ストライク・ザ・ブラッド~春風雪華~ 《完結》   作:山中 一

2 / 11
その二

「調停官?」

 聞き覚えのない役職名に古城は首を捻った。

 雪菜の姉の春菜は古城の正面に座って、頷いた。テーブルには、温かいコーンスープが湯気を立ち上らせていて、ハムを乗せたトーストと小皿に盛られたサラダが彩りを加えている。

 春菜が用意した朝食であった。

 暁家の食卓を、三人で囲む。

「獅子王機関が、魔導犯罪に対処する組織であるということは、ご存知ですか?」

「え、はい。それらしいことは」

 古城は雪菜からかつて教えられたことを思い出す。

 これまでに何かと事件に巻き込まれてきた古城は、雪菜の所属組織である獅子王機関と関わることも必然的に多くなっていた。

 時には、獅子王機関と仲の悪い太史局なる組織との抗争に心ならずも巻き込まれたりもした。

 獅子王機関が司る魔導犯罪は、ほぼ魔族が関わっている。普通の人間では、よほどの才覚がなければ魔力を操ることができないからであり、雪菜たち剣巫も、対魔族戦闘を想定した訓練を積んできたと聞いている。

「調停官もまた、獅子王機関の役職の一つです。ただし、剣巫が犯罪者との直接的な戦闘を行う実働部隊なのに対して、調停官は交渉によって犯罪を未然に防いだり、人質の解放に努めたりするのが仕事です」

「なるほど。交渉人ってヤツですか」

「以前映画にもなりましたね。イメージとしては、それに近いですね」

 古城は納得した。

 これまでの事件が、交渉の余地のない激烈な戦いだったこともあり、まったく意識していなかったのだが、よくよく考えれば、犯罪に対処するのに突撃部隊だけでは心もとない。人質などがいる場合も想定される事件に対処するには、戦闘能力だけでは心許ない。

 犯人の心理を突き、争うことなく無難に解決に導けるのなら、それに越したことはない。雪菜のような殴り合いは、最後の手段であるべきであろう。

「姉さんも以前は剣巫をしていたんですけどね」

 古城の隣に座る雪菜が、プチトマトを飲み込んでから口を開く。

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」

 くすり、と春菜は笑う。

「それなりの成績は出していたんですけどね。多様化する犯罪に対処するのに、部署の整理が行われたんです。それで、わたしは剣巫から調停官に仕事が変わったんです」

「そんなこと、あるんですか」

「人手不足なので、希ではありますけどね。ああ、それと」

 春菜は、そこで言葉を切って古城を見つめた。

 吸い込まれそうな黒い瞳がまじまじと古城を捉える。古城は心拍数の上昇を抑えきれなかった。

「わたしに対して、敬語は要りませんよ。暁君」

「いや、でも……」

「雪菜の姉ではありますが、同年代です。敬語を使われるほど、偉いわけではありませんしね」

「それなら、春菜さんもじゃないですか」

「これは習い性ですから。ですが、暁君は普段タメ口ですよね。なら、それで統一してください。ダメですか?」

「ダメじゃないで、んん、ダメじゃない」

「はい。ありがとうございます」

 にこり、と微笑む春菜に古城は内心でどうしたものかと苦笑いを浮かべた。

 正直に言って、少し苦手意識が芽生えていた。雪菜によく似た顔立ちで、丁寧語という点では妹と同じなのだが、どうにも姉という立ち位置が非常に強くその性格に出ているようだ。

 古城は長男だ。姉もいないし包容力を感じさせる女性との関わりは、実のところほとんどない。辛うじて、ラフォリアが該当する可能性があるという程度である。母親は論外だ。そうなると、このどことなく年上のお姉さんといった雰囲気を醸し出す女性に、どのように接したらいいのか分からなくなってしまうのだ。

「先輩、食べ終わったら流しに出してくださいね」

 流れを断ち切るように、唐突に雪菜が言った。

「あ、おう。姫柊」

「ごちそうさまでした」

 雪菜は一人先に食べ終わり、スタスタと流しのほうに、自分の皿を持っていく。

 蛇口を捻って軽く水洗いをしてから、スポンジに洗剤をつけた泡立て始めた。

「あらら、とても自然に洗物を始めるのねぇ」

「姉さん。そういうのは、昨日で終わり」

「えー、つまんない」

 春菜は、憮然としてフォークをレタスに刺した。

 古城と話していたので、食事が進んでいないのである。

 古城は、古城で食事が遅れていたので、慌てて腹に収める。雪菜に洗物を任せるのは、さすがによくないと思ったらしい。

 食後、洗物を終えた後は家事をすることもなく、それぞれが自由に過ごしていた。年末とはいえ、古城に年越しの準備をするつもりは毛頭ない。怠惰な吸血鬼は、大掃除すらも面倒と最低限の整理整頓で済ませようという腹であった。凪沙は本土で新年を迎えるだろうし、今の古城は自由である。ベッドに仰向けになって、漫画を読んでいると、扉をノックする音が聞こえた。

 返事をすると、中に雪菜が入ってきた。

 雪菜はエプロンを着て、掃除機を引っ張ってきていた。

「せっかくですから、今の内に全部終えてしまいませんか?」

 と、雪菜が提案したことで、だらだらとした生活を送るという算段が覆されそうになっていた。

「大掃除か?」

「はい」

 提案しているようで、すっかりやる気になっていた。

「別に今しなくても」

「大掃除は歳神様をお迎えする日本の伝統行事です。一年の厄を落としておかないと、来年もまたいろいろと騒動に巻き込まれるかもしれませんよ」

 雪菜は掃除機のノズルを上にして、古城に催促するように掃除機のスイッチを入れた。

 ゴォォォォと掃除機が唸り声を上げた。

 あたかも古城の尻を叩くかのようである。

「先輩、今まで積み上げた損害額だけでもものすごい金額になるんですから、ここは来年に備えて身奇麗になったほうがいいのでは?」

「身奇麗って、やましいところがあるみたいに言うなよ」

 とは言うものの、古城自身強力極まりない眷獣によって破壊した建造物は多い。不老不死かつ最強の第四真祖でなければ、今頃は破滅していたことであろう。

 験担ぎもたまにはやってもいいかもしれない、と思えるくらいには後ろ暗いものがある。そういう自覚があるのだ。

 よって、嫌々ながらも身体を起こす気になってしまった。

「分かったよ」

「では、いらない物を部屋の外に出してくださいね。雑誌は紐で縛ってくださると後が楽なので、そのようにしてください」

「大丈夫だって、て、あれ、ビニール紐どこだったかな」

「確か、押入れの奥にあったと思います」

「ああ、そうか。そうだったな」

「さっき、凪沙ちゃんに電話をしたんですけど、やるならキッチン周りの油汚れが気になるとのことなので、そちらにも時間をかけますね」

「アイツ、何を一番めんどくさいのを人に押し付けてんだ」

 古城は妹の面の皮の厚さに驚くと同時にあっさりと引き受けた雪菜にも呆れる。雪菜は特に文句もないようで、むしろ今すぐにでも掃除に取り掛かりたいという様子だ。

 古城はのっそりとベッドから下りて、雪菜の言う押入れに向かった。

 雪菜は古城が動き出したのを確認して、部屋を後にした。その後、リビングから掃除機の音が聞こえてくる。

 古城の部屋には漫画雑誌が山と積まれている。

 読まなくなったものや収録作品がコミックスになったことで必要性がなくなったものもあるので、そういったものを選別して紐で縛る作業をする。

 他、ゴミ袋を用意して、雑貨を放り込み、学校のプリント類でいらないものなどを古紙として出す。

 三十分ほどでゴミはすべて出し切った。

 そうすると、妙にすっきりとした気持ちになる。

 雪菜の言うとおり、一年の厄が落ちたということか。

「これ、外に出せばいいのか」

 ずっしりとする雑誌の塊を持ち上げて、扉を開けて部屋の外に出した。

「姫柊。こっちは、ゴミ出し終わった」

「はい。凪沙ちゃんに関わるところはできませんから、後は凪沙ちゃんが帰ってきてからにしましょう。とりあえず、わたしはコンロの油汚れをなんとかしますから、先輩は休んでてください」

 凪沙がいないことには、凪沙の部屋などには手出しができない。

 今の段階ではこの家の人間である古城がよしとしたところだけを掃除するのである。

「いや、姫柊。何もうちのことでそこまでしなくてもいいんだぞ」

「いいえ。乗りかかった船ですから」

 雪菜は、もう止めるつもりがない。古城は、親しいとはいえ他人の雪菜にそこまでさせるのは気が引けるのであるが、ここまでやる気になった雪菜は強情だ。止めろといってもおそらくは止めない。

「じゃあ、すまないけど頼むな」

「はい。お任せください」

 雪菜は家事が好きなのか。

 ともあれ、コンロの油汚れなどは一番時間がかかるところである。雪菜が引き受けてくれると言うのなら、甘えてしまおうと思ってしまった。

 そこで、ふと気が付く。

「あれ、春菜は?」

 家の中に春菜の姿がなかった。

「姉さんはうちです。なんでも、上から連絡が来たとかで」

「上って獅子王機関か?」

「そうだと思います。任務に関わることなら、秘密にするものですし、詳しくは分かりませんけど」

「そういうものか」

「そういうものです」

 雪菜も春菜も若すぎるといってもいい年齢なので、忘れてしまうが、彼女たちは国の特務機関の人間である。古城が雪菜と出会ったのも、元は雪菜が古城を監視する命を帯びていたからである。

 雪菜については、その監視に関しても未熟としかいえないようなところがあり、非常に堂々と監視を宣言し、こうして家に上がりこむなど、それでいいのかと思えるところもなきにしも非ずだが、それでも特務機関に所属しているという点で、古城よりもずっと複雑な関係の中にあるのである。

 上司からの連絡など、社会人と同じような環境に彼女たちはある。

 職務遂行上の秘密というものはどうしても出てくるもので、それは特務機関だろうが民間企業だろうが変わりはない。

 春菜は、自分の情報を守るため、隣の姫柊家に戻ったのだ。

「あれ、先輩。そういえば、今姉さんのこと名前で呼びました?」

「ん? ああ」

 手を止めてこちらを見てくる雪菜に、古城は頷いた。

「でも、さっきまでは」

「そりゃ、春菜がタメ口でって言ってきたじゃないか。それに、苗字だと姫柊と被るしな」

 雪菜と春菜は姉妹なのだから、姓も同じだ。少なくともどちらか一方は名前で呼ばなければ、ややこしいことになる。

「それはそうかもしれませんけど……」

 なにやら不服な様子の雪菜は唇を尖らせて作業に戻る。

 洗剤に浸け込んで浮き上がった頑固な油汚れを、歯ブラシで擦っているのだが、気のせいかさっきまでと比べて非常に力が篭っているようだ。

 なんだかな、と深いことを考えることもなく、古城はテレビのリモコンに手を伸ばすのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 時は僅かに巻き戻る。

 スマートフォンに上司からの連絡が入っていたことに気付いた春菜は、慌てて雪菜に事情を説明して暁家を辞した。

 雪菜から受け取った鍵で玄関ドアを開けて中に入り、リビングに。それから、念のために軽く盗聴されていないかを術で調べてから上司にかけ直した。

 三回ほど、コールした後で機嫌の悪そうな上司の声に身体を萎縮させる。

「はい、申し訳ありませんでした。気付かず。はい。大丈夫です」

 電話越しの相手に頭を下げるのは日本人らしい。 

 軽くお叱りを受けて消沈する。

「はい、はい。問題はありません。滞りなく。妹とも接触できましたし、以前と同じように仲良く過ごしています」

 春菜は声を潜めて、囁くように言う。

「剣巫としても、とても成長しているようです。これなら、すぐにでも……はい、間違いなくお役に立つはずです。あの娘ほどの剣巫、早々現れるものではありません。身内贔屓ではなく、客観的にです。未熟は未熟ですが、水準を大きく上回っていることも事実ですから。今の時点で、さらに伸び代があるというのが驚きです」

 それは、春菜の偽らざる本音であった。

 雪菜がまだまだ見習いの域を出ていないというのは、あくまでも立場上のものでしかない。実力はすでに一級品であり、暁古城と関わる中で多くの実戦経験を積んだことが、雪菜の成長を促進していたのであろう。

「第四真祖は隙だらけですし、二人とも無警戒です。ええ、はい。そちらの準備が整えば、わたしはいつでも。ですが、問題も。空隙の魔女がどのように動くか。気取られずにすめば御の字でしょうが、そうもいかないでしょう。そちらはいい? はい、承知しました。出すぎた真似を、はい。ありがとうございます。失礼します」

 電話が切れて、スマートフォンを持っていた手を下ろす。

 春菜は、ゆっくりと視線を姿見に移す。

 鏡に映る春菜は、雪菜をほんの少しだけ縦に伸ばしたような姿だ。髪はセミロングで、胸は女性らしさが妹よりも強調されているものの、同年代に見るからに大きな娘がいるので、グラマラスな体形とは思っていない。

 雪菜と並べば双子に見えることだろう。

 それほどまでに、春菜は雪菜と酷似した顔立ちなのだ。

 ただし、明らかに異なる点もあった。

 第一に、表情がない。

 空虚だ。

 瞳には何も映さず、心は何事にも動じない。だから、場所によってあらゆる表情を作ることができる。今の春菜は何も感じない。ただ淡々と与えられた任務を達成することのみが存在意義である。半ば強迫観念に支配されたかのような状態ながらも平静を維持するという異常性。二律背反の極めてアンバランスな状態を、不自然なままに持続させているのである。

 その春菜の顔が、突然、苦悶に歪む。

 それから春菜は自分の荷物を漁る。バッグの中から巾着袋を取り出して、洗面所に向かう。ピンク色の可愛らしいデザインの巾着袋である。

 春菜はその袋の口を開けて、中から手の平大の透明な小瓶を取り出した。中に入っているのは、白い錠剤だ。

「ぐ、くぅ」

 春菜は崩れるように体勢を崩し、肘を突いて洗面台に縋りつく。膝を突いたが、上半身を洗面台に乗せるようにして堪えたので、倒れるまでにはならなかった。

 その額には、汗が噴き出している。顔は青白くなり、全身に震えが奔る。寒い、怖い、気持ちが悪い。骨がギチギチと軋み上がっているような錯覚。心臓のポンプ機能が異常を来たし、激しく打ち震えて血流が急加速する。視界が変色して、右に左に揺れる。

 コップに水を入れ、震える手で小瓶の蓋を外して錠剤を手に取ると、煽るようにして口の中に入れ、コップの水で胃に流し込む。

「は……あ、うん……」

 息を止めて、競り上がってくるものを押し込めると、次第に高鳴った心臓が落ち着いてくる。汗も引き、顔色が元通りになった。

 五分ほど、その場に蹲って呼吸を整えていた春菜は、身体の調子が戻ったのを確認すると、顔を洗って汗を流し、何事もなかったかのように背筋を伸ばした。

 それから、玄関に向かう。

「戻らないと」

 仕事まではまだ時間がある。

 雪菜と古城のいるところに戻って、何か話でもしよう。

 あの家にいると、不思議な暖かさを感じるのもまた事実だ。何か、失った大切なものがあの空間にあるような気がして、春菜は自分でもそうと気付かず、足を急がせた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。