今回はおとなしめの回です
「羽々里様、お時間よろしいでしょうか?」
ある日の花園家にて。
仕事をこなしていた羽々里に、志都児が声をかける。
普段なら屋敷の警備にあたっているはず。何か異常があったのだろうか。
ただ事ではないと察した羽々里はその手を止め、志都児に顔を向ける。
「ええ、構わないわよ。何かあったの?」
「つい先日、わたくしが個人的に買い取った『
「本当に何があったの!?」
あまりの情報量でぶっ叩かれた羽々里が目をひん剥いて叫ぶ。
説明されても、状況が何も見えてこない。
困惑する羽々里を宥めるよう、志都児は微笑んだまま報告を続ける。
「実は前々から、恋太郎様より『皆が定期的に楽しめる施設を作ってあげたい』とご相談を受けておりまして。
そこでわたくしが前々から目をかけていた土地を個人で買い取り、時間があるときは二人で温泉を掘り起こしていたのです」
「わ、私、何も聞いてないのだけど…」
「皆様にはご内密に…とのことだったので、今日まで羽々里様には黙っておりました。申し訳ございません」
「キュンッ!!」
ときめきが抑えられず、叫ぶ羽々里。
だが、その程度で片付けられる情報量では到底なく。彼女はすぐさま気を取り直し、志都児に問いかけた。
「そ、それは別にいいのだけど…、え?温泉掘り当てたの?」
「はい」
「重機の使用記録が来てないんだけど…」
「そこから露呈するのを危惧し、わたくしと恋太郎様が素手で掘り当てました」
「素手で!?」
「既にグループ傘下の業者をはじめとした協力会社に連絡し、施設も整えてあります」
「いくらなんでも早すぎない!?」
「お褒めに預かり、恐悦至極でございます」
深く聞いてもツッコミどころしかなかった。
温泉って素手で掘り起こすものだっけか、と困惑を露わにする羽々里に、志都児は言葉を続けた。
「無論、通常の温泉旅館として運営する手筈も終わっています。
正式オープンは恋太郎ファミリーでの貸切が終わってからになります」
「私が言うのもなんだけど、手際が良すぎて怖いのだけど…」
「すべて恋太郎様の采配でございます。
羽々里様たちに心から喜んでもらいたいとのことで、デートの合間を縫って建築と経営学の勉強に励んでおられました」
「ふぅゔうゔっ♡!!」
ときめきがオーバーフローを起こし、思わず咆哮する羽々里。
が、しかし。それはすぐさま霧散することになる。
「……あれ、待って?その山ってたしか…」
羽々里の脳裏にかつて見た地図がよぎる。
ふと湧き出た不安に顔を歪めた羽々里に、志都児は重々しく答えた。
「ええ。『
一気に計画に暗雲が立ち込めた。
米花町近くの旅館。嫌な予感しかしない。
これまでさんざっぱら酷い目にあってきたことを思い返し、羽々里は恐る恐る問いかけた。
「その、大丈夫なの?殺人事件起きない?」
「ご心配なく。抜かりはありません。
ここで犯罪は決して起きませんから」
「………えっ、と。どういうことかしら?」
「文字通りです。詳しくはこちらの資料を拝見ください」
差し出された資料。そのタイトル欄に目を落とし羽々里は、思わず目を見開いた。
「……なんて読むの、これ?」
「『
「これで安心しろは無理あるわよ」
「中身をご確認いただければ、安心していただけるかと」
志都児に促され、羽々里は資料に目を通し始める。
まず、その顔から訝しみが消えた。
しばらくして、感情が消えた。
読み終える頃には、不安が消えていた。
資料を机に置き、羽々里は志都児へと目を向ける。
「………義兄さん」
「なんでしょう?」
「今期のボーナス、5倍ね」
♦︎♦︎♦︎♦︎
「だあー、くっそ…!
てめーらのシステムエラーの予約ミスなら代わりの宿くらい探しやがれってんだ…!」
数日後、
その車の運転手は、毛利 小五郎。後部座席には、その娘である蘭とコナンが座っていた。
彼らは郊外の温泉旅館で日々の疲れを癒そうと、前々から予約をとっていた。
が。それが旅館側のシステムエラーによって予約が取れていない状態となっており、さらには部屋も満室で今日は泊まれないという災難に見舞われてしまったのだ。
全額返金はされたが、それで腹の虫が収まるわけもなく。
結果、車内の空気は地獄と化していた。
「まあまあ、お父さん…」
とん、とん、とん、と指でハンドルを叩く音が絶えず響く。
相当に気が立っているのだろう小五郎を宥めようと、後部座席に座る蘭が声をかける。
がしかし、その程度で治るような怒りではなく、小五郎は舌打ち混じりに愚痴を続けた。
「ったく、この山越えないと代わりの宿がねーって、どんだけアクセス悪ぃんだよ…!」
「もう。最初に秘境の温泉に行きたいって言ったの、お父さんでしょ?」
「…………」
蘭の指摘に口籠る小五郎。
確かに言い出しっぺは自分だが、予約ミスは向こうの過失だ。少しくらいの文句は許して欲しい。
が。それを言い出せるほど小五郎は娘に強く出れなかった。
「はぁ…」
コナンがため息をつき、その気まずさから逃げるようにして窓の外を見やる。
と。その瞳にある看板が映った。
「おじさん、この近くに温泉旅館があるみたいだよ」
「こんなとこにそんなもんあるわけねーだろ、適当こいてんじゃねえぞガキンチョ」
「本当にあるみたいよ?ほらあそこ」
「あん?」
蘭が指差す方向には、温泉旅館の写真と「この先1.2キロ」と書かれた看板があった。
渡りに船とはまさにこのこと。
小五郎は先ほどまでの不機嫌から一転、喜色満面の笑みを浮かべた。
「お、ラッキー!」
「ちょうどよかったじゃない!行くだけ行って、泊まれるか聞いてみましょう?」
「だな!」
車内の空気から圧が消えた。そのことに安堵し、心持ちを軽くするコナン。
そんな彼が、通り過ぎる車を見張る人影に気づくことはなかった。
人影…、メイド服を着た女性がそのナンバー、車内を確認するや否や、耳につけたインカムを軽く叩く。
コール音が一度だけ鳴り、すぐさま男性の声が響いた。
『どうした?』
「執事長、例の子供が向かっています」
『報告ご苦労。山全域の警戒を最大レベルに引き上げる』
インカムから聞こえた声は、怒りに震えているのが丸わかりだった。
それが自分に向けられたものではないにしろ、聞いたもの全てをすり潰さんばかりの圧が込められたそれに思わずたじろぐメイド。
しかし、彼女も長年花園家に仕えてきたプロフェッショナル。
その動揺をおくびに出さず、インカムの先に問いかけた。
「それはよろしいのですが、本日は羽々里様の貸切の予定です。追い返した方がよろしいのでは?」
『お前の言うことはもっともだ。
が、子供に車中泊を強いるような真似をして、羽々里様が許すと思うか?』
「……そこまで思い至りませんでした。申し訳ございません」
『いい。お前の気持ちも十二分にわかる。私とて追い返したい』
二人の脳裏に、これまで巻き込まれてきた事件の数々がよぎる。
時には羽々里、羽香里をはじめとした恋太郎ファミリーの面々が疑われたこともあった。
その場には決まって、あの子供がいる。いくら彼自身が善良な人間とはいえ、避けたくなるのは無理もないことだった。
が、しかし。今回ばかりは違う。
インカムの先にいる男性は、怒りを滲ませた笑みをこぼした。
『だが、今回ばかりはありがたい。
元々別日に招待しようかと思っていたが、向こうから来てくれたなら好都合だ。
「絶対に犯罪が起きない温泉旅館」、存分に楽しんでもらおうじゃないか』
「執事長、そのセリフは完全に悪役のそれです」
愛城 恋太郎…彼女のために素手で温泉を掘り当てた挙句、旅館業のコンサルまでやった男。多分、原作の彼もこの程度はできる。
花園 志都児…主人のため、個人的に山を買った男。なんやかんやでコナンが来るだろうなと予測し、法的に認められたありとあらゆる手を使って防犯設備を導入、設置した。
江戸川 コナン…旅館に行くと何故か殺人事件に出くわす名探偵。本来泊まる予定だった旅館に服部が泊まっていたこと、加えて、その旅館に買収を仕掛けていた富豪が殺される事件があったことを、彼はまだ知らない。