ストライク・ザ・ブラッド~春風雪華~ 《完結》   作:山中 一

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その八

 姫柊春菜の肩書きは、調停官。

 交渉によって事件を解決する魔導犯罪の専門官である。

 しかし、その実体は、敵勢力に取り入り、内部から情報を探る密偵であり、調停官は隠れ蓑に過ぎない。極めて危険度の高い職務であり、それ故に帰ってこない者も多いという。 

 春菜のように、敵の手に落ちる者も少なくない。

 とはいえ、それは春菜が弱いということを意味しない。

 何せ、こういった任に就く者は、当然ながら自衛手段を有しているし、情報を守るために自害も辞さない強固な精神を持っているのが前提とされる。

 春菜が敵に洗脳されるという異常事態は、獅子王機関にとっても想定外の事案だったのではないか。

 

 

 紗矢華はすでに弓に魔力を充填した矢を番えている。

 呪術の知識に於いては剣巫よりも紗矢華たち舞威姫のほうが一歩も二歩も先を行く。ほんのかすかではあるが、確かに春菜の身体から、汚らわしい精神操作の呪詛w

 姫柊春菜は、近接戦闘能力に於いて他の追随を許さぬ圧倒的な実力を持ち、獅子王機関が開発した兵器である四式魔導捕縛鎖(ケッテ・シュランゲ)――――通称、縛大蛇。癖が強く、使いこなすのにかなりの修練と相性を必要とするじゃじゃ馬だというが、一度使いこなしてしまえばその力は極めて強力である。

「暁古城! 左から!」

「分かってる!」

 左右に分かれて、同時に春菜を攻める。古城は吸血鬼の身体能力を駆使して地面を蹴って加速、遅れて紗矢華が呪矢を連射しつつ弧を描くようにして春菜の側面を狙う。

「優しいのですね、二人共」

 春菜は向かってくる二人に対して余裕を崩さない。

 碧い呪矢が三本、春菜目掛けて飛ぶ。物理ダメージではなく、催眠術によって相手を昏倒させる麻酔弾のようなものなので、直撃しても問題ないと思いきり射たものだ。

 対して、春菜は迎撃する。縛大蛇の分銅つきの先端が勝手に跳ね上がり、真上に跳ぶ。蛇が鎌首を擡げるように、起き上がった縛大蛇がその身を以て紗矢華の矢を弾き飛ばす。催眠術は、無機物には通じない。まして、強力な漆黒の魔力を帯びた縛大蛇には、生半可な攻撃では届かない。

「ですが、殺す気で来なければ、わたしに触れることもできませんよ」

 春菜は縛大蛇が絡まる右腕を振るう。

 鞭と化した縛大蛇が横薙ぎに一閃された。驚くべきは縛大蛇の攻撃範囲だ。紗矢華と古城までは、およそ二〇メートルはある。その距離を、一撃で薙ぎ払うほどの射程があった。手に持てる程度の鎖だと思っていた古城は、目測を誤って、目を見張る。

「うおおおッ!?」

 伏せたところを通り過ぎる縛大蛇。しかし、それで終わらないのが、魔術戦だ。通常の鞭であれば、慣性に従ってそのまま弧を描き、勢いを失うところだが、縛大蛇は違う。途中でうねり、分銅を古城にめり込ませようと鋭い刺突となって襲い掛かる。

「なんだこれッ!?」

「掴まらないで! 縛大蛇の能力は魔力の固定化よ! 掴まったら、あんたも魔力が押さえ込まれるかもしれない!」

「まじか。くそッ」

 襲われる古城を救おうと、紗矢華が矢を放ち、縛大蛇を撃つ。撓んだ隙をついて、古城は転がるように縛大蛇から距離を取る。

「なるほど。魔力を散らす呪矢ですか。やはり、舞威姫は器用ですね」

 魔力を固定化する縛大蛇を相手にするには、その固定化能力に拮抗する能力を撃ち込むべきだ。例えば雪菜の雪霞狼などは天敵なわけだが、紗矢華には問答無用でその力を打ち消すことはできない。精精が乱す程度である。

「紗矢華が言ったとおりですよ、暁君。わたしのこの縛大蛇は、捕縛を目的とした鎮圧兵装。魔力を固定化し、押さえつけることで、吸血鬼の眷獣すらも縛り上げる業物です。もちろん、第四真祖の眷獣相手にどこまで持つかは分かりませんけどね」

 吸血鬼の眷獣は、意思を持つ強大な魔力の塊だ。そのため、魔力を固定化する縛大蛇に囚われると身動きが取れなくなって、能力の大半が封じられてしまうし、本体となる吸血鬼が捕縛されてしまえば、その魔力が身体の外に出なくなってしまうために抵抗する余地を失う。攻魔師が持つに相応しい武器といえた。

「では、暁君にはリタイアを、そして紗矢華には同行を願いましょう」

 春菜が縛大蛇を振るう。

 撓る縛大蛇が空中でトリッキーな軌跡を描き、襲い掛かる。紗矢華は戦闘経験を、そして古城は動体視力と身体能力で辛うじてかわす。縛大蛇が掠めたアスファルトが削れ、コンテナが斬り裂かれた。

 中距離戦闘では、縛大蛇の能力が光る。

 春菜は縛大蛇を意思によって操作している。魔術的なやり取りが、武器との間に成り立っているのだ。そのため、わざわざ春菜自身が身体を動かす必要もなく、それ故に隙も生まれにくい。それでも、直接手で動かしたほうが速く、重い攻撃になるのだが、今は二人に対応しなければならないということでそこまでしていない。

「あの鎖伸びるのかよ!」

「あの黒いのは本体じゃないのよ!」

 紗矢華が叫ぶ。

「本体じゃないって?」

「縛大蛇の本体は、春菜さんの手首についてる腕輪よ。大気中の魔力とか、春菜さんの霊力とかを固定化して鎖の形状を作ってるってだけ!」

「てことは、射程は」

「実質無限ってとこかしらね!」

 轟と風が切り裂かれる。

 闇色の鎖が鞭となって古城と紗矢華に襲い掛かる。驚異的な武装である。鎖が生き物のように蠢いている。先端の分銅と中央の鎖の部分で、動きが異なるのである。先端は蛇が獲物に喰らい付くように鋭い刺突を放ち、それと同時に中央は変幻自在に動いて紗矢華の矢を弾き返している。矢による狙撃は、春菜に届いていない。

「ただの呪矢じゃ、全然効果がない。だったら!」

 紗矢華はバックステップを踏んで、距離を取りつつ、番えた矢を放った。

 放たれた矢は途中で、突然進路を空に変え、三〇メートルほど上空で炸裂した。

 現れたのは巨大魔法陣の天蓋だ。

「縛大蛇! 結界/固定!」

 春菜は即座に応戦する。空から降り注ぐのは、強力な重圧魔術である。範囲内を圧迫し、押し潰す重力の檻だ。その中で、一瞬早く春菜は縛大蛇によって結界を構築した。

 魔力の鎖は、春菜の周囲一メートルほどの空間を包み込み、その内と外を断絶した。魔力の固定化能力は、捕縛だけでなく、防御にも優れた性能を発揮するのである。

「出鱈目だな、あの鎖」

「正直、敵に回るとこんなに厄介だったなんて思わなかったわ」

 二人揃って呆れる。

 手加減しているとはいえ、紗矢華の強力な呪術を受け止めて平然としていることが不思議でならない。

「とにかく、春菜さんを突破しないことには雪菜を助けることができないわ」

「分かってる。春菜は洗脳されてるってのはマジなんだな!?」

「間違いないわ。思考そのものの方向性を捻じ曲げるタイプの呪詛ね。春菜さん自身も、自分がやっていることが正しいと思い込んでいるんだわ!」

 紗矢華は魔術のエキスパートだ。戦闘の最中に、春菜の身体を調べ、その身に打ち込まれた呪詛の正体を暴いていた。

「どうにかならないのか!?」

「解呪するなら、近付かないと」

「近付くってな……」

 罅が入ったアスファルトは、春菜のいた場所だけ完全に原型を留めていた。紗矢華の魔術が完全に遮断されていた証拠であった。

 怪物的な強さだ。今の段階で、春菜に近づけたわけでもなく、春菜自身も一歩も動いていない。古城と紗矢華が必死になって春菜の攻撃を受け流しているのが現状なのだ。

「派手になってきましたね。では、わたしのほうも少々力押しをさせてもらいましょうか」

 春菜は右手をコンテナに向ける。

 弾丸のような勢いで縛大蛇がコンテナを貫いた。さらに、金属の板をぶち抜く音が連続する。それが、一〇回ほど続いた後で、

「あなたたちなら、大丈夫ですよね」

 そう言って、春菜は鎖を掴み、真上に跳ね上げた。

 撓んだ鎖は、そのまま先端まで力を伝える。物理法則など魔力が固定化した鎖には通じない。

 複数のコンテナが宙に舞い上げられたのである。

 狙いは当然、古城と紗矢華だ。

 高所から落下してくるコンテナに押し潰されれば、一溜まりもない。復活できる古城ならまだしも、紗矢華は即死するだろう。

 追い討ちをかけるように、足元を縛大蛇が狙う。

「あんた上!」

疾く在れ(来やがれ)、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”!」

 二の句なく、古城は眷獣を召喚する。

 落下してくるコンテナを迎撃するのは、九番目の眷獣である緋色のバイコーンであった。全身が振動でできており、存在するだけで周囲に衝撃波をばら撒く。

 一〇メートルを越す巨体を駆って、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)がコンテナに体当たりをする。さらに、二本の角が音叉のように共鳴して爆発的な振動波で、コンテナを跡形もなく消し飛ばした。

 そして、紗矢華は煌華麟を剣の形に変形させて、鎖を斬り飛ばす。

 剣の形状の煌華麟の能力は、擬似的な次元切断である。魔力を固定する程度で、防げるものではない。とはいえ、その防御は瞬間的なものでしかなく、先端を切り飛ばしても、後続までは防げない。僅かな猶予を得たに過ぎないのだ。

「暁古城、離れなさい!」

 と、紗矢華は叫び、古城の身体に呪矢を撃ち込んで跳ね飛ばした。

「ぐおおおおおおおッ」

 突然のことに、古城は受身すら取れずに転がっていく。

 古城は全身に擦り傷を作りながら、すぐに立ち上がり、紗矢華に一言文句を言おうとして目を見張った。

 春菜が、紗矢華の目の前に迫っていたからだ。

 紗矢華に鎖を切り飛ばされた春菜は、その鎖を手繰り、地面に突き刺した。そして、そこを基点として、自らの身体を引き寄せたのである。

 

 

 紗矢華と春菜の戦いは、傍目から見ても紗矢華が劣勢だった。

 紗矢華の煌華麟は剣として使うこともでき、次元切断は理論上斬れないものはないという凄まじい力を誇る。だが、その殺傷性の高さが不幸にも春菜に圧される要因になっていた。

 威力を加減できないため、春菜を殺してしまうからである。そのため、紗矢華は春菜に全力での近接戦闘を挑めない。心のどこかで、手加減してしまうのである。一方の春菜は、素手での戦いのため紗矢華を殺さないように加減するのが簡単だ。

「ぐ、くぅ……!」

 炸裂弾が爆発したかのような音が響き渡る。

 怒涛の連続攻撃を、紗矢華は紙一重でかわす。

「腕を上げましたね、紗矢華。煌華麟の力が使えない近接格闘戦の間合いで、よく持つものです。ああ、今のあなたはわたしを傷付けないように、加減してくれているのでしたね」

 肩で息をする紗矢華に対して、春菜は余裕の顔色だ。手加減しているのは、春菜も同じようだ。

「愚かです」

 春菜の中で何かが爆発した。

 少なくとも紗矢華にはそのように見えた。膨大な霊力が春菜の身体から噴き出したのである。

「この間合いで、あなたがわたしに勝った(ためし)がありますか?」

 ビリビリと肌を焼くような強烈な霊力だ。

 霊能力者としても、春菜は超一流だ。凄まじい、威圧感である。

「く……(かぎり)よ!」

 紗矢華の号令の下に、六枚の呪符がアスファルトの亀裂から飛び出した。春菜を取り囲むように、展開した呪符は、瞬時に猛禽に姿を変えて春菜に殺到する。

「旋転/切断」

 春菜の足元から黒々とした炎を纏った鎖が竜巻状に立ち上る。

 紗矢華の式神は、その一撃で切り刻まれて飛び散った。

 紗矢華は後ろに跳んで、煌華麟を剣から洋弓に変形させる。そして、呪矢を放った。轟音を叩きつけて、昏倒させようとしたのである。

「若雷!」

 春菜は避けようともしなかった。

 握り締めた拳を斜め下から抉りこむように光の矢に打ち込んだ。

 爆発的な魔力の渦が生じる。しかし、春菜の力が、紗矢華の呪矢を上回っていた。紗矢華の魔術ごと、呪矢は春菜の拳から放たれた魔力によって消し飛ばされてしまった。

「そんな……ッ!?」

 紗矢華は、驚愕に目を見開く。

 春菜は事もあろうに素手で叩き伏せてしまったのだから、当然だ。

「紗矢華。あなたも雪菜と同じですね。便利な道具に頼りすぎているのです。呪的身体強化(フィジカルエンチャント)も、そのようなお座なりな使い方では話になりません」

 ザン、と足音が響く。そのときにはすでに、春菜は紗矢華の視界から消えていた。

「わたしを殺す気で来なさいと、初めに言ったはずですよ」

 気付けば春菜は紗矢華の懐に潜りこんでいた。速度もあるが、それ以上に紗矢華の呼吸や瞬きを把握して、反応できないタイミングで動いたことが、紗矢華に消えたと誤認させた要因であった。

「鳴雷」

 胸元で手榴弾が爆発したかのような衝撃であった。

 超至近距離から解き放たれた強力な一撃に、堪らず紗矢華は吹き飛ばされた。

 

 

 

 端的に言って、春菜は強すぎた。

 紗矢華はコンテナに背中を預けて動かないし、満足に動けるのは古城だけだが、どうしても春菜に勝てる気がしなかった。

 眷獣を使えば、勝てるには勝てる。だが、間違いなく殺してしまう。それだけはできない。

 古城は心の中で舌打ちをする。

 最強の力しか持たない古城は、こういった場面で不利に陥りやすい。相性の悪さを痛感させられる瞬間であった。

「後は暁君ですね」

 春菜は改めて古城に向き合った。

 紗矢華を倒したばかりだと言うのに、春菜は息を上げてもいない。素の実力が違いすぎたのであろうか。

「操られてるあんたに言っても仕方がないけどよ。自分が何やっているか分かってんのか?」

「何をやっているか? ルドルフ様の偉業を邪魔する人を始末して、そして雪菜ちゃんを連れて帰る。それだけでしょう?」

「ルドルフってのが、春菜をこんな風にした犯人てわけか」

 吐き気がする。

 春菜は笑顔だ。紗矢華を傷付けたことも雪菜を傷付けたことも、罪悪感を感じていない。紗矢華が言うには、考え方に作用する術をかけられているということだが、恐ろしい能力である。春菜ほどの実力者を、味方にすることができるのだから。おまけに、今は雪菜まで囚われている。

「とにかく、あんたを止めるぞ。春菜。理由はどうあれ、妹に手を上げるなんざ、姉貴のやっていいことじゃねえだろうよ。姫柊に、きっちり謝らせてやるから覚悟しやがれ!」

 古城は形振り構わず駆け出した。

 結局のところ、古城にできるのは何とか春菜に近付いて、押さえ込むことだけである。頼りになるのは、吸血鬼の肉体唯一つだ。

「眷獣を使わない吸血鬼に、後れを取るわたしだとでも思っているのですか?」

 思ってなどいない。

 紗矢華に圧勝する実力者に、正面から挑むのは愚策である。しかし、それ以外に思いつかないのだから仕方がない。

 そんな古城の接近を許す春菜ではない。

 縛大蛇を鞭のように振るって古城の足を止める。

 真祖を殺し尽くすのは、春菜であっても難しい。だが、動けなくすることはできる。とりわけ、春菜の武神具は、拘束することにかけては右に出る者のない逸品である。

「蛇動/拘束」

 フェイントまで織り交ぜた縛大蛇に古城は翻弄される。

 愛用のパーカーは、すでにズタズタになっていて、擦り傷の数も数え切れないほどになっている。再生で治るのだが、治ったそばから傷つくので、常に傷だらけの状態になってしまっている。

 その古城も、いつまでも逃げていられるわけではない。紗矢華の支援がなくなったために、古城だけではとても対処できなくなった。一瞬先を視る春菜の霊視も、厄介だった。相手の攻撃は恐ろしいほど古城の動きに合わせているのである。

「しまッ」

 古城の左腕を捕らえた縛大蛇は、万力のような力で締め上げる。さながら、大蛇が獲物を絞め殺そうとしているかのようであった。

「旋転/墜落」

 左腕を捻り上げるようにして、縛大蛇は古城を振り回す。そして、その勢いのまま、背中から地面に叩きつけた。

「ごあ……ッ!?」

 骨がいくつか砕けた。衝撃が全身を貫き、息が止まる。

 すぐに肉体が修復を始めるが、魔力の動きが極めて緩慢だ。左腕に絡まった鎖が、古城の体内の魔力を押さえつけているからである。

「く……こいつッ」

 古城は鎖を引き千切ろうと力を込めて引っ張るが、びくともしない。吸血鬼の身体能力は人間よりも上という程度で魔族全体から見れば脆弱だ。獅子王機関の生み出した捕縛用の武神具を破壊できる腕力など期待できない。

 魔力を固定化するので、おそらくは霧に姿を変えるという脱出方法も期待できない。

「では、チェックメイトです」 

 鎖の中央が蠢いて、輪を描く。古城に絡みついた部分のみが、空間に固定されているかのように動かず、それ以外の部分が投げ縄のような形状となって、古城に襲い掛かってきたのである。

「やばッ」

 掴まれば、一巻の終わりだ。眷獣を召喚する機会を得ることもできないだろう。

 ならば、ここは無理をしてでも眷獣を召喚するしかない。

 振動や雷撃では、暴発の恐れがある。

 大破壊を撒き散らす類の眷獣ではなく、もっと限定的な効果範囲の眷獣が理想的だ。

疾く在れ(来やがれ)、“神羊の金剛(メサルティム・アダマス)”!」

 魔力を絞り上げて、吼える。

 現れたのは煌びやかな金剛石の楯だ。空には楯と同じ金剛石の身体を持つ大角羊が悠然と現れる。

 攻撃の反射能力を持つ、強力な眷獣であるが、今回は効果範囲を限定する。あまり広げすぎて、周囲を巻き込むわけには行かない。まず、春菜の束縛に服す前に、金剛石の楯で、肘から左腕を切断する。

「ぐ、おおおおおおおッ」

 激痛に脳が沸騰する。だが、歯を食いしばって、古城は耐えた。放っておいても腕は治る。それよりも今は、腕を落としてまで束縛から逃れたのだから、春菜の追撃を受けないようにこの場を離れるのが先決である。

 古城は春菜の鎖を金剛石の楯で弾いて進路を確保し、全力で駆け出した。

 

 

 煌びやかな輝きに守られた古城に、春菜の攻撃は尽く弾き返された。

 攻防一体の眷獣を持つ吸血鬼は、珍しくもないが、古城のそれは規格外に過ぎた。 

「展開/固定!!」

 春菜が縛大蛇を長大化させ、古城の前面に鎖の壁を展開する。大気中の魔力を取り込み、固定化することで、強固な障壁を生成したのである。

「切り開け、“神羊の金剛(メサルティム・アダマス)”!」

 数百からなる金剛石の楯が、縛大蛇と衝突する。大地を揺るがす衝撃が駆け抜け、埠頭全体に大きな地震にもにた振動を伝える。

 “神羊の金剛(メサルティム・アダマス)”と縛大蛇の激突は、数秒の間続き、そして金剛の輝きが闇色の炎を切り破るに及んで勝敗が決した。

「そんな、……縛大蛇が……。第四真祖の眷獣。まさか、ここまでなんて」

 これまで、数多の魔族を捕縛してきた自慢の逸品が、大して抗することもできずに食い破られたのが驚きだった。

 縛大蛇の鎖が砕け散り、魔力に還元されて消えていく。その中を、古城は駆け抜ける。

「おおおおおおおッ!」

 古城の猛烈な突撃は春菜の予想を大きく上回った。

“な……早い!?”

 それまでの古城の動きとは何もかもが違う。

 縛大蛇が鎖の再生成を急ぐが、十分な強度の鎖を作る前に古城が懐に飛び込んでくるであろう。

“これは。そうか、呪的肉体強化(フィジカルエンチャント)!”

 古城は魔術を使えないという先入観が、気付くのを遅らせた。

 肉体強化だけなら、本人が使う必要はない。他人による強化も、効果を発揮するのである。

 今回の場合は、古城に撃ち込まれた紗矢華の矢が、古城の肉体を強化する呪詛を帯びていたのだ。吸血鬼の身体能力は、魔族の中では低いほうだが人間基準で考えれば十二分に脅威となる。それを、さらに魔術で強化したのだ。並の人間なら、その瞬発力に反応することすらできないだろう。

「近付いたところで、暁君の武術じゃどうしようもないんですよ」

 そう。春菜はかつて剣巫も務めた近接戦闘のスペシャリストだ。その実力は雪菜を凌駕する。当然、身体能力を向上させただけの素人に、組み伏せられるほど柔な訓練を積んでいない。

 拳を握り締め、古城を迎撃する準備を整える。

 筋力を強化し、肺腑の空気を入れ替える。古城の動きを仔細に観察し、反撃に適した動きをシミュレートする。そんな春菜の視界がぐらり、と揺れた。

「ぐ……!」

 突発的な眩暈。違う。いつの間にか、手首に呪刻が刻まれていた。弱い術式で、込められた魔力も微々たるものである。春菜に与える影響もまた、たいしたことはない。すぐに排除できる程度である。が、その僅かな差こそが、勝敗を左右することもある。

「紗矢華……ッ」 

 紗矢華を打ち据えたあの一瞬で、身体に呪詛をつけていた。紗矢華が春菜に反応したわけではない。紗矢華自身がそういった呪詛を帯びていて、春菜が触れたことで感染したのだ。

“やってくれましたね……ッ”

 歯噛みしつつ、呪詛を祓い、身体の自由を取り戻す。この間に古城は手が届くところにまで近付いていた。

「春菜ーーーーーーーーッ!」

 古城が、残された右手を伸ばす。

 春菜は、一瞬先の未来を視て、古城の心臓を一撃の下に粉砕する。

 

 ――――確かに、春菜はこのとき、自らの腕が古城の胸を貫通する未来を視た。

 

疾く在れ(来やがれ)! 甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)!」

 

 ――――そして、古城が眷獣を召喚すると同時に、春菜の拳を古城の心臓を撃ち抜いた。

 

「ッ!?」

 目を見開いたのは春菜であった。

 春菜の腕は肘まで古城の胸にめり込んでいる。だが、血が出ていない。それどころか、殴ったはずの拳に、手応えが何もないのだ。

 古城の身体が霧になっているからだった。

「捕まえたぜ、春菜!」

 古城が残された右手で春菜を突き飛ばし、走ってきた勢いのままに押し倒した。古城にカウンターを仕掛けた春菜は、逆にその攻撃をいなされて咄嗟の反撃ができず、衝撃を受け止めることもできなかった。

「うきゃッ」

 可愛らしい悲鳴を上げて、春菜は倒れた。

 その上に古城は圧し掛かっている。

 片手でどれだけ春菜を押さえ込めるか分からないから、早めに方をつける。幸い、春菜の洗脳を解くのに最適な方法が――――非常に強引だがある。かつて、紗矢華が洗脳されたときと同じだ。吸血することで、第四真祖の世界最強とも呼ばれる由縁たる強大な魔力を流し込み、精神支配の呪詛を打ち消すのだ。

 そのためには、性的興奮が必要になるが、春菜を押し倒した際に偶然、古城の右手は春菜の胸にあった。

 狙ったわけではない、と心の中で自己弁護しつつ、その柔らかさや形をついつい意識してしまう。春菜はどうやら、良い意味で着やせするタイプのようだ。雪菜よりもずっと大きなものを持っているようだった。

 古城は春菜が反撃してくる前に、春菜の首に牙を立てた。

「あぐ、くぅあッ」

 春菜の身体が震える。

 古城を引き離すように、春菜が古城の肩を掴んだ。しかし、古城は離さず吸血を続ける。魔力を流し込み、春菜の体内から不純物を除去するために、ここで離れるわけにはいかないのである。

 やがて、春菜の抵抗が薄れ、そして春菜の手が力を失って地面に落ちた。

 

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