ストライク・ザ・ブラッド~春風雪華~ 《完結》 作:山中 一
ゲームセンターで一頻り遊んだ後、春菜と雪菜は一緒に早めに夕食を摂った。
春菜はこの機会に遊び倒すつもりなのか、食後にも好奇心を衰えさせることなく、様々な店に足を踏み入れては雪菜を困惑させた。
というのも、雪菜は、服飾関係にはほとんど興味がなかったし、古城の監視任務を優先するあまり、「お洒落な店」についての情報を仕入れていなかった。それは、雪菜が女の子らしいものに興味がないということではなく、ただ仕事を優先する生活を送っていたということである。
そうはいっても、春菜が雪菜を連れ込む店は、どう見ても学生が出入りするような店ではない。
並ぶ煌びやかな衣服に、ついつい目が吸い寄せられる雪菜であるが、値札を見て愕然とする。
「え、何これ」
雪菜が着ている服の値段よりも二桁あまり違う。
それは、獅子王機関から多額の資金を渡されているとはいえ、基本的に質実とした生活を送っている雪菜にとっては、あまりに次元違いの世界であった。
「ねえねえ、雪菜ちゃん。これなんか、どうでしょう?」
そんな雪菜の驚愕を他所に、姉は能天気に黒を基調としたワンピースを見せてくる。
「ね、姉さん。ここ、すごく高級なお店なんだけど」
「そうみたいね。でも、大丈夫。わたし、これでも結構稼いでるから、雪菜ちゃんにちょっとしたお年玉」
「え、ちょっとした……?」
買ってくれるらしいのだが、ちょっとしたという額ではないのだ。
春菜の金銭感覚はどうなってしまったのか。
確かに、危険な任務に就いている攻魔官は、総じて高給取りである。獅子王機関の剣巫などはその最たるもの。元剣巫で、今でも最前線で任に当たっている春菜の収入は、一般企業に勤めるサラリーマンを遥かに上回っているだろう。
しかし、それでも春菜はまだ学生でもある。
雪菜とそう歳も変わらないのに、このような金銭感覚ではこの先心配になってしまう。
「まあまあ、気にしないで。年末なんだから、これくらいは許されるでしょう。一年の努力にご褒美がないと」
笑顔で言いながら、春菜は雪菜の背中を押して更衣室に押し込む。
「はい、じゃあ、まずはこれ着てみましょう」
「え、こ、これ?」
「似合うと思うんですよ。そう思いませんか?」
春菜は、店員の女性に尋ねた。
「はい。非常によくお似合いになると思います」
「やっぱり、そうですよね」
春菜が雪菜に渡したのは、白を基調としたブラウスである。柔らかい手触りなのが、高級感を一層高めている。
「姉さん。これ……」
「やっぱり、上に羽織るのも必要でしょうか。グレーな感じで」
「それでしたら、こちらの商品はどうでしょうか」
「ああ、ぴったり。イメージ通りです!」
雪菜を置いてけぼりにして、春菜と店員とて盛り上がっている。その内容が、雪菜を着せ替えることを目的としたモノなのだから、慄然とする。
「じゃあ、雪菜ちゃん。ちゃちゃっと着てみてくれませんか?」
笑顔で、春菜は言った。
「え、……ぅぅ……」
その笑顔には、言葉にならない威圧感めいたものがあった。雪菜自身も、似合うと煽てられ、可愛らしい服を手渡されて悪い気はせず、結局押し負ける形でしばしの間着せ替え人形として過ごすことになった。
雪菜と春菜は、大通りを歩いていた。
雪菜のために春菜が購入した衣服は、宅配サービスを利用したので手元にはない。
雪菜の手には、ゲームセンターで獲得したねこまたんの人形を入れた袋があるだけで、ギグケースを除けば後はなにもない。
散々遊び倒した割には、手荷物が少ないのは、食べ歩きをしていたこともあるのだろう。
太陽はすでに水平線の彼方に沈み、夜の帳が降りてはいるが、通りは人でごったがえしていた。
それは、この日が大晦日だということもあるのだろう。
世界各国、新年を祝うというイベントがあるところでは、ほぼすべてで特別な一日である。お祭り騒ぎになることも不思議ではなく、それは“魔族特区”である絃神島でも変わらない。
特に絃神島ではお祭という色合いが非常に強く出ている。新年の幕開けを彩るイベントとして、大規模な花火大会があるからだ。
絃神島では、一年の終わりをカウントダウンするのに合わせて花火を打ち上げる。夜空に咲く大輪の花を、多くの人が見物するので、家の中で新年を迎えるのは、花火が家から見える好立地に暮らす者くらいになる。
花火大会が始まる前までに、花火をいい位置から見るために、花火がよく見えるビルの屋上や高台は、昼間から場所取りで賑わうことになる。
「いやはや、ここまでとは思いませんでした。ちょっと、通りに人が多すぎません?」
人間と魔族が融和して生活する現代。その生活様式は、基本的に人間のそれに近いものとなっている。それは、ある見方をすれば、魔族が人間の文化に取り込まれているとも取れるものだが、世界的に見て、それを問題視する動きは少ない。
魔族の中には伝統的な生活を残そうとする者もいるが、それは人間でも先住民族の生活を保障するといった活動があるので、別段珍しいものではない。
“魔族特区”では、魔族が、神社に参拝するという光景も、もはや普通のものとなっている。
「先輩たち、もう神社についているそうですよ」
「なら、急がないといけませんね」
春菜は雪菜の手を引いて早足になる。
人込みを掻き分けて、前に進むのだが、どうにも目的地までが遠い。
「そのギグケースも、ずいぶんと迷惑になっていますね」
「す、すみません……」
申し訳なさそうにする雪菜は、できる限り周囲の人にぶつからないように、ギグケースを身体に引き寄せて、揺れないようにしている。
心なしか、身体も萎縮しているように見える。
「もうすぐ、新年のカウントダウンが始まりますね。人払いしてしまいましょうか……」
「それはダメだからね。魔術の私的利用は」
「冗談ですよ。でも、これだけ人が多いと、ついつい使いたくなっちゃうんですよ」
「気持ちは分かるけど、ダメだからね」
「はいはい」
いつもよりも歩くペースがどうしても遅くなってしまう。
心も身体も逸っているのに、人込みのために思うように進まないのである。
雪菜も、約束の時間に遅れそうになっているのが心苦しく、早く古城に合流したいと思っているのだが、気持ちだけでは混雑は解消しない。周囲にいる大半の者が、雪菜と同じような心境だからである。
「少し送れそうですね。雪菜、暁君に遅れるってメールしたほうがいいかもしれません」
「うん、そうする」
雪菜と春菜は、古城にメールするために道の端によって立ち止まった。
雪菜は自分のスマートフォンで古城にメールをする。
味気ない淡々とした文面を眺めて、他にも付け加えることがあるかと頭を悩ませたが、特に思いつかず、雪菜は遅刻する旨を伝えるだけの簡素なメールを送信した。
その直後である。
隣で、茫洋と道行く人を見送っていた春菜が胸を押さえて蹲ったのである。
「姉さん!?」
あまりのことに雪菜は声を大にして叫んでしまう。
それによって、衆目が集まった。
春菜は、雪菜の声が聞こえているようで、手を伸ばしてきた雪菜の肘のあたりをを強く握り締める。
「ね、姉さん。どうしたの!? 胸、苦しい?」
雪菜も膝をついて春菜と視線を同じ高さにして、尋ねる。春菜は、ぜぇぜぇと乱れた呼吸を整えようとして咽る。
「だい、じょうぶ。ちょっと、……息がつまっただけ、だから」
「大丈夫って、そんな風に見えないよ!」
春菜の額には、汗が滲んでいる。それが、暑さによるものではないというのは明白である。顔色も蒼然としている。
春菜を心配して、何人か傍にやってきてくれた。
とにかく、春菜の状態が普通じゃない。もしかしたら、何かの重大疾患を抱えているのかもしれない。そう思うと、雪菜は足元が崩れ去るような恐怖に駆られた。
「救急車、救急車すぐに――――」
「ダメッ!!」
「ッ……!?」
鬼気迫る春菜の言葉に、雪菜はスマートフォンを操作しようとしていた手を止めた。
「薬」
「え……?」
「薬、飲めば落ち着くから……」
消え入りそうな声で、春菜は言う。それから、カバンのチャックを開けた。雪菜が、そのカバンを横から取り、尋ねる。
「薬って、この瓶?」
雪菜が取り出した瓶をを見た春菜は、弱弱しく頷いた。
雪菜はすぐに瓶の蓋を取る。焦っているために、扱いが乱暴だが、気にしていられない。
「姉さん、何錠いるの?」
「三、四くらい……水はいらない、から」
雪菜は手にとった錠剤を、春菜の口に押し当てるようにして入れる。
春菜は顔を歪めながら薬を飲み下し、深く息を吐いた。
手助けをしてくれた人に礼を言って、雪菜は春菜を支えて近くの公園に向かった。
路地裏にある小さな公園には、大した遊具もないが、ベンチがあれば事足りる。
大通りの喧騒を離れた公園には、遠くに人のざわめきがあるものの、静けさが漂っていた。
「姉さん。落ち着いた?」
雪菜は春菜を膝枕していた。
街灯の冷たい明かりが、ベンチに座る二人を照らす。
「ありがとうございます、雪菜ちゃん。ずいぶんと、楽になりました」
春菜はそう言いながら、雪菜の太ももを揉んだ。
「う、きゃあ、何、してるの!」
「うお、そんな風に暴れたら酔う」
雪菜が春菜の頭を膝に乗せたまま暴れたので、春菜は頭を大きく揺さぶられる形となった。
「姉さんが悪いんでしょ。いきなり、触るから」
「いや、最高の枕だと思って。柔らかいしあったかいし、どことなくいい匂いもする気がね」
「ね、姉さん。もう大丈夫だというのなら、頭を上げてもいいんじゃない?」
若干引きながら、雪菜は言った。
春菜も、あまり雪菜に負担をかけたくなかったのか、ゆっくりと身を起こした。
「それにしても、びっくりしたよ。いきなり、倒れそうになるなんて」
雪菜は、春菜の様子を観察しながら、言った。顔色はまだよくないが、一時にくらべればずいぶんと頬に赤みが戻った。
「……何か、病気でもあるの?」
雪菜は、尋ねようか迷ったものの、結局は切り出すことにした。
それに対して春菜は、少しだけ口を噤んだ後で、
「ううん。大丈夫。雪菜が心配することじゃないし、薬を飲めば落ち着くから」
と言った。
もちろん、その答えに雪菜が納得するはずがなかった。薬を飲めば落ち着くというのは、完治を意味する言葉ではない。
春菜が何か身体に問題を抱えており、薬によって症状を抑えている可能性は非常に高いし、春菜の口振りからは、その問題は治せない類なのではないかとも推測できてしまう。
しかし、それは病を抱える者にとってはとても重大なものである。雪菜がどこまで踏み込めるのか、実の姉のことではあるが、雪菜はそれ以上の追及ができなかった。
そんな雪菜の様子を見て、春菜は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。心配してくれるのね」
「当たり前でしょ。姉妹なんだから」
照れたような表情で、雪菜は言う。
すると、春菜は雪菜の頭を無造作に撫でた。
「昔はよく、こうしてましたね」
「そんなこと、ないよ」
雪菜は否定する。しかし、春菜の手を払い除けることはなかった。
「そうでしたか? 紗矢華と仲良くなるまで、雪菜はわたしの後ろをくっ付いて回っていたじゃないですか」
「それは遡りすぎじゃないかな。本当に小さい頃の話でしょ」
確かに、紗矢華という友人ができるまでは、雪菜はきちんと話せる友人に恵まれず、姉の手を煩わせた。その当時のことは、雪菜にとってもあまり思い出したくないものである。
「今では友だちも多いようで、安心しました」
「うん。凪沙ちゃんとか、よくしてくれるから」
「いい娘なんですね。暁君の妹さんは」
「うん、それはもう」
凪沙とも一緒に新年を迎えたかったと思う。
彼女は、今本土に渡っている。
思えば、凪沙も身体が弱かった。実兄の古城ですら、凪沙の病状について詳しく知っているわけではないが、彼女の肉体には、強力な霊体が憑依しているのが原因だと雪菜は見ている。それは、凪沙本人でも知らない事実である。
凪沙の霊能者としての潜在能力は、雪菜よりも上である可能性もあるくらいだが、第四真祖の眷獣に関わる何かが身体に憑依していて体調を崩さないほうがどうかしている。むしろ、凪沙が日常生活を普通に送っていることのほうが、不可解だというくらいである。
「姉さん。今日はもう家に帰ろう。ゆっくり休まないと、いつぶり返すか分からないでしょ」
「大丈夫ですよ。薬も飲みましたから、後半日は持ちます。今に始まったことではないのですから、そう心配しなくてもいいですよ」
「でも……」
「それに、雪菜ちゃんだって暁君たちと花火を見たいでしょう? わたしも、雪菜が日頃お世話になっている皆さんにお会いしてみたいですし、この機を逃せば次がいつになるか」
春菜がこの島にいられる期間は短い。残り二日を島で過ごせば、次に雪菜の下を訪れるのは、何年先になるか分からない。
「雪菜ちゃんと、もっと一緒にいたいですしね」
春菜は疲れたような表情と浮かべて呟いた。
どこか影のある、憂いを帯びた表情であった。
「姉さん。……わたしも、姉さんと一緒にいたいよ」
「そう。そうなの。……よかった」
春菜は安堵したように笑みを浮かべた。
それから、春菜は立ち上がって、背筋を伸ばした。
「もう、立って大丈夫?」
雪菜は、先ほどまで死人のようだった春菜の顔色を思い出す。決して、楽観できるものではない。しかし、春菜が大丈夫だと言って聞かないのだから、雪菜にはどうすることもできない。できれば、すぐにでも家に連れて帰り、ゆっくりと身体を休めてもらいたいが、春菜の身体のことが、どうなっているのか分からないから、強くものを言うことができないのだ。
雪菜は、春菜の後に続いて立ち上がった。
「ねえ、雪菜ちゃん」
「何?」
大通りを向いた春菜は雪菜に背を向けているので、その表情を窺い知ることはできない。
「さっき、わたしと一緒にいたいって、言ってくれましたね」
「え、うん。言った」
雪菜は頷いた。紛うことなき本心であった。
「嬉しかったんですよ。一緒に、いられるようにしたいですよね」
「姉さん? どうかしたの?」
春菜の様子が、どことなくおかしい。
雪菜は駆け寄って、春菜の顔を横から覗き込んだ。
「わたしも、姉さんと一緒にいられるのなら、嬉しいけど」
「ありがとう、雪菜」
春菜は淡い口調で、消え入るように言葉を紡ぐ。
「ねえ、それなら。ずっと、一緒にいられるようにしましょうか……」
「え?」
雪菜は聞き返す。
「雪菜がこの島を離れて、一緒に本土に帰ってくれば、また一緒に暮らせるかもしれないでしょう?」
「確かに、そうかもしれないね」
春菜の言葉を冗談と受け取った雪菜は、くすりと笑って言う。
「でも、わたしには先輩がいるから、しばらく本土には戻れないよ。監視任務は、わたしだけの仕事だからね」
他の誰にも、渡せる仕事ではないし、渡したくはない。
第四真祖を監視するという当初の任務以上に、雪菜の言葉には多分に私情が篭っていたが、それだけに軽口ながら、強い意思が込められていた。
それに、獅子王機関が雪菜の任を解くとは思えない。これまで色々とあったが、それでも雪菜は古城の監視を継続させてもらっているのである。
「そうですね。……ですが、他にもいろいろと考え方はあるはずです」
春菜の呟きに、雪菜は眉を顰める。
「雪菜ちゃん。暁君たちと合流する前、最後に行っておきたいところがあるのだけど、付いてきてくれるかな?」