ストライク・ザ・ブラッド~春風雪華~ 《完結》   作:山中 一

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その九

 戦場となった第三埠頭に広がっている光景は、惨状と呼ぶに相応しいものとなっていた。

 なにせ、周囲のコンテナはひっくり返り、粉微塵になったものまであり、路面のアスファルトは捲れ上がって、ところどころ陥没して構造材が見えてしまっている。

「暁古城、無事?」

 弓を抱えた紗矢華がやってきた。足場の悪さもまったく気にしていない。

「ああ、こっちは何とかな。というか、お前、春菜に思い切りやられてただろ。大丈夫なんか?」

 古城は再生力があるから、心臓を潰されたとしても時間をかければ復活できるが、紗矢華はそうではない。春菜に強烈な打撃を貰い昏倒していたようだったし、こうまでピンピンしているのが不思議でならなかった。

「ああ、それなら大丈夫。春菜さんの攻撃は、呪符と強化の魔術でなんとか受け流してたから」

「てことは、あれか。お前、気絶してなかったのか?」

「ええ、まあ、そうなるわね」

「マジかよ。人が苦労してる間に」

 古城は紗矢華が無事だったことを喜べばいいのか、それとも寝たふりをしていたことに悪態をつけばいいのか分からなかった。

「いや、あのね。あのまま戦ってたら、本当にわたしやられてたし。気絶したふりをしたからこそ、最後にタイミングを見計らって呪詛を発動させられたんじゃない。むしろ、あんたのことをサポートしたやってたんですけど」

「そうだったのか? そういえば、身体が軽くなったような気がしたんだが」

「呪詛は舞威姫(わたしたち)の十八番。呪的身体強化(フィジカルエンチャント)もその中に入ってるのよ」

 近接戦闘では春菜に分があると判断した紗矢華は、春菜の攻撃をあえて受けて、倒されたと見せかけてその場をやり過ごした。そして、古城と春菜にかけた呪詛をそれぞれ発動させるタイミングを見計らっていたというのである。

 古城ならば何とかするだろうという希望的観測に基づく賭けではあったが、結果的に奏功した。

「暁古城。腕は?」

 紗矢華は古城の隣に膝をついて、古城の左腕を手に取った。血塗れた腕は、先ほどまではついていなかった。自ら切断した腕が、蜥蜴の尻尾のように生えて機能を取り戻したのである。

「もうほとんど治っているみたいだな。春菜から血を吸ったからか、治りも早い」

「そう。ま、治ったんなら、それはいいけどね」

 変態真祖やらなにやら罵ってくるかと思ったが、存外そうでもない。紗矢華は、古城の容態を確認した後で、春菜の首筋に脈をとるように指を当てる。

 十秒ほど、そうしてから紗矢華はほっと息を吐いた。

「春菜さんの呪詛。あんたのおかげで綺麗に打ち消されたみたいね」

「そうか。上手くいったか」

「意識がいつ戻るかは分からないけど、そう遠くないはずよ」

 緊張がやっと解けた。

 後は雪菜を助け出すだけでいい。残る敵は、おそらくはあの獣人くらいのものである。古城と紗矢華ならば、獣人を一人倒すくらいは可能であろう。

「春菜を安全なところに運ばないと」

「そうね。ちょっと待って」

 紗矢華が、スカートのポケットから一枚の呪符を取り出した。紗矢華が呪符に息を吹きかけると、呪符は形を変えて、一頭の獅子となった。

「なんだ、コイツ」

「式神よ。春菜さんを埠頭の駐車場まで運ばせるわ。あそこまで離れれば、戦いに巻き込まれることもないでしょ」

 埠頭は広く、駐車場まで歩いて五分ほどはかかる。

 古城の眷獣を狙って解き放てば別だが、そういう事態になるとも思えない。最もいいのは、二人のうちのどちらか一方が春菜に付き添うことだが、戦力が古城と紗矢華の二人だけなので、現実的ではない。

 古城が春菜を獅子の背に乗せて、紗矢華が命を下す。見た目が獰猛な猛獣なので、不安にもなるが、紗矢華の命令を大人しく聞いて春菜を落とさないように注意しながら、その場を去っていく。

「よし。それじゃ、姫柊を助けに行くとするか」

「ええ。雪菜に手を出した報いを受けさせてやるわ」

 獰猛な笑みを浮かべて、紗矢華が言う。

 ここにいない獣人の男に、心からの侮蔑を向けているのである。

「あの船にどうやって乗り込むかだけど」

 春菜が飛び降りてきた商船の中に雪菜がいることはすでに確定している。乗り込んでいって、雪菜を連れ帰るのに、どこから行くのが最も効率がいいか。

 そう考えていたときであった。

「やってくれましたね。第四真祖。そして、獅子王機関の舞威姫」

 商船のデッキに、獣人が出てきたのである。

 二メートル近い巨体で、すでに獣の状態に変化している。

「てめえ、姫柊をどこにやったッ!?」

「姫柊? ああ、雪菜君のことを言っているのなら、この船内にと答えるほかありませんね。もうご存知でしょう?」

 獣の姿をしていると、表情が分かりにくいのだが、この獣人は明らかに軽薄な笑みを浮かべている。癪に障る笑みだ。

「お初にお目にかかります。“黒懺会”のルドルフと申します」

 丁寧な口調とは裏腹にその言葉の中には隠しきれない感情の揺らぎが感じられた。ルドルフと名乗った獣人もまた、古城と紗矢華に思うところがあるのであろう。

 そのルドルフを前にして、紗矢華が進み出て、叫んだ。

「あんた、雪菜に手を出してないでしょうね!」

「それについてはご心配なく。傷物にしてしまっては商品価値が下がりますからね。身体のほうは、綺麗なままですよ。身体のほうは、ね」

「あんた、……まさかッ」

 絶句して、目を見開く紗矢華は怒りでカタカタと震えている。今にも飛び出して、相手を斬り殺しそうな雰囲気である。

「よもや、春菜君を倒すとは思っていませんでしたよ」

 獣人は呟くような声色で言った。

「おまけに、春菜君を戦場から遠ざけるとはね。回収にまた手間がかかってしまう。わざわざ、危険を冒してこの島にまでやってきたというのに、骨折り損のくたびれもうけでは割に合いませんよ」

「回収だとか商品だとか。てめえ、姫柊たちをモノ扱いしてんじゃねえよ!」

「人間など。所詮は、使い捨ての道具でしかないでしょう。下等生物の分際で、我が物顔で世を跋扈する救いようのない生き物ですよ。使い道を示してやっているだけ、まだ私は良心的じゃあないですか」

 正気を疑う発言であるが、相手は獣人の犯罪者である。“黒死皇派”がそうであったように、獣人の中には獣人以外の種族を見下す思想を有する者もいる。なまじ身体能力が多種族よりも優れているから、そうした考え方に至りやすいとも言われる。

「それに、腹立たしいのはこちらも同じ事。汚らわしい吸血鬼如きが、私の商売の邪魔をしようというのですからね!」

 ガン、と金属音を響かせて、獣人は跳んだ。凄まじい身体能力は、強化魔術を用いず、素のままで商船のデッキから飛び降りる芸当を可能とする。

 古城たちから、二〇メートルほど離れた場所に着地したルドルフは、獣そのものの顔に憤怒を浮かべ、唸った。

「舞威姫。あなたのおかげで、私自らが出なければならなくなりましたよ。管理職とはいえ、時間外労働は辛いものがありますからね。あなたで帳尻を合わさせて貰いますよ」

「上等じゃないの。やれるもんならやってみなさい、この変態外道!!」

 紗矢華が弓に呪矢を番える。

 初手で紗矢華がこの辺り一帯に催眠系の呪術をかけたことで、獣人以外の戦闘要員が昏倒したのであろう。しかし、それはルドルフが紗矢華の呪詛に耐えるだけのスペックを持つ高位の獣人であるということを示している。

「ぶっ飛べ!」

 紗矢華が渾身の呪矢を射放った。

 大気を割いて、強烈な呪詛を含む光の矢が、獣人の顔面を目掛けて飛んだ。容赦の欠片もない、殺すことすらも辞さない一撃だ。直撃すれば、強靭な獣人の肉体でも消し飛ぶであろう。

 その呪矢を、ルドルフは身体能力のみで回避した。

 地面を蹴るだけで、アスファルトを抉る。それほどの脚力で、跳んだルドルフは破壊を免れて生き残った、錆色のコンテナの上に飛び移った。

「あなたのことは聞いていますよ、煌坂紗矢華君。呪術のエキスパートは、我々の業界でも喉から手が出るほど欲しい人材です」

「春菜さんみたくあんたの洗脳を受けろって? お断りよ!」

「初めは皆そう言うのですよ。春菜君然り雪菜君然りね。ですが、ご心配なく。春菜君のときに、壊れかけるまで弄りましたからね。そのときのデータから、実に効率よく洗脳を推し進める方法を確立しました。あなたは、彼女ほど苦痛を味わうこともないでしょう」

 どこか得意げに、春菜を甚振ったという事実を述べる。

 紗矢華はもう聞いていられなかった。頭の血管がすべて千切れんばかりに、血潮が沸騰する。

「――――このッ」

 逆上しそうになる紗矢華を押し退けて、古城が前に出た。両腕を突き出し、その間に魔力の渦を生成する。

疾く在れ(来やがれ)、“双角の深緋(アルナスル・ミニウム)”!」

 超小規模の召喚である。敵との距離が近いために、眷獣の圧倒的破壊は自分たちをも巻き込んでしまう。そこで、古城は眷獣の魔力の一部を抽出して、その能力だけを使用したのだ。

 圧縮された振動派が、砲弾となってルドルフを襲う。

「ぬッ!?」

 その攻撃は予想外だったのか、ルドルフは息を呑み、コンテナから飛び降りる。古城の攻撃は、ルドルフを捕らえ損ない、コンテナの上部を抉り取った。

「煌坂!」

 古城が叫ぶ。その意図するところを悟り、紗矢華は弓に呪矢を番えた。

 空中では、獣人の超越的な身体能力は発揮されない。そこが狙い目だ。

 紗矢華が放った矢が一目散にルドルフを襲う。ルドルフの進路に回りこむように放たれた矢は、そのまま行けば、まごうことなくその胸に突き刺さる。

 絶対に避けれらないはずの攻撃からルドルフが生還したのは、紗矢華の矢を真横から打ち落とした何かがあったからである。

 矢と激突して砕け散ったのは、おそらくは剣の類だろう。古城の動体視力が、その影を捉えていた。そして、その剣を投じたのは――――、

「雪菜ッ!?」

「姫柊ッ!?」

 紗矢華と古城は同時に叫んだ。

 デッキの上に現れた雪菜が、ルドルフを救った犯人だった。

 雪菜はちらりと古城と紗矢華を見た後、口を開くこともなくルドルフの前に舞い降りた。それは、古城と紗矢華から、ルドルフを守る位置取りだった。

「姫柊……ッ」

 古城が呻いたのは、間に合わなかったからである。雪菜が敵の手に墜ちる前に、何とか辿り着いて救い出そうとしていたのに、こうして雪菜は古城たちと敵対してしまっている。

「雪菜……ッ。ねえ、雪菜! そんなところにいないで、一緒に帰ろう! 雪菜ッ!」

 紗矢華が雪菜に呼びかけた。

 悲壮な思うを込めた、必死の叫びである。その紗矢華の声に、雪菜は抜刀を以て返答する。

「雪菜……」

 紗矢華が唇を噛み締めた。雪菜が自分に刃物を向けてくるというだけで、心は平静を失いそうになる。

「無駄ですよ。彼女には何も聞こえていません。導入段階ではありますが、敵を屠る兵士としては、十二分に機能しますからね」

 春菜のように、洗脳される前の人格とほぼ同じ状態を維持することも、ルドルフの技術ならば可能なのだが、それにはもう少し時間が必要だったのだ。しかし、春菜が倒されたことで雪菜を出陣させるしかなくなった。結果、感情を殺した状態の、機械的な状態となったのである。

 古城や紗矢華にとっても、雪菜から罵声なりルドルフへの敬愛なりが発せられないというのは救いであった。もしも、雪菜がそのようなことを口走ってしまったら、今度こそ紗矢華は激情のままにルドルフに突っ込んで行ったことだろう。

「煌坂」

「大丈夫。分かってる」

 とはいえ、この状況で考えなしの突撃は命を縮める。

 戦い慣れた獣人と剣巫見習いとはいえ、古城と共に最上級の敵と渡り合ってきた雪菜のコンビである。生半可な覚悟では挑めない。

 自然と煌華麟を握る手にも力が篭る。

「さて、と。時間をかけている余裕もありませんし、早々に決着と行きましょうか。雪菜君。叩き潰しますよ」

 ルドルフの合図で、雪菜は前に進み出る。

 紗矢華と古城を相手にするのに、聊かの迷いも感じられない動きであった。

「煌坂。姫柊は俺が押さえる。その間に、あの馬鹿を!」

 雪菜の相手は古城が買って出た。紗矢華では雪菜の相手は務まらない。技術の問題ではなく、精神面での問題だ。どの道、雪菜を巻き込む可能性が高いため、古城は眷獣の使用を控えなければならない。ルドルフを雪菜が庇おうものなら、その時点で雪菜を殺してしまうからである。

 雪菜にかけられた呪詛を古城が解けるのも、春菜の呪詛を吸血で解いたことから証明されている。そして、何よりも雪菜は雪霞狼を持っていない。それが大きかった。

 吸血鬼の真祖すらも亡ぼしうる獅子王機関の秘奥こそが七式突撃降魔槍(シュネーバルツァー)、すなわち、雪霞狼である。その能力は、あらゆる魔力を打ち消す神格振動派を発生させることであり、古城のみならず呪詛を主武装とする紗矢華にとっても相性が悪い。だが、雪菜自身が魔術の虜となっている今、雪霞狼は使えない。一瞬でも触れてしまえば、雪菜にかけられた呪詛が霧散してしまうからである。

「暁古城……分かった。雪菜のこと、任せるわ!」

「ああ」

 低く抑えた声で答えた古城は、赤い瞳で雪菜を見る。

 槍の代わりに日本刀を構えた雪菜は、身を低くして古城に迫っている。どうやら、相手も古城に雪菜をぶつける算段だったようだ。雪菜が古城の相手をしている限り、古城は眷獣を使えない。妥当な判断であろう。

「まさか、本当にお前に命を狙われることになるなんてな」 

 古城は雪菜に雪霞狼を向けられたかつての出来事を思い返し、薄く笑った。だが、そのときですら雪菜の顔には隠しきれない感情が浮かんでいたのだ。今のような、表情のない機械的な少女では断じてなかった。

 雪菜には幾度となく救われてきた。今度は、古城が雪菜を救う番だ。

 古城は覚悟を決めて、雪菜の振るう白刃に挑みかかった。

 

 

 

 □

 

 

 

 

「愚かしい。私を相手に、ただの人間が勝てるとでも?」

 軽い跳躍で、一〇メートル以上を移動するルドルフに、紗矢華の矢は掠りもしない。身体能力に隔絶したものがある。紗矢華は舌打ちをして、空に矢を放った。

「あんたを倒さなくちゃ雪菜を助けられないなら、倒すだけよッ」

 ぱあん、と空で矢が弾けた。飛び散る魔力が、そのまま矢となって降り注ぐ。相手が速すぎて捕まえられないのなら、攻撃範囲を拡大してしまおうという算段であった。

 矢の雨にルドルフは押し潰される。

 捲れ上がる地面。吹き上がる粉塵が、威力の凄まじさを物語っている。

 相手が倒れたかどうかを確認する前に、紗矢華は次の矢を番える。

 舞い上がった粉塵が内側から吹き飛んだ。

 激しい衝撃が四方に飛び散り、紗矢華の身体を痺れさせる。

「く、……んなッ」

 現れたのは五メートルはあろうか。巨人に匹敵する、見上げんばかりの巨体であった。屈強な獣人の肉体が、さらに膨れ上がり、強大な魔力を惜しむことなく垂れ流している。おぞましさ以上に、神々しさを醸し出す。

「神獣化、ですってッ!?」

 紗矢華が驚くのも無理はない。

 神獣化は最上位の獣人のみが可能とする特殊能力である。寿命すらも消耗する変わりに、莫大な力を手にするという。その力は、吸血鬼の眷獣にすら匹敵するとされ、純粋な身体能力では、この状態の獣人に勝る種族は皆無に近い。

「そうか。春菜さんは……!」

 紗矢華は理解する。

 春菜ほどの力の持ち主が、敵に捕らわれたり理由はここにあった。孤立無援の潜入操作の最中に、神獣化能力を有する獣人に襲われては、無事ではすまない。

 敵は春菜を正面から打倒しうる怪物である。

「如何にも。……この姿を人間に見せるのは、これが二度目ですよ。誇ってください」

 声にすら魔力が乗っている。 

 身体の大きさで言えば、魔族というよりも魔獣である。

 神獣化した今、ルドルフと紗矢華の間に跨る距離など、零に等しい。瞬きすら許さず、その巨体は紗矢華の眼前へと迫るであろう。弓による狙撃は、矢を番えた時点で致命的な隙となるだろう。ならば、選択肢は一つだけだ。

 紗矢華は煌華麟を弓から剣の形態に変化させた。弓の形態では、ルドルフの動きに対応できないからである。

「ふ、この私を相手を、剣ですると?」

 ルドルフは丸太のような太ももをはち切れんばかりに膨張させ、紗矢華の視界から消えた。

 大気に空洞が生じる。

 遅れて、旋風が巻き起こり、紗矢華は視認するよりも早くその場に身を伏せる。ルドルフが紗矢華の真横に現れ、その勢いのままに腕を振るったのである。

「ああああああッ」

 紗矢華は咆哮し、剣を振るう。 

 下から上へ振り上げられた刃は、ルドルフの腹をなぞる。

「ぬんッ」

 ルドルフは、煌華麟の刃が皮膚に触れると同時に背後に跳んだ。

 ルドルフの腹部には、真一文字に切れ込みが入っていた。獣毛に血が滲む。

「煌華麟に防御力は意味ないわよ。何せ、理論上斬れないものはないって代物なんだもの」

 次元切断は、煌華麟が持つ攻防一体の強力な能力だ。空間ごと対象を斬り裂くため、獣人の肉体すらもバターのように切り捨てることができる。

「厄介な武器です。が、触れなければ、どうということはありませんね」

 ルドルフが再び紗矢華に殴りかかる。

 紗矢華の能力を高く評価するルドルフは、紗矢華を殺さないように加減している。それでも、僅かでも攻撃が掠るだけで、重傷は免れない。

 紗矢華はルドルフを相手に防戦一方となる。速く、重い攻撃を、紙一重でかわし続ける。気の遠くなるような作業の中で、ほんの僅かな勝機を探る。

 もとより紗矢華は雪菜に勝ち越せるくらいに高い実力を持っている。戦闘経験も春菜に及ばないものの、剣巫に匹敵するのだ。

 できる限り紗矢華に傷をつけたくないルドルフの都合と、紗矢華の単純ながら絶対的な殺傷性を有する煌華麟がルドルフに最後の一線を躊躇させている。

 それでも、どこまで持ち堪えられるか分からない。先の読めないギリギリの戦いを続けていくしかないのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 戦闘開始早々から古城は引かざるを得ない状況に追い込まれた。

 春菜のときもそうだったが、眷獣を使えない状況では古城は身体能力の高い人間と大差ない。対魔族戦闘のスペシャリストである剣巫との相性は最悪だ。

 古城が雪菜と戦って、未だに無事なのは紗矢華から呪的身体強化を受けているからである。人間の肉体では自壊してしまうくらいに強烈な強化魔術を、吸血鬼の肉体を頼りにして付与している。

 後は動体視力に反射神経に任せて、雪菜の刃を潜り抜ける。

 手を出せば、その手を斬り落とされる。

 古城は戦いを維持するために、とにかく首だけは落とされないように庇いながら避けなければならない。

“姫柊を殴るわけにはいかねえし、クソ。かなり、まずいぞ、これ”

 冷や汗が傷に染みる。

 紗矢華の呪詛が内蔵を締め上げて、息が詰まる。肉体が崩壊と再生を繰り返しながら、身体能力の向上を強制しているのである。

 まずは、あの刀をどうにかしなければ、近付こうにも近付けない。

「姫柊。必ず助けてやるから、心配するな」

 斬り付けられ、内心の焦るは募るが、それでも口調には冷静さを滲ませる。雪菜に届いているかは、分からない。けれど、もしも意識が残っているのなら、少しでも安心させたかった。

 雪菜は古城の言葉には反応を見せず、驚くべき速度で古城の懐に飛び込んできた。

疾く在れ(来やがれ)、“神羊の金剛(メサルティム・アダマス)”!」

 横薙ぎに首を刈りにきた刃に合わせて、古城は金剛石の楯を展開した。大きさは一〇センチ四方。しかし、その防御力は絶対的だ。雪霞狼ならばいざ知らず、ただの刀では傷を付けることすらもできない。

 金剛石の楯に触れた刀は、反射能力で跳ね返される。

 ただし、雪菜のほうに刀は飛ばない。古城が角度を調整した結果、刀は雪菜の手を離れて弾き飛ばされ、海に落ちた。

「ッ……」

 雪菜は、動じなかった。

 刀が弾き飛ばされたことで、手首を傷めたであろうに、そのまま抉り込むように掌底を放ったのだ。

「ごッ……!」

 腹部にめり込むと同時に雪菜の霊力が炸裂する。

 爆発的な威力が古城を跳ね飛ばす。

 膝をつき、咳き込むと信じられないくらいの血を吐いた。

 腹に受けたダメージはあまりにも大きい。これが、雪菜たち剣巫の対魔戦術。古城の強力な再生能力が、機能を弱めている。

「容赦ねえな、おい」

 いつまでも膝をついていられない。古城は気合を入れて立ち上がり、雪菜に向かい合う。だが、そのときには、すでに雪菜の追撃が襲い掛かっていた。

 跳び蹴りを古城は真横に転がって避ける。その古城に、雪菜はかかと落としを放った。狙いは頭である。当たればトマトのように頭を潰される。そうなっては、紗矢華が雪菜とルドルフの二人に囲まれることになる。

 古城は地面を叩き、転がる勢いをさらに強めた。視界が回って仕方がないが、雪菜のかかと落としは辛うじてよけることができた。そのまま立ち上がる。驚くべきことに、ただの一撃で膝が笑うまでに追い込まれている。

「お前のツッコミ、結構優しかったんだな。驚いたわ」

 腹部を押さえて呻く。

 一瞬先の未来を視る雪菜に対抗するには、雪菜の身体能力を上回る反応速度を維持するしかない。紗矢華の呪詛がなければ、今頃は叩き潰されていたはずだ。

 春菜と同じように不意を突いて吸血したいところだが、感情がないというのが厄介で、機械的に対応してくるために不意打ちが通じない。

「ッ!!」

 古城は眼前に迫る縦拳を首を振って避ける。そうして体勢が崩れたところに雪菜の回し蹴りが襲い掛かり、古城を蹴り飛ばす。右手を楯にして防いだが、攻撃を受けた部分は熱さしか感じない。どうやら骨折したらしい。再生も、雪菜の霊力に阻害されてしまっている。

 初めから分かっていたことだが、状況は最悪。命をいくつ懸けても足りないくらいに、相性が悪すぎるのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 冷たい風が頬を撫でる。

 潮の匂いが鼻を突き、目を醒ます。

「う、ん……」

 ふかふかとした何かが頬に当たっている。目を開けても、すぐには状況を理解できなかった。そこは広い駐車場で、車が数台止まっているだけで、極めて空虚であった。

 春菜がいるのは駐車場の端で、フェンスのすぐ傍であった。獅子はちょこんとその座り込み、主を待っているかのようであった。

「わたし、は」

 頭の奥がズキズキと痛んでいる。思考にはもやがかかっていて、前後不覚に等しい不安感を覚えてしまう。しかし、それも数秒のことである。春菜は自分が乗っているのが人工の獅子であると理解できた時点で、すべてを思い出した。

 実の妹を敵の手に引き渡してしまったことや、一時の友誼を結んだ古城や友人の紗矢華と対立して怪我をさせてしまったことなどを初め、この島にやってくるまでに犯した様々な罪の数々が、脳裏に蘇る。思わず吐き気すらも催すが、春菜は積み上げた精神力で押さえ込んだ。

「なんて、こと……」

 震える声で呟く。

 獅子の背中から、春菜は転がり落ちた。

 打ち付けた肘がジンジンと痛んだ。けれど、そんなことは気にならなかった。激しい焦燥に駆られて、春菜は立ち上がる。フェンスを掴み、身体を持ち上げる。しかし、すぐに崩れ落ちた。膝が震えているのは、疲弊のせいだけではない。身体に回った薬物が、春菜の心身を蝕んでいたのである。ルドルフから逃れられないように、その身体は薬に浸け込まれている。

「あ゛あ゛ぁ……」

 痛い、痒い、苦しい、心が虫食いになっていく、息ができない、血潮が沸騰してしまいそうだ、視界が赤く染まる、もうどうでもいい、薬、薬、クスリ――――、

「ぐ、あぅッ」

 春菜は自分の右手首に噛み付いた。痛みで自我を保つ。霊力は古城に奪われているが、まだ枯渇しているわけではない。何とか振り絞り、薬物の影響を遮断する。長くは続かないが、一時的に健常者と同じ程度に持ち直せる。

 荒く息を吐いて、春菜は立ち上がった。

 このままでは、この苦しみを雪菜や紗矢華に味わわせてしまう。それだけは、死力を尽くしてでも防がなければならない。

 商船の近くでは、未だに激しい魔力が渦巻いている。古城と紗矢華は今でも戦っているのだ。

 春菜を倒した二人とはいえ、まだルドルフと雪菜が控えている。この二人が単独で向かってくるのであれば、勝利できるだろうが、おそらくはそうはならない。春菜はルドルフの傍にいて、その性格や彼の周囲の状況をすべて把握している。古城と紗矢華は、ルドルフと雪菜に相性が悪すぎる。春菜のときのようにはいかないだろう。

 ルドルフの神獣化は強力に過ぎる。倒すには第四真祖の眷獣が必要である。しかし、ルドルフもそれを分かっているから古城に雪菜をぶつけるだろう。雪菜が目の前にいる限り、古城は全力で戦えない。

「雪菜……」

 雪菜をまず取り戻す。

 時間は限られているが、それは敵も同じ。特区警備隊(アイランドガード)が駆けつけてくるまで、もう時間がない。ならば、近く攻勢をかけるに違いない。

 急がなければならない。

 春菜はここまで自分を運んでくれた紗矢華の式神に手を触れて、獅子を構成する霊力を引き抜いた。獅子は姿を消して、呪符に戻り、その呪符を春菜はポケットに押し込んだ。

 今は少しでも霊力が必要だったからである。

 春菜は薬の効果を押さえつけていられる僅かな時間で事を成すために、動き出した。

 

 

 古城と紗矢華は、自分を命懸けで助けてくれた。駐車場まで運んだ自分が戦場に舞い戻れば、いい顔はしないだろうし、今の春菜では足を引っ張るだけだ。よって、春菜が向かう先は戦場ではない。夜闇に紛れたまま、春菜は岸まで駆け寄り、コンクリートの岸壁を蹴って海中に身を投げた。

 春菜は海面に顔を出して、目標との距離を測る。目測で五〇メートルあるかどうかといったところだろう。衣服を着たまま、この距離を泳ぐのは骨が折れるが、商船に忍び込むには、海側からでなければならない。

 鼻の効くルドルフを出し抜く意味も込めて、泳いでいくのが最適解だったのだ。

 波に翻弄されながら、春菜は商船の真下にまで泳ぎ着く。

「はぁ、く、……縛大蛇!」

 右手を掲げ、闇色の鎖を生成する。伸び上がった鎖が商船の手すりに絡みつき、春菜の身体を引き上げる。

 商船の中は静まり返っている。紗矢華の呪詛によって、すべての船員が意識を手放しているからである。

「げほ、げほ、……はあ、あ、ぐぅ……」

 壁と膝に手を突いて息を整える。予想以上に消耗している。気持ちだけが逸って足が前に進まないのである。目的の場所は、隠し通路の先にある武器庫。そこまで辿り着ければ、雪菜を救うことができるのである。

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