ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第16話 蓮太郎に花束を

 

「ふぁあ……」

 

 一夜明け将城教会。第39区第三小学校の寄宿舎として使われている区画の一室で、パジャマ姿のソニアは大きなあくびをしながら二段ベッドの下の段から這い出した。

 

「……昨日は遅かったですけど……どこへ行かれてたんですか?」

 

 夏世が、上の段から顔を出してソニアを伺っている。この寄宿舎は基本的に二人部屋で、彼女がソニアのルームメイトだった。

 

「ん……月が綺麗だったんでね。真夜中のお散歩よ」

 

 櫛で髪を整えながら、鏡越しに夏世を見てソニアが答える。はぐらかしているのか本当にそうなのか今一つ判断に困る答えを受け、夏世は「はぁ……」と生返事を返す。昨日は雨だったのだが……どちらにせよこれ以上は答えてくれそうにない。諦めた彼女は一息吐くと、自分も身支度を調えるべくベッドから降りてクローゼットを開く。

 

 ソニアが髪をポニーテールに束ね、夏世がお気に入りのワンピースに着替えた時だった。

 

「ん?」

 

 最初に気付いたのはソニアだった。何かに気付いたように窓を見やる。

 

 夏世は最初、窓の向こうに何かあるのかと視線を向けて、ややあって昨日の雨天が嘘だったように澄んだ蒼天に、何か小さな点がポツンと浮いているのが見えた。

 

「……?」

 

 ヘリや飛行機にしてはシルエットが違う。何だろうと考えているとだんだんとその点は大きくなっていった。こちらへと、近付いてきているのだ。そして目測だがおよそ200メートルぐらいの距離にまで接近した所で、夏世にもやっとその“点”の正体が分かった。

 

「あれは……!!」

 

 慌てて、窓を全開にする。

 

 数秒後、開け放たれた窓から綾耶が部屋に飛び込んできた。

 

「あ、綾耶さん!?」

 

「……おはよ」

 

 二人とも綾耶が空を飛べる事は知っているが、しかしいきなりの来訪だったので特に夏世は驚いたようだった。

 

「おはよ、夏世ちゃんにソニアさん。いきなりで悪いけど、夏世ちゃん少し僕に付き合ってくれない?」

 

「……構いませんが……何かあったんですか?」

 

「うん、ちょっとこれからミーティングがあるんで、夏世ちゃんにも参加してもらって意見を聞きたいんだよ」

 

「……分かりました。ソニアさん、私は今日は学校をお休みすると松崎さんや琉生先生に伝えておいてくれますか?」

 

「いいわよ。いってらっしゃい」

 

 僅かな会話だったが、綾耶の表情から真剣な話である事を悟って夏世も真面目な顔になった。差し出された綾耶の手を取る。綾耶は「それじゃ」と砕けた感じの敬礼をソニアへ送ると、二人は窓から空へと飛び立っていった。

 

 綾耶が入ってきてから夏世を連れて出て行くまで一分と経っていない。鉄砲玉かさもなきゃ風のようだった。

 

 低血圧なのかまだ目が半開きのソニアはしばらくぼんやりと二人が飛んでいった空を見ていたが、少し経った所で手を軽く払う。金具に彼女の磁力が作用して、開いていた窓が閉まった。

 

 

 

 

 

 

 

「凄いですね。いつもこんな景色を見てるなんて。羨ましいです」

 

 綾耶に掴まっている夏世は、眼下に見える東京エリアの街並みと頭上の、いつもよりもずっと近い空を交互に見ながらそう呟いた。三ヶ島ロイヤルガーダーに所属していた頃、任務でヘリに乗った事は何度かあるが、その時窓から見た景色とは全然違う。特に空は、まるで吸い込まれるように大きくて、包まれるようだ。綾耶との空中散歩の予約が二週間先まで一杯になるのも分かる気がした。この臨場感と爽快感はどんな乗り物とも比べられない。

 

 快適な空の旅は、5分ほどで終わりになった。

 

 夏世はてっきり聖居に行くのかと思っていたが、綾耶が向かっていたのは勾田高校だった。確かここは蓮太郎が通っている学校だ。しかし今日は土曜日で休みの筈だが……と、夏世が考えている内に綾耶は真空接着の能力で三階の窓にくっつくと、ノックを一つ。すると窓が開いて、蓮太郎が出て来た。すぐ後ろから延珠も顔を覗かせている。

 

「ああ、お前等か。入れよ」

 

「おはようなのだ、綾耶。夏世も」

 

 窓から入室する二人。靴はちゃんと脱いでいる。

 

 そして、二人とも顔を引き攣らせた。蓮太郎と延珠はその理由を察して、目を逸らす。

 

 部屋の中に居たのは四人。一人は蓮太郎。一人は延珠。もう一人は鉄扇を片手に持った和風の美人。この学校の生徒会長で巨大兵器企業「司馬重工」の社長令嬢である司馬未織だ。

 

 そして最後の一人は天童民間警備会社の社長である天童木更なのだが……ここが学校の中だと言うのにこの重装備たるやどうだ。ざっと見るだけでもイタリアはフランキ社製の12ゲージオートローダーのスパス・ライアット・ショットガンにレーザーサイト付き45口径の自動拳銃AMTハードボーラー7インチモデル、イスラエル製のウージー9ミリサブマシンガン……全身には手榴弾・催涙弾・閃光手榴弾をこれでもかと巻き付けている。戦争でも始めるつもりなのだろうか。

 

「れ、蓮太郎さん……これは一体?」

 

 木更と蓮太郎を交互に見ながら、ドン引きした綾耶が尋ねる。

 

「あー……そういや綾耶と夏世は知らなかったな。木更さんと未織は死ぬほど仲が悪いんだ。一緒の空間に居ると凄まじい化学反応を起こすんだよ」

 

 蓮太郎はもう、色々と諦めているようだった。イニシエーター二人は顔を見合わせ、気持ち木更から距離を取ると、未織の私室へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

「この人を、知っていますか?」

 

 ドレス姿で、薔薇の花束を抱えた少女にそう尋ねられて、勾田高校の男子生徒は差し出された写真を見て「ああ」と頷いた。

 

「里見の奴だな。10分ほど前に学校に行くのを見たぜ」

 

「ありがとうございます」

 

 夢現のティナ・スプラウトはぺこりと頭を下げて礼を述べると、勾田高校への道を歩きだした。彼女の後ろ姿を見送ったその男子生徒は、不思議そうに首を傾げた。月並みな表現だがあんな人形みたいに可愛らしい女の子が花束を持って訪ねてくるなんて、里見蓮太郎はそんなにモテる奴だったろうか? 俺など彼女居ない歴イコール年齢なのに……「爆発しやがれ」と胸中で呟いた。

 

 ティナはありったけのカフェインの錠剤をガリガリと噛み砕いて飲み込む。

 

 頭の中のモヤが晴れてぼやけた視界が少しクリアになった。覚醒度合いはやっと50パーセントといった所だ。夜行性動物の因子を持つイニシエーターである彼女は本来ならば行動を起こすには夜を待ちたい所だったが、今回は少し事情が違っていた。

 

 プロモーターであるエイン・ランドから入ってきた情報によると、昨日彼女の邪魔をしたのは天童民間警備会社に所属するペアでプロモーターは里見蓮太郎、イニシエーターは藍原延珠というらしい。

 

 聖天子と斉武宗玄が次の会談を行うまでにはまだ少し間があるので、それまでに邪魔者を始末しろとの命令が下った。

 

 主からの命令に否と言う選択肢は彼女には無いが、しかし問題がある。一体どんなトラブルがあったかは分からないが、レンタルボックスに用意されていた銃器類が、一夜にしてコンテナごと何処かへと消えてしまっていた。あの後、管理者に問い合わせてみたが何があったのかはさっぱり分からなかった(中にあったのはセルフディフェンスの領分を大きく超えた重火器で東京エリアの法律に引っ掛かる物も多々あったので、深くは追求出来なかった)。

 

 今のティナが持つ武器はシェンフィールドを除けば、事前に持ち出していたブローニングM2重機関銃にショットガンと拳銃、後は手榴弾が2つとナイフが数本という所だ。取れる戦術は限られている。

 

 不十分な装備でのイニシエーターとの交戦は不確定要素が多く、避けるべき。そこでティナは司令塔である里見蓮太郎を殺し、精神的支柱を除く事で間接的に藍原延珠を無力化する作戦に出た。

 

 武器が十分なら天童民間警備会社を襲撃する所だが、銃も弾薬も不足している今、敵陣での戦いはクレバーとは言えない。

 

 幸い、聖居内部の情報をリークしてくれている協力者から里見蓮太郎の顔写真(当然隠し撮り)と、彼が勾田高校に通う高校生だという情報を得ていたので、近隣を回って聞き込みを行ってみる事にした。成果は、思ったより早く出た。同じ学校の生徒なら確率も高いだろうと思って話し掛けてみたが……大正解だった。学校ならばイニシエーターを連れている可能性も低い。ベストの実力を発揮出来ない昼間というデメリットを加味した上でも、やる価値はある。

 

 ティナが抱える花束から、ガチリと金属音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室の扉から続く未織の私室は、まるで別世界のようだった。

 

 壁一面には、綾耶には何に使うのかさっぱり分からないが据え付けられた様々な計器がぴかぴかと光っており、中央の大きな円卓の上には数十のホロディスプレイが浮遊して政治経済のニュースからアニメ番組に至るまで様々な情報を表示している。

 

 未織が着席すると、蓮太郎に促されて明らかに不承不承という様子ではあったが木更も着席、イニシエーター3人もそれぞれ着席する。延珠は当然ながら蓮太郎の隣の席だ。

 

「じゃあ、始めるで。まず先日の狙撃事件で使用された銃やけど……」

 

 未織が手を振るとホロディスプレイが消えて、実物の何十倍にも拡大された銃弾の3D映像が取って代わる。

 

「狙撃に使われたのは50口径のブローニング重機関銃用の弾で、前科(マエ)は無し」

 

 そう言って未織がもう一度手を振ると、今度は先日の狙撃事件の舞台となったビル街のホログラムが表示された。立体映像の中心には、蓮太郎や延珠も乗っていたリムジンもしっかり表示されている。

 

 3D映像の中で、リムジンからかなり離れた地点にあるビルの屋上が、チカチカと光っている。

 

「里見ちゃん、確認するけど狙撃手は本当にこのリムジンから撃ってきたん? しかも、走っているリムジンを狙って?」

 

「ああ、その通りだ」

 

「ビルの屋上からは空薬莢も回収されとる。だから狙撃地点がここやというのはまず間違いないんやけど……」

 

 未織が言葉を濁しながら鉄扇を動かすと、ビルの屋上からリムジンへと矢印が引かれて「992.01m」と表示が浮かぶ。

 

「見ての通り、ビルからリムジンまでは990メートル以上も離れとる。しかも二連発で当ててくる……おまけに夜で雨の中……これは正直、人間業やないで」

 

「そんなに難しいのか?」

 

「横風とかコリオリ力とか狙撃に絡む要素は色々あるけど……単純な話、狙撃地点でライフルの銃口が1ミリズレただけでも、間違いなく1キロ先の標的には命中しないわ。動かない的に当てるならいざ知らず、走るリムジンに当ててくるなんて……これが昼間で無風の状態であったとしても十分に神業と言って良い腕前よ」

 

 木更が説明を補足する。未織とは犬猿の仲の彼女だが、しかし今は国家元首護衛任務のミーティング中。公私を区別するぐらいの理性はまだ残っていた。

 

「それで、夏世ちゃんに来てもらったんだけど……夏世ちゃんには同じ事は出来る?」

 

 綾耶の質問を受けて成る程と、夏世は頷く。たった今、未織は狙撃手の技量を人間業ではないと評した。ならば超人的な能力を持つイニシエーターなら? 意見を聞いて参考としたい所だが、延珠は銃など使わない近接格闘タイプで、綾耶はそれにプラスしてイニシエーターの固有能力を複合させて戦うタイプ。どちらも銃には詳しくない。知っているイニシエーターで、銃の扱いに精通した者は? そういう考えから、自分がアドバイザーとして呼ばれたのだろう。

 

「結論から言えば、無理です。狙撃の訓練は私も一通り受けましたが、有効射程は精々500メートルといった所です。800メートル以上となれば、それはもうイニシエーターとか人間とか関係無く、その狙撃手の能力が常軌を逸しているという事でしょう」

 

 ここで夏世が言う「能力が常軌を逸している」との評価は、ただ銃の腕前が常人離れしているという意味に留まらない。

 

「天童社長や司馬さんには釈迦に説法かも知れませんが、狙撃は単純に射撃にだけ秀でていれば良いというものではなく、銃を持ったまま同じ姿勢を保持する為の筋力、ターゲットを待つ忍耐力・精神力、スナイピングポイントを確保して風向きや温度・湿度を把握する知識……人間の全能力が必要とされるのです。ですから……仮に狙撃手が人間であったとしても、少なくとも私よりは強い相手だと想定しておいた方が良いと思います」

 

「成る程……」

 

 神妙な表情になって、蓮太郎が頷く。1キロ近い距離を当ててくる時点で只者ではないとは理解していたつもりだったが、夏世の説明を聞いていると狙撃手の恐ろしさが良く分かってきた。

 

「それと、どうやってるのかは分かりませんが、相手には風を読む力があります」

 

 今度は綾耶が発言した。

 

「あの時、僕や聖天子様の周り100メートルぐらいにだけ、僕が起こした横風が吹き荒れていました。なのに相手は、初弾でその風を完全に読み切ってもう少しで命中するぐらい近くにまで当ててきました」

 

 風向きを把握するのは狙撃の常識だが、しかし本来、風とは数キロ単位の範囲内で計測されるもの。100メートル程度の狭域にだけ吹く風を読み切るなど、通常の方法では絶対に不可能だ。つまり何か……尋常ではない方法で風速を観測している事になるが……それが何なのか分からない。一体全体、どんなトリックが使われているのか?

 

「まだあるぞ。最後の狙撃、妾の蹴りは確実に弾丸を弾く筈だった。なのに実際には弾丸は妾のすぐ手前でいきなりUターンして、ビルの壁面に突き刺さったのだ」

 

「延珠ちゃんが言うビルはここやね」

 

 未織がバーチャルコンソールを操作するとリムジンからほど近い位置に建っているビルの、中程より少し高いぐらいの壁面に輝点が出現した。これが、延珠の言うUターンした弾丸が着弾したポイントだ。

 

「銃弾の壁面への入射角度からして、もしこれが地上から発射されたとすると、これは地中から撃ったとしか考えられへん」

 

 勿論、実際にはそんな狙撃ポイントなど存在しないし、した所でビルを撃つ意味も無い。だから銃弾が曲がったという延珠の言葉にも一定の信憑性はあるのだが……しかし横に逸れるなら兎も角、Uターンするというのは……?

 

「どんな些細な事でも良いわ、他に何か情報は無いの?」

 

 木更に尋ねられて、未織は再びコンソールを操作して十数個のホロディスプレイを呼び出すと、一つ一つに表示されている膨大な情報を読み取っていく。彼女の瞳がめまぐるしく動いて、やがて一つのディスプレイに止まった。

 

「これやね」

 

 他のディスプレイを消してその一つを拡大させる。

 

「ちょうどあの狙撃事件が起こったのと同じ時間、同じ場所で、ほんの数分ほどの間やけどラジオや携帯電話、カーナビなどの電子機器が軒並み動作不良に陥って、通信障害が確認されとるわ」

 

「もしかしたら、これが原因では……」

 

 と、夏世が発言する。

 

「弾丸が曲がったのと、機械の調子が悪くなったのとで何か関係があるのか?」

 

 延珠に尋ねられて頷き返すと、モデル・ドルフィンのイニシエーターは未織へと向き直る。

 

「前に、電磁波の力で銃弾を逸らす兵器が開発されていると聞いた事があります。それと同じような物が使われたのでは……」

 

「そんなのがあるのか?」

 

 蓮太郎に尋ねられて、未織は難しい顔になった。

 

「確かに、そうした兵器はもう何年も前から各国でアイディアが上がっとって、司馬重工でも研究が進んどるけどまだ実用化には至っとらんのよ」

 

「どうしてだ?」

 

「まずサイズの問題やね。銃弾の軌道を逸らすほど強力な電磁波を発生させようとすれば、どんなに小型化してもトラックぐらいのスペースが必要になって、とても個人が携行出来る物やないの。それに持続時間も連続使用は精々10分が限界で、実用には耐えられへん。ウチの会社の優秀なスタッフでも今の所はそれが限界やから、現時点ではどこの国でも完成品が出来ているとは思えんわ」

 

 護衛計画では、一応ながらリムジンがホテルから聖居へと移動する際のルートチェックも行われている。狙撃銃ぐらいならバイオリンケースやゴルフバッグに入れて持ち込まれたりする事も考えられるが、いくら何でもトラックほどの大きさの機械が運び込まれるような目立つ作業を見落とす事など有り得ない。

 

 故に、そうした電磁波兵器が使われたのではという夏世の推理は的外れだった。

 

 ……かに、思われたが。

 

「その電磁波を、イニシエーターが作り出したとしたら?」

 

 夏世の続いての発言に、蓮太郎、木更、未織は口を揃えて「あっ……」と呟く。

 

「それは……有り得るわね。理論上はイニシエーターの能力に限界は無いわ。現代の技術では不可能な事も、強力なイニシエーターならやってのけるかも知れない」

 

「デンキウナギやエイみたいな発電能力を持った動物がモデルのイニシエーターなら、電磁石みたいに電気から磁力を作り出す事も不可能ではないかも知れへんな」

 

「そいつが磁力を使って銃弾を操ったって事か……? なら、確かに通信障害が起こったのも納得だけどよ……」

 

 顎に手を当てた蓮太郎が推理を纏める。それならあの「魔法の弾丸」に説明が付き、一応の辻褄も合うが……しかしだとすると、分からない事がまた出てきた。

 

「だが蓮太郎、そんなイニシエーターが居たとして、そいつは聖天子を狙う銃弾を曲げたのだろう? ……と、言う事は妾達の味方なのではないか? なのに何故、そいつは妾達や聖天子の前に姿を現さない?」

 

 疑問は、延珠が代弁してくれた。綾耶が夏世へと視線を送るが、明晰な頭脳を持つ彼女にもこれは分からないらしい。申し訳なさそうな顔になって、首を横に振る。

 

 恐るべき技量と風を読む力を持ったスナイパーと、銃弾を曲げる力を持った敵か味方か不明な「X」の存在。

 

 分からない事が多く1分ばかり沈黙が下りた所で、焦れた蓮太郎が頭を掻きながら立ち上がった。

 

「あー、話が行き詰まってきたな。飲み物でも買ってくるわ。何が良い?」

 

「私はコーヒーをお願い。ブラックでね」「ウチは紅茶やね」「妾はコーラを頼むぞ」「私はイチゴミルクをお願いします」「僕はフルーツオレを」

 

「了解了解っと……」

 

 口々に来た注文をスマートフォンでメモすると、蓮太郎は未織の私室を出て、次に生徒会室の扉を開けて廊下に出る。

 

 この時、彼にとっての幸運は一番近い自販機が生徒会室を出て右に歩いた方向にある事だった。そういう位置関係だから、当然ジュースを買いに出た蓮太郎は廊下を右に曲がる。

 

 もし左に曲がっていたとしたら、彼は無防備な背中を襲撃者に見せていてひとたまりもなく殺されていただろう。

 

 廊下を、一人の少女が歩いてきていた。プラチナブロンドの髪をして、ドレスを着た可憐な女の子だ。両手で、薔薇の花束を抱えている。

 

 生徒の誰かの妹だろうか? しかしどう見ても外国人だし……

 

「どうした? 道に迷ったのか?」

 

 そうは思いつつも蓮太郎は親切心から不幸面に笑みを浮かべてそう話し掛けてみたのだが……数秒で、笑顔が凍り付いた。

 

 女の子は花束の帯を解いて、包み紙を剥がした。薔薇の花が床に落ちて、中に隠されていたウィンチェスターM1887・ショットガンが姿を現した。

 

 女の子は銃口を上げつつ、チャンバーに弾丸を送り込みながら前進してくる。落ちた薔薇が、彼女の靴に踏み潰された。

 

「っ!!」

 

 咄嗟に、蓮太郎は床を蹴って生徒会室に飛び込んだ。同時に、ショットガンの轟音が廊下に木霊して散弾がほんの半秒前まで彼の居た空間を薙いでいた。

 

 床に転がった蓮太郎は、XD拳銃を抜きながら立ち上がる。

 

「な、何!? 今の銃声は!?」

 

「何事だ!!」

 

「里見ちゃん、どうしたん!?」

 

「無事ですか、里見さん!!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

 未織の部屋から5人が口々に叫びながら出てくるのと、開けっ放しになっている生徒会室の扉からショットガンを構えた少女が姿を見せるのは殆ど同時だった。少女の瞳は、先程までは欧米人の特徴でもある青色であったが、今は赤く染まっている。イニシエーターだと、一瞬で延珠や綾耶が把握する。

 

 5人が顔を出した事で標的が増えて、一瞬だけ少女が照準を迷う動きを見せた。その隙を衝いて蓮太郎がXD拳銃を向けて射撃する……よりも早く、動いていた者が居た。

 

「天童社長、これをお借りします」

 

 夏世だ。木更が持っていたウージーを手に取ると、片手でそれを持ってフルオートで撃ちまくる。無数の銃弾が扉や壁を抉って、少女が身を隠した。

 

「里見さん、早くこっちに!!」

 

 銃声に負けじと叫んだ夏世の声に蓮太郎ははっとした顔になって、未織の部屋に飛び込んだ。夏世は襲撃者が姿を見せない事もお構いなしに連射して、少女の動きを牽制する。弾切れになった所で、彼女も訓練された動きで身を隠した。同時に、反撃で飛んできた散弾が部屋の壁に弾痕を刻んだ。

 

「一体何なの、里見君!? 学校でいきなり撃たれるなんて、君はそんなに恨みを買ってたの!?」

 

 本気かさもなくば笑えない冗談なのか。怒鳴りながら、木更は愛刀である殺人刀・雪影を手にする。未織を倒す為に様々な武器を持ってきたが、天童流抜刀術の皆伝である彼女がいざという時に最も頼りとする武器はやはり刀だった。

 

「俺が知るかよ!!」

 

 怒鳴り返しながら、蓮太郎は生徒会室と未織の部屋とを繋ぐ出入り口からちらりと顔を半分だけ出して、すぐに引っ込めた。一瞬後に、またしても散弾が飛んできて生徒会室に穴を増やした。

 

「……イニシエーターが居るのは、計算違いでしたね……しかも複数……」

 

 襲撃者の少女、ティナ・スプラウトはそう呟きながらショットガンに次弾を装填していた。

 

 先程の反撃でサブマシンガンを連射してきた少女、彼女は間違いなくイニシエーターだ。その証拠に、片手で撃ったにも関わらず着弾が恐ろしく纏まっている。

 

 実はイニシエーターの特性が最も発揮される銃器は、拳銃でもなければ狙撃銃でもない。それはサブマシンガンやアサルトライフルのような連射式の銃だ。こうした銃は反動が大きいので人間では大の男であっても両手持ちでなくてはフルオート射撃では狙いが定まらない。通常、そこは撃ちまくる事でカバーするのだが、しかし超人の身体能力を持つイニシエーターは反動を完全に受け止める事が出来るので、片手で撃っても正確な射撃が可能なのだ。

 

 中々、手強い。それにちらりと見ただけだが、あの部屋には他に少女が二人居た。しかも一人は将城綾耶だ。と言う事はもう一人の方もまず間違いなくイニシエーターと見て良いだろう。恐らくは里見蓮太郎のパートナーである藍原延珠。

 

 元々、今回は里見蓮太郎一人を殺すつもりだったのだ。イニシエーター3人を相手する事は想定していない。しかも手持ちの火器も少ない。

 

「ここは、一気に勝負を掛けますか」

 

 ティナはドレスのポケットから取り出した手榴弾の、ピンを抜いた。

 

「里見さん、セオリー通りなら敵は次には手榴弾を投げ込んできますよ。その後で、突入してきます」

 

 木更から借りたスパスの動作を確認しながら、夏世が言う。

 

「そりゃ……拙いんじゃねぇか?」

 

 こんな狭い空間で手榴弾が弾けたら……!! 数秒後に訪れるであろう恐ろしい未来を想像して、蓮太郎の全身からドボッと冷たい汗が噴き出す。

 

 木更と未織も同じだった。夏世が、机を持ち上げて即席のバリケードを作る。

 

 だが、綾耶の意見は違っていた。

 

「いえ……これは逆にチャンスですよ。みんな」

 

 彼女がそう言ったとほぼ同時に、ゴトンと重い金属音を立てて、手榴弾が投げ込まれてきた。咄嗟に、蓮太郎が木更と未織に覆い被さる。

 

 ドン!!

 

 難聴になりそうな爆音が響いて、爆煙がもうもうと立ち込める。それを見たティナは生徒会室へと突入するが、しかしここでも彼女の予想を超えた事が起こった。

 

「ハアアアアアッ!!」

 

「でぇぇぇえいっ!!」

 

 爆煙を切り裂いて、全く無傷の延珠と綾耶が飛び出してきたのだ。

 

 実は手榴弾は、爆発力自体はさほど大きくはない。殺傷能力を発揮するのは、爆発して飛び散る無数の破片だ。逆に言うなら破片さえ飛び散らなければ殺傷力は無い。綾耶は手榴弾の周りに空気のシールドを作り出し、破片の飛散を防いだのだ。彼女なら手榴弾の周りの空気を吸引して真空状態を作り出し不発にする事も出来たのだが、それをやっては襲撃者は警戒して出て来ないだろうという判断から、採用しなかったオプションだった。

 

「しまった……!!」

 

 まんまと誘き出された。そう思考しつつティナは延珠の蹴りをショットガンの銃身で受け止めたが、続く綾耶の空気の刃が散弾銃を三つに切り裂いた。

 

「クッ……!!」

 

 後方に飛んだティナは手榴弾を空中に投げる。

 

 一瞬、それを見た延珠と綾耶の動きが止まり、その間隙を縫ってティナは拳銃をドロウした。その銃口が向くのは延珠でも綾耶でもなく……

 

「!! 延珠ちゃん、僕の後ろに!!」

 

「分かった!!」

 

 象と兎の因子を持つ二人の少女は同時に狙いを悟って、延珠は咄嗟に綾耶の後ろに跳び退り、綾耶は両手を前方にかざす。

 

 パン!!

 

 乾いた音と共にティナの拳銃から薬莢が排出されて……次の瞬間、弾丸が命中した手榴弾が弾けた。

 

 再びの爆音。生徒会室に、無数の破片が飛び散る。だが、誰も傷付ける事は出来なかった。蓮太郎、木更、未織、夏世は未織の部屋に隠れていて、綾耶と延珠は、綾耶が空気のバリアを作り出して飛来する破片を止めていた。

 

 部屋を覆う爆煙が晴れるのを待たず廊下へと飛び出した綾耶と延珠だったが、金髪の襲撃者の姿は右にも左にも見えなかった。窓が一つ割れていて、その下を見てみたがやはり影も形もなかった。逃げられた。

 

「どうしよう、綾耶。追うか?」

 

「……いや、今の引き際からして、逃走ルートに何か罠が仕掛けられている可能性もあるから……迂闊に追うのは危ないかも」

 

 結果的には綾耶のこの判断は間違いだった。もしこの時点で彼女と延珠の二人で追い掛けていれば、ティナ・スプラウトを倒すもしくは捕獲出来た可能性は非常に高い。

 

 とは言え、ティナの武器が殆ど失われているような事情など彼女には知りようが無く、また1対6という数的不利の中で攻撃が失敗したと見るやすぐに撤退する引き際の良さも、なまじの使い手に出来る事ではない。実際に、ティナは並みのイニシエーターではない。綾耶が警戒するのも、無理からぬ所ではあった。

 

「だが、良いのか?」

 

 このタイミングで仕掛けてくるという事は、彼女が聖天子を狙った暗殺者であると見て間違いはあるまい。ここは多少の危険を覚悟してでも追撃すべきではないか?

 

 延珠の意見も尤もではある。だが、彼女は忘れている事が二つあった。自分達に有利に働くファクターを。

 

「……顔は見たよ」

 

 と、綾耶。親友を振り返って、自信の笑みを浮かべる。襲撃者の顔を見た。これは確かに護衛側にとって圧倒的なアドバンテージとなる。そしてもう一つの有利な点は。

 

「それに延珠ちゃん、忘れてない? 僕のプロモーターは、誰だったっけ?」

 

 綾耶の笑みが、悪戯っ子っぽいものに変わった。

 


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