橘シェリーの事件簿Case01: ナノカのクッキーつまみ食い事件 作:SuamaX
原作:魔法少女ノ魔女裁判
タグ:魔法少女ノ魔女裁判 橘シェリー 遠野ハンナ シェリハン ハンシェリ まのさば二次創作
(小規模企画 "魔法少女ノ文体裁判" http://twilight-off.wikidot.com/tachibana のNo.8として投稿した作品になります。Pixivにも同名タイトルの小説を投稿しています。)
何かを抱くのではなく、何かを握るようにして眠るようになったのは、いつからだっただろう。
何かを抱きしめるということそのものを忌避するようになったのは、なぜだっただろう。
そんな答えなんて知ってるくせにわからないふりをしているのは、誰のせいだっただろう。
そんなとりとめもない思考の中で、ベッドのシーツの端を強く握って、ゆっくりと意識を手放す。
握る。握って、離さないように、強く強く握って。
そうして握った手を、そっと前に突き出して。
「──っ」
次に映るのは、決まってエマがスローモーションで事切れていく姿だ。
罪は、消えない。消えないのだと、突き付けられて。
prologue: 医務室
「……大丈夫ですか、ハンナさん?うなされていたようですが」
聞き慣れた、やけに優しい声で、ゆっくりと目を覚ます。
吹き抜けから入る太陽の光を見る限り、夜は明けているらしい。ここ最近で時間感覚をすっかり失ってしまったようだ。
言われるがままにゆっくりと上体を起こしていくと、これもまた見慣れた顔が視界に入った。
「おはようございます、シェリーさん。珍しいですわね」
「それどころじゃないんですよ!事件です、じ・け・ん!」
じけん、事件。殺人事件。
飛び込んできた単語に、意識が身体を追い越して覚醒する。だって、もう魔女因子は消滅してて、誰も誰かを殺す理由なんてないはずで、
「ちょっ、事件って、どういうことですの!?誰が、どこで、」
「ああ、落ち着いてくださいハンナさん。殺人事件が起きたわけじゃないんです」
「じゃあ、いったい何が起きたんですの」
ふふーん、と鼻を鳴らしながら、ドヤ顔で胸を張るのが見えた。
安堵する一方でほんの少しだけ嫌な予感が胸をよぎるのを感じながら、もったいぶった時間を静かに待った。
「ナノカさんのクッキーが何者かにつまみ食いされた事件!名付けてクッキーつまみ食い事件!」
「謎多き事件です、高まりますね~!ハンナさん、早速調査に行きますよ~!」
ぐいっと、少しだけ腕を引かれる。
わずかに悩んだ後──まあ、気分転換もいいかと、小走りで後を追った。
scene1: 厨房
「昨日の夜、私と佐伯ミリアで600g分のクッキーの生地を作って、冷蔵庫に生地を寝かせておいたの。サプライズで作っていたものだから、この屋敷にいるほとんどの人間は知らないはずよ」
まず訪れた厨房にいたのは、大層ご立腹な顔をした黒部ナノカだった。
「そして、今日の朝、寝かせておいた生地を焼いたわ。確か、2回に分けてオーブンに入れたかしら」
「それで、全部焼いてからクッキーを改めて量ったら、500gしかなかったんですよね?」
「ええ、確かあなたもそこにいたはずね」
「はい!そうしたらナノカさん、犯人を捕まえてやるって飛び出していってしまって。私がいなかったらクッキーを見張ってる人が誰もいなかったんですからね〜?」
「それは……感謝しているわ」
それにしても、と眼前に積まれた── 一瞥しただけでは減っていると認識できない程度には山盛りに積まれている──クッキーを見ながら会話を重ねる。
「持ち去られたのは100gですか、どれくらいの量なんです?」
「そうね……ざっと15枚ってところじゃないかしら。12人で分けるために作ったものだから、人数換算で2人分になるわね」
「2人分ですか〜、犯人をとっちめてクッキー抜きにしても取り返せませんねぇ」
「そうね、だから許せないの」
そう語るナノカは、かつての世界でアリサに詰め寄った時と同じ目をしていた。
「ちなみになんですけど、あれだけ自信満々に飛び出したってことは、犯人の目星が付いてたりしますか?」
「さっきも言ったけれど、このクッキーはサプライズなの。つまり、クッキーを焼いていると知っている人間の犯行に限られるはずよ」
「昨日の夜の後片付けの時に食堂に来た、あなたと桜羽エマと紫藤アリサ。そして、昨日の仕込みと今朝の準備を手伝ってくれた佐伯ミリア。今朝クッキーを焼いている時に食堂を訪れた夏目アンアン。容疑者になるのはこの5人。中でも特に怪しいのが──」
「夏目アンアン。彼女がこの事件の犯人よ。間違いないわ」
scene2: 娯楽室
「わがはいはやっていない!」
「まあまあ、アンアンちゃん落ち着いて」
娯楽室に入るや否や、つい先ほどナノカに詰め寄られたであろうアンアンと、それを宥めるミリアの姿が飛び込んできた。
「うん、確かに昨日の夜ナノカちゃんのクッキー作りを手伝ったよ。夜の10時くらいまでやってたかなぁ」
「そうですね、私も証言できます!ちょうど片付けているところにお会いしましたよね!」
「そうだね、エマちゃんの人形だっけ。ちゃんと見つかった?」
「はい、食堂ではなくラウンジですが」
「見つかって良かったよ、ハンナちゃんのお人形さん可愛いもんねぇ」
あははと笑いながら、後ろにいるハンナの顔を見やる。
照れくさそうにしている反応をひとしきり楽しんだあと、説明の続きを求めた。
「そして、その後は朝からナノカちゃんのお手伝いしてたよ。最後まではいれなかったけど」
「私が現場に到着した時には既にいませんでしたね。何があったんですか?」
「アンアンちゃんと映画見る約束しててね〜、後片付けはナノカちゃんがやってくれるっていうから、お言葉に甘えて離れたんだよね」
『元々は吾輩の約束の方が先だったはずだ』
「ごめんねぇ、クッキーが思ったより多くて、一回で焼き切れなくて……」
子どものようにむくれた表情を見せるアンアンとそれをあやすミリアをどこか微笑ましいものを見るような目で見ながら、質問を重ねていく。
「何か他に気になったこととかありますか?」
「そうだなぁ……昨日の夜、明日も使うからってことで必要な道具とかは出しっぱなしにしてたんだけど、それの配置が若干変わってたような気がするよ。2台あったはかりの場所もぐちゃぐちゃになってたし、張り紙も剥がれかけてたし……」
「あれ?はかりは2台あったんですか?」
「うん、とはいっても片方は壊れてて、『壊れています』の張り紙がされてるんだけどね。お皿を奥の方にしまうことを考えると出しっぱなしの方が楽かなって」
「なるほど、それは確かですか?」
「間違いないと思うなぁ。昨日、シェリーちゃんたちは厨房まで人形を探しに行ったのかな?」
「いえ、3人でバラバラに探していましたし、私は厨房には入りませんでした。となると……」
『アリサかエマのどちらかが昨日の夜厨房に忍び込み、クッキーに何かしたのではないか?』
scene3: ラウンジ
「ああ、確かに昨日の夜はお前や桜羽と一緒に食堂を探してたな。ウチからも証言できる」
「ありがとうございます!その時なんですけど、1人で厨房に入っていった人に心当たりはありませんか?」
「さあな……3人しかいなかったし、人形に意識が向いてたから、全然わからねえよ。全員にチャンスがあったと思う」
ただ、と区切って、一歩距離を詰めながら続ける。
「仮にチャンスがあったとしても、ウチらの中に容疑者がいるってのは変な話だな。焼く前のクッキー生地を盗むなんて、動機がねえ」
「アリサさんの【発火】の魔法で、自分でクッキーを焼いて食べた可能性はどうでしょうか!」
「ウチはもう魔法は使えねえよ!わかって言ってるだろ!?」
てへっ、と言いながら自分の頭を叩くジェスチャーを挟む。この程度のやり取りはじゃれ合いの範疇だ、殺伐とした牢屋敷で過ごした経験から心置きなく振れる。
「ウチは今日の朝は厨房に行ってねえ。お前の説明が正しいなら、犯人候補になり得るのはナノカがクッキーを焼いている途中に厨房に入ったやつじゃねぇか?」
「一理ありますが、やはり全員に話を聞いておきたいです。まだ話を聞けてない犯人候補はエマさんだけということになりますか。アリサさん、エマさんがどこにいるか知りません?」
「桜羽なら、今は倉庫にいると思う。さっき城ケ崎にパシられてるのを見たからな」
scene4: 倉庫
「パシられて……っていうのとは、違うと思うんだけどなあ……」
困ったように頭を掻く左手と逆の手には何種類かの画材が抱えられていた。恐らく、これがノアに依頼された品なのだろう。
「ナノカさんのクッキーをつまみ食いした犯人を追っているんです!エマさんは確か、私やアリサさんと昨日の夜食堂で人形探しをしましたよね!」
「そうだね、夜遅くまで付き合わせちゃってごめんね……」
「良いんですよ〜!ただ、その時のことに関しては書き込み調査をしないといけません。エマさんは昨日厨房に入りましたか?」
「うん、探す時に一回入ったよ。ミリアちゃんが言ってる道具の移動っていうのも、多分ボクが探した時のものだと思う」
「なるほど、エマさんであれば昨晩のうちに厨房で何かできたわけですね。例えば、はかりに細工するとか!」
「ちょっと待ってよ!ボクが疑われてるの……!?」
うーんうーんと悩みながら、反論の言葉を探るように視線を巡らせる。
その所作が何よりも恐ろしいのだということは、文字通り痛感している。
だからこそ、急かすでもなく反論の言葉を静かに待った。
1分か2分か時間が空いたのち、エマはゆっくりと口を開く。
「いや、その推理には矛盾があると思うんだ、シェリーちゃん」
「ずばり、根拠を聞いても良いですか?」
「はかりに細工がされていたなら、そもそもこの事件が起きていることがおかしいんだ。つまみ食いを偽装するなら、実際の重さよりも重く表示されるようにはかりに細工をして事件がばれないようにするはず。でも現に事件は起こってるんだ!」
「ふーむ、確かにそうですね!となると、はかりに細工がされていた可能性は低いですか」
新たな証拠や反論を受けての、軌道修正。
もとより一つの考えには固執しないタイプということもあり、指摘を組み込んでの再考察には抵抗がない。
そして、今までの会話を元に推理を重ねて──
「さて、謎はあらかた解けました!」
「本当ですの!?さっさと教えてくださいまし」
「いえ、ですがこの仮説を検証するための最後のピースが──あっ」
倉庫の一点、あまり埃を被っていない箱に駆け寄って中を物色する。見たところ、ナノカがお菓子作りに使った材料が納められた箱のようで──
「見てくださいハンナさん!面白いものを見つけましたよ!」
「面白いものって……私にはただの小麦粉にしか見えませんけれど」
「はい、ただの小麦粉です!」
シェリーが目をつけたのは、「薄力小麦粉 1kg」と印字された──少なくとも表面上はなんの変哲もない、未開封の小麦粉であった。
「ナノカさんがお菓子作りに使っていた材料と同じものかしら」
「そうだと思いますよ!私の推理が正しければ、これこそが謎を解き明かす最後のピースになるはずです!」
「皆目見当もつきませんわ」
そうして、腕を組みながら、満足したような顔で何回も頷いた。
「これで全部解決です!早速シェリーちゃんの華麗な推理ショーと洒落込みましょう!」
scene5: 食堂
「どういうつもりかしら。まさか、真犯人が分かったとでも言うの?」
「そのまさかです!名探偵シェリーちゃんが、この謎を華麗に説明してみせましょう!」
ひとしきり調査を終えたのち、シェリーの提案で食堂に全員集まることとなった。怒り心頭のナノカ以外、誰も口を開こうとしない。
「とはいっても、状況を考えれば犯人は明白よ。2回目にオーブンに入れたクッキーからは目を離していない以上、最初に焼いたクッキーが盗まれた以外の選択肢はないわ。そのタイミングでクッキーを持ち去れたのが夏目アンアンだけな以上、犯人も夏目アンアンで決まり。これ以上何を論ずるというの?」
「なるほど、ではまずはそのストーリーから反論していきましょうか」
シェリーは一瞬だけ目を細めて、ナノカの顔をまっすぐに見つめる。
その眼は、矛盾を指摘してやるぞという気概に満ち満ちていた。
「アンアンさんの服を見てください。全体的にふわふわで、特に袖のあたりなんかゆるる〜って感じじゃないですか!」
『そういう服なのだから仕方ないだろう』
「はい、その通りです!そんな状態で、ミリアさんとナノカさんの目を盗んでクッキーを盗もうとしたら……クッキーのかけらが服にくっついてしまうと思うんです!」
「叩いて落としたり、別の服に着替えたりした可能性もあるでしょう」
「多少叩いた程度では細かい粒子は落とせないと思います。それに、アンアンさんはミリアさんと一緒に娯楽室に移動したはずです。シャワールームの着替えを取りに行く暇はなかったはずです」
一瞬発話を止めてから、それに、と強調してさらに反論を重ねていく。
「根拠はまだあります。これはアンアンさんが、というよりは全員に当てはまることですが」
「全員に?」
「はい。ナノカさんの主張では最初に焼いたクッキーの山から100gのクッキーが盗まれた、ということになります。でも、これってよく考えると変なんですよ!」
「変?」
「600gのクッキーの山から100g盗まれたというなら気付かない可能性もありますけど、最初に焼かれたクッキーは300g分しかないはずです。300gのクッキーの山から100gクッキーが減ってたら流石に気付きません?」
「……っ、それは……」
「確認なんですけどミリアさん、ミリアさんの目から見ても特に最初に焼いたクッキーの山に異常は無かったんですよね?」
「……そうだね、少なくともおじさんはおかしいとは思わなかったかな」
「つまり、犯人がこのタイミングで犯行を行うことは不可能だったんですよ!」
「ちょっと待って!それなら犯人が犯行を行えるタイミングが無いんじゃないかな?」
「そうなっちゃいますね!」
「『そうなっちゃいますね』じゃねえだろ……」
一区切り。横に置いたコップの水で喉を湿らせつつ推理を続ける。
「時系列を追って説明しましょう!まずは昨日の晩、ナノカさんとミリアさんでクッキーの生地を作って冷蔵庫に寝かせておいた。これは間違いないですよね?」
「うん、おじさんも一緒に作業してたから証言できるよ。間違いなく600g分のクッキーの生地を作って冷蔵庫に入れたんだ」
「少なくとも、夜間に誰かが盗んでいった可能性は低いでしょうね。朝見たときはクッキー生地に異常はなかったし──何より、焼いてもいないクッキー生地を盗っていくメリットがないわ」
「はい!ですから、今日の朝、クッキー生地を焼き始めるまではクッキーの生地には問題がなかったとするのが自然でしょう!」
親指を立てながらうんうんと何回も頷く。探偵の立ち回りとしては、裁判場の議論よりも今の演説の方がしっくりくるのかもしれない。
「ですが、昨晩、食堂でもう一つの事件が起きていたんです。その名も、エマさんの人形紛失事件!」
『確かに昨日そのようなことを話していたのは聞いている。だが、それと食堂に何の関係がある?』
「ナノカさんのお菓子作りの見学の時に食堂に置いてきてしまったかもということで、私とエマさんとアリサさんの3人で食堂を探し回ったんです!」
「そうなんだ。いくら探しても見つからなくって……結局、ボクの人形はラウンジで見つかったんだけど」
「そこで、問題が発生したんですよ!」
びしっと、人差し指を上の棚に向けて突き付ける。遅れて全員の目線が向けられる先にあるのは、二台のばねばかり。
「ばねばかりに誰かが細工をしたってのか?でも、そのタイミングだと時系列が成立しなくなっちまうだろうが」
「はい!もちろん、それはわかっていますよ!それよりももっとシンプルな答えです!」
棚から二台のはかりを机に並べて、『壊れています』の張り紙をむしり取った。こうして見ると二台のはかりは本当に瓜二つで──
「入れ替わってしまっていたんです!正常なはかりと壊れたはかりが、張り紙が張り替えられたことによって!」
そのまま、張り紙をもう片方のはかりに張り付ける。
橘シェリーの推理の主張は、それで充分だった。
「エマさんが人形を探している間に、何かの拍子で張り紙が剥がれてしまったんです。朝それを見たミリアさんが間違った方に貼りなおしてしまった。そう考えるのが一番自然でしょう!」
「100gだけ軽く表示されてしまうなんて、そんなことあり得ますの?」
「見たところこのはかりはばねで重さを量るタイプみたいです。劣化でばねが縮みにくくなっていたりして、はかりの目盛りが動きにくくなってしまう可能性はあると思いますよ!」
「つまりシェリーちゃんは、今朝ナノカちゃんが壊れたはかりを使ってクッキーを量ったから、実際の重さよりも100g軽く表示されてしまっていたって言いたいんだね」
「でも、そのはかりの方が正しいことを証明する方法はないわ。客観的にどちらのはかりが正しいかなんて──」
「それは、これを乗せれば全部わかりますっ!」
倉庫から持ち出した、未開封の小麦粉の袋。
ちょうど1kgが保証されている重り。
もし、これを正しいはかりに乗せて、それが1kgを示すのであれば──
「さっそく、真実を明かしましょう!」
そのまま、張り紙がはがされた正常なはかりの上に袋を持って行って、そっとはかり台の上に乗せると──
針は、きっちり1kgを指していた。
「これで、万事解決ですねっ!」
かくして、この魔女裁判は、初の「犯人なし」という形で、平和に幕を閉じたのだった。
──本当にいたたまれなさそうな顔をしている黒部ナノカを除いては、という但し書きで。
──思い出すのは、かつての世界線の記憶。
かつてナノカさんは、リボンをなくした時、真っ先にアリサさんに詰め寄っていました。
だから、焼いていたクッキーがなくなったと知れば、食堂に立ち寄っていた疑わしい人間に話を聞きに行くだろうと思ったんです。
前日、エマさんの人形を探すためにエマさん、アリサさんと一緒に食堂に行ったとき、こっそり厨房に忍び込みました。
そこで、はかりのバネに細工をしたんです。
バネをとめているネジを少しきつく締めてあげれば表示される重さは実際の重さより軽くなりますし、緩めてあげれば重くなります。ボウガンと比べれば全然複雑な仕組みじゃありません。
なので、正常なはかりは100gくらい軽く表示されるようにして、壊れた張り紙がしてある方は100gくらい重く表示されるようにしました。
そして、当日。
予想通り、はかりで重さを計ったナノカさんがクッキーが減ってると勘違いしてアンアンさんの元に駆け寄ります。
その隙を見計らって、クッキーを小包に詰めて、正常なはかりを元に戻したんです。
そうすれば、はかりに表示される重さは変わりませんからね。
クッキーはあらかじめ作っておいたロープの仕掛けを使って、天井にぶら下げて隠しました。まさか天井に隠してあるなんて誰も思わないですよね!
そうして、裁判を誘導した後、みんなが寝静まった後に食堂に行って、クッキーの小包を回収しました。
ロープも回収しちゃったので、これでシェリーちゃんを疑うことはもう誰にもできません。
epilogue: 医務室
「ということで、完全犯罪、成立ですっ!」
「成立ですっ、じゃねーですわよ!!何てことしてやがりますの!?」
目の前の彼女に呼び出された医務室で告げられた真実に目を剥く。
まさか、ここまでのやり取りが全部茶番だったなんて──
「どうして、そんなことをしたんですの」
「まあまあ、そんなことはどうでもいいじゃないですか~!クッキーに合うお茶、入れてきますね!」
「どうでもよくありませんわ!ちゃんと説明してくださいまし!」
はぁ、と息を吐く。このモードに入った彼女から何かを聞くことが叶うとは思えない。
わざわざ呼び出したのだから彼女から何か話してくれるのだろうと、ベッドに腰かけて返事を待った。
しばらくして、ティーカップ2つと小包をお盆に乗せた彼女が、対面のベッドに腰かけた。
出されるがままにカップを受け取ると、ふわっと草っぽいような、でも甘いような匂いがする。
「メルルさんのやり方を真似してハーブティーを入れてみました。渾身の一杯です!」
「粗茶ですがって謙遜するところですわよ。まあでも、悪くはないですわね」
ハーブの主張も渋さもそれほどない、飲みやすいお茶だった。一口、また一口と、居心地の悪さを誤魔化すようにカップの中身を少しずつ飲み下していった。
何秒、そうしていたかわからない。タイミングを探るようにしながら、彼女は慎重に口を開いた。
「眠れないんですか」
「そう……ですわね。わけのわからないままに牢屋敷に連れてこられて、大魔女と相対して……体が緊張しているのかもしれません」
「エマさんやレイアさんのこと、ですよね」
図星だ。肩の緊張がカップに伝わって、水面が跳ねたのを感じた。
隠す意味もないからと、ぽつり、ぽつりと言葉を落とす。
「わたくしはかつて、エマさんとレイアさんを殺しました。それだけでなく、シェリーさん、あなたは……わたくしのせいで2回も死んでしまった、殺してしまったようなものですわ」
だから、と繋げようとして、その言葉の行き先がどこにもない事に気付く。
エマも、レイアも、シェリーも、贖罪を求めてなどいない。
ただ、自分勝手な理由で殺して、自分勝手な理由で苦しんで、自分勝手な理由で救いを求めているだけ。
──こんなことを相談して、何になる?
俯いて閉口する私を見て、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ハンナさん、私は……やろうと思えば、完全犯罪を成立させることはできました。それこそ、アリバイのないナノカさんに罪を着せるのなんて、私が何もしなくても達成できたかもしれません」
これがその何よりもの証拠ですよ、と言いながら小包を放ったのを見て、慌てて受け取る。
確かに、中には十数枚のクッキーが、割れることもなく封入されていた。
これがどこまで殺人事件のアリバイ作りの実力と関係するかなんて想像もつかないけれど──眼前の彼女とその言葉には、それを信じさせるだけの気迫があった。
「それでも、最終的に私が処刑されることになったのは……私が弱かったからです」
「あのとき──ハンナさんが処刑されるとき、私はこう言いました」
『あなたでは支えきれなかったんですね。──その罪の十字架は。』
「今なら、少しわかる気がします。きっと、私も同じだったんですよ。私にも、ハンナさんを殺したという十字架は背負えなかったんです」
「……そうだとしても、わたくしがシェリーさんを殺してしまったという事実は変わりませんわ。あなたに倣って言うなら、決して、この十字架は消えるものではありません」
「ええ、ですから──二人で、背負っていきませんか?」
は、と息が漏れた。それは、まさか彼女の口から飛び出てくるとは思わなかった提案で。
「……全く、またあなたはわたくしの心の中にズカズカと。デリカシーってもんがないのかしら」
「はい!なんたって私、ノンデリの怪力女ですから!……とはいっても、【怪力】の魔法もなくなってしまった私ですが──でも、きっと、ハンナさんの十字架を支えるくらいは、できると思うんです」
「……っ」
ばっと顔を上げる。眼前の彼女が笑っているのか泣いているのかは、薄暗がりに滲んでよく見えない。
それでも、冗談や軽口でこんなことを言っているのではないということは、自然と信じられた。
ほんの数十秒、見つめ合う時間が続いたと思う。
仕切るように改めて息を吐き出して、手元の小包からクッキーを一枚取り出し、噛み割った。
「ハンナさん、何を──」
そう言いかけたシェリーさんの口元に、手に残ったクッキーの片割れを押し込む。
少し驚いた表情をしながら、されるがままにもぐもぐとクッキーを咀嚼する姿が可笑しく見えて、少し笑いながら一言、二言と啖呵を紡いでいく。
「これで、わたくしたちは共犯者です。確か、十字架は二人で背負う約束、でしたわね?──明日、二人でナノカさんに謝りに行きますわよ」
「……、はいっ!」
医務室の吹き抜けから差し込む月の光が、床に長く長く伸びている。
密会を邪魔する牢屋敷の規則も、それを咎める看守ももういない。
ただ、二人の時間があった。
何かを抱いて眠るのは苦手だ。
どうしても、あの日のことを思い出してしまうから。
きっと、そうだった。
でも、きっと、この腕の中にある温もりは。
私を置いていくことも、私が置いていってしまうこともなく。
ずっと、私と共に生きてくれるから。
抱きしめるように、抱き着くように、もう離さないように。
力いっぱいにぎゅっと握りながら、ゆっくりと意識を手放していく。
罪は、消えない。消えないけれど。
今日は、めいっぱい眠ることを赦された気がした。