薄暗い建物の奥、外界の光を一切遮断したその空間で、ひとりの女性がフードを深く被り、腹を抱えて笑っていた。
乾いた笑い声が壁に反響し、不気味に残響する。
「ほう……十蔵が人間に接触とはね……珍し——くっ」
言葉の途中で吹き出すように笑い、彼女は肩を揺らす。
その隣には、きちんとした身なりの眼鏡をかけた紳士然とした人物が立っていた。表情は冷静で、感情の起伏はほとんど見えない。
「しかし……現代の人間は、随分と軟弱になりましたねぇ」
淡々とした口調でそう告げる紳士。
まるで事実を確認するだけのような、無機質な声だった。
「これでは潰し甲斐もありません。正直、面白みに欠けます」
「面白さなんて関係ないでしょ?」
フードの女性は笑みを浮かべたまま、軽く肩をすくめる。
「私たちはただ一つ。豊穣の星神——“薬師”様の為に動いてる。それだけで十分じゃない?」
その言葉に、紳士は小さく頷いた。
「ええ。その通りです。私たちの使命に、私情は不要」
その会話を遮るように、軽い調子の声が響く。
「でさ〜、十蔵的にはどうなの?」
声の主は、部屋の奥に静かに佇む一人の男——十蔵に視線を向けた。
「なんか面白い相手、居なかったの?」
十蔵はしばらく沈黙していた。
剣士らしい鋭さを内包したその佇まいは、まるで獲物を前に息を潜める猛獣のようだった。
やがて、低く、重い声で口を開く。
「あの……秋織という小僧だ」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに張り詰める。
「命知らずの小童……いずれ、斬らねばならぬ…」
フードの女性は意外そうに眉を上げた。
「えー? あんな弱そうな子供?倒す価値、あるの?」
すぐさま紳士も同調する。
「そうですね。私の目から見ても、最も軟弱な部類でしょう。脅威とは思えませんが」
二人の言葉を聞き、十蔵は静かに目を細める。
その沈黙は短いが、妙な重みを持っていた。
「…………そういった者こそ」
低く、確信に満ちた声。
「最も注意しなければならぬ」
一拍置き、続ける。
「芽は……種の内に潰す。それが最適解だ」
その言葉に、部屋の空気は完全に冷え切った。
笑いも、軽口も消え、ただ“狩り”を予感させる静寂だけが残った。
…………………
金属を削る乾いた音が、一定のリズムで響いていた。
簡易工房として使われているその場所には、工具と部品が雑然と並び、中央で秋俊が真剣な表情のまま手を動かしている。
その様子をしばらく黙って眺めていた秋織が、ふと思い出したように口を開いた。
「なあ、秋俊。何作ってるんだよ」
突然の声にも、秋俊は手を止めない。
視線は作業中の部品に向けたまま、淡々と答える。
「新しい武器ですよ」
カチリ、と金属同士が噛み合う音がする。
「俺は普段、支給される武器を使う秋作兄さんや、作ってもらえる秋織兄さんと違って……自分で作るしかないんです」
その言葉には、僻みでも不満でもない、どこか諦観に近い落ち着きがあった。
「そっか……」
秋織は短く応じる。
「じゃあ、桂乃芬って人は?」
問いに対し、秋俊は少しだけ視線を上げた。
「桂乃芬さんなら、今は休憩中です」
そして、わずかに口角を上げる。
「兄さんと違って、しっかり働いてますから」
「うっせぇよ!」
即座に突っ込む秋織。その声に、工房の空気が少しだけ和らぐ。
それから秋織は、何も言わずに秋俊をじっと見つめた。
真剣な眼差し、無駄のない動き。
弟が黙々と武器を作る姿を、ただ静かに眺める。
やがて、視線に気づいた秋俊が怪訝そうに眉をひそめる。
「……なんです?」
「弟が頑張ってる姿を見るのは、悪いか?」
少し挑発するような、しかしどこか照れを隠した声。
「別に」
即答だった。
その時、工房の入口から軽快な足音が近づいてくる。
「秋俊〜!」
明るい声と共に、桂乃芬が休憩から戻ってきた。
そのまま視線を移し、秋織に気づく。
「あ、秋織君も居たんだ!」
「……」
(秋織君……)
内心で小さく溜息をつく。
“君”付けで呼ばれるのは正直好きではない。子供扱いされているようで、どうにも落ち着かなかった。
だが、それを表に出すほど大人げなくもない。
秋織は言葉を飲み込み、軽く苦笑いを浮かべた。
「桂乃芬さん。最近、配信の方は順調ですか?」
作業台から少し離れた場所で、秋俊が手を止めずに問いかける。
工具を扱う手つきは相変わらず正確で、会話と作業を同時にこなす余裕が見て取れた。
「うん!すーちゃん達も配信に出てくれててね。最近、かなり人気上がってるんだ!」
桂乃芬は胸を張ってそう答える。
配信者としての充実ぶりが、その明るい声からもよく伝わってきた。
「兄貴も出てるのか?」
少し意外そうに、秋織が口を挟む。
「出てるよ。秋作も。すーちゃんがたまに連れてくるんだ」
さらっと告げられたその事実に、秋織は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……兄貴の彼女とも仲良しとは」
思わず感心したように腕を組む。
「桂乃芬って、意外と交友関係広いんだな」
その率直な評価に、桂乃芬は両手を振って否定する。
「いやいや、そんなに居ないよ〜!」
軽く笑いながらも、どこか照れくさそうだ。
そんなやり取りを横目に、秋俊は工具を置き、溜息を一つついた。
「あ、秋俊」
桂乃芬が思い出したように声をかける。
「今日の夜に肝試し配信するんだけど……いい?」
その瞬間、秋俊の表情が僅かに曇る。
「…………はあ……いいですよ」
明らかに気乗りしない返事だったが、拒否はしなかった。
「……?」
事情が分からず、首を傾げる秋織。
すると秋俊が、事務的な口調で説明する。
「桂乃芬さんは、怖いものが苦手なんです」
「ちょっ、秋俊!言わないでよ!」
桂乃芬が慌てて抗議する。
しかし、その様子は否定というより図星を突かれた反応だった。
秋織はそのやり取りを見て、思わず小さく吹き出しそうになる。
(肝試し配信で本人が一番怖がるタイプか……)
そう思うと、どこか嫌な予感も同時に胸をよぎった。
何事もなく終わるなら、それでいい。
だが——最近は、そう簡単に済まない出来事ばかりが続いている。
工房に漂う、穏やかな笑い声。
その裏で、確実に何かが近づいている気配を、秋織だけが微かに感じ取っていた。
そうして夜。
月明かりだけが頼りの静かな時間帯に、秋織、桂乃芬、秋俊の三人は、とある庭園の前に立っていた。
昼間であれば手入れの行き届いた美しい庭園なのだろうが、夜になると様相は一変する。
高く伸びた木々は不気味な影を落とし、風に揺れる枝葉が、まるで誰かの囁き声のようにざわめいていた。
灯りはほとんどなく、奥へ進むほど闇が濃くなっていくのが一目で分かる。
ここは——
幽霊が出ると噂されている庭園。
しかも、ただ出るだけではなく、遭遇した者は命を落とすかもしれない、などという物騒な話まで付いて回る場所だった。
「……本当に行くのぉ……?」
桂乃芬は半泣きのような声で呟き、ぎゅっと自分の腕を抱きしめる。
先程までの配信者としての明るさは影を潜め、今は完全に“怖がりな素の彼女”だった。
「行くって言ったの、アンタだろ?」
秋織はため息混じりにそう返す。
表情は落ち着いているが、内心では周囲の気配に神経を研ぎ澄ませていた。
「……このままなら、置いていきますよ」
淡々と告げながら、秋俊はすでに庭園の奥へ一歩踏み出している。
冗談ではなく、本気でそうしそうな雰囲気だった。
「ま、待ってよ〜!」
桂乃芬は慌てて二人の後を追い、転びそうになりながら必死に距離を詰める。
秋俊は小さく溜息を吐き、少しだけ立ち止まった。
(まったく……)
そう思いながらも、桂乃芬のすぐ後ろに回り込む。
「……これなら大丈夫ですか?」
そう言って、彼は距離を保ちつつ背後を警戒する位置についた。
万が一何かが来ても、すぐに対応できる立ち位置だ。
「うん……!ありがと!」
桂乃芬はほっとしたように息を吐き、秋俊の存在に少し安心した様子を見せる。
その様子を見ながら、秋織は庭園の奥へと視線を向けた。
(噂だけならいいが……)
夜の庭園は、あまりにも静かすぎた。
虫の声すら聞こえず、まるでこの場所だけが世界から切り離されているかのようだ。
嫌な予感が、胸の奥で静かに広がっていく。
——肝試しで終われば、それでいい。
だが、最近の出来事を思えば、そう簡単に済むとは思えなかった。
三人はそれぞれ違う思いを抱えながら、闇の庭園へと足を踏み入れていく。
「やっほー……今日はね、アシスタントの秋俊君と、そのお兄さんと一緒に肝試しするよ〜……」
桂乃芬は少し引きつった笑顔を浮かべながら、スマホを構えて配信を開始した。
夜の庭園というロケーションも相まって、普段より声のトーンが一段高い。
明らかに怖がっているのが分かるが、それでも“配信者”としての顔は崩さない。
配信が始まって数秒。
画面の向こうから、凄まじい勢いでコメントが流れ始める。
《待ってた》
《怖がりけーちゃん可愛い》
《ノンケは帰れよなー》
《秋俊きゅんかわいい!》
コメントの流速と同時に、視聴者数もみるみる増えていく。
気付けば、すでに100人以上がこの肝試し配信を見守っていた。
「……人気なのか?」
秋織はスマホ画面を横目で見ながら、素朴な疑問を口にする。
数字の増え方が早すぎて、正直ついていけていない。
「チャンネル登録者は4.8万人です。まあ、個人配信者としては……人気な方だと思いますよ?」
秋俊は淡々と説明する。
感情の起伏は少ないが、事実だけを的確に伝える口調だった。
「兄さんは、こういう情報を普段から取り入れないから分からないんですよ」
どこか呆れたように付け加える。
「っせぇなぁ……」
秋織はむすっとした表情でそっぽを向く。
彼は普段から、剣・昼寝・飯
この三つで生活がほぼ完結している男だった。
世間の流行やネット文化に疎いのも、ある意味当然である。
「でもすごいね〜。こんなに集まってくれて!」
桂乃芬はコメントを眺めながら、少し元気を取り戻したように声を弾ませる。
だが、視線が庭園の奥へ向いた瞬間、その笑顔は一瞬だけ曇った。
(……大丈夫、大丈夫……)
自分に言い聞かせるように小さく息を吐く。
夜の庭園は、相変わらず不自然なほど静かだ。
コメントの喧騒とは裏腹に、現実の空間には音がほとんど存在しない。
《なんか居たやん》
《幽霊か……》
《なんて美しいの》
《これも全部乾巧って奴の仕業なんだ》《←なんだってそれは本当かい!?》
コメント欄が、一瞬ざわついた。
視聴者の何人かが、画面の奥――庭園の闇の中に“何か”を見たのだ。
「ひっ……ゆ、ゆゆ……幽霊!? い、いるの!?」
桂乃芬は悲鳴に近い声を上げ、スマホを持つ手がぶるぶると震える。
顔色は完全に青ざめ、今にも泣き出しそうだった。
「居ませんよ」
秋俊は即答だった。
感情の起伏は相変わらず薄く、淡々とした口調で否定しながら、片手でスマホを操作している。
「ほ、ほんと!? ほんとにいない!?」
「ええ。少なくとも“幽霊”ではありません」
(帰りてぇ……)
秋織は内心でそう呟きつつも、二人を置いてゆっくりと庭園の奥へと足を進める。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に――
(……嫌な感じがする)
ただの噂話では済まない、生々しい気配。
それが、肌にまとわりつくように感じられた。
その時だった。
ユラァ……。
闇の中で、何かが確かに“動いた”。
「ぴゃあああ!! 幽霊!!」
桂乃芬は反射的に悲鳴を上げ、背後にいた秋俊へと勢いよく抱きついた。
「ちょっ……桂乃芬さん! 離れてください!」
「やだ! 怖い! 無理! 無理無理!」
「む、胸が……!」
秋俊は顔を赤くしながら、必死に桂乃芬を引き剥がそうとする。
理性と物理的圧迫の板挟みで、完全に思考が追いついていない。
《エッ!!》
《秋俊そこ変われ》
《けーちゃんそこ変われ》《←えぇ……》《←おかえり申す》
コメント欄は、完全に別方向で大盛り上がりだった。
「……幽霊、こえぇ……」
秋織は正直な感想を漏らしながらも、ゆっくりと刀の柄を握る。
手の震えを自覚しつつ、それでも構えは崩さない。
「と、とにかく……倒すぞ!」
「兄さん、頼みます!」
背後から飛んできた秋俊の声に反応するより早く、秋織の視界がぐるりと揺れた。
「俺任せかい!?」
次の瞬間、見えない何かに横から叩き飛ばされ、地面を転がる。
「ぐえー!」
背中から落ち、肺の空気が一気に吐き出された。
どうやら幽霊――いや、あの怪異は舌のように伸びる何かで殴りつけてきたらしい。
しかも、攻撃の直後には再び姿を消し、庭園の闇の中を高速で移動している。
「見えねぇし、速ぇし、最悪だろコレ……!」
秋織が体を起こした瞬間、またしても空気が歪む。
「兄さん! これを!」
秋俊の声と同時に、何かがこちらへ投げられてくる。
反射的に手を伸ばし、秋織はそれをしっかりと受け止めた。
「……ライト?」
「さっき近くの街灯からぶんどってきました」
「平気で器物破損すんな!」
文句を言いながらも、秋織はすぐにスイッチを入れ、周囲を照らす。
白い光が闇を切り裂いた瞬間――
ギィ……ッ、とノイズのような音と共に、幽霊の輪郭が浮かび上がった。
「出た……!」
強い光にさらされ、怪異の動きが明らかに鈍る。
目眩ましとして十分すぎる効果だった。
「よ、よし……今だ!」
秋織はライトを前に突き出し、盾代わりにしながら一気に距離を詰める。
そして、間合いに入った瞬間――
「うおおおっ!」
渾身の一撃。
刀が幽霊の胴を横一文字に切り裂き、白い光の粒となって霧散していく。
「よっしゃあ!」
「ナイスです、兄さん」
庭園に、ようやく静寂が戻った。
そうして数分後。
《今日はこれでいいや》
《ありがとうありがとう……》
《最高でした》
《これ何の配信だっけ》
配信は無事終了し、三人は庭園の外へと出ていた。
街灯の下では、桂乃芬がしゃがみ込み、両手で顔を覆っている。
「……桂乃芬さん、大丈夫ですか?」
秋俊が恐る恐る近づく。
「な、なんかあったのか?」
秋織が首を傾げると、秋俊は小さく溜息をついた。
「さっき俺に抱きついたのが、今さら恥ずかしくなったみたいで……」
「な、なるほど……」
その時。
「ま、また抱きついてもいいですよ!」
場の空気を読まない一言が、静寂を破った。
「秋俊のエッチ!」
次の瞬間、乾いた音と共に秋俊の体が吹き飛ぶ。
「ぶふっ!」
そのまま庭園の泉に落下し、水柱が上がった。
「今日の配信ここまで! バイバイ!」
桂乃芬は顔を真っ赤にしたまま、スマホを切って全力で走り去っていった。
「……大丈夫かー?」
秋織が泉を覗き込みながら声をかける。
「はい……たぶん……」
ずぶ濡れの秋俊が、静かに立ち上がった。
「……なんで殴り飛ばされたんだろう……」
「今のは完全にお前が悪い」
秋織は即答した。
けーちゃん可愛いし良い子だから好き。