直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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玉…⑪

九十九由基の提案は理子にとってかなり魅力的に映っていた。

 

「もしも……付いて行ったら、私は強くなれるの?」

 

理子が発した言葉は、教室にいた全員の予想を裏切るものだった。

震えながらも、その瞳には一年前、死を覚悟した時にさえ見せなかった強い光が宿っている。

 

「理子!?」

 

七直がたまらず声を上げる。

その横では五条がサングラスを完全に額まで上げ、夏油は目を見開いたまま固まっていた。九十九は、理子のその問いを待っていたかのように、満足げに口角を上げた。

 

「もちろんだとも。私が鍛えてあげる。身体の使い方だけじゃない、私が持ちうる呪術の知識、世界の理……その全てを君に授けてもいい」

 

「ちょっと待って。話が飛び過ぎよ」

 

七直は理子を庇うように一歩前へ出た。

九十九という女が嘘をついているようには見えない。

だが、あまりに破格の提案だ。

特級術師が、一人の少女に自身の全てを継承させようなど、常軌を逸している。

 

「九十九さん。……失礼だけど、あまりに話がうますぎるわ。何の保証があって、そんなことを言うの?理子を自分の研究材料にしたいだけじゃないの?」

 

七直の鋭い問いかけに対しても、九十九は不敵な笑みを崩さない。

だが、その瞳には研究者としての冷徹さではなく、どこか切実な、かつての自分を見つめるような情熱が湛えられていた。

 

「怪しいのは百も承知さ。でもね、私は本気だよ。この子が持っている可能性は、君たちが思っている以上に大きい。天元との同化を拒否し、自らの足で歩き始めた魂には、世界を変えるだけの資格がある」

 

「何故そこまで、理子ちゃんに肩入れするのですか?」

 

沈黙を守っていた夏油が、低い、しかし響く声で尋ねた。

彼は、美々子と菜々子を救い出し、新しい家族の形を模索し始めたばかりだ。

だからこそ、理子という少女を無責任に外の世界へ連れ出そうとする九十九の真意を、術師として、そして一人の保護者として見極めようとしていた。

九十九は一度、夏油から七直、そして五条へと視線を移し、最後に窓の外の遠い空を仰いだ。

そして、それまで隠していた自身の本質を、最も重い言葉として吐き出した。

 

「何、単純な理由だよ。……私も、元・星漿体だったからさ」

 

教室の空気が、瞬時に氷結した。

 

「……は?」

 

五条の短い、剥き出しの困惑。

硝子がキャンディーの棒を指から落とし、パチンと床に乾いた音が響く。

七直は、心臓を直接握られたような衝撃に、言葉を失った。

 

「君たちが一年前、天元の同化を壊す前に……同化を免れ、あるいは選ばれず、術師として生きる道を選んだ星漿体は、過去に何人もいた。私もその一人だよ」

 

九十九は自嘲気味に笑い、理子の震える肩に視線を戻した。

 

「天元の声が聞こえ、いつか自分が自分でなくなる運命に怯え、それでも誰かのためにと自分を殺す。……その地獄を知っているのは、世界で私と君だけだ、理子ちゃん」

 

理子の肩が、小さく跳ねた。

今まで、五条や夏油、七直がどれほど優しく接してくれても、心の奥底で拭えなかった孤独。

自分は普通の人間ではない、化け物と同化するための器なのだという拭えない呪い。

それを、目の前の特級術師は自分も同じだと言い切ったのだ。

 

「私はね、天元と同化せずに済んだ後、この腐った呪術界のシステムを根底から変えたいと思った。だから特級にまで上り詰め、世界を回って原因を探し続けた。……でもね、私一人じゃ足りないんだよ」

 

九十九は、理子の前に跪き、彼女の目線に合わせた。

 

「理子ちゃん。君は、私が見られなかった同化が阻止された後の世界の最初の体現者だ。君が強くなり、自分の足で世界を歩くことは、かつての私や、救われなかった過去の星漿体たち全員への救済になるんだよ」

 

「九十九さん……」

 

理子の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。

七直は、九十九に向けようとしていた反論の言葉を、全て飲み込んだ。

九十九由基の提案。

それは単なるスカウトではなく、同じ地獄を歩んだ先達からの、祈りにも似た招待状だった。

五条はサングラスを指で弄りながら、視線を夏油に向けた。

夏油は、七直の手を強く握り、今の言葉の重みを噛み締めるように目を閉じている。

 

「……あー、クソ」

 

五条が椅子から立ち上がり、ポケットに手を突っ込んで九十九を睨みつけた。

 

「あんた、ずるいわ。そんなこと言われたら、こっちが引き止めるのが悪者みたいじゃねーか」

 

「はは、最強の君が悪者扱いされるなんて、今更だろ?」

 

九十九は笑いながら立ち上がると、再び理子に手を差し出した。

 

「どうする?理子ちゃん。高専で仲間に囲まれて、安全に守られて生きる道。……それとも、私と一緒に世界へ飛び出し、自分の呪いを力に変える道」

 

理子は泣きながら、けれど力強く、自分の袖で涙を拭った。

そして、隣に立つ七直を、五条を、夏油を見た。

 

「ナナ。悟。傑。……私、行ってみたい。守られるだけの私は、もう嫌なの。……次に会った時、私がみんなを驚かせるくらい強くなって、今度は私がみんなを守れるようになりたい!」

 

理子の決意は、初夏の風のように清々しく、教室にいた全員の胸に突き刺さった。

 

「……理子。あなた、本当にいいの?」

 

七直の問いに、理子は満面の笑みで頷いた。

 

「うん!九十九さんは、私と同じ匂いがするもん。大丈夫、絶対強くなって帰ってくるから!」

 

七直は深く、深く溜息をつき、それから隣の夏油を見た。夏油は穏やかな笑みを浮かべ、七直の肩を優しく叩いた。

 

「……彼女が選んだんだ。尊重してあげよう、七直」

 

「……わかってるわよ。わかってるけど、寂しいじゃない」

 

七直はそう言って、理子を思い切り抱きしめた。

一年前、血まみれになりながら守り抜いた命。

それが今、自分の翼で羽ばたこうとしている。

かつて更地になった彼女の心に、夏油との絆が芽吹き、直哉が成長し、そして理子が未来を選んだ。

 

「……九十九さん。もし、理子の髪の毛一本でも傷つけてみなさい。私が禪院家の全戦力を率いて、あなたを世界の果てまで追い詰めるから」

 

「ははは!怖いねぇ。特級に喧嘩を売る次期当主か。期待してるよ」

 

九十九は楽しそうに笑い、理子の背中を叩いた。

 

「…ねぇナナ。この人になら、見せても良いんじゃないかな」

 

理子が真剣な眼差しで、隣に立つ七直を見つめる。

七直は一瞬、戸惑うように視線を泳がせたが、理子の瞳に宿る覚悟の色を認めると、ゆっくりと深く頷いた。

 

「……そうね。私も、理子の意志を尊重するわ。九十九さんなら、あるいは……」

 

「おや、何の話かな?私の好奇心をそそるような秘密があるのかい?」

 

九十九が興味深げに眉を上げ、長い脚を組み替えた。

特級術師の鋭い感性が、理子の放つ空気の変化を敏感に察知している。

 

「実は、私の術式のことなんだけど……」

 

「ほう。術式だって?君は非術師として生涯を終える予定だった星漿体のはずだが……」

 

「最初はそう思ってた。でも、あの日、ナナが死にかけの私を助けてくれた時に、私の中で何かが弾けたの。……見てて」

 

理子は九十九の前に立ち、その華奢な掌を上に向ける。

刹那、教室の空気が密度を増した。

理子の手の中から、夜空の断片を切り取ったような、淡く瞬く青白い光が溢れ出す。

それは呪力というよりも、もっと根源的な生命の形そのものにも見えた。

 

「術式『星の祈り』。……魂の形を、あるべき姿へ編み直す力よ」

 

九十九の瞳が、驚愕に見開かれた。

 

「魂の……編み直しだと?冗談だろう。それは反転術式ですら不可能な領域のはずだ」

 

「嘘じゃない。肉体の欠損だけじゃない、魂そのものに刻まれた傷……例えば、釈魂刀?で斬られたような修復不能な傷さえも、私は元に戻せる」

 

理子の言葉を裏付けるように、夏油が静かに一歩前へ出た。

 

「九十九さん。これは本当だ。かつて…術師殺し、禪院甚爾の持つ釈魂刀で傷を負った私が死にかけた時、彼女のこの力に救われた。……だが、それはあまりにも危うい力なんだ」

 

理子の表情が、少しだけ陰る。

彼女はその白く光る手を握りしめ、自身の術式に課せられた過酷な縛りを、一文字ずつ噛みしめるように語り出した。

 

「この力を使うには、三つの約束が必要なの。一つ目は、治している間、ずっと相手に触れ続けること。二つ目は、相手の受けている激痛を、私も全く同じように感じること。……そして三つ目」

 

理子は自分の胸元を強く押さえた。

 

「相手の傷を、一度私の魂に引き写すこと。私の器を通して、傷を濾過して、綺麗な形に戻してから相手に返すの。だから、もし私の魂が相手の絶望の深さに耐えきれなくなったら……私が先に壊れる」

 

沈黙が教室を支配した。

 

五条は苦々しく顔を歪め、窓の外へ視線を逸らした。

最強の彼にとっても、理子のこの自己犠牲の塊のような力は、見ていて気分のいいものではなかった。

 

「……自己完結型の極致、そして自己犠牲の権化か。星漿体という、他人のために自分を捧げる存在だった君だからこそ、産み落とされてしまった呪いだね」

 

九十九の声から、先ほどまでの快活さが消え、代わりに底知れない重みが宿った。

彼女は理子の手を取り、その手のひらを見つめる。

 

「君は、天元という神の器になることを拒否した。なのに、君の術式は依然として誰かのための器であることを選んでいる。……皮肉だねぇ、本当に」

 

「そうね。だから私は、九十九さんに付いていきたいの」

 

理子は九十九の手を握り返した。

 

「今の私のままじゃ、きっといつか、誰かの傷を抱え込みすぎて死んじゃう。でも、もし私が強くなって、もっと大きな器になれたら?魂の扱いを完璧に覚えたら?……そうすれば、誰も犠牲にせずに、みんなを守れるようになるかもしれない」

 

九十九はしばらく無言で理子を見つめていたが、やがて、我慢しきれないといった様子でククク、と肩を揺らした。

 

「あっはっはっは!傑作だよ!まさか、天元以上の『魂の専門家』が私の目の前に現れるなんてね!」

 

九十九は立ち上がり、理子の頭を乱暴に、けれど慈しむように撫で回した。

 

「いいかい、理子ちゃん。君のその術式は、世界を変えるどころじゃない。呪術そのものの概念をひっくり返す劇薬だ。上層部がこれを知ったら、それこそ君を一生地下に幽閉して『最高の治療具』として使い潰すだろうね」

 

「……だから、絶対に秘密にしてきたの。私たちだけの、内緒の話」

 

七直が九十九を牽制するように横から釘を刺す。

 

「わかってるよ、七直ちゃん。……よし、決まりだ。理子ちゃん、君を世界一の術師に、そして世界一わがままな自由人に育て上げてあげる。魂を削って誰かを救うなんてのは、もうおしまいだ。これからは、魂を燃やして自分のために戦う術を教えよう」

 

「うん……!よろしくお願いします、師匠!」

 

理子が弾けるような笑顔を見せた。

その輝きは、確かに教室の澱んだ空気を一瞬で浄化するほどに強かった。

 

「……ま、そーいうことなら、俺も少しは安心かな」

 

五条が椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。

 

「九十九由基。理子を泣かせたら、マジで海外まで追いかけて虚式ブチ込むからな。あ、あと傑が寂しがって呪霊と一緒に泣き言言いに来ても、無視していいぜ」

 

「悟、一言多いよ」

 

夏油が苦笑しながら、しかしその瞳には理子への深い信頼と、少しの寂しさを滲ませていた。

 

「さて、そうと決まれば準備は早いほうがいい。……七直ちゃん、少し彼女と二人で話をさせてくれるかい?旅の支度の前に、彼女の魂の形をもう少し詳しく視ておきたいんだ」

 

九十九のその提案に、七直は理子の顔を見た。

理子は力強く頷き、「大丈夫、ナナ」と口パクで伝えてくる。

 

「……わかったわ。でも、無理はさせないで。理子はまだ、成長期の女の子なんだから」

 

七直たちは、九十九と理子を教室に残し、ゆっくりと廊下へ出た。

夏の西日が差し込む長い廊下。

そこには、新しい家族が増えた喜びと、大切な家族が旅立つ寂しさが、混ざり合って漂っていた。

 

「……行っちゃうわね、理子」

 

七直の呟きに、隣を歩く夏油が静かに応じる。

 

「ああ。……だが、これでいい。彼女はもう、誰かの身代わりではなく、自分のために生きる道を見つけたんだから」

 

「……傑。あなた、泣くんじゃないでしょうね?」

 

「まさか。……君がいるのに、私が泣く暇なんてないだろう?」

 

夏油の冗談めかした言葉に、七直は少しだけ救われたような気がして、その大きな手のひらをギュッと握りしめた。

 

「そうね。……さて、傑。私たちも、やることが山積みよ。あの村から連れてきた子たちの部屋も準備しなきゃいけないし、上層部への報告書も……」

 

「わかっているよ。……でも、その前に」

 

夏油は足を止め、窓の外、黄金色に染まる山々を見つめた。

 

「少しだけ、この風を感じていたい。……一年前には想像もできなかった、この自由な風を」

 

五条は少し先を歩きながら、二人の様子を振り返りもせずに片手を挙げてヒラヒラと振った。

 

「ヒューヒュー!仲がよろしいことで!俺は直哉のとこ行ってくるわ!『お前の姉貴、もう傑のものだぞ』ってな!」

 

「「悟!!」」

 

二人の怒号が夕暮れの高専に響き渡る。

理子の旅立ち、新しい家族の到来、そして、九十九由基という特級が持ち込んだ未知の変革。

更地から始まった物語は、今、さらに予測不能な色彩を帯びて、激動の季節へと突き進もうとしていた。

 




理子、旅立つ。

質問コーナー

Q.どのくらいの期間行ってしまうのか?

A.未定ですが、年に一度くらいは顔を見せに来ると言ってます。
また、時期的に東堂の弟子入りと被りそうですが、多分姉弟子になるかと。


皆さま、いつも応援ありがとうございます!
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