直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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玉…⑦

校庭の乾いた土が、直哉の踏み込みと同時に爆ぜた。

 

「行くで、前髪!」

 

直哉の姿が、視認した瞬間に輪郭を失う。

一秒間を二十四分割する投写呪法の理。

それは速さという概念すらも追い越す、確定された一秒間の跳躍。

夏油の視界の端、コンマ数秒前の残像を置き去りにして、直哉はすでに懐へと潜り込んでいた。

 

(速い……!)

 

夏油は内心で舌を巻いた。

一年前、七直が見せたあの変幻自在の機動力。

だが、直哉のそれは純度が違った。

七直が星の運行のような多角的な動きを見せるのに対し、直哉の投写呪法は、ただひたすらに目的地へと最短・最速で到達するための、研ぎ澄まされた刃のような鋭利さがある。

 

(これが七直にも刻まれていた、投射呪法の本家……!七直のよりも、圧倒的に速い!)

 

直哉の義手が、夏油の胸元に触れようとしたその瞬間。

術式のルールを知る夏油の脳が、瞬時に最適解を弾き出した。

投写呪法のルールを逸脱した動きをすれば、一秒間の完全なフリーズ。

生身でそれを受ければ、直哉の追撃で詰む。

 

「……だが、私に触れるのは簡単じゃないよ」

 

夏油が指を鳴らす。

直哉の指先が夏油の服を掠める寸前、空間が歪み、そこへ影から這い出した小型の低級呪霊が割り込んだ。

 

「あァ!?」

 

パキィィィン!という、空気が凍りついたような異様な静止音。

直哉が定めた一秒間の軌道に干渉された結果、術式のペナルティが発動する。

だが、そのフリーズの代償を支払ったのは、夏油本人ではなく、盾として差し出された哀れな呪霊だった。

 

「呪霊をクッションに……っ、小癪な真似しおって!」

 

フリーズした呪霊を弾き飛ばし、直哉は空中で一回転して着地する。

直哉の瞳には、一秒を刻む理の輝きが依然として宿っているが、夏油もまた、周囲に十数体もの呪霊を展開し、鉄壁の陣を敷いていた。

 

「君の術式は強力だが、その分ルールが明確だ。対象を強制的にフリーズさせるなら、その対象を私以外に変えてしまえばいい」

 

夏油は余裕を崩さず、流れるような手つきで呪霊たちを操る。

それは、かつて交流会で七直に呪霊を削られた経験から得た、対・投写呪法の戦術的進化でもあった。

 

「舐めんなや!」

 

直哉の咆哮が響く。

夏油が展開した呪霊の群れを、直哉は避けることすらしない。

投写呪法の連続起動。自身の動きを二十四コマに固定し、重なり合う呪霊の隙間を、針の穴を通すような精密さで縫い抜ける。

 

「一秒先の僕は、もうそこにはおらんのや!」

 

加速。

さらに加速。

呪霊の爪が空を切り、夏油の眼前に直哉の不敵な笑みが迫る。

だが、夏油傑の瞳に焦りはない。

彼は静かに、次の呪霊を解き放った。

 

「君を近づけさせるわけにはいかなくてね」

 

どろり、と。

真夏の陽光を吸い込むような、どす黒い影が二人の間に広がった。

直哉の視界が急速に色を失い、代わりに現れたのは、ボロボロのトレンチコートを纏い、巨大な鋏を手にした異形の女。

 

仮想怨霊――「口裂け女」

 

「わ……タシ……き、キ……れイ……?」

 

空気が凍りつく。

直哉の身体が、不可視の糸で縛り付けられたように重くなる。

簡易領域の一種。

質問に対する答えが出るまで、互いに一切の干渉を禁ずる強制的な静寂。

 

(っち!領域……!面倒なもん出しおって)

 

直哉は内心で舌を打ちながら、皮膚の表面に呪力を高密度に展開した。

 

「秘伝――落花の情」

 

必中の術式が発動した瞬間にカウンターで弾き飛ばす防御の極致。

だが、この領域に漂うのは、攻撃の気配ではなく、ただ執拗に繰り返される問いかけ。

 

「ワタシ……きれい……?」

 

巨大な鋏の刃が、直哉の喉元に触れるほど近くで、カチリ、と音を立てる。

この質問にどう答えるか。

肯定しても否定しても、術式は発動し、無理難題を突きつけられる。

直哉は、喉元に迫る鋏を見下ろし、この場に相応しくないほど傲慢で、清々しいまでに冷淡な笑みを浮かべた。

 

「……答えるまで何も起きんのやったら、とっとと答えを教えてやるわ」

 

直哉は義手の手指をカチカチと鳴らし、口裂け女の濁った瞳を正面から見据える。

 

「鏡見て出直してきぃや!ブスが!」

 

直哉の罵声が、口裂け女の生得領域に響き渡った瞬間。

静寂は、耳を劈くような女の金切り声へと塗り替えられた。

膨れ上がった殺気と巨大なハサミが、四方八方から直哉の首を目掛けて殺到する。

だが、直哉の瞳に宿る理は、その狂乱の刃さえも二十四の断片として捉えていた。

 

「秘伝・落花の情!」

 

直哉の全身から溢れ出した呪力が、触れた瞬間に炸裂するカウンターとして機能する。

ガギィィィン!と火花が散り、領域の必中効果を呪力操作の極致でねじ伏せる。

本来、直哉にとって領域からの脱出は容易ではない。

だが、今の彼を突き動かしているのは、自分という存在そのものに対する絶対的な自信と、姉への歪なほどに純粋な独占欲だった。

 

「誰が綺麗やねん。この世で綺麗なもんなんて、姉貴一人で十分や!」

 

直哉は義手の出力を跳ね上げ、目の前の空間を殴りつけるように踏み込んだ。

投射呪法・一秒間の確定。

口裂け女が次の一手を繰り出す前に、直哉は領域を構成する呪力の結び目を、その超速の打撃で強引に引き千切る。

パリン、とガラスが割れるような音と共に、領域が霧散した。

 

「……っは、期待外れやな」

 

校庭の土を再び踏んだ直哉の前には夏油が立っていた。

仮想怨霊を、たった一撃で、しかも性格の問題で突破されるとは思わなかったのだろう。

 

「……君、本当に口が悪いな。女性にあんなことを言うなんて。七直はもっと優雅に返していたよ」

 

「綺麗ちゅう言葉は姉貴のためにあるんや、他は有象無象やろ」

 

「まいったな、完全に否定できない自分がいるよ。だが…」

 

口裂け女の影が消えた跡。

そこには、夏油が新たに配置した三体の壁が立ち塞がっていた。

首のない、不気味なほどに筋骨隆々とした人型の呪霊。

それらは夏油の呪力によって再構築され、一つの生命体として、あるいは精緻な兵器として、直哉を包囲するように展開されていた。

 

「これでおしまいだ、直哉くん。君の速さを封じさせてもらうよ」

 

呪霊の一体が地面に手を触れ、術式を発動する。

瞬間、直哉の足元の地面が、まるで熱した飴細工のようにドロリと形を失った。

 

(地盤軟化……!?)

 

投写呪法にとって、足場の安定は生命線だ。

一秒間の軌道を脳内で定義する際、踏み込む地面の摩擦や反発係数が変動すれば、その瞬間に術式のトレースは不可能になる。

直哉の身体がわずかに沈み込んだ、その隙を彼らは見逃さなかった。

 

「ガ、アアアアア!!」

 

一体の呪霊が、首のない喉元から地鳴りのような咆哮を上げた。

 

――術式「共振」

 

空気を伝う震動ではない。

直哉の頭蓋の内部、三半規管に直接、呪力の不協和音が叩き込まれる。

 

「ぐ、あぁ……っ!?」

 

平衡感覚が、上下左右の概念と共に掻き回される。

視界が歪み、一秒間を二十四分割するはずの瞳のピントが合わない。

直哉の強みである精密な一秒が、内側から瓦解していく。

 

「トドメだ」

 

夏油の冷徹な号令と共に、最後の一体が動き出した。

その移動は、歩行でも疾走でもなかった。

 

――術式「水平移動」

 

足場の軟化も、空気の抵抗も無視し、まるで空間そのものを滑るようにして直哉の懐へと一直線に滑り込む。地、水、火、風。

あらゆる環境に左右されない、絶対的な接近戦のスペシャリスト。

 

三方からの同時攻撃。

足場は底なしの沼となり、意識は吐き気と共に揺らぎ、眼前には回避不能の重戦車。

 

「直哉!!」

 

七直の声に、焦燥が混じる。

だが、その絶体絶命の瞬間。直哉は、歪んだ視界の中で、かつてあの中庭で、たった一人で最強に爪を立てた姉の背中を思い出していた。

 

(……舐めるな言うとるんや……!)

 

直哉の脳裏で、一年前のあの日がスローモーションのように再生される。

瓦礫の山、崩壊した生家、そして誰にも届かない場所で輝いていた姉の星空。

自分はあの時、ただ見ていることしかできなかった。

だが、今の自分には、あの時とは違う「理」が、この左腕に宿っている。

 

「……あんなべっこう飴野郎に、姉貴は渡さん!」

 

平衡感覚を掻き乱す不協和音が、脳漿を焼くように響く。

足元は泥濘と化し、三半規管は上下を失ったまま。

だが、直哉は無理やり瞳を見開き、自分を中心とした全方位、三百六十度の空間を、強制的に二十四分割のフレームへと叩き込んだ。

 

定義するのは、自分の肉体の動きではない。

この左腕――真依が作った、義手の挙動だ。

 

「投射呪法・拡張術式――閃!!」

 

直哉が義手の接続部を、あえて自らの呪力で爆破するように解放した。

瞬間、高濃度の呪力が義手の内部機構を駆け巡り、音速を超える物理的圧力へと変換される。

 

ドォォォォォォン!!

 

「な……っ!?」

 

夏油の目が驚愕に見開かれた。

眼前に迫っていた水平移動の呪霊。その胸元の中央が、何が起きたのかを理解するよりも早く、巨大な風穴を開けて背後まで貫通した。

 

直哉は、義手を振るのではなく、射出したのだ。

 

三半規管が狂っていようと、足場が沈んでいようと関係ない。

固定した一点に向かって、パーツを弾丸として撃ち出す。

それは投射呪法の理を、自分自身ではなく物体に投影させた、直哉独自の拡張術式。

水平移動の呪霊は、その絶対的な直進性を逆手に取られ、直哉が放った義手の重弾を正面から受け止める形となり、内側から爆ぜるようにして霧散した。

 

だが、直哉の攻勢はそれだけでは終わらない。

 

「おまけや、受け取れ!」

 

射出された義手は、呪霊の体を貫いた後もその勢いを殺すことなく、背後の空間を切り裂く。

直哉は、切断された左腕の付け根から伸びる目に見えない呪力の糸を、指先で強引に引き絞った。

 

投射呪法は、定義した動きを完遂しなければならない。

直哉が定義した義手の軌道は、一体目を貫いた後、大きく弧を描いて地盤軟化の呪霊の頭上へと落ちる――。

 

パキィィィィン!

 

空間を無視したような急旋回。

物理法則を嘲笑うように軌道を変えた義手の拳が、地盤を操っていた二体目の呪霊の脳天を、巨大な杭のように垂直にブチ抜いた。

 

「ガ、ア……ッ!?」

 

術者の死と共に、泥濘と化していた校庭の地面が、一瞬にして元の硬度を取り戻す。

 

「……はぁ、はぁっ、……見てたか、前髪ぃ…」

 

直哉は、肩の断面から噴き出す熱気に顔を歪めながら、不敵に笑った。

左腕の義手はもう、そこにはない。拡張術式『閃』の代償――それは、真依がそして禪院の職人たちが作り上げた物を、文字通り一発限りの使い捨て弾丸として消費し、自ら破壊することだった。

 

(……すまん、真依。これ、ほんまは大事にせなあかんかったんやけどな)

 

胸の奥で、淡く消えかけた少女の面影に、苦い謝罪を捧げる。

職人が魂を込めて調整した緻密な機構、滑らかな呪力伝導の感触。

それを、ただの意地を通すためだけに木っ端微塵に砕いた。

だが、後悔はなかった。

他人の命を守るために術式を回した灰原の時とは違う。

今の自分を突き動かしているのは、ただ一点。

分を最強への道へと導いてくれた、あの姉の隣に立つ資格があるのは自分だという、あまりに独善的で、醜くも誇り高い執念。

 

(帰ったら泣かれるかもな…今は、この前髪を黙らせる方が先や!)

 

パキィィィィン!と空気が弾けるような音が響く。

義手を射出した反動で、直哉の体は大きくよろめいた。

左肩の接続部からは火花が散り、剥き出しになった神経が焼けるような激痛を訴えている。

だが、二体の呪霊を瞬時に葬り去られた夏油の目は、もはや彼を手のかかる後輩としては見ていなかった。

 

「……素晴らしいね、直哉くん。正直、驚いたよ」

 

夏油は、霧散していく呪霊の残滓を背に、静かに拍手を送る。

その瞳に宿るのは、一級術師・禪院直哉という一人の男に対する、最大級の警戒と敬意だった。

 

「己の一部を壊してまで、その一撃に全てを懸けるか。……君は、思っていた以上に術師らしい」

 

「……当たり前や。禪院やぞ。僕は、姉貴の隣に立たなあかん男なんやから」

 

義手は失った。

だが、地盤は元に戻り、三体目の攪乱タイプも直哉の瞳に捉えられている。

 

「夏油傑。……次で、終わりや」

 

直哉の瞳が、再び二十四分割の理を宿す。

一年前、あの更地から立ち上がった少年は、今、自らの身体の一部を再び供物に捧げることで、特級という巨大な壁を乗り越えようとしていた。

その凄絶な気迫に、校庭の熱気が一瞬、氷ついたように静まり返る。

セミの声さえも、これからの衝突を予感して口を閉ざした。

 

「……いいだろう。なら、私も特級らしく、全力で君の意地を叩き潰させてもらうよ」

 

夏油が呪霊操術の底知れぬ深淵をその手に顕現させる。

夏の午後の静寂を切り裂いて、二人の影が、再び激突した。

 

 

七直は日陰のベンチに腰を下ろし、呆れと、そして自分でも制御しきれないほど膨らむ心配を抱えながら、目の前の光景を眺めていた。

轟音。

砂塵。

そして、空気を震わせる巨大な呪力のぶつかり合い。

直哉は義手の駆動音を最大に鳴らし、一秒間を24分割する理を肉体へ強制。対する夏油は、幾重にも重なる特級の呪力障壁を展開しつつ、変幻自在の呪霊たちで包囲網を敷く。

 

「なーに面白そーなことしてんの?」

 

背後から、軽薄なほど明るい声が届いた。

振り返るまでもなく、それが五条悟であることはわかっている。

 

「ただの喧嘩よ。直哉が煽って、傑もそれに乗っかったの」

 

七直は深いため息をつき、視線を再び戦場へ戻した。

五条は七直の隣にどさりと座り込み、サングラスを少しずらして戦況を眺める。

 

「へぇ、にしては嬉しそうじゃん、七直」

 

五条の言葉に、七直は思わず自分の頬を触れた。

そこには確かに、自分でも無意識のうちに浮かべていたであろう、微かな熱が残っている。

 

「嬉しい……?私が?」

 

「そ。隠せてねーよ。六眼じゃなくても分かるわ」

 

校庭では、夏油の放った無数の呪霊が黒い奔流となって直哉を呑み込もうとし、それを直哉が片腕一本で、文字通り空間を切り裂くような速度で跳ね除けている。

その光景は、端から見れば一触即発の殺し合いだ。

けれど、七直の目には、それが一年前の絶望のぶつかり合いとは全く違うものに映っていた。

 

「直哉は、これまであんなに楽しそうに戦う子じゃなかったわ。……傑もそう。あんなに感情を剥き出しにして、子供みたいに意地を張って」

 

七直は、砂塵の舞う校庭を見つめながら、穏やかな声音で続けた。

 

「……あの子たちが、私のために戦っている。それが、少しだけ……いえ、かなりこそばゆくて、でも、悪くないと思っているのかもしれないわね」

 

かつて甚爾という男を追いかけていた頃、七直は常に一人だった。

誰かに守られることも、誰かが自分のために拳を振るうことも、自分には許されない贅沢だと思い込んでいた。

けれど今は、大切に育ててきた不器用な弟が、そして、自分の孤独な喉を癒やしてくれる男が、全力でぶつかり合っている。

 

「愛されてんなぁ、七直は」

 

五条がサングラスをずらし、ニヤリと笑う。

「ま、傑があんなに必死なのも珍しいし。直哉も、腕一本ぶっ壊してまで引かないってのは、相当本気だぜ。……七直、お前、どっちが勝つと思う?」

 

五条の問いに、七直は少しだけ考えてから、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「そうね……。勝った方のわがままを一つ、聞いてあげることにするわ」

 

「うわ、それは酷だわー。傑、今の聞いた瞬間に呪霊の出力三倍くらいにするんじゃねーの?」

 

五条がゲラゲラと笑う横で、七直は再び戦場へと視線を戻した。

 

「……でも、これ以上怪我が増えたら、お茶じゃなくてお説教ね。二人とも」

 

その呟きは、激闘の音にかき消されて誰の耳にも届かなかったが、七直の瞳には、かつての怨嗟や悲しみは微塵もなかった。

そこにあるのは、自分を大切に想う者たちが作り出す、騒がしくて温かな現在を慈しむ、深い愛情の色だった。

 




口裂け女「わたし、キレイ?」

甚爾「趣味じゃねぇ」
七直「もっと自分を磨いたら?」
直哉「鏡見て出直せや!ブスが!」

口裂け女「お前ら、人の心とかないんか?」


質問コーナー

Q.七直「傑、よくあの口裂け女の呪霊使うわよね。なんで?」

A.夏油「仕切り直しにちょうどいいからさ」



あの甚爾も一瞬足止めできてたからね。使い勝手がいい。


誤字脱字報告ありがとうございます!ほんとにいつも助かってます!
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