羅浮に吹く旋風   作:サツキタロオ

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世界樹の迷宮Ⅲを買いました!むずいなぁ!


episode.9:風が鳴く

「やっほー! みんな元気ー……」

勢いよく開いた扉の音が、やけに大きく室内に響いた。

いつもなら、誰かがすぐに「うるさい」と返すか、秋織が軽口を叩く。

あるいは雲璃が呆れた顔をし、彦卿が静かに諌める。そんなやり取りが自然に始まるはずだった。

 

だが――今日は違った。

「………」

部屋の中央に置かれたテーブルを囲む面々は、誰一人として顔を上げない。

視線は机の上に広げられた資料や端末に落ちたまま、空気だけが重く沈んでいる。

 

まるで、ここだけ時間の流れが止まっているかのようだった。

 

「じゃ……ないみたいだね……」

桂乃芬は苦笑いを浮かべたが、その声は自分でも分かるほど弱々しい。

隣に立つ素裳も、戸惑ったように目を瞬かせている。

 

部屋の空気が、明らかに張り詰めている。

冗談や勢いで破れるような種類のものではない。

もっと静かで、もっと冷たい緊張。

 

二人は自然と声量を落とした。

「何かあったの?」

問いかけは慎重だった。

不用意に踏み込めば、壊れてしまいそうな何かがそこにあると本能が告げていたからだ。

秋織は椅子に深く腰掛けたまま、腕を組んでいる。

視線はどこか遠く、思考の奥へ沈み込んでいるようだった。

 

やがて、低い声が落ちる。

「なあ……“薬師”ってなんだ?」

その問いは唐突でありながら、場の重さと妙に噛み合っていた。

桂乃芬と素裳は顔を見合わせる。

薬師――その名を知らぬ者は、この羅浮にはほとんどいない。

 

だが、改めて口にされると、背筋に薄い寒気が走る。

沈黙を破ったのは彦卿だった。

彼はゆっくりと顔を上げる。

その瞳には、年齢に似合わぬ静かな覚悟が宿っていた。

「羅浮に“魔陰の身”を引き起こすと言われている星神だよ。」

声は落ち着いている。だが、わずかに硬い。

 

魔陰の身――

長命種にとって、それは単なる病ではない。

長い寿命の果てに、記憶や理性が崩壊し、暴走する。

かつて共に笑い、共に戦った者が、理性を失い、刃を向ける存在へと変わる。

羅浮の歴史に、幾度も深い傷を残してきた災厄。

 

その根源とされる存在が――薬師。

 

部屋の空気がさらに重く沈む。

 

冗談も軽口も差し込む余地はない。

これは噂話ではなく、宣告に近い何かだった。

秋織の指先が、机の上でわずかに動く。

無意識に拳を握っているのが分かった。

 

「……そいつの配下が、動いてる」

低い声が、静かに落ちる。

その一言で、部屋の温度がさらに下がった気がした。

 

楽しい休日は終わった。

今、確実に何かが始まろうとしている。

 

…………………

 

「はあ……」

重たい溜め息が、夜気に溶けるように静かにこぼれ落ちた。

 

秋作の部屋を出た三人――雲璃、素裳、桂乃芬は、人気の少ない回廊の端まで歩いてきていた。室内に漂っていた張り詰めた空気が、まだ胸の奥に残っている。廊下の窓からは羅浮の灯りが遠くに揺れて見え、静かな夜景とは裏腹に、三人の心の内はひどくざわついていた。

 

先ほどまで交わされていた会話は、重く、難解で、そしてどこか恐ろしい響きを含んでいた。「薬師」「魔陰の身」「星神」――その言葉一つ一つが、まるで見えない刃のように空気を切り裂いていた。

 

雲璃は手すりに軽く背を預け、桂乃芬は腕を組み、素裳は所在なさげに視線を泳がせる。三人の間には沈黙が落ちていたが、それは決して心地よいものではなかった。

「どうしたの、素裳さん?」

雲璃が、いつもの明るさを少しだけ抑えた声で問いかける。

素裳は少し迷うように口を開き、言葉を探すように視線を落とした。

「……なんかさ。みんなが話してること、あたしには全然分からなくてさ」

自嘲気味に笑おうとしたが、うまく笑えなかった。

「難しい言葉ばっかりで、何が起きそうなのかもよく分からない。でも……分からないってことが、ちょっと怖いんだよね」

率直で、飾り気のない本音だった。

桂乃芬は肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。

「それはアタシも同じだよ。正直、半分くらいは雰囲気で聞いてたし」

少し間を置いて、彼女は雲璃の方を見る。

「雲璃ちゃんは……何か知ってるの?」

雲璃はすぐには答えなかった。夜風が彼女の髪を揺らし、その影が静かに揺れる。

「うん……詳しいことまでは分からないよ」

ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。

「でもね、あの話の流れだと……大きな戦いになるかもしれないってことは、なんとなく分かる」

その一言で、空気がさらに重くなる。

 

「それに……」

 

雲璃は小さく息を吸った。

 

「もしかしたら、秋織たちが傷つくことになるかもしれない。それが、一番嫌なんだ」

はっきりとした声音だった。幼さの残る声の奥に、強い感情が滲んでいる。

素裳はぎゅっと拳を握る。

 

「そう、それ!」

思わず声が強くなる。

 

「難しいことは分からないけどさ! あたしが一番嫌なのは、それなんだよ!」

彼女の声は少し震えていた。

 

「もし本当に戦いになって、秋作たちが前に出るってなったら……絶対、無事じゃ済まないかもしれないじゃん」

言葉にした瞬間、想像が具体性を持ってしまう。刃がぶつかる音、爆ぜる光、血の匂い。素裳の頭の中で、勝手に戦場の光景が広がる。

秋作が槍を構え、敵の攻撃を受け止める。衝撃で足元が砕け、後退する。そこへ畳みかけるように放たれる第二撃――。

 

思わず、素裳は目を強く閉じた。

「……やだよ、そんなの」

ぽつりと零れた本音。

桂乃芬も、腕を組んでいた手を解く。

「秋作だけじゃない。秋俊も、他のみんなも。あの部屋にいた人たち、全員覚悟決まってる顔してたよね」

それは頼もしい顔でもあったが、同時に、戦場に向かう者の顔でもあった。

「だからこそ、余計に怖いんだよ」

桂乃芬は、珍しく真剣な表情で言う。

 

「覚悟があるってことは、本当に行く気ってことだから」

雲璃は小さく頷く。

「うん……でも」

彼女は顔を上げ、二人を見る。

「怖いからって、何もしないのはもっと嫌だよ」

その瞳には、静かな決意が宿っていた。

 

「もし本当に戦いになるなら、私たちも前に出るよ。守られるだけじゃなくて、一緒に戦う」

その言葉は、夜の空気をわずかに震わせた。

素裳は一瞬驚いたが、すぐに口元を引き締める。

「……そっか」

そして、大きく息を吸い込んだ。

「うん、そうだよね。あたしたちだって、ただ見てるだけじゃない」

 

握った拳に、力が戻る。

「もし敵が来るなら、あたしが前に出る! ちゃんと守る! 秋作も、みんなも!」

その声は、先ほどまでの不安とは違う響きを持っていた。

桂乃芬も、にやりと笑う。

 

「じゃあ決まりだね。怖いなら、強くなればいい。傷つくかもしれないなら、その前に倒せばいい」

軽い口調だが、目は真剣だ。

三人の間に流れていた重苦しい空気は、少しだけ和らいでいた。完全に不安が消えたわけではない。だが、共有された本音と、小さな決意が、その不安を押し返し始めている。

 

遠くで鐘の音が鳴った。

静かな夜は変わらない。しかし、その静けさの裏で何かが動き始めている――そんな予感が、確かにあった。

 

三人は顔を見合わせ、小さく頷き合う。

戦いが来るのなら。

 

その時は、逃げない。

まだ見ぬ戦場を思い描きながら、それぞれが胸の内に決意を刻んでいた。

 

…………………

 

翌朝。

空は澄み渡り、まるで何事も起こらない平穏な一日を約束しているかのようだった。しかし、その静寂はあまりにも脆い。

羅浮の一角、高層建築の屋上に一人の男が立っていた。

 

「そろそろ始めましょうか。」

テリーは淡々と呟き、手に持っていた黒く歪んだ装置を壁面に押し当てる。金属と石材の隙間に、それを無理やりねじ込むように差し込んだ。

 

ギチ、と嫌な音が鳴る。

次の瞬間、装置は鼓動するように脈打ち始めた。硬質だった外殻がひび割れ、その内部から淡い緑色の光が滲み出す。

 

まるで“種”だった。

 

装置は急速に膨張し、壁面に食い込む。ひびは蜘蛛の巣のように広がり、内部から無数の根が伸び出した。根は石を砕き、鉄骨に絡みつき、建物そのものを侵食する。

 

その様子は、生き物が建物を喰らっているかのようだった。

根は壁を這い、地面へと到達する。そこからさらに広がり、地中深くへ潜り込んでいく。

 

「よし、ここはこれでオッケーですね。」

テリーは満足げに頷くと、足元に現れた光の裂け目に身を滑らせる。瞬間、彼の姿は掻き消えた。

静寂が一拍。

 

――次の瞬間。

地面が隆起した。

舗装された石畳が内側から押し上げられ、亀裂が走る。亀裂は一気に広がり、爆ぜるように地面が砕け散った。

 

土煙と破片の中から、巨大な影が姿を現す。

それは、豊穣の力を宿した異形――豊穣の玄鹿。

 

白銀の体躯に、禍々しく枝分かれした角。体表を走る緑の紋様が不気味に明滅している。その四肢が地面を踏み締めるたび、周囲の石畳がひび割れ、草木が異様な速度で芽吹き、枯れ、また芽吹く。

 

そして――

 

「グオォォォォォォォッ!!」

咆哮。

 

空気が震え、窓ガラスが砕ける。鼓膜を揺さぶる重低音に、周囲の人々は一斉に悲鳴を上げた。

「な、なんだこれ!?」

「逃げろ!化け物だ!」

 

人々は我先にと逃げ出す。混乱が瞬時に広がる。

その異変を目の当たりにし、秋織達は即座に動いた。

 

「構えろ!」

秋織が刀を抜く。鞘から放たれた刃が朝日に反射し、鋭い光を放つ。

隣で秋作も槍を持った。動揺はあるが、手は震えていない。

「兄貴、アイツは何なんだ!?」

「豊穣の玄鹿だ。」

秋作は短く答える。その視線は既に敵の挙動を観察していた。

「どうやら……あちこちに出ているらしいな。」

遠くからも地鳴りが響く。別の区画でも同様の個体が出現しているのは明白だった。

「マジかよ!?」

秋織が舌打ちする。

玄鹿が前脚を振り上げる。

叩きつけられた地面が爆ぜ、衝撃波が一直線に走る。石片が弾丸のように飛び散る。

 

「散開!」

秋作が叫ぶ。

 

秋織は左へ跳び、桂乃芬と雲璃も即座に回避行動を取る。衝撃波は彼らの立っていた場所を粉砕した。

玄鹿の体表から緑の光が集束する。次の瞬間、角の先から無数の蔦が弾丸のように射出された。

 

「ちっ!」

秋織は刀を横薙ぎに振る。迫る蔦を斬断するが、切断面からさらに枝が伸びる。

「再生してやがる!」

 

「長期戦は不利だ!」

秋作は瞬時に判断する。

「ここは俺に任せろ。お前達は他の出現地点へ向かえ!」

「兄貴一人で!?」

「時間を稼ぐ。倒せなくても、足止めはできる。」

その声音には迷いがなかった。

一拍の沈黙の後、秋織は頷く。

「……分かったぜ!無茶すんなよ!」

桂乃芬と雲璃も続き、三人は別方向へ駆け出した。別の咆哮が遠くで響いている。

だが、一人だけ動かない影があった。

 

素裳だ。

 

彼女は秋作を真っ直ぐに見つめている。逃げる人々の流れの中で、ただ一人、逆らうように立ち尽くしていた。

 

「秋作!」

強く、はっきりとした声。

 

「アタシも戦うよ!」

玄鹿が地面を蹴る。巨体が突進する。石畳が砕け、衝撃が迫る。

秋作は素早く前に出る。槍を縦に構え、迫る角を真正面から受け止めた。

凄まじい衝撃。足元が抉れ、秋作の身体が後方へ押し込まれる。だが、刃は逸らさない。角の軌道を横へ流し、玄鹿の突進をかわす。

 

巨体が建物に激突し、壁が崩れ落ちる。

土煙の中、秋作は素裳を一瞬だけ振り返る。

 

「……大丈夫なのか?」

問いは短い。しかし、その裏には心配が滲んでいる。

素裳は一歩踏み出す。重剣を抜き、両手で握る。握りに込められた力は迷いを許さない。

 

「分からないよ!」

正直な言葉だった。

「怖いし、強そうだし、正直ヤバいと思ってる!」

玄鹿が再び咆哮する。地面から蔦が這い出し、二人を囲もうとする。

素裳は叫ぶ。

「でも!だからって秋作一人に任せる方がもっと嫌なんだ!」

 

彼女は前に出る。

迫る蔦を、横一文字に斬り払う。刃が走り、蔦が断裂する。だが反動で腕が痺れる。

「アタシだって、ちゃんと戦える!」

その瞳は揺れていない。

秋作は一瞬だけ目を細める。

そして、短く息を吐いた。

「……分かった。」

再び刀を構える。

「なら、背中は預けるぞ。」

玄鹿が跳躍する。影が覆いかぶさる。

 

「来るぞ!」

秋作が叫び、素裳が頷く。

次の瞬間、巨体が叩きつけられ、戦場は再び爆ぜた。




長男は強い。
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