『うわぁー!!』
突如として響き渡った悲鳴に、秋織と雲璃はほぼ同時に跳ね起きた。
まだ頭が完全に覚醒しきっていない状態だったが、その声に含まれる切迫感が、眠気を一瞬で吹き飛ばす。
「今の声……」
秋織が身を起こした瞬間、部屋の空気が震えるように、秋作の携帯端末が着信音を鳴らした。
画面を確認した秋作は、わずかに眉をひそめて通話を開く。
『秋作兄さん!今すぐこっちに来てください!』
端末越しに聞こえてきたのは、妙に早口で、しかし冷静さを保とうとしている声だった。
『それと……馬鹿力の秋織兄さんも連れてきてください。正直、秋作兄さん一人じゃどうにもなりませんので!』
そこまで一気に言い切ると、通話は一方的に切断された。
「……切りやがった。」
秋作は短く息を吐き、携帯を下ろす。
その横で、完全に目が覚めた秋織が怪訝そうに首を傾げた。
「兄貴、今の声って……」
「ああ。秋俊だ。」
その名を聞いた瞬間、秋織は小さく肩をすくめた。
秋俊。
秋織の弟であり、秋作にとっては末弟――三男にあたる存在だ。
常に敬語を使う一方で、その中身は遠慮ゼロ。毒舌で頭の回転も異様に早く、状況判断力だけなら兄二人を軽く上回る。
現在は、素裳の友人でありネット配信者として活動している桂乃芬のアシスタントをしていると聞いている。
そのため、これまでも「機材トラブル」「炎上未遂」「訳の分からない視聴者対応」など、呼び出される理由には事欠かなかった。
――だからこそ。
「……今回は、声のトーンが違ったな。」
秋作がそう呟くと、雲璃も頷いた。
「うん。ただのトラブルじゃなさそう。」
秋織は布団から立ち上がり、自然と拳を握る。
「“馬鹿力が必要”って言われた時点で嫌な予感しかしねえんだけどな……」
「自覚はあるんだね。」
「うるせ。」
軽口を叩きながらも、「あの口の悪い末弟が“助けを求めてきた」
それだけで、ただ事ではないと察するには十分だった。
「準備しよう。」
秋作の短い一言で、空気が引き締まる。
「場所は広場みたいだな。」
こうして秋織たちは、静かな朝を置き去りにし、新たな騒動へと足を踏み出すことになる。
……………………
秋織たちが指定された場所に辿り着いた瞬間、まず目に飛び込んできたのは――あり得ない光景だった。
「あ……」
言葉を失ったまま立ち尽くす秋織の視界の端で、見知った金髪の少年がこちらに気づき、軽く手を上げる。
「やあ、秋織に雲璃。君たちも、これが気になって来たの?」
そこにいたのは彦卿だった。
雲騎軍の装束に身を包み、既に現場を一通り確認した後なのだろう。表情は落ち着いているが、視線は周囲を鋭く捉えている。
「あ、彦卿!」
雲璃が声を上げる一方で、秋織はゆっくりと視線を前方へ移した。
「ああ……って……」
そこにあったのは――巨大な野菜の山だった。
トマト、カボチャ、ナス……
どれも常識外れの大きさで、一部は建物よりも高くそびえ立っている。
壁は押し潰され、地面にはヒビが走り、売店だったであろう建物の外壁は完全に崩壊していた。
「……いや、でかすぎだろ。」
秋織が思わず呟く。
「売店の人の話だとね。」
彦卿が淡々と説明する。
「朝になったら、いきなりこの状態だったらしい。前兆も無し。」
「妖怪の類じゃない?」
雲璃が警戒するように大剣に手をかける。
「いや、機械……もしくはデータ由来かもよ。」
彦卿はトランスキャリアーを軽く示しながら言った。
――その時だった。
「……遅いですよ。」
やや不機嫌そうな声と共に、足早にこちらへ向かってくる少年がいた。
「時間も守れないんですか?社会人として以前に人としてどうかと思いますが。」
「相変わらず口が悪いな。」
秋織は肩をすくめる。
「悪い悪い。それで……桂乃芬は?」
その問いに、秋俊は一瞬だけ沈黙し、ゆっくりと指を前方へ向けた。
「……そこです。」
「……?」
指差された先にあったのは――巨大なトマトだった。
他の野菜と比べても一回り大きく、地面に半分めり込むように鎮座している。
「……は?」
秋織が眉をひそめた、その瞬間。
「た、助けてぇ〜……」
くぐもった、しかし間違いなく人の声が聞こえた。
「……今の声……」
雲璃が目を見開く。
「まさか……」
秋織がトマトを見据える。
「……この下に?」
「はい。」
秋俊は即答した。
「桂乃芬さん、トマトに押し潰されて動けません。正確には“完全に埋まってはいない”ですが、持ち上げられる人間が必要です。」
そして、ちらりと秋織を見る。
「なので――馬鹿力の出番です。」
「言い方ってもんがあるだろ!」
そう叫びながらも、秋織は既に巨大トマトへと歩き出していた。
「ぐ……ぬぬぬ……!」
秋織は巨大なトマトの表面に両腕を回し、全身の力を込めて持ち上げようとする。
足元の地面が軋み、筋肉が悲鳴を上げるが――トマトは、びくともしない。
「……持てない……」
息を荒くしながらそう零す秋織に、背後から冷静な声が飛んできた。
「でしょうね。」
「おい。」
即座に振り返って睨みつけるが、秋俊はまったく悪びれた様子もなく、端末を操作しながら続ける。
「ちなみに、打撃も無意味です。石を投げたら、トマトの方が無傷で石の方が砕けました。」
「……マジかよ。」
秋織は額を押さえながら考え込む。
「じゃあ……食べるとか?」
「無理ですね。」
即答だった。
「表面が異常硬化してます。歯が折れるか、顎が外れるかの二択です。」
「じゃ、完全に詰みじゃねえか……」
秋織が項垂れた、その時だった。
「……あれ? そういえば。」
雲璃が周囲を見回しながら、ふと思い出したように口を開く。
「秋作さん。素裳さんは、どこに?」
一瞬の沈黙。
その問いに答えたのは秋作ではなく、秋俊だった。
彼は無言で腕を上げ、トマトのすぐ隣に鎮座する巨大なカボチャを指差す。
「……こちらです。」
「助けてぇ、秋作〜……」
かぼちゃの下から、聞き覚えのある間延びした声が響く。
「………………」
秋作は何も言わなかった。
ただ、静かに視線を逸らし、深いため息をつく。
「……兄貴、現実逃避すんな。」
「……いや、現実があまりにも非現実的でな。」
そのやり取りを横目に見ながら、秋織はゆっくりと周囲を見回した。
倒壊した建物、巨大化した野菜、異様に静まり返った空気。
「……なあ。」
低く、警戒するような声で秋織が言う。
「やっぱこれ……妖怪とか、そういう類じゃないのか?」
「どうしたの?」
雲璃が首を傾げた、その瞬間だった。
彼女の表情が変わる。
冗談めいていた空気が、一気に引き締まった。
「……来る。」
「?」
雲璃は大剣の柄に手をかけ、ゆっくりと周囲を見据える。
「……殺気。しかも、かなり近い。」
それを受けて、彦卿も自然と一歩前に出た。
「うん……僕も感じる。何かが、はっきりと“こっちを狙ってる”。」
風が止む。
巨大な野菜の影が、不自然に揺らいだ。
……次の瞬間だった。
崩れた建物の影――巨大な野菜の向こう側に、ローブを羽織った怪しげな人影が立っているのが見えた。
顔は深く影に隠され、こちらを値踏みするように、じっと視線だけを向けている。
「……あいつ。」
言葉よりも先に体が動いた。
秋織は地面を蹴り、一直線に走り出す。
「秋織、待って!」
背後から雲璃の声が響くが、足を止める気はなかった。
直感が告げている――あれは放っておいていい相手じゃないと。
「待て!」
彦卿と雲璃もすぐに追いかけてくる。
三人は瓦礫の間を縫うようにして、人影の後を追った。
……………………
〜秋織視点.
俺は無我夢中で走っていた。
視界の先にいるローブの男から、異様なまでに濃い殺気が流れ出している。
(……間違いない)
犯人かどうかは分からない。
だが――こいつは確実に、この異変と関わっている。
そう確信した瞬間、男はふいに足を止めた。
俺も急停止し、距離を取る。
「……ほう。」
低く、ざらついた声。
「どうやら、疑われているようだな……」
その声を聞いた瞬間、背筋が冷えた。
――言葉だけで、威圧される。
次の瞬間。
男は剣を抜き、視界から消えた。
「――っ!」
反射的に刀を抜き、正面を薙ぐ。
金属同士が激しくぶつかり合い、火花が散った。
衝撃が腕に直に伝わり、体勢が崩れる。
(……速い……!)
一合、二合。
斬撃の応酬は一瞬だったが、分かる。
(強い……本物だ……!)
俺は後方へ跳び、距離を取る。
呼吸が乱れ、手のひらがじっとりと汗ばむ。
「秋織ー!」
その時、背後から聞き慣れた声がした。
雲璃と彦卿が追いつき、俺の左右に並び立つ。
二人とも迷いなく武器を構え、前方の男を睨んでいた。
男は小さく鼻で笑った。
「……未熟者の相手をするのは、俺の趣味じゃあない。」
そう言うと、男はローブを脱ぎ捨てる。
露わになったのは、鍛え上げられた体躯と、異様な存在感。
その腰には、禍々しい気配を放つ刀が佩かれていた。
「俺の名は―― 十蔵。」
低く名乗り、視線をこちらへ向ける。
「その刀……見事だ。相当な実力者が鍛えたと見える。」
次に、俺へと視線が突き刺さる。
「……そして、貴様だ。」
指を突きつけられ、喉が鳴る。
「お前の実力は、面白い。我が刀――荒蛇の養分となるに、相応しい。」
背筋が凍った。
十蔵はゆっくりと刀を納める。
「だが……その時は、まだだ。」
口元が歪む。
「次に会う時を、楽しみにしていよう……」
……次の瞬間。
辺り一面に、濃い霧が立ち込めた。
視界が奪われ、気配が――消える。
「……っ!」
霧が晴れた時、そこに十蔵の姿は無かった。
「……なんなんだ、あいつ……」
俺は刀を納める。
その時、気づいた。
――手が、震えている。
衝撃が、まだ体に残っている。
理解してしまったのだ。
あいつは、今までの敵とは格が違う。
「大丈夫かい?」
彦卿が心配そうに、俺の肩に手を置く。
「……ああ。」
短く、そう答えるしかなかった。
だが心の奥では、はっきりと刻まれていた。
――次に会った時は、命のやり取りになる。
この出会いは、確実に俺たちの運命を動かし始めていると……
宿敵っぽい奴です。