ベル君のエロ本を書くのは間違っているだろうか?   作:リーグロード

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物凄く難産だったうえに、過去最多の文字数。
これ読む側がしんどくなるやろなと思いますが、後悔はしていません。

休日とかの暇な時間に読んでね。


コラボ 転スラ×ローリエ下巻 後編

 

 ついにテンペストを後にし、謎の存在を探るためベルとローリエの二人はジュラの森へ足を踏み入れた。

 

 森と呼ばれてはいるが、実際は樹海のように広大で、魔獣まで棲みつくジュラの森では、普通の人間なら目的地に着く前に食われてしまうだろう。

 だが、さすが一流の冒険者、次々と襲いかかる魔獣を切り倒しながら奥へと進んでいく。

 

『くっ、まるでダンジョンだな。この森にはこれほどまで魔獣とやらが生息しているのか?』

『いえ、以前、ゴブタさんと一緒に森のパトロールをしたときはこれほど多くの魔獣が襲ってくることはありませんでした。きっと、例の謎の存在とやらが魔素というのを吸って移動しているから、それから逃げて来ているんだと思う』

 

 ベルは息を整えながら、次々と襲いかかる魔獣を斬り伏せる。

 その動きは、テンペストでの鍛錬の成果がはっきりと表れていた。

 

「なんていうか、まんま大樹の迷宮だね」

「恐らくはそれを意識して描いたんだろうけれども、それならもっと魔獣とやらも、こっちのダンジョンのモンスターに寄せてもいい筈なんだけどね……」

 

 ジュラの森の景色と、その奥から次々に現れる魔獣についてティオナが感じたことを口にすると、フィンも同意しながら、どこか引っかかるような違和感を言葉にした。

 まるでこの森が本当に存在する世界があるような臨場感に、フィンは作者の意図を頭の中で巡らせ、その真意を探ろうとする。

 

『待って!何かがこっちに来る!!いや、あれは──!?』

 

 ベルが空を仰ぐと、雲と同じ高さを飛ぶ巨大な影が、遠くのテンペストへまっすぐ向かっているのが見えた。

 

『しまった!テンペストでも避難と防衛の準備を急いでいるはずだけど、これじゃ間に合わない!?』

 

 焦ったベルが急いでテンペストへ戻ろうとすると、ローリエが服を掴んで引き止めた。

 

『だ……ダメだ。あれは……あの黒い竜だけは……』

 

 酷く怯えたローリエは、必死にベルをテンペストへ向かわせまいと手を離さない。その異様な怯え方に理由があると察したベルは、動きを止めた。

 

『あのモンスターだけは無理だ!!絶対に勝てない……』

 

 必死に止めようとするローリエの肩を、ベルがそっと掴む。ローリエはビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げてベルの赤い瞳を見つめた。

 

『ローリエがなんであの黒い竜に怯えているのか知らない。けど、あの竜がとんでもなく強い存在だっていうのは肌で感じて分かった。それが理由でローリエが僕を止めようとしてるのも分かる。けど、このままじゃあの国も、そこに住む人達も危ない。だから、ごめん。僕は行くよ……』

『あっ──』

 

 ローリエの手を振りほどき、ベルはテンペストへ向かって全力で駆けていった。

 

「やっぱり、彼は危険と分かっていても、誰かを助ける為なら迷わずに行くだろうね」

「はっ、所詮はこの本の中の話だろうが!まぁ、あの兎野郎なら本当に走りだすだろうがな」

「ベート面倒くさい。素直にベルならそうするって認めればいいじゃん」

 

 フィンの一言に噛みつくベートに、ティオナが口を尖らせて文句を言う。

 しかし、ベートは全く気にすることなく本を読み続ける。そんな2人のやり取りも、周囲の者たちはいつものことと気にも留めずやり過ごしていた。

 

 少し時間が巻き戻るという注釈が入り、場面はベルたちがジュラの森に入ってすぐの頃だった。

 テンペストではゲルドを筆頭にハイオークたちが、森に面した出入口を工事して防衛網を築いている最中だった。そんな彼らの手が止まったのは、ジュラの森の方角から凄まじい咆哮が響き渡ったからだ。その声に驚いたゲルドたちだったが、すぐに我に返り、何事かと森の方角を注視し警戒を強める。すると、ものすごい速度で飛ぶ竜がこちらへ向かってくるのを目撃するのだった。

 

『急いでリムル様達に連絡を!!』

『いや、その必要はないぞ!』

 

 ゲルドが近くにいたハイオークに命令を下すと同時に、ベニマル達を引き連れたリムルがやって来た。

 その顔は険しく、空の向こうからこちらにやって来る黒竜を睨みつける。

 

『まさか、ここまで早いとはな。この分じゃ、ベル達とは森で入れ違いになったかもな』

『リムル様。既に住人の避難はほぼ完了しております』

 

 リムルの背後に音もなく現れたソウエイの報告に、リムルはホッとした顔を見せるが、次の瞬間にテンペストを襲う不穏なオーラを纏った風がリムルの顔を歪ませる。

 

『っ!?これが例の魔素を奪う力ってやつか……!!』

 

 片膝をつきかけたリムルの周囲では、魔素を奪われた者たちが四つん這いになり、呻き声をあげながら次々と倒れていく。

 テンペストの戦力の大半を連れてきたのは失策だったかと後悔するリムルの前に、空から黒竜が地面へ叩きつけられるように降り立った。

 その衝撃で地面は波打ち、砂煙が爆発的に舞い上がる。さらに、その風圧に耐えきれず、魔素を奪われた者たちは、抵抗することもできずに羽虫のように吹き飛ばされていった。

 

「うわっ!?これヤバくない?超ピンチじゃん!!」

「ちっ、黙って読んでろ、馬鹿アマゾネス!!」

「あんたも十分うるさいわよ!」

 

 騒がしい3人のことはもう周りのみんなは無視している。

 それよりも、今は本の続きが気になるのか、無言でページを見つめ、息を呑む音すら漏らさないほど集中していた。

 

 地に降りたった黒竜の姿は、まるでモンスターを狩るハンターのゲームに登場してそうなラスボスをモチーフにしたようなデザインで描かれていた。

 

『グルルルルルッッ!!!』

『さて、まずは様子見からと言いたいとこだが、ここは初っ端から全力で──ん?』

 

 黒竜とサシで対面するリムルが全力で戦闘を行おうとしたその時だった。リムルと黒竜の元に甲高い笑い声を上げながら、1つの影が馳せ参じた。

 

『ワーハッハッハ!!!テンペストを襲う不埒者め!このヴェルドラ・テンペストの目が黒いうちは貴様の──ぬおっ!!?』

 

 近くの屋根の上に日朝のヒーローポーズで登場したヴェルドラが高らかに前口上を述べている途中で、黒竜は低い威嚇するような「グルルルルッ!!!」という唸り声と共に、先ほどの魔素を奪う力を発動させてヴェルドラから魔素を奪わんとする。

 

『馬鹿野郎!相手は魔素を奪う能力を持ってるって会議で話してただろうが!!!何悠長に口上述べながら登場してんだ、この馬鹿!!』

 

 慌てたリムルがヴェルドラに文句を叫ぶ。

 だが、時すでに遅しというべきか、ヴェルドラは魔素を奪われ、屋根から無様に地面へと転がり落ちた。

 そのまま地面に犬神家のようなポーズで突き刺さったヴェルドラだったが、本当の災厄はここから始まったのだった。

 

『グオオオオオッッッ!!!』

 

 天を揺るがすかのような咆哮を上げながら、ヴェルドラから奪い取った魔素で黒竜の体躯がどんどんと膨れ上がり、周りの木々や建物がミニチュアサイズに描かれる程の巨体へと変貌してしまった。

 

『くっ!このまま黙って敵が強化されていくのを見守っていてたまるか!!!』

 

 リムルが両手を前に突き出すと、犬神家ポーズで地面に突き刺さっているヴェルドラと自身に対して半透明の結界を展開する。

 そのおかげで、魔素の吸収は中途半端に終わり、黒竜の巨大化は周りの建物がミニチュアサイズに見えるくらいで止まった。

 もし、ここでリムルが結界を展開しなければ、きっと黒竜は天をも衝く怪物にへと変貌していたことだろう。

 

『グルルルルッッ』

 

 黒竜は魔素を吸い取られて、結界を維持するのに精一杯なリムルを睨みつけながら、何一つとして行動を起こそうとはしなかった。

 

「あれ?黒竜動かないね?」

「う~ん、多分だけど、これは彼らをエサとして見てるからだろうね。殺してしまえば魔素とやらを奪えなくなるから、ジッとしてるんじゃないかな?」

 

 ティオナの疑問にフィンが推測を述べると、その説明で他の者達はなるほどと納得した様子を見せた。

 

「でもさぁ~、これからどうするの?結界の中で耐えてるだけじゃ意味ないよね?」

「まあ、これが物語である以上は、英雄が駆けつけるのが王道ってやつさ」

 

 そう言って、フィンが本の続きを目で促す。

 その目線が見つめるページの中では、結界の中で必死に耐え続けるリムルとヴェルドラの姿があった。そして、そんな2人の元へと1人の少年が現れる。

 

『リムルさーん!!』

 

 砂煙を切り裂くようにベルが駆け寄ってきた。顔には一片の余裕もなく、それでも足取りには迷いも恐れもない。

 ベルは勢いそのままに黒竜の尻尾へナイフを振り下ろすが、わずかでも傷をつけて注意を逸らそうという目論見は、尻尾の鱗に弾かれてあっけなく潰えた。

 

『っっ!!? 鱗が硬い!?』

 

 火花が散り、刃が弾かれる。ベルはすぐに体勢を立て直し、再び斬りかかる。

 何度も、何度も。その全てが無意味に終わると分かっていても。

 

『くそっ……! 少しでも注意を逸らせれば……!』

 

 その必死さに、黒竜が反応した。巨大な尻尾の先をベルに向けて叩きつけるように薙ぎ払う。

 

『ぐっ、あああああああああ!!!!』

 

 当然、黒竜が攻撃してくるとを読んでいたベルは攻撃を中断して距離を取った。しかし、あまりにもデカ過ぎる黒竜の尻尾の薙ぎ払いの範囲は大きく、余裕でベルの回避行動の範囲内を超えていたのだ。

 ゴキリッという骨の折れる音が、周囲の空気を震わせた。ベルの身体は宙を舞い、遠くの一軒家へ叩きつけられる。家は一瞬で崩れ落ち、瓦礫の山にベルの姿が埋もれた。

 

『ベル!!』

 

 リムルが叫ぶが、ベルが吹き飛んでいった先から返事は返ってこなかった。

 魔素を奪われ、結界を維持するので精一杯なリムルは黒竜を睨みつけるぐらいしかできない。

 

 黒竜は瓦礫に埋もれたベルを一瞥すると、興味を失ったようにリムルへ視線を移した。

 そして──

 

『グォォォォォォォォッ!!』

 

 その咆哮はテンペスト全体を震わせ、まるでこう告げているかのようだった。

 

『諦めろ。お前たちもすぐに同じ運命を辿る』

 

 黒竜の全身から溢れ出す力は、もはや魔物のそれではなかった。

 それは終焉そのもの。触れたものを枯らし、近づく者の魔素を奪い、抗う意思すら砕いていく。

 リムルの結界が軋む。ひび割れたガラスのように、今にも砕け散りそうだった。

 

 その様子を森の中から静かに見守る影があった。

 

『あっ、あああぁぁ!!!ベル……ベルゥゥゥ!!!』

 

 ローリエだった。

 

 黒竜に吹き飛ばされ、瓦礫に埋もれたベル。その姿が脳裏に焼き付いて離れない。

 

 駆け寄りたい。

 抱きしめたい。

 生きているか確かめたい。

 

 ──なのに。

 ローリエの足は震え、地面に縫い付けられたように動かない。

 恐怖が、全身を支配していた。

 黒竜の咆哮が響くたびに、心臓が握り潰されるように痛む。

 

『ベル……ベル……っ……!』

 

 大粒の涙が頬を伝い、ローリエは近くの木にしがみついた。

 その顔には悔しさと恐怖でごちゃ混ぜになった表情が浮かんでいる。

 

 ──怖い。

 ──でも……。

 ──ベルが、あそこにいる。

 

 胸の奥で二つの感情がぶつかり合う。

 身がすくむ恐怖で体が固まり、同時に早く助けなきゃと心が叫ぶ。

 そんなローリエの喉から、かすれた声が漏れた。

 

『……行かなきゃ……行かなきゃ……! ベルが……ベルが……!』

 

 しかし足は震え続け、一歩踏み出そうとするたびに膝が崩れそうになる。

 心と体がちぐはぐな反応を見せ、ローリエは動け得ないでいる自分に悔しさで歯を食いしばった。

 その時だった。ズルッと、掴まっていた木から手が滑った。

 

『きゃっ……!』

 

 支えを失った体が前に傾き、ローリエは膝から地面へと崩れ落ちた。

 冷たい土が肌を刺し、震える指先で掴もうとしても、力はもう入らなかった。

 

『……いや……いや……動いて……! お願い……!』

 

 必死に立ち上がろうとするも、足は鉛のように重く、恐怖が全身を締め付けて息も浅くなる。

 黒竜の咆哮が再び響き、その音だけでローリエの心臓は跳ね上がり、視界が揺らぐ。

 それと同時に、瓦礫の下で動かないベルの姿が脳裏に焼き付き、胸が裂けるような痛みが走る。

 

『ベル……ベル……っ……!』

 

 涙がぽたぽたと地面に落ちる。

 

「っ、やっぱり、黒竜は討たなきゃダメ……」

「アイズ、落ち着け。気持ちは分かるが、部屋の中でそう殺気立つな」

 

 黒竜に泣かされているローリエを見て、黒いオーラを滾らせるアイズをリヴェリアが落ち着かせようと諭す。

 そんな様子を見たレフィーヤは、アイズの背を優しくさすりながら深呼吸を促した。

 

「ア、アイズさん……だ、大丈夫ですか?その……落ち着いて……」

 

 息の詰まりそうな緊張の時間が、部屋の中を支配していた。

 

「あ~、もう!辛気臭いわぁ!!ってか、こっから一発逆転は起きるんかいな?もう見るからに絶体絶命の大ピンチやで!!」

 

 部屋の空気に耐え切られなくなったロキが大声で喚き立てる。

 そんな主神に、この部屋にいる大多数は笑みを浮かべながら、口々に言った。

 

「けっ、この程度でくたばるようなら、あの兎野郎はとっくに死んでるだろうよ」

「そうそう、ベルならこのピンチもどうにかしてくれるよ絶対!」

「まあ、あのラビットフットなら大丈夫じゃないかしら?」

「気に入りませんが、私のライバルなんですから、どうにかする筈です……」

「がっはっはっは!あの小僧なら乗り切れるじゃろう!!」

「根拠はない……が、あの少年ならば何とかしてくれると信じられる」

「僕もみんなと概ね一緒の意見だね。それで、アイズは?」

 

 ベート、ティオナ、ティオネ、レフィーヤ、ガレス、リヴェリア、そしてフィンが次々とベルへの信頼を口にし、最後にフィンがアイズへと視線を向けた。

 黒いオーラを滾らせていたアイズのこわばった肩が、その一言でふっと緩む。

 そして、アイズは小さく頷き、静かに、だが力強く言葉を紡いだ。

 

「うん。私も、ベルなら大丈夫だって信じられる」

 

 まるで、張り詰めていた糸がほどけたように。アイズが放っていた殺気が霧散し、代わりに、柔らかく温かい空気が広がる。

 それを見て、ロキは不服そうに肩肘を突きながら、しかし嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「う~ん、他派閥の人間が団長らに信頼されてるの、なんかモヤるっす」

「あ~、私もそう思うわ」

 

 それを外野から見つめるラウルとアキは、2人してため息を吐いた。

 そうして、何も言えないまま、2人は静かに手元の本に再び目を落とす。

 

『ああ、そうだ。ベルなら、ベルだったら……』

 

 涙を落としながら、地面に崩れ落ちるローリエの脳裏に回想が流れ込む。

 それはベルと出会った瞬間から今に至るまでの道筋だった。

 あまりにもテンプレな立ち上がる勇気を得る導入だったが、未だ漫画文化というものに慣れ親しんでないロキ以外の者らにとっては、それはむしろ新鮮で、胸を打つものだった。

 

『立ち上がらなくちゃ……。あの人の元へ、ベルの元へ行かなくちゃ──!!』

 

 ローリエは涙を袖で乱暴に拭い、震える足に拳で気合を入れた。

 立ち上がるや否や、ベルのもとへと必死に駆け出す。木々の間をすり抜け、枝が頬をかすめても構わない。

 あの瓦礫の山の中にベルがいる。ただその一点だけを胸に、ローリエは走り続けた。

 

 未だに近くに恐怖の象徴はいる。

 それでも、ローリエの足は止まらなかった。

 ベルがいるから。

 ベルを助けたいから。

 ベルを失いたくないから。

 その想いだけが、今の彼女の身体を動かしていた。

 

 やがて、ベルが吹き飛ばされた元一軒家の瓦礫の山に辿り着くと、ローリエは荒い息を整える暇も惜しんで、そのまま瓦礫を乱雑にどけ始めた。

 瓦礫は大きさも重さもバラバラで、持ち上げて捨てるだけでもローリエの細い腕が悲鳴を上げる。

 それでも、ローリエは止まらなかった。

 

『ベル……ベル……どこ……!』

 

 素手で瓦礫を取り除くうちに、指先は擦り切れ、爪は割れ、腕は震えていた。

 それでも彼女は必死に瓦礫を取り除き続けた。

 そしてついに見つけた。血で赤く染まった瓦礫の中に沈む、白髪の少年を。

 

 黒竜に吹き飛ばされ、建物に叩きつけられた衝撃で頭から血を流したのだろう。

 その姿を見た瞬間、ローリエの心臓がドクンと大きく跳ねた。

 全身の血が逆流するような感覚に襲われ、目の前が真っ白になる錯覚を覚えた。

 

『……ベル……っ……!』

 

 それでもローリエは、その感覚を無視してベルの周りの瓦礫を必死に取り除いていく。

 手が震えても、涙で視界が滲んでも、呼吸が乱れても、ただベルを助けたい一心で。

 やがて、ベルの顔周りの瓦礫を全てどかし終えると、ローリエは震える手でベルの頬に触れた。

 

『ベル……ベル……お願い……』

 

 そして、生きているかどうかを確かめるため、ローリエは耳をベルの口元へ近づけた。

 息は──あるのか。

 脈は──あるのか。

 世界が静まり返る。

 黒竜の咆哮も、テンペストの崩壊も、魔素を奪う風の音すら遠のいていく。

 ローリエの世界には、今この瞬間、ベルの呼吸の音だけが存在していた。

 

「よかった、生きてる……」

 

 泣き叫ぶ暇もなく、ローリエは口元を押さえ、嗚咽をこらえながら瓦礫の山からベルを救出することに成功した。

 だが、救い出されたベルの身体は惨憺たる有様だった。黒い装備はズタズタに裂け、手足の一部は骨折のせいで不自然に曲がっていた。

 

『早くこれを振りかけなきゃ!!』

 

 ローリエが取り出したのは、ジュラの森へ向かう前にリムルから託されたフルポーションだった。

 それはローリエの知るどのエリクサーよりも効き目があり、傷だらけのベルに振りかけた瞬間、体にこびりついていた血が消え、傷も骨折で曲がった手足も元通りになった。

 さらに、ボロボロだった装備までもが元の状態に戻っていた。

 

「凄い効果ね。もしこれをアミッドが見たら欲しがるか、作り出そうとするでしょうね」

「だね。まあ、創作のポーションだし、空想の産物だろうから、アミッドも欲しがったりは──いや、作り出そうとはするかもね」

 

 振りかけるだけで重傷だったベルが全回復する様を見て、ティオネは聖女と呼ばれるアミッドがフルポーションを欲する姿を思い浮かべた。

 その想像はフィンに苦笑をもたらし、同時に徹夜で同じ効果のポーションを製作するアミッドの姿を思い浮かべた。

 

 ポーションを振りかけられ、全回復したベルの瞼がピクピクと動いたと思えば、次の瞬間、弾かれるように起き上がった。

 

『……?あれ、何が……?』

『っ!!ベル──!!』

 

 無事に目を覚ましたベルに感極まったローリエは、勢いよく飛びついて抱きしめた。

 今度こそ嗚咽を漏らしながら、彼女はベルにしがみついて泣きじゃくる。

 その涙と温もりを感じつつ、ベルは自分に何が起きたのかを思い出そうと記憶を探り始めた。

 

『ああ、そうか。僕、あの黒竜に──そうだ!竜は?テンペストのみんなは!?』

 

 思い出した瞬間、ベルはローリエをそっと引き離し、周囲を見回した。

 そして振り返った先に、黒竜が立っていた。

 咆哮を響かせながら、一歩踏み出すごとに巨体で建物を次々と破壊していく。その姿はまさに古の伝承に語られる怪物そのものだった。

 

 崩れていく街並みに、ベルは思わず駆け出そうとするが、ローリエは今度こそ離すまいと割れた爪をベルに食い込ませた。

 その痛みに、ベルの足は止まった。

 

『ダメ、絶対にもう行っちゃダメだ!!!分かるだろ、アレには誰も敵わない。君の攻撃もまるで効いてない上に、たった一撃であの(ざま)だ!!!』

 

 ローリエの叫びは、悲鳴に近かった。

 ベルの胸が痛む。なにせ、ローリエの手は血が滲むほど強く握りしめられ、その瞳は涙で濡れ、恐怖と必死さが入り混じっていた。

 その必死な様子にベルが言葉を失うなか、ローリエは声が震え、息が乱れ、涙が頬を伝いながら、説得を続ける。

 

『お願いだ……ベル……もう行かないで……今度こそ、あの竜の元へ行ったら……君は……君は本当に……死んじゃう……!』

 

 それは頼み込むというよりも懇願するような響きだった。

 ベルはローリエのその姿に、何も言えなくなった。

 

『逃げよう。アレは私達に興味はない。今から逃げれば、きっと生き延びられる。アレの目の届かない場所に、手の届かない遠くまで逃げればいい。なんなら、元の世界に戻る手段をここじゃないどこかで探すのはどうだろう!?別にここじゃなくても、探そうと思えば何処でだって──』

『……ごめん、ローリエ』

『──っ!?どう……して……謝るんだい?』

 

 いや、その理由はローリエもとっくにわかっている。ただ、わからないふりをしているだけだ。

 そもそも、この状況でベルが逃げるはずがないと半ば確信しながらも、何かしら言葉を続けなければ希望がつなげない。

 もしかしたら、まだ気持ちを変えてくれるかもしれない。語りかけ続ければきっと──それも、ローリエの勝手な思い込みなのだろうけれど。

 

『ローリエがあの竜を怖がっているのも、僕があの竜に敵わないことも承知している。けれど、僕はここで逃げられない』

『な……んでだい?この国はモンスターの国で、私達がお世話になったとはいえ、数日だけの話だろう』

 

 最低なことを言っていると自覚し、ローリエは拳をぎゅっと握りしめた。

 けれど、たとえ自分が悪役になっても、ベルをあの竜のもとへ行かせるわけにはいかなかった。ローリエは覚悟を決め、口を開いた。

 

『ベル。君が、君が本当に私を愛してるなら、私を──この国よりも私を優先してくれ!!ここから逃げよう!!私と!一緒に!!!』

 

 本当に酷い女だと内心で自傷しながら、ローリエはその手をベルに差し出す。

 ローリエの差し出した手は、震えていた。

 恐怖で。

 不安で。

 そして──ベルを失いたくないという、どうしようもないほど強い愛で。

 その手は、自分でも最低だと分かっていながら、それでも差し出さずにはいられなかった手。

 ベルは、そんなローリエの手をしばらく見つめた。

 

『ローリエ』

 

 ベルはゆっくりと、その手に自分の手を重ねた。

 優しく。まるで壊れ物に触れるように。ローリエの瞳が揺れる。

 

『……ベル……?』

 

 ベルはふっと微笑んだ。弱々しいながらも、そこには確かな優しさがあった。

 そしてその手を、そっと押し返す。

 掴むでもなく、拒むでもなく、ただ戻すように、返すように。

 ローリエの手は、空を掴もうとするかのように震えた。

 そんなローリエを安心させるように、ベルは静かに言葉を紡いだ。

 

『ローリエ。僕は……君を大切に思ってる。本当に、心から』

 

 その言葉に、ローリエの喉が詰まり、声が出ない。

 それでもベルは続ける。

 

『だから、僕はここから逃げられない』

『なんで?分からない。分からないよ、ベル!?私が大切なんだよね?愛してるんでしょ!?だったら、この手を取って逃げてよ!』

 

 縋るように、祈るように叫ぶローリエ。その頬を涙が伝う。

 ベルはそっとローリエの頬に手を添えた。そして、優しく涙を拭う。

 その手つきはまるで母親が子供をあやすような慈愛に満ちたものだった。

 

『僕もあの竜が怖い。強くて、恐ろしくて、僕が憧れるような英雄なんて誰一人いないこの場所で戦うのは、本当に怖い。でも……』

 

 ベルはそこで言葉を切り、ローリエを抱きしめた。ベルの腕の中で、ローリエの身体がびくりと震えた。

 その抱擁は愛の確認でも、言葉を誤魔化すものでない。それは、覚悟を伝える抱擁だった。

 ローリエはそれを理解してしまう。理解したくないのに、理解してしまう。

 ベルの胸に顔を押しつけながら、ローリエの喉からかすれた声が漏れた。

 

『……ベル……やだ……やだよ……』

 

 ベルは静かに、しかし確かな温もりを込めてローリエを抱きしめ返す。

 

『ローリエ。僕はね──』

 

 ベルの声は震えていなかった。恐怖はあるはずなのに、迷いはなかった。

 

『僕は、昔と違って、誰かの英雄になりたいわけじゃない。今は君の英雄になりたいんだ』

『だったら、やっぱり私と一緒に逃げようよ……』

 

 震える声でそう懇願するも、ベルは優しくローリエの頭を撫でながら、

 

『ローリエが笑って、その未来を望んでくれるなら……僕も一緒に逃げたと思う。けど、それじゃ君の本当の笑顔がもう見れなくなってしまう』

『────』

 

 何を言っているのか、ローリエは理解出来なかった。

 ゆるゆると顔を持ち上げて、ローリエは呆然とした瞳でベルを見る。

 ベルはローリエに悲しげな微笑を向けたまま、それでも毅然とした瞳でローリエを射抜いていた。その意気に圧倒されるローリエにベルは続ける。

 

『もう君も分かってるはずだよ。この国に住む彼らはモンスターじゃなくて、人だってことが……』

『ちがっ、私は、別に……』

 

 ベルの言葉を否定しようとするローリエだが、その否定の言葉は、喉の奥でつかえて、どうしても外に出てこなかった。

 言いたい。言わなきゃいけない。ベルの言葉を否定しなきゃ、ベルは本当に行ってしまう。

 ──でも、ベルの瞳が、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも優しくて、あまりにも正しいものだから。

 ローリエの胸の奥にある、自分でも気づかないふりをしてきた答えを、容赦なく照らし出してしまう。

 ベルはローリエの頬に触れたまま、静かに、しかし揺るぎない声で続けた。

 

『あの日、君を助けたあの日から、君は僕を英雄として見てくれた。そして、あの黒いミノタウロスとの戦いで、僕は君の英雄になると決意した』

 

 ローリエの胸が締め付けられていく。

 あの日の誓いが──愛が歪んだ呪いのようにベルを縛っている。

 

『君が僕を信じてくれたから、僕は強くなれた。君が僕を見てくれたから、僕は逃げずに戦えた。君が僕を英雄だと言ってくれたから……僕は、君のために立ち上がれたんだ』

 

 そんなベルの言葉に、ローリエの喉が震える。

 

『……ベル……やめて……そんなの……』

 

 ベルは首を振る。

 

『だから、ローリエ。君が僕を英雄だと言ってくれたからこそ……僕はここで逃げられないんだ』

 

 ローリエの呼吸が止まる。

 ベルの言葉は、優しいのに、残酷だった。

 

『だから、応援して欲しい。勝って帰ってきてくれと願って欲しい。この悲劇を喜劇に変えてくれと命じて欲しい』

『そんなの、まるでアルゴノゥトみたい……』

 

 ローリエのその言葉に、ベルは小さく笑った。

 弱々しいのに、どこか誇らしげな笑みだった。

 

『ふふ……、そうだね。弱くて、それでもこんな風に絶望を──悲劇を喜劇に変えられる英雄になれるというのなら、僕はアルゴノゥトになりたい』

 

 ローリエの胸が大きく揺れたその瞬間、彼女の中で何かが折れたのではなく──ほどけた。

 彼がアルゴノゥトに、誰かの笑みを──私の笑みを見たいが為に英雄になるというのならば、もうこちらが折れるしかないじゃないか。

 喜劇に涙なんて不要だ。不器用ながらにその唇をにぃっと曲げ、今できる精一杯の笑顔をベルに向ける。

 

『……ベル……』

 

 ローリエの声が震える。それでも、涙は決して見せない。

 

『……必ず、帰ってきて……私の……英雄……』

 

 ベルを掴む手を離し、ベルが求めた願いであり、ローリエが絞り出せる最大の応援を笑顔と共に送った。

 

『……うん。必ず、喜劇にして帰ってくる』

 

 ローリエの胸が、痛いほど熱くなる。

 彼女は笑いながら、震える声で最後の言葉を送った。

 

『……行って、ベル。私の……アルゴノゥト……』

 

 その言葉を背に受けて、ベルは走り出す。

 

 ローリエはその背中を、涙で滲む視界の中で、ただ──見送った。喜劇に涙は不要。

 でも今だけは、どうしてもその涙を止められなかった。

 

「ずぅ~!泣いちゃダメなのに、なんでこんな……っ、ひっく……!」

 

 ティオナが鼻をすすりながら、ぐしゃぐしゃの顔で本を抱きしめていた。

 ティオネは呆れたようにため息をつきながらも、目元はしっかり赤い。

 

「……泣いてるのはアンタだけじゃないわよ、ティオナ……」

 

 レフィーヤはもう完全に決壊していたし、アイズなんかは「英雄。やっぱり、ベルは──。けど、私のじゃ……」なんて壊れた人形みたいな挙動をしている。

 なんなら、ベートも涙こそ流してはいないが、スンっと鼻を鳴らして、いつもの荒々しい態度が鳴りを潜めていた。

 

「本当に、こんな物語を描けるのなら、いつもこんな風に描け、馬鹿者めぇ!!」

 

 目尻に浮かぶ涙を指で拭いながら、リヴェリアが愚痴を零す。

 それを傍目で見ていたフィンとガレスは大樹の精神はどうした?と、口にしたら面倒なので心の中でツッコミを入れる。

 

『今の私にできる最大の手助けを──』

 

 黒竜に向かって走り出したベルに対して、ローリエは祈るように手を組んで、祝詞を捧げる。

 それは、ベルとの結婚式の前に恩恵に加わったローリエの新たな魔法だった。

 

『これはかなり強力なものだ。ヘスティアの春姫ちゃんほど万能じゃないにせよ、尖り具合でいえばローリエの方が数段上だ。だから、使いどころに気をつけなきゃ、他のファミリア連中に目を付けられかねないから気を付けろよ』

 

 ローリエはその時、胸に手を当てて小さく頷いた。

 

『……でも、ベルのためなら、私は構わない』

 

 その返答に、ヘルメスは肩をすくめ、「やれやれ」と言いながらもどこか嬉しそうだった。

 

『ま、ローリエならそう言うと思ってたよ。だからこそ──本当に必要な時だけ使いな。英雄を支える魔法なんて、滅多に使うもんじゃない』

 

 そんな、ヘルメスの助言が回想シーンとして描かれた後に、ローリエが唄う。

 

『【──愛してます】【我が愛しき英雄に、道を】【絶望を越え、悲劇を越え、その歩みが光へ至らんことを】』

 

 光がローリエの手から溢れ、ベルの背中へと吸い込まれていく。

 その瞬間から、ベルの足取りが軽くなっていく。呼吸が整い、視界が澄み、心が強くなる。

 ローリエの詠唱はまだ続く。

 

『【──強くあれ】【幾たびの試練を超えし者よ】【その魂は折れず、決して砕けず】【ただ前へ、ただ光へと進まん】』

 

 ローリエの周囲に、淡い金色の魔法陣がいくつも浮かび上がる。

 その光は、祝福であり、加護であり、ローリエの愛そのものだった。

 

 ローリエの魔法は、春姫の階位昇華よりも更にチートとも言える代物で、英雄の物語を後押しする魔法。

 ヘルメスが言った通り、春姫の魔法ほど万能ではない。

 だが、一点突破の尖り具合は、春姫をも凌ぐ。

 ローリエの魔法は、ベルという英雄にだけ最大限の効果を発揮する。

 

 つまるところ、ベル・クラネルが今までに得た経験値の倍を一時的に付与する付与魔法。

 ベルが積み重ねてきた努力、戦い、恐怖、成長──そのすべてを2倍にして、今この瞬間に恩恵に叩き込む。

 ベルの身体が熱を帯び、筋肉が覚醒し、視界が研ぎ澄まされる。

 黒竜の咆哮すら、もはや恐怖ではなく“挑戦”に変わる。

 そしてローリエは、その魔法の名を静かに告げた。

 

『──【フィーリア・ストーリーテラー(愛する者の物語を語り、英雄へと導く者)】』

 

 ベルの背中がより強い光に包まれる。

 ローリエの祈りが、ベルの物語を押し出す。

 

『あとは、勝って……帰ってきて……』

 

 そのあまりにもチートな効果の代償で、ローリエの魔力は完全に尽き、一気に意識が落ちた。

 魔力切れによる全身の脱力感に、ローリエはガクンと膝をつく。

 そしてそのまま地面に倒れ込み、黒竜へ挑むベルの後ろ姿を最後に、意識を手放した。

 

「いや、いやいや!なんやねん、この魔法は!?ないよな?流石にこれは妄想の世界だけの代物やろ!?」

「落ち着いてくれ、ロキ。流石にこんな魔法があるなら、ヘルメスファミリアも前のフレイヤファミリアとの戦争遊戯に参加してただろう。っというか、もし隠していたとしたら、こうして本に登場させるわけがない。まあ、あの狐人の魔法がある以上は、本当にあるのかもと思ってしまう気持ちは分かるけれども」

 

 焦るロキをフィンが冷静に否定する。

 もし本当にこんな魔法があったら、ベル・クラネルはレベル5になるまでの経験値を2倍にできるという、まさに反則めいた手段を持つことになる。

 そうなれば、オラリオ最強派閥は間違いなくヘスティア・ファミリアとなるだろう。

 団員数では勝っていても、今の神時代では量より質が重視され、最強の冒険者がいるファミリアこそが最強とされるだろうからだ。

 

「いくら妄想の物語だからって、この魔法は反則級よね」

「でもさ、黒竜を討つなら、これぐらい反則みたいな魔法じゃないと無理なんじゃない?」

 

 ティオネは腕を組み、呆れ半分、少しの羨望をにじませて呟いた。

 一方、ティオナはそんな姉とは対照的に、純粋な憧れの眼差しでローリエの魔法を称えていた。

 

 ローリエから愛による経験値倍化の付与魔法をかけられたベルの脳内に、知らない誰かの声が流れ込む。

 

『告。ベル・クラネルの存在値が一定値を超えました。進化を開始しますか?』

『っ、なんだこの声?進化?ランクアップみたいなものなの?』

 

 急に聞こえてきた声に困惑するベル。

 その声は世界の言葉というものであり、急な設定に戸惑う読者に分かりやすく説明するナレーションが次のページで吹き込まれる。

 

 その声の意味も知らないまま、ベルは答える。

 

『よく分からないけれど、進化すれば黒竜をどうにかできるなら、進化するよ!』

『是。ベル・クラネルの聖人への進化を開始します。……成功しました。全ての身体能力が大幅に上昇しました。────』

 

 頭の中に響く進化の成功や、さまざまな能力の向上・獲得を告げる声と同時に、ベルは体の奥底から湧き上がる力を感じた。

 進化前とはまるで別次元の強さを手に入れた感覚を、ベルははっきりと実感していた。

 

『これならっ!!』

 

 ナイフを持つ手に力を籠めながら、今も無防備な黒竜の背に一閃を刻む。

 だが、切り裂けると確信していた一撃は、黒竜の鱗によって再び火花と共に弾れる。

 

『やっぱり、鱗が硬すぎる!?』

『──っ、グルルルルッッ!!!』

 

 ローリエの付与魔法と進化で次元の違う力を得たベルの攻撃を受け、黒竜はもはや羽虫ではないと彼を敵と認め、排除すべき存在と判断した。

 背後にいるベルを吹き飛ばそうと翼を大きくはためかせる。

 ベルは迫りくる黒竜の翼をナイフで受け流そうとするが、その強烈な風圧に耐えきれず、あっけなく吹き飛ばされてしまう。

 

『飛ばされる!──でも』

 

 吹き飛ばされた先の木をバネ代わりにして、ベルは黒竜へと跳びかかる。

 そのままナイフを黒竜の眼球めがけて突き立てようとするが、黒竜は翼で攻撃を防ぎ、逆にベルを弾き飛ばした。

 

『やっぱり、デカいと一手で全部防がれる!!』

 

 吹き飛ばされて地面を転がりながらも、すぐに体勢を立て直して次の攻撃に移る。

 ベルも初心者ではなく、巨体の敵に挑むセオリーはしっかり身についている。だからこそ、決して冷静さは失わない。

 だが黒竜は、これまでベルが戦ってきたどの敵よりも──圧倒的に強い。

 

 その巨体から放たれる攻撃は、一撃ごとに必殺級の威力を秘めており、まともに受ければ即死こそ免れても、戦闘不能は避けられないだろう。

 だが今のベルには、それをかわすだけのスピードがあり、さらにローリエの魔法による経験値倍増が、彼の思考を一層鋭くしていた。

 

『落ち着け……見える。動きが、読める……!』

 

 黒竜の巨体が揺れるたびに地面が震える。

 その一挙手一投足が、まるでスローモーションのようにベルの脳内で解析されていく。

 脱兎を超えて飛翔するが如く、先程ならば確実に当たっていたであろう超広範囲攻撃を空を飛ぶような跳躍で回避する。

 そして、空気の面を捉えることでベル・クラネルは空を蹴った。

 

『黒竜の攻撃は避けれるようになった。でも──』

 

 けれど、黒竜の攻撃をベルが避けれるのと同様に、ベルの攻撃も黒竜には通用しないでいた。

 

『あの鱗をどうにかしなくちゃ、勝ち目はない!!!』

 

 ローリエの魔法の持続時間も迫るなか、巨体である黒竜の超広範囲攻撃を避け続けて息が乱れ始めたベルは起死回生の一手を探り続ける。

 その時、ベルの脳内に再び世界の言葉が響いた。

 

『告。ベル・クラネルが保有する魔法ファイアボルトを進化させますか?』

『魔法の進化!?そんなことが──いや、お願いします!!』

『確認しました。ファイアボルトを進化させます……成功しました。ファイアボルトがケラウノスに進化しました』

 

「え?はぁ?マジかいな!?」

「どうしたんだい、ロキ?そんなに驚くなんて。ケラノウスという言葉に、何か特別な意味が?」

 

 ロキは額を押さえながら、深く息を吐いた。

 

「特別どころやないわ。いや、偶然かもしれんがな、ケラノウスっちゅうは、天界じゃ雷を意味する古語であると同時に、ゼウスの爺が持つ武器を指すんやが……」

「それは、ベル・クラネルはゼウスの関係者。あるいは、この本の作者がゼウスと関わりを持っているということかな?」

 

 かつて最強派閥の主神だったゼウスが持つとされる武器と同じ名を持つ魔法に、フィンは興味深げに呟く。

 いずれにせよ、これは直接本人たちに聞くのが一番早い。返答次第では、両者のうちのどちらか、あるいは両方をロキファミリアへ改宗させる可能性も視野に入れていた。

 

 今まで共にあった魔法が別物になったという事実に、ベルはまだ状況を理解しきれていなかった。

 それでも、魔法が進化するなんて今まで聞いたこともない出来事に、この非常事態でありながらも、初めて魔法を得た日のことを思い返していた。

 

『ケラノウス……?なんだろう、この胸の奥が熱くなる感じ……ファイアボルトとは全然違う……!』

 

 その感覚は恐怖ではなく、むしろベルを奮い立たせる雷鳴の鼓動だった。

 黒竜が咆哮し、空気が震える。

 ベルは一歩踏み込み、胸の奥から湧き上がる衝動に身を任せて、その右手を黒竜に向けて突き出した。

 

『──穿て、ケラノウス!!!!』

 

 そう叫んだ瞬間、ベルの突き出した手から雷光が弾け飛んだ。

 空気が裂け、世界が一瞬だけ白に染まる。

 遅れて耳をつんざく轟音が追いかけてくる。

 雷撃は一直線に黒竜へと走り、その巨体を貫くように直撃した。

 

『ガアアッ!?』

 

 その叫びは、怒りでも威嚇でもなく──純粋な痛み。

 黒竜の巨体がわずかにのけぞり、焦げた肉の匂いが風に乗って広がる。

 黒竜は終末と呼ばれる存在。人間の魔法など、どれほど強かろうとその鱗の前に無力と化す筈だった。

 だが──ベルの放った雷は、その常識を破壊した。

 黒竜の鱗を貫き、肉を焼き、確かに傷を刻んだ。

 だが致命傷には程遠い。黒竜の巨体からすれば、ほんの針で刺された程度の損傷。

 

 それでも、黒竜は初めて痛みを知った。

 その瞳が、ゆっくりとベルへ向けられる。

 巨大な竜の邪眼が、たった一人の少年を脅威として認識した瞬間だった。

 

『っ、いける!この魔法なら、あの竜に届く!!!』

 

 ようやく戦いのステージに立てたベルは、黒竜の睨みの前に怖じ気そうな心を奮い立たせるように、己を鼓舞するように叫ぶ。

 

「お、おお……!!」

「いや、何か言いなさいよ」

 

 ベルの新たな魔法で黒竜の鱗を貫いた瞬間、ティオナは感動のあまり言葉を失い、肩を震わせた。

 

「これはまた……。黒竜の強大さと、ベル・クラネルの進化を象徴するいい演出だね」

 

 フィンがいい笑顔でこのシーンの評価を下す。

 その評価にティオナも首を縦に振り、「だよね!だよね!」と興奮していた。

 

 そこから先は、まさに激戦だった。その巨体で暴風のように暴れ狂う黒竜の攻撃を、ベルは紙一重で避け続ける。

 地面が砕け、建物が崩れ、テンペストの街並みが戦いの余波で崩壊していく。

 その光景を見たベルは苦悶に近い表情を浮かべながらも、雷撃を放ち、走り、跳び、必死に食らいついた。

 だが、それがいけなかった。

 

 黒竜はただの獣ではない。その邪眼の如き瞳は敵であるベルの苦悶に歪む表情を読み、自らにとっての最適解を導き出した。

 

『ッ────!!』

『っ!?まさか!!!』

 

 一度大きく後退した黒竜が、その顎をベルへと向ける。

 その行動に、ベルは見覚えがあった。

 

 上層に稀に出現する竜種であるインファント・ドラゴンがブレスを吐く前の動き。

 しかも、その動きはただベルを狙うためではない。一度大きく後退したのは、テンペストをより広範囲に破壊するための位置取り。

 

 心優しいベルが、街の崩壊を見過ごせないことを理解した上での、卑劣で、そして確実に仕留めるための動き。

 ベルは悟った。黒竜は、自分の優しさを読んでいる。

 黒竜の喉奥で渦巻く黒い光が、空気を震わせながら膨れ上がる。

 それは炎ではない。光でもない。

 全てを飲み込み、無に帰す闇の波動とも言うべき消滅の力。

 

『やるしか──ない!』

 

 避けるだけの時間は十分ある。ならば、力を溜めるだけの時間もまた存在する。

 

 黒竜の喉奥で渦巻く黒い光が、空気を震わせながら膨れ上がっていく。

 ベルはその光景を見て、背筋が凍りつくのを感じた。

 

 だが、それと同時に自身の奥底から燃え広がる熱も感じた。

 ゴォン、ゴォォン──と、テンペストに響き渡る大鐘楼の音色。

 

 ベル・クラネルが持つスキル【英雄願望】の引鉄(トリガー)、思い浮かべし憧憬の存在は、かつて黒竜を退けたアルバート。

 誰もが知る、並び立つ者がいない大英雄の軌跡を思い返す。憧れが、理想が、ベル・クラネルの放たんとする英雄の一撃に装填されていく。

 

 ベルはナイフを構え、魔法を唱え、その刀身に雷光を纏わせる。

 そして、最強の一撃にて迎え撃たんと、黒竜のブレスに真正面から向き合った。

 それと同時に、黒竜の喉奥の闇が、ついに臨界に達する。

 

『■■■■■■■■ッ!!!!』

 

 破滅の光が放たれた。

 世界を飲み込む黒い奔流が、テンペストを、ベルを、すべてを消し飛ばそうと迫る。

 ──ベルは叫んだ。

 

『──神雷の英斬(アルゴ・ジュピター)!!!!』

 

 瞬間、雷光が爆ぜた。

 白い閃光が黒い奔流に突き刺さり、空間が悲鳴を上げるように歪む。

 雷と闇がぶつかり合い、世界が白と黒に引き裂かれる。

 ベルの足が地面にめり込み、腕の皮膚から血が吹き出し、全身が震える。

 それでも──

 

『負けるかぁぁぁ!!!』

 

 全力をぶつけ合った一撃同士が拮抗し、やがて──凄まじい爆発が巻き起こった。

 白と黒が入り混じり、巨大な閃光となって弾け飛ぶ。

 

 次の瞬間、衝撃波がテンペスト全域を揺さぶり、ベルも黒竜も互いに吹き飛ばされる。

 煙と砂埃の中、仰向けに倒れたベルは、痛む体を押して起き上がり、視線の先に黒竜の姿を捉えた。

 どうやら、どちらの攻撃も、相手を打ち倒すには至らなかった。

 

『……グウッ』

 

 互いの拮抗した一撃による爆発をモロに受けた黒竜の頭の角の片方が半ばからへし折れていた。

 それでも、致命傷とはいかない。逆に、ベルは全身から血を垂れ流し、英雄の一撃による疲労から立ち上がる事すら出来ないでいた。

 

『……っ……動か……ない……』

 

 完全な決着。あと一撃でも黒竜がベルに攻撃すれば、それでベルは死ぬだろう。

 黒竜もそれを分かっているのか、それでも警戒するようにゆっくりとベルに近づいていく。

 だが、その歩みが、急に止まった。そして、何かに気付いたかのように空を見上げる。

 

『やらせはしないっすよ!!!』

 

 ランガに乗ったゴブタは、ベルにとどめを刺そうとした黒竜の頭上から残った角を切り裂くべく剣を振り下ろす。

 だが、角を切り落とせる距離まで迫ったその瞬間、ランガの力が急に抜けたように失速し、ゴブタは背中から振り落とされてしまった。

 

『あり?』

 

 惚けるゴブタを喰らわんと、黒竜が大口を開けて飲み込もうとするよりも先に、ゴブタの体に糸が巻き付いて、その体が引っ張られる。

 そうして、間一髪のところでゴブタは黒竜の牙から逃れた。

 

『大丈夫か?』

『は……はいっす。助かりました』

 

 ゴブタを救った糸の先にはソウエイが立っており、ゴブタは素直に感謝の言葉を口にした。

 そして、ソウエイの糸によって引き寄せられるまま、ゴブタは黒竜から距離を取る。

 

『ゴブタさんにソウエイさん!?』

『へへ、ここに駆け付けたのはオイラ達だけじゃないっすよ』

 

 その言葉通り、この場に駆け付けたのは、ゴブタやソウエイだけではなかった。

 砂煙を切り裂くように、重い足音が響く。

 

『遅くなったのう、ベル殿』

 

 静かに歩み出たのは、刀を携えたハクロウ。

 その隣には、紫の殺気を纏ったシオン、炎を揺らめかせるベニマル、そして数多くの武装したモンスターが軍隊の如く整列していた。

 テンペストの主力が、ついに戦場へと揃い踏みした。

 

『……みなさん……』

 

 ベルは動かない体を無理やり起こそうとするが、腕が震え、血が地面に滴るだけだった。

 そんな傷だらけになったベルにベニマルがフルポーションを振り掛け、回復させる。

 

『よくやってくれた。おかげで俺たちもこうして戦える』

『あの、一体どうして?』

『ベルがあの竜の角を折ってくれたおかげっすよ!』

 

 ベニマルの感謝と、魔素を奪われた筈のみんながこの場に駆けつけられた理由に疑問を抱いたベルに、ゴブタが答える。

 どうやら魔素を吸収する力を生み出していた器官があの角だったらしく、ベルがその半分を折ったことで周囲の魔素を奪う力が止まり、こうして駆けつけられたというわけらしい。

 

『じゃあ、リムルも?』

『いや、リムル様とヴェルドラ様はまだ動けん。どうやら、残った角であのお二人の魔素のみを集中的に吸い取ろうとしているようだ』

『じゃから、お二人を救うには、残った角もへし折らねばならんという訳じゃが……』

 

 ベニマルとハクロウが黒竜の残った角を睨みながらベルの疑問に答える。

 その間に、先程ソウエイに助けられたゴブタがやって来た。

 

『だからオイラ、あの残った角を叩き斬ろうとしたんすけど、近づいた途端にめちゃくちゃ魔素を吸い取られたんすよね』

『我もゴブタと同じように、あの角に近付いた途端に魔素を奪われた』

 

 ゴブタが肩をすくめながら言うと、ゴブタの影から顔を出したランガも低く唸りながら同じことを言うと、ベルは息を呑んだ。

 ランガほどの魔素量を持つ魔狼ですら、近づいた瞬間に吸われる。それは、黒竜の角が依然として脅威そのものである証拠だった。

 

『それが真実ならば、魔素を吸い取る力が弱まったとはいえ、あの角に近付けば我々では魔素を奪われマトモに戦えぬようだな』

 

 いつの間にか傍に立っていたソウエイが冷静に状況を整理する。

 

『ならば、あの角を断つことができるのは……』

 

 ハクロウが呟く。

 その視線は、自然と魔物ではない人間のベルへ向けられていた。

 

『僕だけってことですね……』

 

 ベルは震える体を押し起こし、静かに答えた。その声には一切の迷いがなかった。

 しかし、ベニマルはそんなベルをじっと見つめ、目を細める。

 

『確かに、あの残った角を断つにはお前の力が要る。だが……できるのか?』

 

 それは決してベルを見下しての言葉ではない。ほんの少し前まで死にかけていた彼を気遣ってのことだった。

 

『なんなら私がやりましょうか。お任せください!私なら多少魔素を奪われようとも、気合いであの角をへし折ってやりますとも!!』

『いや、これ以上魔素を奪われて敵を強くしても困るから、あまり勝手な行動はしないでくれ、シオン』

 

 ベニマルが即座に切り捨てるように言い放つ。

 その声音は真剣そのものだが、どこか呆れも混じっていた。

 

『えぇっ!? なんでですか!? 私ならいけますよ! 気合いでどうにか──』

『いや、気合いでどうにかなる問題じゃないし、マジでこれ以上あの竜が強くなっても困るから考えなしで突っ込むのはやめろ』

『むぅ……!』

 

 シオンは不満そうに頬を膨らませたが、言い返すことはできなかった。

 問題児をなんとか説得したベニマルは、疲れた表情を隠さずにベルへと向き直った。

 

『まあ、こんなだが、頼りになるの間違いない。だから、お前が無理することは──』

『いいえ、やります。僕に、やらせてください!!』

 

 仲間への不安感でも、義務感でもない。

 誰かに言われたからでも、背負わされたからでもない。

 ベル自身が、そう望んだから。

 

『そうか──』

 

 ベニマルもそれを悟ったのだろう。

 ほんの一瞬だけ、彼の目に驚きと、そしてどこか誇らしげな色が宿った。

 

『……なら、もう何も言うまい』

 

 炎の将は、静かに息を吐き、ベルの前に立つ。

 その背中は、まるで道を開く者のそれだった。

 

『ベル。お前の覚悟は、確かに受け取った。なら──俺たちは、お前があの角に辿り着くまでの道を切り開く』

 

 その言葉は、命令でも指示でもない。

 戦士としての信頼の証だった。

 

『して、先のあの一撃はもう一度出せるかのう?』

『いえ、あの黒竜のブレスを相殺するのに、僕のナイフの刀身が歪んでしまって……』

 

 ベルが申し訳なさそうに視線を落とすと、ハクロウは「やはりか」とでも言うように静かに頷いた。

 

『ふむ……やはり、あの一撃は武器にも相応の負荷をかけるか』

 

 ハクロウの声音は責めるものではなく、むしろベルの奮闘を理解した上での、老練な戦士の分析だった。

 

『ですけど、あの一撃は無理でも。連撃なら──』

 

 ナイフを鞘に納めたベルが、クロベエに鍛え直してもらった二振りの剣を抜き放つ。

 それを見て、ハクロウは納得したように頷き、ベニマルの隣に立つ。

 

『それでは、ベル殿。儂と若であの竜を切り崩しますので、その隙にあの角を──』

『はい!!』

 

 ベルの返事は、迷いも恐れもない、まっすぐな声だった。

 その瞬間、ハクロウの口元にわずかな笑みが浮かぶ。

 

『よい返事じゃ』

『いくぞ、ハクロウ!!』

 

 ベニマルの掛け声にハクロウが頷き返し、そして二人は黒竜へと駆け出す。

 その二人の後ろを大剣を担いだシオンが追従する。

 

『お二人だけズルいじゃないですか!私も行きますよ!!』

 

 そう叫びながら、黒竜へと突っ込んでいく。

 ベニマルはそんなシオンに呆れながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。

 

『ならシオンは奴の真正面から注意を引け!決して角には近づくなよ!!』

『承知!!』

 

 シオンは大剣を振りかざし、黒竜の視界に飛び込むように突進する。

 その豪快な動きに、黒竜の瞳がわずかにそちらへ向いた。

 ベニマルはその隙を逃さず、黒炎を纏った刀を抜き放ち、ハクロウにアイコンタクトを取る。

 

『(俺は右から攻め立てる。お前は左からだ)』

『(了解ですじゃ。そして、狙う場所は──)』

 

 2人の視線は、ベルの神雷魔法によってあちこちに焼け焦げた鱗へと注がれていた。

 次の瞬間、ベニマルとハクロウは同時に地を蹴り、左右から鋭い一閃を放つ。

 

『黒炎斬ッ!!』

『抜刀・霞斬り!!』

 

 黒炎と白刃が交差し、焦げた鱗へと叩き込まれる。

 

『ゴオアアアアアアアァァァァッッッ!!!?』

 

 絶対的な防御を誇っていた黒竜の鱗は、2人の一太刀によってあっさりと切り裂かれ、その下にある皮膚にまでダメージを与えた。

 黒竜の巨体が大きくのけぞり、苦悶の咆哮が戦場を震わせる。

 

『やはり、他の鱗と違って、あの焼け焦げた鱗の強度は著しく落ちているようですな』

 

 ハクロウが冷静に分析しながら刀を構え直す。

 その声音には、ベルの魔法が確かに戦況を変えたという確信があった。

 

『まったく、角だけじゃなく、ここまで手土産を残してくれているとは。これで役目が果たせねば末代までの恥だな』

 

 ベニマルは黒炎を纏った刀を肩に担ぎ、口元に不敵な笑みを浮かべる。

 その目は、すでに次の一撃の軌道を描いていた。

 

 黒竜は怒りと痛みに咆哮し、巨体を震わせながら左右に構えるベニマルとハクロウに意識を逸らした。

 

『私も忘れてもらっては困りますよ!!!』

 

 シオンの剛力による一撃は、ベニマルとハクロウの鋭い斬撃とはまるで性質が違った。

 焦げた鱗ごと、黒竜の肉を力任せに叩き潰す。

 

『──ッッッ!!!』

 

 黒竜の喉奥から、声にならない悲鳴が漏れた。

 もはや苦痛の咆哮すら上げられず、巨体が大きくのけぞる。

 そして──、

 

 バサァァァッ!!

 

 黒竜は翼を大きく広げて空へと逃げた。

 それは絶対的強者であった筈の黒竜が選んでしまった逃げの一手。

 そして、それを狙っていたかのように、そのさらに上空に待機していた者が待ち構えていた。

 

『ここら逃がすとでも?──操糸万妖斬』

 

 ソウエイの冷ややかな声が空に響いた。

 次の瞬間、黒竜の周囲に張り巡らされていた無数の糸が一斉に輝き──

 

 シャラララララッ!!

 

 ベルが雷で焼いた鱗の部分を、まるで狙い澄ましたかのようにすべて切り裂いた。

 その衝撃で黒竜の身体が空中で大きく痙攣し、翼がバランスを失って大きく傾く。

 

『グ……オオオオオッ!?』

 

 焼け焦げた鱗が次々と剥がれ落ち、その下の生々しい肉が露わになる。

 ソウエイは風のように姿を揺らし、黒竜の背後に着地すると静かに呟いた。

 

『言っておくが、俺は下の三人よりずっと残酷だぞ』

 

 鱗が剥がれ落ちた部分に、無数のクナイが雨のように突き刺さる。

 さらに、そのクナイの上から刀で肉ごと容赦なく削ぎ落としていく。

 

『──ガアアアッッ!!?』

 

 ついに痛みで怯んだ黒竜は飛行のバランスを失い、そのまま高度を落としていく。

 

 その下では、再びあの大鐘楼の音色が響いていた。

 ゴォン、ゴォォンと、白い光を纏ったベルが空から落ちてくる黒竜を見上げている。

 

『まるでアルゴノゥトみたいだな……』

 

 英雄になりたいと願う青年が、牛人によって迷宮に連れ攫われた王女を救う物語。

 

『友ではなく、仲間に助けられ。精霊からではなく、妻から力を与えられたっていう違いはあるけれども』

 

 手に握りしめた二振りの剣を、交差させるように構える。

 

『準備はいいっすか?』

『うん、もうチャージは完了した』

 

 ランガに乗ったゴブタの後ろにベルが跨る

 向かう先は地面に墜落する黒竜の頭。

 

 この窮地から脱しようと、黒竜の角が黒く脈動している。

 リムルとヴェルドラの魔素を吸い尽くそうと、最後の悪あがきのように輝きを増していた。

 

 ゴブタがランガにしがみつきながら叫ぶ。

 

『ランガさん!! 全速力で突っ込むっすよ!!』

『承知!!』

 

 ランガの四肢に力が入り、地面が砕けるほどの加速が始まった。

 ベルは風を切り裂きながら、落下する黒竜の角を真正面から見据える。

 

『……行くよ。僕が──終わらせる!!』

 

 やがて、魔素を吸い取られるギリギリの距離まで接近したランガは、空中で静止する。

 その背に乗るベルは、ランガの背を蹴って黒竜の頭上を舞った。

 

『うおおおおおぉぉぉ!!!!』

 

 墜落する黒竜の頭は無防備で、残りの角を折る最大のチャンスだった。

 ベルは落下の勢いを借りながら、二振りの剣を重ねて黒竜の角に叩きつける。

 ガキン!!と甲高い金属音が鳴り響き、ベルは反動で跳ね飛ばされかける。

 

『(やっぱり、この角も鱗と同様に硬い!?今から魔法を撃つ?いや、それじゃこの落下中に折れない。またチャンスを待つのか?ダメだ!!もうローリエの魔法の効果も切れるかもしれない!?)』

 

 折れない黒竜の角に葛藤するベルの脳裏にあの日の光景が浮かび上がる。

 かつての好敵手、その最後に打ち破った自身の持つ最強の必殺技。

 

『できるかどうかじゃない!!やるんだ!今ここでぇぇぇ!!!』

 

【英雄願望】にてチャージされた光が、ベルの手に握られた剣を眩しく輝かせた。

 あの日の偉業をも超える連撃が、ベルの身体から光の軌跡を描きながら放たれ、二振りの剣が角へと叩き込まれる。

 

 一撃、二撃、三撃、四撃、硬い角にヒビが走る。

 

『まだだぁぁぁぁぁ!!!』

 

 ベルの叫びが空気を震わせる。

 

 五撃、六撃、七撃、八撃、角が悲鳴を上げるように軋む。

 黒竜が苦悶の咆哮を上げる。

 

『グオオオオオオオオオオッッ!!!?』

 

 ベルは最後の力を振り絞り、二振りの剣を交差させて構えた。

 

『これで……終わりだぁぁぁぁぁぁ!!!』

 

 落下する勢いをそのままスピードに変換し、空中で身体をひねりながら、一瞬のうちに19の斬撃を叩き込む。

 白光が尾を引き、剣閃が星のように散り、空気が裂ける。

 そして、スターバースト・ストリームすら超える、合わせて27連撃の必殺技が放たれた。

 

『────ッッ!!』

 

 黒竜の角が悲鳴を上げるように震えた。

 それと同時に、黒竜の巨体が地面に激突した。

 

 大地が揺れ、衝撃波が周囲を吹き飛ばし、砂煙が空へと舞い上がる。

 黒竜の頭の上にいたベルは、その衝撃で吹き飛ばされる。

 

『今助ける!!』

 

 空中に投げ飛ばされたベルの首をランガが咥えて、見事に助け出して見せた。

 

『あ、ありがとうございます……』

 

 地面に降ろされたベルは、全身の力が抜けていくのを感じていた。

 全てを出し尽くしてふらふらになったベルに周りの仲間達が駆け寄ってきた。

 

『よくやったっす!!』

『ふっ、見事な一撃──いや、連撃だった』

『まさに神技と称せる見事な技じゃったわい』

『悔しいですが、今回の一番の功労者はあなたです!!』

『素晴らしき技前だった。ここは素直に感謝を述べよう。助かった──』

 

 仲間たちが口々にベルを褒める中、ベルは少し照れくさそうに頭を掻いた。

 だが、その和やかな雰囲気は一瞬で消え去る。

 黒竜が墜落した場所から立ち上る砂煙の中、鋭い眼光がこちらを射抜いたのだ。

 その視線に、全員の体が固まった。

 

『■■■■■■■■!!』

 

 空気が震えた。

 耳鳴りがするほどの圧力が、砂煙の奥から押し寄せる。

 

 違う。先程までとは明らかに異なるオーラが砂煙の中から漂っていた。魔素の濃度が一気に跳ね上がり、晴れた砂煙の向こうには、全身を紅く変貌させた黒竜の姿があった。

 恐怖と絶望、ありきたりな表現かもしれないが、これこそがまさに終末の名を冠する怪物と呼ぶにふさわしいだろう。

 

『嘘、そんな……』

 

 勝てるだとか、まだ戦えるなんて考えは、その姿を見た瞬間に消え去った。

 ベルの全身から冷や汗が流れ出し、恐怖に膝が震える。

 その瞳には、はっきりと死が映っていた。

 

 黒竜の紅い眼光が、まっすぐにベルを射抜く。

 

『■■■■■■■■■■■■!!!』

 

 純粋なまでの怒りが、ベル・クラネルの心臓を鷲掴みにした。

 

 胸の奥が凍りつく。

 呼吸が止まる。

 心臓が握り潰されるような圧迫感が襲う。

 

『……っ……!』

 

 ベルは胸を押さえ、地面に手をつきそうになった。

 

『安心しろ、ベル。あの竜はもう終わりだ』

『えっ?』

 

 見れば周りのみんなは一切表情に絶望の色を浮かべてはいなかった。

 

『ええ、その通りです。なにせ、あの方々を怒らせてしまったのですからね』

 

 ベニマルの言葉に、シオンが深く頷く。

 なにがどういう意味なのか理解できずに目を瞬かせるベルに向けて、黒竜──改め、紅竜が天に咆哮を轟かす。

 

『あ、ああ……!?うわあああああああぁぁぁ!!!』

 

 その咆哮に吸い寄せられたかのように、遥か遠くの空から街を飲み込む隕石が降り注いできた。

 死ぬ。助からない。

 ベルの脳がそう理解した瞬間、全身が凍りついた。

 

『(……終わった……)』

 

 紅竜の激昂。空から落ちる隕石。動けない身体。

 どう足掻いても、この一撃は避けられない。

 そう悟ったベルの前に、一つの影が飛び出してきた。

 

『随分と世話になっちまったな、ベル』

『へっ……?』

 

 コウモリのような翼を生やしたリムルが、こちらに振り向いて笑顔を作る。

 その笑顔は、いつもの柔らかい、どこか安心させてくれるものだった。

 一瞬、その笑顔に見惚れて状況を忘れかける。

 だがすぐに、上空へ迫りくる街を飲み込む隕石が視界に戻る。

 ──終わりだ。そう思ったベルの前でリムルは高らかに宣言する。

 

『あとはもう大丈夫。全部俺らに任せとけ。な、ヴェルドラ?』

『フハハハハハ!!!遂に我、復活!!!っと、ポーズを決めている暇はないな──』

 

 街で見かけた人型ではない。元の姿である暴風竜ヴェルドラが姿を現した。

 

『ふむ……あれは我がなんとかしよう!』

 

 リムルが軽く手を上げる。

 

『はいはい、暴れすぎんなよ?街ごと吹き飛ばされたら困るからさ』

『心得た!!ふん、あの程度の隕石……我の前では塵よ!!』

 

 ヴェルドラの全身から暴風が噴き上がり、空気が震え、地面が揺れる。

 砂煙が渦を巻き、雷が天を舞い、その存在だけで世界が軋む。

 そして、大きく開いた口を、天から迫る隕石へ向けて構えた。

 先程の紅竜の咆哮から来る絶望すらかき消すほどの、圧倒的な暴風竜の気配。

 

 ベルは思わず息を呑む。

 

『(……これが……テンペストを守る守護竜の力……!?)』

 

 隕石はすでに大気を焼き、街を丸ごと押し潰すほどの質量で迫ってくる。

 誰がどう見ても、

 避けられない。

 防げない。

 抗えない。

 ──はずだった。

 

 ヴェルドラは、

 まるで虫でも払うように軽く息を吸い込む。

 

『フンッ!!我が咆哮を受けてみよ!!──《暴風竜崩雷撃(テンペスト・ブレイク)》!!!』

 

 次の瞬間、空が割れた。

 雷鳴が世界を貫き、暴風が天を裂き、隕石が触れた瞬間、音もなく消えた。

 爆発も、衝撃も、破片すら残らない。

 ただ存在がなかったかのように、隕石は世界から消滅した。

 

 ベルは呆然と呟く。

 

『……すご……』

 

 リムルがベルの肩に手を置き、いつもの優しい笑顔を向ける。

 

『な?言ったろ。もう大丈夫だって』

 

 その横でヴェルドラが胸を張る。

 

『フハハハハハ!!魔素さえ吸われなければ、この程度の事は造作もないわ!!』

 

 そのヴェルドラの調子に乗った態度に、紅竜が怒り狂ったように咆哮を上げる。

 

『■■■■■■■■■■■■■■!!!』

 

 だが、その声は、もはや誰の心も揺らさなかった。

 

 テンペスト最強の二柱が並び立つ。

 魔王リムル=テンペストと、暴風竜ヴェルドラ=テンペスト。

 

 その二柱に睨まれた紅竜は恐怖による怯えか、あるいは本能的な危機感か──今の己が出せる最大火力のブレスを溜め始めた。

 

 紅い魔素が喉奥に集まり、空気が震え、地面が焦げる。

 ベルはその光景を見て、思わず息を呑んだ。

 

『(……あれは……!!さっきの黒いブレスより……はるかに強い……!?)』

 

 ベルの中の危機感が警鐘を鳴らすが、それ以上に、目の前にそびえ立つリムルとヴェルドラの背中が、圧倒的な安心感を与えていた。

 

『まったく、往生際の悪い奴だ……』

『よかろう。ならばここは互いの必殺技の撃ち合いといこうではないか!!』

 

 紅竜の紅蓮ブレスが、ついに喉奥から溢れ出す。

 空気が焼け、大地が震え、世界が赤く染まる。

 

『そいつは元々、俺たちの魔素だ。返してもらうぞ──暴食之王(ベルゼビュート)

 

 その終焉の一撃を前にリムルが静かに宣言した瞬間、紅竜のブレスは片手を突き出しただけのリムルに、すべて吸い込まれて消えた。

 

『あ~!おい、何をするリムル!?ここは我がカッコよくビシッと撃ち返してだな!』

『お前、それでさっきピンチになったのをもう忘れたのか!?』

『むっ……!あ、あれはだな……その……ちょっと油断しただけであって……!』

『はいはい、言い訳はいいから。ベルやこの街が危なかったんだぞ?』

『ぐぬぬ……!だが我にも見せ場というものがだな……!』

 

 ベルは呆然と二人のやり取りを見つめる。

 あの紅竜は、この二人に任せておけば絶対に大丈夫。そう確信させる力と安心感が、そこに在った。

 

『■■■■■■──』

 

 紅竜は再度ブレスを溜めて構えるが、そこには先程のような脅威はなく──まるで子供が駄々をこねているかのようだった。

 そんな紅竜に、リムルは呆れたように言った。

 

『もうお前はお終いなんだよ。これ以上の街の被害は俺が許さない!』

 

 ただひとつ、魔王としての絶対的な意思だけが宿っていた。

 紅竜の身体がビクリと震える。

 ヴェルドラが腕を組み、満足げに頷く。

 

『うむ。リムルが本気で怒った時点で、貴様の敗北は決まっておるわ!!』

 

 紅竜の紅い瞳に、初めて恐怖が浮かんだ。

 

『じゃあな、せめてもの情けだ。楽に殺してやるよ』

 

 リムルの周囲の空間に複雑な幾何学模様が浮かび上がり、積層型魔法陣が展開される。

 最強の神聖魔法である霊子崩壊(ディスインテグレーション)が紅竜の胴体を貫通して、その身体を崩壊させていく。

 ベルはその光景を呆然と見つめる。

 リムルの本気の一撃が紅竜に直撃し、断末魔を上げる暇もなく、一瞬でその巨体が消滅したのだ。

 

『────』

 

 あの終末を、かつての最強達が敗れた終焉を、呆気なく倒してしまったリムルにベルは開いた口が塞がらなかった。

 

『ん?勝利のV!!』

 

 リムルが、いつもの調子に戻って、にぱっと笑いながらVサインを向けてきた。

 その笑顔に、ベルはようやく我に返り、思わず「リムルぅぅぅ!!」と叫びながら、そのままの勢いでリムルの胸に飛び込む。

 リムルは驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑ってベルを受け止めた。

 

『お、おお……ベル? どうしたんだよ急に』

 

 その抱擁につられるように、ベルの周りで事の行く末を見守っていた仲間たちも次々にリムルに殺到しだした。

 

 戦いは終わった。終末は退けられた。

 そして、英雄は、ようやく安心して笑うことができた。

 




次回のエピローグが終わったら、しばらくこの小説の筆を休めていせかるの方の執筆を始めます。

だって、リゼロ放送するもんね。
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