地獄には君が必要だ、と言っているのと同じではないか。

七直は、かつて更地になったはずの自分の心に、いつの間にか新しい芽が息吹いているのを感じていた。

それは甚爾を追っていた時の絶望的な熱ではなく、誰かの隣で、その苦しみさえも愛して生きていきたいという、あまりに人間らしい情愛だった。

 

 

夜の静寂が嘘のように、夏の午後の校庭には熱気が渦巻いていた。

セミの声さえ遠のくような、特級術師と禪院家の次期当主による、あまりに子供じみていて、それでいて最強に近い二人の本気の圧。

 

「どうして男って、こうなのかしら?」

 

七直は額を押さえ、深いため息をついた。

灰原が目を覚まし、医務室が安堵の涙と笑いに包まれたのも束の間。

直哉がいきなり夏油の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで「表へ出ろや」と吐き捨て、今に至る。

 

「止めんなや、姉貴。これは男と男の勝負なんや」

 

直哉は義手の指先をカチカチと鳴らし、不敵に歪んだ笑みを夏油に向ける。

肩の包帯はまだ痛むはずだが、それを無視するだけの情熱、というよりは、強烈な独占欲が彼を突き動かしていた。

 

「そうだね。こればかりは弟である君にも、譲れないものがあるんだ」

 

対する夏油は、いつもの穏やかな笑みを浮かべてはいるが、その瞳の奥には一歩も引かないという冷徹な決意が宿っている。

 

「誰が義弟(おとうと)や!寒イボ出るようなこと言うなや、この前髪が!」

 

「そこまでは言っていないだろう。だが、君がそうやって過保護に振る舞うほど、私も自分の気持ちに正直にならざるを得なくてね」

 

夏油が呪霊操術の構えを見せれば、直哉も投写呪法の理をその瞳に宿す。

二人の男が、一人の女を巡って、互いの矜持が火花を散らしている。

 

 

時は一時間程前まで遡る。

窓の外から降り注ぐ夏の高い陽光が、白いシーツを眩しく照らしている。

高専の医務室には、薬品の匂いを上書きするように、誰かが活けた瑞々しい花の香りが漂っていた。

 

「……あ、夏油さん」

 

ベッドの上で身を起こした灰原が、入ってきた夏油に気づいて、いつもの人懐っこい笑顔を向けた。

その顔色は、数日前の土気色が嘘だったかのように、若者らしい血色を取り戻している。

 

「目が覚めたようだね、灰原」

 

夏油は椅子を引き寄せ、安堵を滲ませて腰を下ろした。

 

「すみません、夏油さん……。せっかくお土産頼まれてたのに、結局買えずにこんなことになっちゃって」

 

申し訳なさそうに頭を掻こうとして、自分の左腕が厚い包帯に巻かれているのを思い出し、灰原は苦笑いを浮かべた。

その屈託のなさに、夏油は胸の奥が締め付けられるような、それでいて温かい感情を抱く。

 

「気にしなくていい。お土産よりも、君が無事でいてくれたことの方が、私にとってはよっぽど価値のあることだからね」

 

夏油は努めて穏やかに、慈しむように言葉を紡いだ。

 

「後で硝子や七直に、ちゃんとお礼を言っておきなよ。君の腕を繋ぐために、二人は本当に心血を注いでくれたんだから」

 

「はい!もちろんです!」

 

灰原が元気よく答えた、その時だった。病室のドアが静かに開き、二人の人影が入ってきた。

 

「あら、もうそんなに元気そうな声が出るのね」

 

柔らかな声と共に現れたのは、少しだけ疲労の色を滲ませながらも、穏やかな微笑みを湛えた七直だった。

その後ろには、右腕を吊ったまま、どこか不機嫌そうに視線を逸らしている直哉が続いている。

 

「灰原くん、よかった。目が覚めたのね。……調子はどう?」

 

七直がベッドの傍らに歩み寄ると、灰原の顔がいっそう輝いた。

 

「七直さん!ありがとうございます!おかげさまで元気いっぱいです!……あ、でも、さっきお昼ご飯をいただいたんですけど、お茶碗を左手で持てないのが、ちょっとだけ煩わしいですね!」

 

失われたはずの腕が、今は重さを伴ってそこに在る。

その不自由さすらも、生きている実感として笑い飛ばす灰原に、七直は愛おしそうに目を細め、その動かない左手にそっと触れた。

 

「リハビリを頑張れば、また以前のように動くようになるわ。あなたの生命力なら、きっとすぐよ。……もう少しの辛抱ね」

 

「分かりました!自分、根性だけはあるんで!」

 

灰原の迷いのない返事が響く。そのやり取りを、少し離れた場所で壁にもたれて見ていた直哉が、鼻を鳴らした。

 

「相変わらずうるさいアホやな。病人らしく少しは静かにしたええんちゃうか」

 

「あ!直哉!直哉も、本当にありがとう!自分を止めてくれたの、覚えてるよ!」

 

「……うっさいわ。僕はただ、お前に死なれたら後味悪い言うただけや。勘違いすんな」

 

直哉はぷいと顔を背けたが、その耳の端が僅かに赤いのを、夏油は見逃さなかった。

かつては自分たちの世界にはなかったはずの、後輩を守り、繋ぎ、笑い合うという景色。夏油は、隣に立つ七直の横顔を見た。

夏油は、灰原の健やかな笑顔と、彼を見守る七直の柔らかな眼差しを交互に見つめ、胸の内にあった最後の澱が消えていくのを感じた。

 

「この様子だと、リハビリも案外すぐに終わりそうだね。君の生命力には、特級の私も驚かされるよ」

 

夏油が冗談めかして言うと、七直も同意するように小さく頷いた。

 

「そうね。この調子なら、またすぐに『美味しいものを食べに行きましょう』って騒ぎ出すんじゃないかしら」

 

「あはは、バレてますか!お腹、もうペコペコなんです!」

 

視線を交わし、ふふ、と同時に零れた二人の笑み。

その空気は、あまりに自然で、それでいて周囲の者を立ち入らせないような、甘く濃密な親密さを醸し出していた。

窓から差し込む午後の光が、並んで立つ二人の輪郭を縁取り、まるで一枚の完成された絵画のような調和を生み出している。

それをベッドの上から眩しそうに眺めていた灰原が、パッと顔を輝かせて、一点の曇りもない声を上げた。

 

「……やっぱり、お二人って凄くお似合いですよね!雰囲気がそっくりっていうか、こう、バチッと決まってる感じです!」

 

静かな病室に、爆弾が投げ込まれた。

 

「……ッ!」

 

「え……」

 

七直の頬が、見る間に朱に染まっていく。

夏油もまた、いつもの優雅な微笑をピタリと固め、視線を泳がせた。

 

「灰原、君は本当に……っ、病人は寝ていなさいと言ったばかりだろう」

 

夏油が珍しく動揺を隠せず、拳を口元に当てて咳払いをする。

しかし、灰原の爆撃は止まらない。

 

「ええっ!本当のことですよ!」

 

「もう……灰原くん、変なこと言わないで。私は、ただ彼の喉がわがままにならないように飴をあげているだけよ」

 

七直が必死に弁解するが、その「飴」という単語に、夏油がさらに過剰に反応する。

 

「……そうだね。私のわがままに付き合ってくれている、大切な恩人だよ。……今はまだね」

 

「『今はまだ』って何やねん、それ!!」

 

それまで沈黙を守っていた直哉が、ついに噴火した。

 

「おい、前髪!今、どさくさに紛れて何宣言したんや!姉貴に手ぇ出す気満々やないか!」

 

「直哉、落ち着きなさい。あなたの血圧が上がるわ」

 

「落ち着けるか!さっきから見てれば、なんやそのべっこう飴みたいな甘い空気は!反吐が出るわ!」

 

直哉は右腕を吊っていることなど忘れ、義手の拳をベッドの柵に叩きつけた。

ガラン、と高い音が響く。

 

「姉貴はなぁ、甚爾くんのことで色々あって、ようやく真っさらな更地に戻ったんや!そこに勝手にプレハブ小屋建てて住み着こうなんて、僕が許さんぞ!」

 

「プレハブ小屋とは失礼だね。せめて瀟洒な邸宅と言ってほしいな。……それに、住み着くかどうかは、地主である彼女が決めることだよ」

 

夏油が静かに、しかし挑発的な色を帯びた瞳で直哉を見据える。

その余裕の笑みが、直哉の導火線に火をつけた。

 

「……ええわ。そこまで言うんなら、はっきりさせたる。姉貴を賭けて、僕と勝負や!」

 

「直哉!いい加減にしなさいよ!」

 

七直の制止も耳に入らない。

直哉はギラついた瞳で夏油を指差した。

 

「表へ出ろや、夏油傑!僕に勝てんような男に、姉貴の隣に立つ資格なんてないわ。……ボコボコにして、そのおかしな前髪、全部むしり取ったるからな!」

 

「面白い。君がそこまで言うのなら、禪院家の次期当主としてではなく、一人の弟としての不満、私が正面から受け止めてあげよう」

 

夏油は椅子から立ち上がり、ゆっくりと制服の襟を正した。

 

「傑!あなたまで乗らないで!」

 

「ごめんね、七直。これは、これからの私たちの関係のために、避けては通れない道のような気がするんだ」

 

夏油は七直の横を通り抜ける際、一瞬だけ彼女の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。

 

「――勝ったら、今日の寄り道は、君の部屋でお茶を淹れてくれるかい?」

 

「っ……!」

 

顔を真っ赤にして固まる七直を置き去りに、夏油は「お先に失礼するよ」と優雅に病室を後にした。

 

「待てコラ!逃げんなや!」

 

直哉がそれを追い、ドタドタと廊下へ駆け出していく。

静まり返った病室で、灰原が「あーあ、行っちゃいましたね」と暢気に呟いた。

 

「……何が『お似合い』よ。ただの子供じゃない、二人とも」

 

七直は熱を持った頬を両手で押さえ、窓の外を見遣った。

校庭からは、すでに呪霊が咆哮する音と、空気を切り裂く投写呪法の駆動音が響き始めている。

蝉時雨の中、最強の片割れと、不器用な弟。

二人を突き動かしているのが、自分へのあまりに真っ直ぐな情愛であることを、七直はもはや否定できなかった。

 

(……お茶くらい、いくらでも淹れてあげるわよ。馬鹿ね)

 

そう独りごちた彼女の口元には、かつての嵐のような恋にはなかった、穏やかで誇らしげな微笑が、夏の光を受けてキラキラと輝いていた。

 




次回、禪院直哉vs夏油傑!

質問コーナー

Q.二人の関係を察せれた高専の人物は?

A.ほぼ全員が分かっていたと思います。呪術界狭いですし。

五条「やっぱ?おめっとさん!いつ籍いれんの?」
家入「まぁ時間の問題だとは思ってたわ」
灰原「やっぱり!いつも一緒だからそうなんじゃないかな!って思ってました」
七海「見せつけられるこっちの身にもなって下さい」
直哉「くぁwせdrftgふyじこlp;@」
歌姫「七直がクズに毒されちゃう!?」
夜蛾「これで傑のやつも落ちついてくれると助かる」
冥冥「おめでとう。祝い金は弾んどくよ」
天内「きゃーー!素敵!ねぇねぇ、どんな馴れ初めだったの!教えて!」
伊地知「ひぇ!お、おめでとうございます!」

こんな反応かと。あと伊地知すまん。存在を忘れていた。3年になったから一年生で入って来たんだった。

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