「はあ……今日もクリスプが安くて助かったぜ」
秋織は袋から取り出したスナックを眺めながら、どこか満足そうに息を吐いた。
休日の昼下がり。任務も鍛錬もない、珍しく気の抜けた時間だった。
「秋織、そのクリスプ本当に好きだよね」
隣を歩く雲璃が、呆れ半分、微笑み半分で言う。
「俺の好きな食べ物ランキング、余裕でTOP100には入るな」
「それじゃあ“大好き”って言うには微妙すぎない?」
即座に突っ込まれ、秋織は「細かいこと言うなよ」と肩をすくめた。
休日の街は穏やかで、人通りも多い。
買い物袋を手にした人々の話し声、店先から漂ってくる香り。
つい先日の戦いや怪異の出来事が、嘘のように遠く感じられる。
「よーし、家に帰ったらカレーだ!今日は気合入れて食うぞ〜!」
秋織がそう宣言した、その時だった。
ひらり、と――
空から一枚の羽が、静かに舞い落ちてきた。
「……ん?」
秋織は足を止め、無意識に見上げる。
「羽……?」
「こんな所に、鳥?」
雲璃も不思議そうに空を仰ぐが、特にそれらしい姿は見当たらない。
風が吹いた様子もないのに、羽はまるで狙い澄ましたかのように、地面へと落ちた。
その瞬間。
「うわぁ!?」
背後から突然聞こえた気配に、秋織は思わず声を上げて振り返った。
「だ、誰!?」
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
淡い色合いの衣を纏い、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
微笑みは柔らかいが、その瞳は――底が見えないほど静かだった。
「ふふっ……そんなに驚かなくてもいいでしょう?」
落ち着いた、しかしどこか含みを持たせた声。
「私は
「爻光……?」
その名を聞いた瞬間、彦卿の表情がわずかに変わった。
「…聞いたことがある」
「知ってるのか、彦卿?」
秋織が尋ねると、彦卿は視線を爻光から逸らさず、静かに答えた。
「仙舟同盟・『玉殿』の将軍だよ。最近は表舞台から姿を消していたはずだ。」
街のざわめきの中で、その言葉だけが妙に重く響いた。
占い師を名乗るには、あまりにも――
只者ではない存在感。
爻光は三人を順に見渡し、楽しそうに目を細める。
「へえ……やっぱり面白い子たちね。特に――あなた」
その視線が、まっすぐに秋織を捉えた。
「運命の流れが……ずいぶんと騒がしいわ」
日常の延長だったはずの休日は、その一言で、静かに軌道を外れ始めていた。
「私ね……ちょっとした“ゲーム”に誘われているの」
爻光は指先を軽く顎に当て、思い出すようにそう告げた。
その口調は軽やかで、まるで茶会に誘うかのようだが、言葉の端々にはどこか引っかかるものがある。
「あなた達も……参加してみない?」
秋織は一瞬だけ考える素振りを見せたが、すぐに肩をすくめた。
「……まあ、暇だし、いいぞ」
深く考えた様子はない。
だがその軽さこそが、彼の長所であり――時に危うさでもあった。
「秋織が行くなら、私も!」
雲璃も間髪入れずに声を上げる。
理由は単純だ。危険かどうかよりも、一緒に行動することが彼女にとっては大切だった。
それを見て、爻光は目を細める。
「あら……それって、“好きな子と一緒にいたい”ってこと?」
からかうような声音。
雲璃の肩がびくりと跳ねた。
「か、かわいい!?な、何言って……!」
「ふふ、反応が素直ね」
爻光は楽しそうに笑うが、その笑みはどこか計算されたものにも見える。
「でも……子供には、少し大変な遊びかもしれないわよ?」
その言葉に、今度は雲璃がむっとした。
「こ、子供扱いしないで!私は十分戦える!」
「あははっ」
爻光は否定も肯定もせず、ただ声を上げて笑った。
「いいわ……それなら、ますます面白くなりそう」
そう言い残すと、彼女は一歩後ろへ下がる。
次の瞬間、風も音もないまま――
忽然と、その姿は消えていた。
「……消えた?」
「本当に、不思議な人だったね……」
雲璃が周囲を見回しながら呟く。
彦卿は腕を組み、少し考え込むように視線を落とした。
「……でも、嘘は言っていない。“招待”は本物だと思う」
「だな」
秋織は地面に落ちていた羽を拾い上げる。
それはすぐに光の粒となって消え、代わりに場所を示す座標データがトランスキャリアーに表示された。
「とにかく……場所は近いな」
画面に映る目的地を確認し、秋織は顔を上げる。
「行ってみよう!どうせなら、正体を確かめてやる!」
「うん!」
三人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
こうして彼らは、爻光が指定した“待ち合わせ場所”――闘技場へと足を向ける。
それが、ただのゲームでは済まされない戦いの始まりだとは、まだ誰も知らなかった。
…………………
そうして呼び出された先にあったのは、仮面を付けた人々の集団と、その奥――
異様な存在感を放つ、愉悦の星神《アッハ》の巨大なアクリルスタンドだった。
祭壇めいた台座の中央に据えられ、照明を浴びて鈍く光るそれを、仮面の愚者たちは恭しく取り囲んでいる。
祈りにも似た仕草。
しかしそこに敬虔さはなく、あるのは熱に浮かされたような高揚と、理性の欠落だけだった。
空気が、重い。
肌にまとわりつくような不快感が、じわじわと背筋を這い上がってくる。
「……やっぱり、帰る?」
思わず漏れたその一言に、爻光は肩をすくめて小さく笑った。
「そうもいかないの。これは“わざと”だよ。ホントはね、薬師の配下を誘き寄せてるだけなの♪」
その言い方が、あまりにも軽い。
「薬師の……配下?」
聞き返した瞬間、嫌な予感が胸を刺した。
「そ。あいつら、こういう“人が集まってる場”が大好きでさ。混乱してる中で、気付かれないまま――暗殺するのが得意なの」
まるで世間話の延長のように語りながら、爻光は言葉を区切った。
「例えば――」
その時だった。
――くくっ、と。
遠くから、ひどく楽しげな笑い声が響いた。
反射的に視線を向けると、そこには一人の仮面の愚者が立って……いや、立っていた“はず”だった。
次の瞬間、音もなく、その身体がほどけるように消え失せる。
床に残ったのは、主を失った衣服だけ。
血も、悲鳴もない。ただ、異様な“空白”。
「……ほらね?」
爻光は楽しそうに言った。
秋織は言葉を失い、奥歯を噛み締める。
周囲の愚者たちは、誰一人気付いていない。
あるいは――気付かないふりをしているのか。
「秋織、外に出てみようよ。まだ近くに居るかも!」
高揚を隠さない声。
「……だな。」
短く答え、秋織は視線を入口へ向けた。
この空間に長く居れば居るほど、何かを削られていく。
そんな確信だけが、はっきりとあった。
外に出た瞬間、空気が変わった。
闇の中に、三つの気配がある。
一つは見覚えのある――十蔵。
残る二つは、明らかに“異質”だった。
フードを深く被った女性。
口元だけが見え、そこに浮かぶ薄い笑みが妙に軽薄だ。
そして、その少し後ろに控える執事風の男。背筋は異様なほど真っ直ぐで、感情の揺れが一切ない。
「ほう……嗅ぎ付けてきたか」
十蔵が、面倒そうに鼻を鳴らす。
「へー……人間にも、やれるやつ居たんだ」
フードの女は、値踏みするようにこちらを眺めていた。
声は明るい。だが、その奥にあるのは純然たる嘲笑だ。
「………」
執事の男は何も言わない。
ただ、静かに視線を向けているだけなのに、背中に冷たいものが走る。
――危険だ。
直感が、はっきりそう告げていた。
「誰だ!」
秋織が一歩前に出て声を張る。
するとフードの女が、わざとらしく手を振った。
「私はぁ、破尾って言うんだ。よろしく〜」
その言い方は、友好的ですらあった。
だが、ここでそんなものが通用するはずもない。
続いて、執事の男が一礼する。
「私はテリー。以後、お見知り置きを……」
丁寧すぎるほどの所作。
その整いすぎた態度が、かえって不気味だった。
「十蔵! お前、こんなところで何してる!」
名を呼ばれ、十蔵は口角を歪める。
「ふん。今日はただの視察だ」
「……?」
その言葉の意味を測りかねていると、十蔵は淡々と続けた。
「我々は薬師の指示によって、この羅浮を破壊する事を決めた」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「……!?」
「今日は、それを“伝えに”来ただけだ」
まるで通達。
いや、宣告だ。
「貴様達が死ぬ姿を――今から楽しみにしているよ」
十蔵の声には、怒りも興奮もない。
あるのは、結果を疑っていない者の冷酷な確信だけ。
その瞬間だった。
「――あははっ!」
破尾が高く笑い、地面に何かを投げつける。
パンッ、という乾いた音と同時に、濃密な煙が一気に広がった。
「しまっ――!」
視界が塞がれ、反射的に身構える。
だが、次の瞬間にはもう――
煙が晴れた時、そこには誰もいなかった。
残っているのは、冷え切った空気と、確かな敵意だけ。
「……クソッ、逃した!」
悔しさを滲ませる声が響く。
だが本当に厄介なのは、逃げられた事じゃない。
殺さずに帰ったという事実。
――これは始まりだ。
そう言わんばかりの宣戦布告だった。
なんか10分アニメみたいにサクサクしてる気する…