「うっわ…湿気やばすぎ。そういえばこっちって今まだ梅雨だっけ。来る時期間違えたかも」
羽田空港の喧騒の中、天内理子は日本に降り立った。
不快な湿度に眉をひそめながらも、その瞳には数年ぶりの故郷に対する、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。
九十九由基に鍛え上げられ、かつての守られるべき少女から運命を切り拓く術師へと成長した彼女の佇まいは、道行く人々が思わず振り返るほどの凛とした華やかさを纏っている。
だが、その再会の喜びを塗りつぶすような、微かな違和感が空港の駐車場に漂っていた。
「あれ?伊地知くんじゃなかったっけ?悟から聞いてないけど」
理子が首を傾げると、黒服の男は慇懃に頭を下げた。
その所作に淀みはないが、補助監督特有の、あの常に何かに追われているような疲弊感が、この男からは希薄だった。
「伊地知さんは急遽来れなくなりまして、私が派遣されました。ほんとつい先ほどの変更だったんです。連絡が行き届かなくてすみません」
「あぁ、それはしょうがないか。じゃ、運転お願いね!」
理子は快活に笑い、差し出された後部座席のドアへと足を向けた。
重いトランクを男に預け、車内に乗り込む。
高級感のある革張りのシートに身を沈めた瞬間、外の湿気が遮断され、冷房の冷気が肌を撫でた。
「……ふぅ。まずは高専?それとも、ナナのいる禪院家?」
理子が背もたれに頭を預けながら問いかけると、運転席の男はバックミラー越しに、感情の読めない瞳で彼女を一瞥した。
「……いえ。まずは、静かな場所へ」
車が滑らかに動き出す。
空港を離れ、都心へと向かう高速道路。
だが、車は徐々に予定されていたルートから外れ、人気の少ない湾岸の倉庫街へと舵を切っていく。
理子の直感が、警鐘を鳴らした。
九十九との修行で培われた、死線を嗅ぎ分ける術師としての本能だ。
「……ちょっと。道、違くない?高専はこっちじゃないでしょ」
理子の声から余裕が消え、呪力が指先に集まり始める。
だが、運転席の男は動じない。
それどころか、その体から溢れ出したのは、補助監督が持つはずのない、どす黒く、洗練された呪力の奔流だった。
「天内理子。君にはここで死んでもらう!」
湾岸の静寂を切り裂くようなタイヤの摩擦音が、コンクリートの地面に黒い痕を刻みつけた。
衝撃に備えて身を固めた理子は、車が完全に止まる直前、後部座席のドアを蹴り破るようにして外へと飛び出した。
アスファルトの上を鮮やかに転がり、即座に低く構える。
「……ハッ、伊地知くんの代役にしては、おもてなしが過激すぎじゃない?」
理子の瞳から、空港で見せていた柔和な光が消える。
代わりに宿ったのは、九十九由基の傍らで数多の呪霊と呪詛師を屠ってきた、特級直伝の戦士の眼光だ。
対する補助監督の皮を被った呪詛師も、もはや正体を隠そうとはしなかった。
男は無造作に黒い上着を脱ぎ捨て、隠し持っていた歪な形状のナイフを抜き払う。
その刃には、視神経を焼くような不快な呪力がべっとりとこびり付いていた。
「天内理子……盤星教の残党、あるいは上層部の狗か。どっちにしても、お前の首には法外な懸賞金がかかっているんでね!」
男が地面を蹴る。
その踏み込みの鋭さは、明らかに一級に近い実力者のそれだった。
瞬時に間合いを詰め、理子の喉元を狙ってナイフが奔る。
「甘いっ!」
理子は紙一重で首を逸らし、ナイフの軌道をかわすと、その勢いを利用して男の懐へ一歩踏み込んだ。
九十九との組手で叩き込まれた、合理的かつ破壊的な体術。
理子の拳に高密度の呪力が集束する。
「ふんっ!」
理子の放った正拳突きが、男の腹部を捉える。
衝撃波が男の背中まで突き抜け、周囲のコンクリートに亀裂が走った。
だが、男は吐血しながらも不敵な笑みを浮かべ、空いた左手で理子の手首を掴み取った。
「捕まえたぞ……!」
「んっ……!?」
男のナイフが、生物のように蠢き始めた。
刃から溢れ出した呪力が、無数の刺へと姿を変え、理子の腕を絡め取ろうとする。
「このナイフは痛覚を増幅させる。掠っただけでも発狂するほどの激痛を……!」
「……御託は良いから、さっさと刺したら?」
理子の声は、死線を前にした恐怖など微塵も感じさせないほど冷ややかだった。
「……!このクソ女ぁ!!」
挑発に激昂した呪詛師が、呪力を最大限に込めた歪なナイフを理子の脇腹へと突き立てる。常人ならば、刃が触れた瞬間に神経を焼く激痛で理性を失い、そのまま肉体を裂かれるはずの凶刃。
だが。
ギチィィッ……!
凄まじい力が込められたはずのナイフは、理子の細い体躯に吸い込まれることも、肉を裂くこともなかった。
まるで、極限まで圧縮された鋼鉄のゴムに突き立てているような、奇妙で不気味な弾力と硬度。刃先がミリ単位で沈み込むことさえ許されない。
「……何ぃ!?」
呪詛師の思考が停止する。
手応えがない。
いや、ありすぎる。
自分の術式を込めた一級の呪具が、ただの少女の皮膚に阻まれている。
理子は、男に掴まれたままの腕を無造作に引き寄せると、至近距離で男の目を見据え、小さく吐き捨てた。
「なーんだ。大したことないじゃん。師匠のパンチに比べたら、マッサージにもならないわよ」
「なっ、貴様、何を……!」
理子の瞳に、狩人の冷徹な光が宿る。
彼女は掴まれた腕を軸に、男の体を引き寄せ、自らの頭部を大きく後ろへのけ反らせた。
「お返し!」
一閃。
理子の額に、本来であればあり得ない質量が収束する。
ドゴォォォォンッ!!!
およそ頭突きでは鳴ってはいけない破壊音が湾岸の倉庫街に木霊した。
呪詛師の鼻梁が、顔面ごと陥没するような不気味なゴキリという音と共に砕け散る。
男は悲鳴を上げる暇さえなく、一瞬で意識を刈り取られた。
その体は、まるで大型トラックに正面から衝突されたかのような勢いで後方へと吹き飛び、コンクリートの壁を二枚ぶち抜いてようやく止まった。
「ふぅ……。ったく、せっかくの帰国早々、服が汚れちゃったじゃない」
理子は乱れた前髪を無造作にかき上げ、動かなくなった呪詛師を一瞥した。
その足元、アスファルトには彼女が踏みしめた瞬間のひび割れが、クモの巣状に広がっている。
「……あちゃー。これ、伊地知くんに連絡した方がいいかな」
転がっていた自分のトランクをひょいと持ち上げた。
中身が詰まっているはずなのに、羽毛のように軽く振り回すその挙動は、彼女の筋力がもはや常人の域にないことを示している。
そこへ、ポケットの中でけたたましく鳴り響く着信音。
画面には「最強のバカ」という、理子が勝手に登録した名前が表示されている。
「あ、悟だ。もしもし~?」
理子が軽い調子で電話に出ると、受話器の向こうから鼓膜が震えるほどの怒鳴り声が飛んできた。
『おい理子!今どこにいんだよ!?伊地知が泣きながら電話してきたんだけど!「天内様を乗せるはずの車が、僕の目の前で爆走して消えましたぁぁ!」って、アイツ過呼吸寸前だぞ!』
「あはは、やっぱり。あの運転手、偽物だったわ。今、空港に近い湾岸の倉庫街。一応、不審者は片付けといたけど……あー…せっかくの高級車が私のキックでドア吹っ飛んじゃった。これ、経費で落ちるかな?」
『……は?片付けた?お前、無傷かよ』
電話の向こうで、五条の声から焦りが消え、代わりに呆れと、隠しきれない興味が混じった色に変わる。
「無傷も無傷。師匠の修行に比べたら、今のなんてあくびが出るレベル。それより悟、迎えに来てよ。タクシー呼ぶのも面倒だし」
『ハイハイ、お姫様。……数年見ない間に随分と物騒な女になったな。そこ動くなよ、すぐ行くから』
理子がスマホをポケットに放り込み、海風に吹かれていると、文字通り空気を引き裂くような音がした。
「よぉ、おかえり。……ってか、派手にやったねぇ」
青い閃光と共に現れた五条悟は、目隠し越しに周囲の惨状を六眼でスキャンした。
破壊された壁、陥没したアスファルト、そして無残にひしゃげた呪具の破片。
「あ、悟!久しぶりー!相変わらずその目隠し、怪しいね」
「うるせーよ。これ最新モデルなんだわ。…ほーん、なるほどね。自分の魂の密度を上げて質量を嵩増ししてんのか。九十九さんみたいなことすんじゃん。こりゃ僕でもしんどそうだ」
「あ!わかる?そうなの!師匠と修行してる時に思いついたんだ!」
理子が誇らしげに胸を張ると、五条は呆れたように肩をすくめた。
だが、その口角はわずかに上がっている。かつて、必死に守らなければ消えてしまいそうだった少女が、今や自分と同じ側の戦う者として戻ってきた。
その事実が、最強の男の心を少しだけ軽くさせていた。
「ま、いいや。とりあえずその汚れた服、着替えな。七直に見られたら僕の管理不足だって言われる。あ、そうだ。はいこれ、お土産の代わりの口止め料」
五条が差し出したのは、原宿で今一番並ぶと言われている高級パンケーキ専門店のテイクアウトボックスだった。
「わ、これ食べたかったやつ!さすが悟、わかってるじゃん!」
「だろ?さ、傑たちが首を長くして待ってる。……理子、改めて。おかえり」
「うん!ただいま、悟!んじゃ、このパンケーキ食べるからちょっと待ってて」
理子はフォークを口に運びながら、幸せそうに頬を緩めた。
海風に吹かれながら、高級パンケーキを頬張る特級術師。
「……んま。何これ、ふわっふわ。これなら一生食べ続けてもいいかも」
その姿は、かつて運命に翻弄されていた星漿体ではなく、今この瞬間を謳歌する一人の女性そのものだ。
「それ食ったら、行くぞ。いつまでもここでピクニックしてる暇ないからな」
五条は柵に背中を預け、手持ち無沙汰に空を見上げながら促した。
六眼の視界には、遠くからこちらを窺う呪術規定外の視線がいくつか映っているが、隣に座る爆弾のような呪力の密度を持った少女を前に、手出しできる愚か者はいない。
「もうちょっと味わって食べたいの!せっかく悟が買ってきてくれたんだから、待っててよ」
「はいはい、お姫様。……ったく、九十九さんも何を教えてきたんだか。強さと共に我儘まで特級になって帰ってきやがって」
五条は呆れたように肩をすくめたが、その口調には隠しきれない柔らかな響きがある。
「……ねぇ、悟」
最後の一口を飲み込み、理子がふと真面目な顔で五条を見上げた。
「……何?」
「私、強くなったでしょ?さっきの奴、全然手応えなかった。……これならもう、悟に護衛なんてされなくても、隣で一緒に戦えるよね」
理子の瞳は、悪戯っぽい光を宿しながらも、その奥には真剣な確認の色があった。
かつて、自分を守るために血を流し、覚醒した男。
その背中を追い続けてきた数年間の答えを、彼女は求めていた。
五条は目隠しを少しだけずらし、六眼の蒼い光で理子を真っ直ぐに見つめた。
魂の密度、肉体の強度、そして揺るぎない自己の確立。
目の前の少女は、もはや器ではない。自分と同じ、個として完成された最強の一角だ。
「……まぁ、及第点。あんな雑魚相手じゃテストにもなんねーけどさ。……でも、まぁ。今の君なら、僕の隣にいても足手まといにはなんないかな。むしろ、僕が本気で暴れる時に、後ろで呑気にパンケーキ食っててくれるくらいが丁度いい」
「それ、褒めてるの!?」
「最大級の賛辞だよ。……ほら、行くぞ。傑と七直、それに直哉も待ってる。あいつ、理子が帰ってきたって知ったら、また術師としての格がどうのこうのってうるさいからな」
五条が歩き出そうとしたその時、理子が不敵な笑みを浮かべてその袖を引いた。
「じゃあさ、一つ試したいことあるから、無下限張ってよ」
「あぁ?今?何で?」
「いいから!減るもんじゃないでしょ!」
「……しょうがねぇなぁ。ほら、張ったぞ」
五条は訝しみながらも、意識的に自動選択モードではない、強固な無下限の壁を自身の周囲に展開した。
触れようとすればするほど無限に距離が遠のく、絶対の防壁。
「えい!」
理子が迷いのない動作で人差し指を伸ばす。
五条は、指先が自分に届く数センチ前で静止する光景を予想していた。だが――。
ぷにっ。
理子の指先が、五条の白磁のような頬に、確かな弾力を持ってめり込んだ。
「…………は?」
五条の思考が一瞬、停止した。
六眼が情報を処理しようと高速回転する。
無下限は発動している。
空間は無限に分割されている。
だというのに、理子の指はそこにある。
「はい!タッチぃ〜。やっぱりできた。うわ、悟の肌って意外と柔らかいんだね」
理子は満足げに指を離すと、驚愕に目を見開いたままの五条の前で、Vサインを作ってみせた。
「理子……お前、今何した?無下限を……すり抜けたのか?」
五条の声には、驚きと、そしてかつてないほどの高揚が混じっていた。
「すり抜けたんじゃなくて、中和したの。領域だよ。私の術式って、自分自身を元の形に保つものでしょ?だから、自分の体の形にぴったり沿った領域を展開してみたの。纏ってるって言った方が分かりやすいかな」
理子は自分の手を眺めながら、その原理を解説する。
「悟の無下限も、領域内なら術式が当たるでしょ?だから、私がこの纏う領域を展開した状態で至近距離まで近づけば、接触した瞬間に無下限が無効化されるってわけ!」
五条は数秒の沈黙の後、天を仰いで爆笑した。
「ハハハハハ!領域を纏って、しかも自分自身の定義として使いこなしてんのかよ!……こりゃ一本取られたな」
五条は乱暴に理子の頭を撫で回した。
最強の壁を、彼女は自らの力で、文字通り触れられる距離まで削り取ってみせたのだ。
「ったく……本当に、可愛くない弟子になっちゃって」
「弟子じゃないし!私は、あんたの隣に立つ女だもん!」
勢いよく言い放った後、理子の顔が一気に林檎のように赤くなる。
五条は一瞬虚を突かれたように目を丸くしたが、すぐに意地悪な笑みを浮かべて顔を近づけた。
「わーお。理子、それ告白ってことでいいのかな?」
「あ、いや違く……なくて、その……勢いというか……何というか!」
さっきまで一級呪詛師を頭突きで粉砕していた特級術師が、今は視線を彷徨わせ、自らの髪を弄んで縮こまっている。
五条はその様子を面白そうに眺め、確信犯的に声を落とした。
「何、急にしおらしくなっちゃって。やっぱ可愛いね、理子は」
「んもう!悟の癖に妙に慣れてんのがむかつく!」
理子は真っ赤な顔で五条の胸をポカポカと叩くが、その手にはもう、無下限を中和する纏う領域は展開されていなかった。
五条は理子の指が触れた頬を、自分でも確かめるようにそっとなぞった。
六眼が捉える情報は、彼女が展開した極限まで圧縮された自己定義の領域が、自分の無下限を鮮やかに中和した事実を冷徹に示している。
「ま、僕に追いつくほどの格はあるってことだね。満点だ」
五条はわざとらしく教師然とした態度で、満足げに腕を組んだ。
その声はどこか浮ついており、最強の座にいた男が、ようやく触れ合える相手を見つけた喜びを隠しきれていない。
「……ふふん、でしょ?でもさ、なんか悟が先生ぶって『僕』とか言ってるの、すっごい違和感。昔みたいに『俺』でいいじゃん。そっちの方が悟らしいよ」
理子は顔の赤みを隠すように、空になったパンケーキの箱を振り回しながら、一歩前を歩く五条の背中に声をかけた。
「あー……これ?教育者としての自覚を持てって七直や傑に耳にタコができるほど言われてさ。一応、切り替えてるわけ」
「ふーん。でも私の前では無理しなくていいよ。だって私、悟のカッコ悪いところも、昔の生意気なところも全部知ってるもん。今さら先生面されたって、笑っちゃうだけだし」
理子は五条の隣に並ぶと、わざと肩をぶつけるようにして歩いた。
中和は解いているはずなのに、五条は無下限を張らず、そのまま彼女の体温を肩越しに受け入れている。
「ハハっ!それもそうだな。お前といる方が気が楽だわ」
最強という重圧も、教師という仮面も、この海風と理子の真っ直ぐな視線の前では霧散していく。
「……ねぇ、悟」
理子が歩みを止め、ふいに声を落とした。
その響きに含まれた、甘く、けれど揺るぎない熱量に、五条は無意識に足を止める。
「何?」
五条が顔を向けた、その瞬間だった。
理子が背伸びをするようにして、迷いなく五条の唇を塞いだ。
「!?……っ」
一瞬、六眼が捉える世界の情報が白濁する。
無下限は――張っていなかった。
彼女が隣にいることがあまりに自然で、拒絶する必要など微塵も感じていなかったから。
鼻腔をくすぐるのは、先ほどまで彼女が幸せそうに頬張っていたパンケーキの、甘く香ばしい残り香。
そして、潮風に混じった理子自身の、体温を帯びた柔らかな香り。
触れ合った唇から伝わるのは、かつて死の淵で冷え切っていたあの時の少女のものではない。
九十九由基と共に地獄のような修行を乗り越え、自らの魂を練り上げ、自らの足で立って戻ってきた、一人の女の力強く、熱い鼓動だった。
時間にして、ほんの数秒。
だが、無限を操る男にとって、その数秒は永遠にも等しい情報量を持って脳内に刻み込まれた。
理子がゆっくりと唇を離す。
その顔は耳まで真っ赤に染まっていたが、瞳だけは逃げることなく、勝ち誇ったような、それでいて泣き出しそうなほど愛おしげな光を湛えて五条を射抜いた。
「……っ、おい」
「……ざまーみろ。最強の五条悟も、今のには反応できなかったでしょ?」
「……お前なぁ。今の、もし僕が反射で術式反転でもブチかましてたら、今頃湾岸ごと消し飛んでたぞ」
五条は片手で顔を覆い、乱れた呼吸を整えるように深く息を吐いた。
だが、覆った指の間から覗く耳の先が、理子と同じように赤く染まっているのを、彼女は見逃さなかった。
「しないって信じてたもん。……それに、悟の無下限、あったかかったよ」
「……バカか。術式にあったかいも冷たいもねーよ」
五条はぶっきらぼうに言い放つと、理子の頭をさっきよりもずっと乱暴に、けれど慈しむように撫で回した。
「……俺の負けだ。理子、お前はもう、とっくに俺の隣にいたんだな」
かつての青い春を共に駆け抜けた少年のような顔で、五条は理子を見つめた。
その瞳には、最強ゆえの孤独を分かち合える対等な半身を見つけた、深い安堵と熱が宿っている。
「……あーあ。これ、傑や七直にバレたら、絶対からかわれるヤツじゃん」
「いいじゃん。私たちも散々、高専時代にナナと傑を弄り倒したんだから」
「そうだけどさぁ、なんで嬉しそうなんだよ」
理子はクスクスと笑い、今度は領域を展開せずに、五条の腕に自分の腕を絡めた。
今度は術式に阻まれ、数センチの距離が空いている。
けれど、二人の心の距離は、今この瞬間、確かにゼロになっていた。
「行こう、悟。みんなのところに」
「……あぁ。賑やかになるな、今年の夏は」
二人は夕暮れに染まり始めた湾岸を歩き出す。
一人は最強の術師として、一人は運命を書き換えた女傑として。
新しい時代の幕開けを告げるように、海風が二人の背中を押し、遠く高専の山へと吹き抜けていった。
さとりこタグつけなくちゃ。
質問コーナー
Q.理子が五条に触れ得たのは?
A.理子の領域展開です。彼女の術式は縛りをしない限り、他者へは向かいない自己保管の術式。故に自分の体に沿った、纏う領域で十分なのです。さらに領域なのに相手を入れない縛りにより、相手の術式を中和する余裕があります。つまり、理子は領域展延のような領域展開をしていることになります。これにより五条の無下限を突破しました。
誤字脱字報告ありがとうございます!