直哉のお姉ちゃんになっちゃった…。   作:ザボン漬け

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2017年春

2017年、春。

京都の竹林を揺らす風は、どこか名残惜しげに湿り気を帯びている。

禪院道場の寄宿舎、その一室では、真希が手際よく荷物を段ボールに詰め込んでいた。

幼少期の頃、ここが呪いの檻だったとは考えられなかったほど、彼女の持ち物は豊かになっていた。

真依が夜なべして調整した呪具の数々、七直から贈られた頑丈な戦闘服、そして仲間たちと撮った数え切れないほどの写真。

 

「……本当に行くのね、東京」

 

入口に寄りかかり、腕を組んでそれを見守る真依の声は、わざとらしく冷ややかだった。

だが、その視線は真希がパッキングしている呪具の予備パーツ——真依が昨日まで血眼になって仕上げた新作——に注がれている。

 

「ああ。ここは居心地が良すぎるんだよ。七直姉様も傑さんも、直哉の奴だって、あたしを家族として扱ってくれる。……でも、それに甘えてたら、あたしはあの病室で眠ってる京子様に、胸を張って会いに行けねー気がするんだ」

 

真希は最後の手荷物を締め、不敵に笑って振り返った。

 

「あっちには、あの最強が教師として踏ん反り返ってるんだろ?来年には恵も入学するって聞いてるし、あたしの実力を試すには最高の遊び場だ」

 

「……ふん、あんなデリカシーのない白髪男に教わるなんて、正気じゃないわ。真希、あんたあっちに行ったら、絶対初日に喧嘩して追い出されるに決まってる」

 

真依はふいっと顔を背けた。

その指先が、制服の袖をぎゅっと握りしめているのを、真希は見逃さなかった。

 

「なんだ、真依。寂しいのか?」

 

「……別に。美々子も菜々子も、道場に残って傑さんの補佐をするって張り切ってるし。あの子たちがいれば、退屈しないわ。あんたなんかいなくても、寂しくなんか……」

 

強がりの言葉が途切れる。

真依にとって、真希は二人で一つの片割れだった。

地獄のような幼少期を共に生き抜き、新しい禪院家で共に光を見つけた。

その半身が、自分の手の届かない場所へ行こうとしている。

 

「そうか。……あたしは寂しいぜ」

 

真希は屈託のない、けれど深く重みのある声で短く答えた。

その言葉に、真依は弾かれたように顔を上げた。

いつもなら気持ち悪いと一蹴するはずの真希の直球が、今は痛いほど胸に突き刺さる。

 

「……バカじゃないの。寂しいなら行かなきゃいいじゃない」

 

「行かなきゃいけないんだよ。あたしが東京で一級を掠め取って、外側から禪院の凄さを見せつけてやる。それが、あたしなりの親孝行であり、姉様や傑さんへの恩返しだ」

 

真希は部屋を出る間際、真依の肩をポンと叩いた。

 

「真依。あたしの武器が壊れたら、すぐに東京まで新しいのを送れよ。あんたの作ったもんじゃなきゃ、あたしの体には馴染まねーんだからな」

 

「……言われなくても、最高に使いにくい呪具を送ってやるわよ。泣き言言っても、直してあげないんだから」

 

真依は最後まで毒づいたが、その瞳には微かに涙が滲んでいた。

二人が歩む道は、ここで一度分かれる。

武を極めるために外の世界へ飛び出す姉と、その背中を支えるために技術を磨き、家を守る妹。

寄宿舎の廊下では、七直と夏油、そして不機嫌そうな顔を隠しきれない直哉が、真希を送り出すために待っていた。

 

「真希。悟によろしく伝えてね。あいつ、また勝手に備品を壊して経費を膨らませてるみたいだから、釘を刺しておいて頂戴」

 

七直の言葉に、真希は力強く頷いた。

 

「任せてください、七直姉様。あの教師、あたしが根性を叩き直してきます!」

 

「はは、それは楽しみだね。……道場はいつでも君の帰りを待っているよ、真希。気を付けていってらっしゃい」

 

「おう、いってきます!じゃあな!直哉!次会う時には、一発入れてやるからな!」

 

 

直哉は腕を組んだまま、鼻で笑って視線を逸らした。

だが、その左腕の義手——真依が心血を注いでアップデートし続けている黒銀の四肢が、真希の発した闘気に呼応するように、微かに、誇らしげに共鳴音を鳴らした。

 

「ほざけ。……次会う時までに、その鈍い動き、少しはマシにしとき。東京のぬるい空気でボケとったら、投射呪法の塵にしたるわ」

 

ぶっきらぼうな言い草だったが、それが直哉なりの精進しろという激励であることを、今の真希は正しく理解している。

真希はニカッと白い歯を見せて笑うと、重いスポーツバッグを肩に担ぎ直し、一度も振り返ることなく禪院家の重厚な門をくぐり抜けた。

その背中が見えなくなるまで、門前に沈黙が流れる。

桜の亡霊のような淡い花びらが、彼女の歩んだ軌跡をなぞるように舞い落ちた。

 

「……行ったわね。あの子なら、東京でもすぐに嵐の目になるわ」

 

七直が、どこか清々しい表情で呟く。

夏油はその隣で、真希が消えていった先を見つめながら、ふと、自身の魂の片隅に刻まれた感覚を反芻していた。

 

「悟のことだ。きっと彼女の強さに、目を輝かせるだろうね。……さて、私たちも戻ろうか。道場の方は、灰原くんたちが門下生をしごき始めている時間だ」

 

七直と夏油は真希を見送った後、実務へと戻っていく。

 

真依は、真希の背中が完全に春の霞に溶けて見えなくなるまで、門の敷居を一歩も跨ごうとはしなかった。

握り締めた拳の爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが現実を繋ぎ止めている。

隣に立つ直哉が、ふいっと視線を竹林の方へ投げながら、誰に聞かせるでもないような低い声を出した。

 

「真依……。本当はお前も、外に出てみたいんちゃうんか」

 

真依の肩が、びくりと跳ねる。

直哉は彼女を見ようとはせず、義手の指先をカチカチと規則正しく鳴らしながら言葉を続けた。

 

「東京やなくても、ここから近い京都校なら無理せず行けるやろ。姉貴も傑くんも、お前が行きたい言えば、喜んで推薦状書くはずや。あいつの背中ばっかり追うて、ここで図面引いとるだけで満足なんか?」

 

「……満足よ。私は、真希みたいに強くないもの」

 

真依の声は、風にかき消されそうなほど細かった。

構築術式の燃費の悪さ、天与呪縛の姉と対照的な中途半端な呪力。

彼女は、自分が戦場の華にはなれないことを、誰よりも冷徹に理解していた。

 

「強さの形なんて、一つやないやろ。……僕のこの腕を見て、まだそんなこと抜かすんか」

 

直哉がようやく真依に向き直った。

その左腕、鉄の義手が鈍く光る。

それは直哉の傲慢さを支える証であり、同時に真依という技術者の魂が宿った最高傑作だ。

 

「お前がここにおるんは、お母はんの傍におりたいからか?それとも、あいつが壊したもんを直すためだけの予備でおるつもりか?」

 

直哉の言葉は、かつての彼なら無能と切り捨てるための刃だった。

だが今は、妹の足元に絡みつく見えない鎖を断ち切ろうとする、不器用な鞭のように響く。

 

「……違う。私は……」

 

「行きたいんなら行け。京都校には僕の息がかかった連中もおる。禪院の看板背負って、外の世界で技術屋の真依の名前を売ってこい。……お母はんのことは、僕らがおる。姉貴も傑くんも、一歩も引かん。お前が帰ってくる場所は、僕らが意地でも守り抜いたるわ」

 

直哉はそれだけ言うと、真依の頭を乱暴に一度だけ撫で、踵を返した。

 

「……あーあ。せっかくの新作義手やのに、技術者がおらんかったらメンテナンスもままならん。はよ帰ってきて調整せんと、承知せえへんで」

 

独り言のように吐き捨てて歩き去る直哉の背中を、真依は呆然と見送った。

皮肉屋で、傲慢で、それでも誰よりも禪院という血の重さを知る兄貴分。

彼なりの、最大級の自由への許可だった。

真依は、もう一度だけ真希が消えた門の先を見つめた。

今度は、拳の力は抜けていた。

 

「……本当、バカばっかり。……自分勝手なんだから、みんな」

 

真依は小さく鼻をすすり、制服の乱れを整えた。

 

翌日。

 

七直と夏油が朝の執務を行っている部屋の襖が、静かに、けれど迷いのない所作で開かれた。

 

「七直姉様。傑様」

 

二人が顔を上げると、そこには凛とした表情で立つ真依の姿があった。

 

「私……京都校へ行きたいです。術師として戦うためじゃなく、この術式で勝てる道具を作るために。外の世界に、どんな技術や素材があるのか……この目で確かめてきたいんです」

 

七直は驚いたように目を見開き、隣の夏油と視線を交わした。

夏油は、満足げに目を細めて頷く。

 

「……いいわ。真依、よく言ったわね」

 

七直が立ち上がり、真依の元へ歩み寄ってその手を優しく包み込んだ。

 

「京都校の学長には、私から連絡を入れておくわ。……寂しくなるけれど、あなたの作ったものが世界を変える日が来るのを、私は信じているわ」

 

「ありがとうございます……!私、必ず……真希にも負けないような、凄いものを作ってみせます」

 

芽吹いた若木たちは、今、それぞれの空へと枝を伸ばし始めた。

真希が東京へ、真依が京都へ。

離れていても、彼女たちを繋ぐのは、かつての呪いではなく、互いを高め合うための絆という名の術式。

窓の外では、春の風が新しい季節の到来を告げるように、竹林を激しく揺らしていた。

 

 

真希が東京へ、そして真依が京都へ。

賑やかだった禪院家の訓練場に、ぽっかりと穴が開いたような静寂が訪れていた。

 

「あーあ!二人とも同時に行っちゃうなんて、さーみーしーいー!!」

 

菜々子が縁側にごろりと寝転び、手足をバタつかせながら天を仰いだ。

その声は竹林に虚しく吸い込まれていく。

彼女にとって、口喧嘩をふっかけてくる真希や、お菓子を分けてくれる真依は、本当の姉のような存在になっていたのだ。

 

「菜々子、はしたないよ。当主様の屋敷なんだから」

 

隣に座る美々子が、いつものようにぬいぐるみを抱きしめながら、小さな声で窘める。

だが、その指先はぬいぐるみの耳をぎゅっと握りしめたまま、白くなっていた。

 

「何よー!美々子は寂しくないの!?」

 

菜々子が跳ね起き、美々子の顔を覗き込む。美々子は一瞬、視線を彷徨わせたが、やがて俯いてポツリと漏らした。

 

「……寂しい」

 

その一言には、かつての村で二人きりだった彼女たちが、この家族にどれほど深く根を下ろしていたのかが凝縮されていた。

 

「ふふ、二人とも。そんなに泣きそうな顔をしないで」

 

背後から優しい声が掛かる。

振り返ると、七直が盆に載せた冷たい麦茶を運んできていた。七直は二人の間に腰を下ろすと、遠くの青空を見つめた。

 

「真希も真依も、自分たちの足で歩き出したのよ。あの子たちが外の世界で何を見て、何を掴んで帰ってくるか……それを見守るのも、残った私たちの役目じゃない?」

 

「……でも、七直様。二人がいなくなったら、道場が急に広くなったみたいで」

 

美々子が寂しげに呟くと、そこへガサッと茂みを分けて、家庭菜園の手入れを終えた夏油が姿を現した。

 

「それなら、君たちがその広さを埋めてしまえばいい。美々子、菜々子。二人が戻ってきた時に、驚くくらい君たちが成長していれば、彼女たちも負けていられないと張り切るはずだ」

 

「お疲れ様、傑。冷たい麦茶を用意したわ」

 

「ああ、ありがとう。助かるよ」

夏油は泥のついた手袋を脱ぎ、縁側に腰を下ろすと、差し出された麦茶を一気に飲み干した。

喉を鳴らして落ちていく冷気が、火照った身体に心地よい。

 

「……二人とも、そんな顔をしないで。真希も真依も、君たちのことが嫌いになって出て行ったわけじゃない。むしろ、君たちに『格好いい姉の背中』を見せるために、少し遠い修行場へ行っただけだよ」

 

夏油が大きな手で菜々子の頭をくしゃりと撫でるが、彼女はまだ少しだけ唇を尖らせた。

 

「……わかってるもん。でも、真希ちゃんがいないと喧嘩の相手がいなくて退屈なんだもん」

 

「ふふ、それなら直哉に相手をしてもらえばいいじゃない。退屈してるみたいだし」

 

七直の冗談に、菜々子は「げぇっ!直哉さんは口が悪いからヤダ!」と顔をしかめ、その場の空気がようやく少しだけ和らいだ。

 

「……ねぇ、七直様。傑様」

 

美々子が、抱えていたぬいぐるみをぎゅっと抱き直し、伏せていた顔を上げた。

その瞳には、寂しさを超えた、小さな、けれど確かな決意の灯が宿っている。

 

「私……真希ちゃんたちみたいに、学校には行かないけれど。ここで、傑様のお手伝いをもっとしたいです。呪霊のこと、もっと教えてください。……私たちがもっと強くなれば、傑様が一人で苦しまなくて済むから」

 

「私も!もっと色んな術式の使い方、自分で考えるよ!真依ちゃんが戻ってきた時に、『アンタ、そんなこともできるようになったの?』って驚かせてやるんだから!」

 

菜々子も拳を握りしめて立ち上がった。

かつて檻の中で震えていた幼い二人は、もういない。

誰かに生かされるのではなく、誰かのために生きたいと願う、立派な術師の卵たちがそこにいた。

すると後ろから重厚で威厳に満ちた声が響く。

 

「いつの時代も、若鳥の巣立ちには心躍るな。なぁ、七直?檻を壊し、庭を広げた甲斐があったというものだ」

 

直毘人は手に持った瓢箪から、くぴりと酒を煽り、赤い顔で上機嫌に笑った。

その足取りは千鳥足に見えて、一歩一歩が寸分の狂いもなく地面を捉えている。

 

「お父様、いらしてたの?相変わらず気配が読めないわね」

 

七直が呆れたように、けれどどこか親愛の情を込めて問いかける。

直毘人の近くに立つだけで、空気の密度が変わる。

それはかつての恐怖を伴う威圧ではなく、山のように動じぬ巨木が放つ、圧倒的な生の肯定感だった。

 

「わ!と、当主様!?」

 

「い、いつの間に……」

 

菜々子と美々子が、弾かれたように縁側で背筋を伸ばし、直立不動になる。

かつての禪院家において、当主とは絶対的な審判者であり、彼女たちのような外様が気安く口を利ける存在ではなかった。

その刷り込みは、数年経った今も、ふとした瞬間に彼女たちの身体を強張らせる。

 

「カカ!そう縮こまるな、取って食いやせん。お前たちまでいなくなっては、この広すぎる屋敷に老人の話し相手がいなくなってしまうからな」

 

直毘人は豪快に笑い、どっかと夏油の隣に腰を下ろした。

酒の匂いと共に、枯れてなお盛んな呪力の波動が周囲に広がる。

 

「傑。婿殿。お前が連れてきたこの娘たちも、なかなかの骨がある。真希や真依に当てられて、眼が濁っておらん。……どうだ、今日くらいは術の練り方ではなく、酒の飲み方でも教えてやろうか?」

 

「お父様、子供に何を教えてるの。……傑、あんまり付き合わなくていいわよ」

 

七直の制止をよそに、夏油は困ったように眉を下げながらも、空になった直毘人の盃に、手際よく自分の麦茶からお代わりを注ぐフリをして調子を合わせた。

 

「直毘人殿。彼女たちはまだ、酒の味を知るには早すぎます。……ですが、真希たちの巣立ちを、こうして皆で祝えるのは、確かに心躍るものですね」

 

夏油の落ち着いた声に、菜々子と美々子も少しずつ肩の力を抜いていった。

直毘人は注がれた麦茶を煽り、空を仰ぐ。

 

「真希は東京か。あの白い童……五条の坊主の下で、どれほどその牙を研ぐか。真依は京都か。楽巌寺の頑固爺を、その新しい風で驚かせてこい。……面白い。実に面白い時代になったものだ」

 

直毘人の眼は、かつての権力への執着ではなく、純粋に強き若者が育つ土壌を愛でる隠居のそれへと変わっていた。

 

「七直。お前が作ったこの道場は、もはや一つの家の枠を超えた。……いずれ、この地を巣立った鳥たちが戻ってきた時、ここは呪術界の要となるだろう。その時、老いさらばえた儂に何を見せてくれるか、楽しみにしておるぞ」

 

「老いさらばえたなんて、嘘おっしゃい。まだまだ現役の癖に。でも、そうね。お父様が飽き果てる暇もないくらい、退屈させない景色を見せてあげるわ」

 

七直は力強く答え、菜々子と美々子の手の上に、そっと自分の手を重ねた。

春の嵐が吹き荒れ、花びらが舞い踊る。巣立っていった者たち。

ここで根を張る者たち。

それぞれの想いが、禪院家という新しく生まれ変わった大地で、静かに、けれど確実に熱を帯びていく。

 




最近暖かくなってきましたね。

質問コーナー

Q.美々子、菜々子は学校へ行かないの?

A.行きません。でも彼女たちが行きたいと言えば喜んで通わせます。でも流石に勉強はできないといけないので、家庭教師を招いて最低限の勉学はやっており、古文は七直が見ています。今のところ大丈夫そう。

感想、高評価、お気に入り登録、いつもありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。
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