The Royal Bastard~LostTechnology the after 作:アツ氏
オルテュギア・ハイスクールの即席野球チーム同士の試合がダンデライオンの勝利に終わり、沸き返る観客たちにまぎれて、醒めた様子で手帳にペンを走らせる男の姿がある。カーキ色のチューリップ・ハットに、腕をまくったよれよれのワイシャツ、緩んだ茶色のネクタイ、そして泥だらけのスラックスをサスペンダーで吊った、ホームレスと見まごうほどの、薄汚い風体をした中年である。ただ、その脇に吊るした拳銃のホルスターが、やけにまがまがしく目立っている。顔には無精ひげを生やし、ちびたタバコをさもしげにくわえているが、体つきは骨太かつ筋肉質で、見る目のある者なら、彼がなかなかの手練であることがわかるだろう。太い腕との対比から、ペンがやけに細く見える。その隣にちょこんと腰掛けているのは、華奢な体つきで、腰まで届く長い髪を蓄えた、十代中頃と思しき少女だが、その手足には鋭いつめが生え、頭には三角の耳が突き出ている。獣人である。観客席のベンチに行儀よく座ってはいるが、時折、隣の男の手元にある手帳の中身を、興味深げに覗き込んでいる。そして、書かれた文章の二つの箇所を指差しながら耳打ちする。
「ラルス、こことここのスペルが間違っています」
ラルスと呼ばれた中年男性はうるさそうに顔をしかめて言い返した。
「報告書に書くとき清書するからいいんだ。ちょっと黙ってろ」
そしてペンをしまうと、たった今書いたばかりの内容にざっと目を通す。
『某日、オルテュギア・ヒゲスクールにて、野球の試合が催される。エーデルクーニッツ対ダンデライオン。前者は生徒会役員中心のチームで、リーダーはクーニッツ民主党総菜の三男、ジークムント。後者は不良グループで、リーダーは調査対象のレオンハルト。結果は調査対象の放ったサヨナラホームランでダンデライオンの勝利。敵ピッチャーの使用した光術絡みの魔球に対し、闇術で対抗。両者ともに野球の才能あり』
今年に入って急に進行した老眼のせいか、腕を伸ばして書面を顔から離しつつ、目を細めて確認する。そうして最後まで読み終わって、手帳を閉じ、ベンチから立ち上がる。
「ようし。今日の調査は終わりだ。事務所帰るぞ、クルックス」
クルックスと呼ばれた少女は、獣人族特有の琥珀色の目をくりくりさせ、ラルスの顔を見上げながら言った。
「ラルス、あなたの文章は、まるで小学生の書く日記のようです」
「言葉なんてものはな、伝わればいいんだよ、伝われば」
「しかし、総裁と総菜とでは、ずいぶん意味が違いますよ」
「あまり細かいことを抜かすと、メシ抜くぞ」
「それは労働基準法ならびに人権擁護法案に反します。場合によっては裁判所に法的措置を申し立てなければなりません。困るのはあなたです。ラルス」
まともに言い合いをしても勝てないと覚ったのか、ラルスはやれやれといった風に首を振りながらグラウンドに背を向けた。その姿を目で追いつつ、クルックスもぴょこんとベンチから立ち上がり、後に続いた。
風光明媚な学園都市の町並みを抜け、比較的地価が安く、労働者階級が多く暮らすリビュア地区方面へ足を向ける二人。その途中、ラルスが街頭の売店で新聞を数紙と、ホットドッグを二つ買い求める。ロストテクノロジーが急速に解明されて以来、食べ物も変わった。出来立てで湯気を立てているそれを差し出しながら、
「ほら、共食いだぞ」
と品の無いジョークを言うラルスだったが、クルックスは黙ってそれを受け取ると、醒めた顔つきをして口にほおばるだけだった。
考古学者時代から長年助手を勤めさせているが、この獣人族の少女は、つくづく食えない性格をしていた。暇があれば本ばかり読んでいるが、そうして溜め込んだ知識を、状況に応じて嫌味なほど使い分けるから、大雑把な性格のラルスからすれば、時に付き合いにくく感じる。有能ではある。勉強好きが高じて、いまでは行政書士や税理士、秘書、その他もろもろの資格を持つインテリだ。しかし頭がいいだけでなく、もう少しユーモアがあっても罰は当たらない。ジョークを無視されるのは、中年の男にはつらいのである。そのくせ、真逆の性格の自分から決して離れようとしないのだから、不思議なやつだ、とラルスは常々思っていた。元来野性的な種族である獣人でありながら、知性を漂わせるクルックスの佇まいには、その場にいながらにして、まるで別次元に存在しているかのような、絶妙なアンバランスさがあった。第一、エルフでも無いのに歳をとらない。コンビを組んで十年目にして、ラルスはようやくその理由を尋ねたが、当の本人にもわからないらしかった。今もそれとなく原因を調べている素振りがあるが、どうやら解明にはいたっていないようだ。まあ、若いに越したことは無い、と、戦時と比べてたるみきった自分の肉体を省みながら、ラルスは思う。
戦乱終結から二十五年、スキアパレリが統一国家となってから、表向きには平和な生活が保障され、生活も利便化したが、そんな急激な時代の流れに対応できず、取り残されていくものも数多くいた。自分もその一人だと、ラルスは痛感していた。かつては世界を飛び回り、独自に遺跡やロストテクノロジーの探索に明け暮れていたが、FSRが国費を投入して発掘調査隊を結成してからは、すっかりお株を奪われて、考古学者という肩書きも名前だけのものになってしまった。国のバックアップを受けた優秀な学者たちが、新たなロストテクノロジーを発見し、学会に発表するたびに、ラルスの胸には悔しさと無力感とが去来した。そして、いつしか探検家としての情熱を失い、今ではしがない私立探偵に身をやつしてしまった。警察の捜査の下請けや、社会の裏情報の収集とタレこみ、一般市民の身辺から企業や法人、あるいは犯罪組織の実情調査まで、違法行為すれすれの仕事をしながらどうにか糊口をしのいでいる。
考古学者の肩書きを返上した時点で、一度クルックスには暇を出しているのだが、
「探偵という仕事に助手は必要ないのですか」
と問われて、
「いや、依頼によっては一人での調査に限界があることもあるだろうが」
と答えると、
「それなら私は変わりなくあなたの助手です。ラルス」
と言って、彼女は結局、新しく設立した探偵事務所に居座ってしまったのだった。さっきは労働基準法だ何だと口にはしたが、助手としての給料を満足に払えてすらいないのが現実である。そんな環境で仕事をさせられて喜びもしないが、いやな顔もしない。クルックスほどの能力があれば、もっと良い職を望むこともできるだろうに。甲斐性なしのラルスの助手に収まり続けるというのは、もはや物好き以外に当てはまる言葉が無い。
クルックスはすでにホットドッグを食べ終わり、指先についたケチャップをぺろぺろとなめていた。ラルスもまた、遅ればせにホットドッグにかぶりつきながら、新聞の紙面に目を落とす。一面のトップを飾る見出しはこうだ。アウソニア森林地帯で、またしてもテロ行為。FSRの土地開発隊が襲撃され、十人近い死者が出ている。新聞の見解では自然保護団体ワイルドレイジの犯行と断定しているが、その残酷な手口から開発隊員たちがショックを受けてしまい、詳しい証言をとるのが難しい状況らしい。救援要請を受けて公安部隊が駆けつけたころには、逃げ遅れた被害者は全身の皮をはがれ、その血まみれの死体は、森林の入り口付近に立つ木に、これ見よがしに吊るされていたのだという。
ワイルドレイジというのは自然保護団体を名乗りながらも、武力行使を辞さない過激派である。少数のリザードマンとエルフ、そして一人のドワーフからなる小さな組織だが、特A級の危険分子に指定され、国家が総力を挙げて鎮圧に当たっている。その中心人物にラルスは覚えがある。
まずリーダーのヒッサーだが、かつての戦乱では勇猛なるリザードマンの指導者として、同族のみで構成されるマカンという一大勢力を率いていた。致死性の毒を含む牙に、恐るべき戦闘技術と身体能力を兼ね備えた、生得の戦士である彼らを前にして、あらゆる種族が恐れをなし、交戦を避けたものである。実はラルス自身も、同じ時期にノアキスという北の土地で傭兵中心の勢力を立ち上げ、当時最先端の武器であったマスケット銃を駆使して各国と争ったが、内心ではリザードマンとだけは戦いたくないと思っていた。幸か不幸か、隣接していたクーニッツ騎士団に領土を侵略されて敗北し、表立ってマカンと争うことはついぞ無かったが、その脅威は、とめどなく大陸全土に響き渡っていた。
最終的にはスキアパレリ全土を平定に導いたクーニッツ騎士団も、強靭なリザードマンたちを相手に、さすがに打つ手にあぐねたようだ。しかし、領土拡大も中盤に差し掛かったある時期、戦乱のさなか滅亡したライナルト帝国から、元帝国近衛騎士団長の男がクーニッツ領の首都ケクロピアへと渡り、敗走時に保護していた元皇帝の少女アグネスとともに、亡命を願い出るという事件が起こった。そしてジギスヴァルトによって将校に召し上げられた彼が戦線に加わったことにより、状況は一変した。新たにクーニッツ騎士団に仕えた中原最強の騎士は、前線に立って獅子のごとく奮戦し、ついにリザードマンをも駆逐したのである。残念ながら、リーダーのヒッサーを討ち取るには至らなかったが、それでも兵の大半を失ったマカンは無力化され、彼はスキアパレリの国家統一に多大なる貢献をしたのだった。そのニュースを耳にしたとき、敗軍の将として不本意ながらクーニッツ騎士団に降っていたラルスでさえ、驚愕を禁じえなかった。あのヒッサーに勝てるやつがいるなんて、人間族もそうそう捨てたもんじゃないと、子供のように興奮したものである。しかし、そんな乱世の英雄も、戦争が終わって世界が平和になれば消息不明となり、いまや名前さえ忘れ去られている。時の流れは無情なものである。
ワイルドレイジは、生き残ったヒッサーを筆頭としたマカンの残党を中心に、アウソニアのエルフの戦士たちを加えた、いわば反社会的武力集団だった。エルフ族のメンバーをまとめているのは、これもかつての戦乱で一大勢力として名を成したアルフヘイムの女性リーダー、エフェメラルである。彼女はクーニッツ騎士団に敗戦して、一度は傘下に降ったものの、FSR成立後に施行された大規模な土地開発計画に反発し、一部の共鳴者を率いてしばらく行方をくらましていた。そしてひそかにリザードマンの生き残りと共同戦線を組み、大陸各地で破壊工作を行うテロリストとして、再び姿を現したのである。肉体の強靭さこそ他の種族に一歩譲るが、強大な魔力と卓越したゲリラ戦術を併せ持つエルフもまた、国家の敵となれば充分に危険な存在であった。
最後に、組織に唯一参加しているドワーフ族の男についてだが、その動機は他のメンバーとはいささか趣を異にしている。ロストテクノロジーの解明によって剣や斧などの伝統的な冷兵器が廃れていくことが我慢ならず、反文明を表明しながら、思想的に比較的近いと思われるワイルドレイジとの共闘を選んだという話だ。彼の名はクロム。かつてドワーフ勢力アポイタカラを率いて戦乱の世に打って出、大陸最強の戦士の一人として名を連ねた、生粋の武闘派である。彼は他の同胞にも立ち上がることを呼びかけたが、近代化に順応した多くのドワーフたちは、その技術力を糧に、銃工、宝石商、工芸家、家具職人、建築家としてすでに市民権を獲得しており、長きに渡る戦争に倦んでいたうえ、もともとクロムの人望が薄かったことも相まって、追従するものは一人もいなかったらしい。かつてのリーダーが、なんとも惨めな落ちぶれようである。もちろん、それはラルスにもいえることだが、要するに、ワイルドレイジのテロ活動も、大局的に眺めれば、時代から取り残された者たちによる、然るべき反応のひとつにすぎなかった。
それにしても、戦時には英雄ともてはやされた者たちの、この没落ぶりはどうだ。成功しているのは、せいぜい元クーニッツ騎士団長のジギスヴァルトと、元ライナルト帝国皇帝にして現FSR大統領のアグネスぐらいのものだ。そう思えば、自分の惨めな現状も、少しは気楽に構えることができる。こうした世相は、戦争が終わって用済みになった人間が、数多く存在するという事実の表れなのだ。平和な世の中も良しわるしだ。深く考えなければ、命が危険にさらされることもなく、安穏な生活を享受していれば良い。ただ、それだけでは物足りないから、あえて探偵というやくざな商売をしているのかもしれない。これも時代に対するささやかな反抗か……。ラルスは自嘲気味に鼻で笑ってから、読みかけの新聞をたたんだ。そんな彼の様子を不思議そうに眺めるクルックスの頭をぽんぽんと軽くたたき、再び根城であるラルス探偵事務所を目指して歩き始める。
薄汚れた雑居ビルの二階にある事務所のドアの前に立って、ラルスは異変を感じた。出かけるときにかけたはずの鍵が、開けられている。どうやら不法侵入らしいが、誰がやったかは大体予想がつく。一応用心のために、脇に収めた拳銃のグリップを握りながら、ラルスはドアノブに手をかける。扉が内向きに開き、散らかったオフィスの光景が目の前に広がる。部屋の真ん中に設置した来客用のソファに、ふんぞり返って座っている女性の姿があった。細身ではあるものの、タンクトップから覗く腕はしなやかな筋肉に包まれ、並の男なら一発でノックアウトできそうな迫力がある。プロポーションも顔立ちも健康的に整っており、一見して受ける印象は美しいが、はっきりとした年齢がわからない。見ようによっては歳をとっているようにも見えるし、逆に若くも見える。ラルスは銃から手を離し、ため息をつきながら、その女性に対して言い放った。
「幼馴染の住処をピッキングするなんて、趣味が悪いぜ。マルグリット」
マルグリットと呼ばれた女性は、チューインガムをくちゃくちゃとかみながら、
「趣味が悪いのはあんたの帽子。いつ客が来るかわかんないんだから、もうちょっと小奇麗にしときなさいよ」
と応酬した。
「これは変装だ」
苦し紛れにラルスが言うと、マルグリットは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「その割には、銃が丸見えじゃないの。詰めが甘いのは相変わらずね」
若作りのメスゴリラが、とラルスは腹の中で思い、軽く舌打ちした。口に出せばタンクトップから伸びるたくましい腕からパンチが飛び、意識を失うことになる。孤児院時代からの幼馴染だが、昔から口げんかでも、腕っ節でも、この女に勝てたことが無い。
「こんにちは、マルグリット」
ラルスの背後から顔をのぞかせたクルックスが挨拶し、マルグリットが片手を挙げてそれに応える。
「こんにちは、クルックス。相変わらず若々しくて、憎たらしいわね」
「はあ。好きで若いわけじゃないんですが」
「冗談よ。でも謎だわ」
「私もそう思います」
「あーあ、なんで年なんか取るのかしら」
机の上に足を投げ出しながら、マルグリットが嘆息する。しかし、言うほど見た目は若いころと変わっていない。せいぜい口元にほうれい線が目立つようになった程度だ。女性としてはそれこそが大問題なのかもしれないが。
マルグリットは元傭兵で、戦乱時にはラルスの立ち上げたマスケットという勢力で副官を務めていた。クーニッツ騎士団に負けはしたものの、戦場では剣、弓、火薬、時には銃まで、あらゆる武器を使いこなし、奇抜な作戦で敵兵を翻弄する万能戦士として恐れられた。戦争終結後もその気質が抜けなかったのか、現在は警察と協力して犯罪者を捕縛するバウンティハンターに身を転じ、傭兵時代のノウハウを生かして荒稼ぎしている。
「で、凄腕ハンターのマルグリットさんが、今日はなんのご用件で」
馬鹿にされたばかりのチューリップハットを脱いで帽子掛けに放り投げ、デスクに腰掛けながらラルスが言う。探偵とバウンティハンターの仕事には親和性がある。探偵が収集している犯罪に関する情報を提供することで、バウンティハンターは警察が動く前に賞金首を追い詰めることができる。こうしてマルグリットがラルス探偵事務所を訪ねるのは、今日に始まった話ではなかった。いわばお得意の客である。ただし、情報料をまけさせられることを除けば、の話だ。
「メグナードから聞いたんだけど、最近、売人たちの動きがずいぶん目立ってきているみたいね」
「そのようだな」
マルグリットの言葉に、ラルスは短く返事をする。街で情報収集していれば、いやでも耳に入ってくる話題だ。わざわざ浮浪者のような格好をしているわけは、金が無さそうな風体をしていれば、それに目をつけた犯罪組織の下っ端の構成員が、儲け話と称して、違法物品の売人のアルバイトを持ちかけてくるからだ。取り扱うのはたいてい麻薬である。効き目の軽いものなら、学生の間にも浸透しているというから、実に嘆かわしい。ラルスはアルバイトに興味があるふりをして、チンピラから連絡先を聞き出し、それを警察かハンターに垂れ込んで、情報料や賞金の一部を謝礼としていただくというわけだ。先だってラルスが口にした変装というフレーズも、あながち的外れではないのである。小悪党をターゲットにしても小遣い稼ぎにしかならないが、やらないよりはましだった。それはそれとしても、このところ勧誘される回数も増えたし、薬の質も上がってきているようだ。犯罪組織が活発化している証拠である。
「メグナードのやつ、また何かやばいものでもつかまされたのか」
「さあね。だとしても、いつものことよ」
肩をすくめるマルグリット。いま話題に上っているメグナードという名の男は、正規ルートから闇ルートまで、あらゆるネットワークから商品を仕入れるメグナード商店の店主で、二人の幼馴染でもあった。ラルスやマルグリットと同じく元傭兵で、剣を使うかと思えば、あらゆる属性の魔法を駆使して敵を煙に巻く、器用な男だった。だからというわけではないのだが、実は商才もあったらしく、戦後は傭兵として稼いだ金を元手に店を持ち、それなりに成功して羽振り良く暮らしている。戦いから遠ざかってこそいるが、犯罪すれすれの仕事をしているのはいずこも同じで、昔のよしみで、怪しい仕入先から流れてくる怪しげな情報を売りに、ラルスの元へ良く訪れる。といっても、三回に一回は、小売店では手に負えないブツをつかまされて、泣きついてくるケースなのだが。
ラルスには、マルグリットの思惑が予想できていた。おそらく協力して売人の流通経路を洗い出し、その根っこにあるでかいヤマを当てようという腹だろう。
「悪いが、ほかにも進行中の仕事があるから、充分に協力はできないぜ」
「知ってるわ。ハイスクールの生徒の尻を、熱心に追っかけまわしてるらしいじゃないの」
まったく誰がそんなことを。ラルスは苦りきって額に手を当てた。マルグリットが口を尖らせて、さらに追及する。
「独り身でさびしいのはわかるけど、年を考えなさいよ、年を」
独身なのはお前も同じだろうが、とラルスは腹の中で毒づく。オルテュギア・ハイスクール近辺をかぎまわっているのを、誰か知り合いに見られたのだろう。自分の存在を調査対象に知れるとまずい。次の捜査からはもっと念入りに変装する必要がある、とラルスは思った。
「守秘義務があるから詳しいことはいえないが、正式な依頼なんだよ。報酬もいい」
「若い子たちを眺めるだけの簡単なお仕事なんて、まったくいいご身分だこと」
「なんとでも言え。金のためなら少々不本意な仕事だってする」
「まあ、その点は同意せざるを得ないけどね」
諦念を含んだ声音で言いながら、マルグリットはソファに深く身をうずめる。己自身の賞金稼ぎとしてのさがを省みれば、それ以上否定的なことは言えない、といった風だ。そういう面では、同じ傭兵仲間であっただけに、すんなり話の通じるところがある。
正直なところ、ラルス自身にも、今回の仕事には釈然としないものを感じているのだった。依頼人が事務所に訪れたのは二週間前。マスクとサングラスと帽子とで念入りに正体を隠し、名前は明かせないなどという。強い意志を感じさせる声のトーンや、優雅な身のこなし、洗練された言葉遣い、控えめな身長や華奢な体格などの特徴から、かなりの社会的地位にある女性だということはわかった。年齢は三十代から四十代。美しく豊かな金髪が、隠し切れずに帽子の中から覗いていた。依頼内容は、オルテュギア・ハイスクールに通う、ある男子生徒の身辺調査。今日、野球の試合をしていた不良グループのリーダーで、レオンハルトという名の少年が、その対象だった。
通常ならば、探偵の側から調査経費や報酬などの諸費用を適切に計算して、依頼人に提示するのだが、それを口にするより先に、女性がバッグから小切手を差し出した。いぶかしげにそれを手に取り、金額に目を落として、驚きのあまりラルスは椅子から転げ落ちそうになった。新式のオートモービルが二、三台買えるほどの値段である。ゼロの数を何回も数えなおしたが間違いない。しかも、調査終了時には同じ額の報酬を後払いしてくれるという、うそのような話。日ごろから仕事にあぶれがちで、しばしば家賃も滞納するほど素寒貧の生活を強いられているラルスが、これに飛びつかないわけがなかった。依頼内容と報酬の額があまりにもかけ離れているので、胡散臭さは禁じえないが、もしやばい仕事だとわかったら、その時点で切り上げてとんずらすればいい。前払い金だけでも元を取って、充分おつりがくるほどである。ラルスは二つ返事で依頼を受けた。依頼人は言葉少なに、よろしく頼む、とだけ言うと、そそくさと帰っていってしまった。
今日までの調査で、レオンハルトが父子家庭に育ったということが判明したので、おおかた依頼人は別れた母親か何かで、親権をめぐって裁判でも起こすつもりなのだろうと、ラルスは高をくくっていた。探偵の調査報告書は、法律を遵守して書かれるものだから、裁判では有効な証拠物件となりうる。実際には、捜査中に法に抵触することもちらほら行うわけだが、そこは行政書士の資格を持つ有能なる助手クルックスが、うまくつじつまを合わせてくれるのだった。ラルスは、暇を出したときにクルックスがそれを真に受けて、去ってゆかなくて良かったと、心底思っていた。もし彼ひとりで回していたといたら、この探偵事務所は、とっくの昔につぶれていたに違いない。
とにかく、レオンハルトの身辺をかぎまわっても、得られる情報は些細なことばかり。不良行為などは所詮は子供の遊びに過ぎないし、ラルスの見る限り、他の生徒が抱いている印象ほど、たちが悪い少年でもなさそうだ。父親はただの飲んだくれで、家庭内暴力などは無いが、養育義務を充分に果たしているとは言いがたく、裁判になれば、おそらく母親側が有利にことを運ぶだろう。そのためのラルス探偵事務所である。元は歴戦の傭兵で、過去には凶悪犯罪の捜査を請け負ったこともあるラルスからすれば、あまりに簡単すぎる仕事だった。そして法外な額の報酬。どう考えてもつりあわない。それに、あの依頼人、どこかで見覚えがあるような気がしてならなかった。思い出そうとするのだが、うまく記憶とつながらず、一抹のもどかしさを拭い去れないまま、日々調査にあたっている。
「ラルス。もしよろしければ、私がマルグリットの手伝いをしましょうか」
給湯室でアイスティーを入れていたクルックスが、マルグリットの元にカップを運びながら言う。
「あら、うれしい。クルックスは頭もいいし、どこかのヘボ探偵より、よっぽど役に立つかもね。……お茶の淹れ方も上手」
受け取ったばかりのアイスティーを、涼しげに口に運ぶマルグリット。親しき仲にも礼儀ありという言葉があるが、この女にそんなことわざは通用しない。ラルスはマルグリットの嫌味を黙殺しながら、クルックスに向かって問うた。
「クルックス、お前は俺の助手だろう」
「そうですが、最近の調査状況を鑑みる限り、私が同行する必要も無いかと」
「当然よ。どうせ女性徒の太もも眺めて鼻の下伸ばしてるだけなんだから」
ここまできて、さすがのラルスも一言返さないではいられなかった。
「マルグリット。ちょっと黙れ」
しかし、効き目は無いどころか、かえって逆効果だった。俄然マルグリットは眉間にしわを寄せて、威圧的な口調になった。
「黙れってのは何よ。あたしがせっかく一緒に仕事しようって持ちかけてんのに、それを蹴るのはあんたでしょう。偉くなったもんよねえ、ラルスさん」
こうなっては口答えしても無駄である。ラルスは蚊の鳴くような声で小さく謝罪した。
「……はい、すいません」
「え? 聞こえないんだけど」
「悪かったよ!」
「結構。忙しいのはわかったから、お言葉に甘えてクルックスを連れて行くわね」
「……クルックス、本当にいいのか」
気遣わしげなラルスの言葉を受けて、クルックスが返事をする。
「ええ。今日のように野球の試合を見て終わるだけなら、私の出番はありませんから」
並外れた知識があるだけで、それ以外は素朴な性格のクルックスのことだから他意はないと思われるが、ラルスにとっては痛烈な皮肉でしかなかった。マルグリットがソファから身を起こして伸びをうった。
「そうと決まれば善は急げよ。早速打ち合わせしましょう。クルックス、これからあたしの事務所まで来てくれる?」
「かまいません。本日の業務は終了しています」
クルックスはラルスのデスクにアイスティーのカップを置くと、身支度を整えるために、事務所の奥のロッカールームに入っていった。ラルスは椅子から身を乗り出しつつ、小声でマルグリットに言った。
「あんまり危険なことはやらすなよ」
それを聞いてマルグリットはかすかに微笑む。
「わかってるわよ。あの子はあんたの娘みたいなもんだからね。大丈夫。あたしがしっかり守るから安心しなさい」
娘みたいなもの、という言葉をラルスはあえて否定もせず、背もたれに寄りかかって息をついた。どうも歳をとると心配性になっていけない。もし何かの弾みでクルックスが自分の元からいなくなるなどと考えるだけで、冷や汗が出そうだった。彼女の姿を見ていると、頼りない父親のために、歳をとるのをためらっている少女を髣髴とさせる。
「なんであいつは歳をとらないんだろう」
何気なくつぶやくラルスの声に、マルグリットが答える。
「そうね。うらやましいけど、ちょっとかわいそう」
神妙な顔つきになってラルスがマルグリットに問うた。
「マルグリット。お前が動くからには、少しは実態がつかめているんだろう?」
「ええ、なんとなくだけどね」
自然とマルグリットの面差しにも真剣さが宿る。
「……やつらか」
「たぶんそう。ここ最近の急激な麻薬の流通には、ネオ・アルカトラズが関係してる」
「やばくなったらすぐに引き返すんだぞ」
「あたしだってまだ死にたくないわよ。手に余るヤマからは、速やかに撤退するわ」
そこまで会話したところで、ロッカールームから、バッグを担いだクルックスが顔を出した。マルグリットがにっこり笑って、彼女に向かって手を振る。
「それでは行ってまいります。ラルス」
生真面目な口調で言って、クルックスがぺこりと頭を下げる。
「ああ、気をつけてな」
ラルスはぎこちなく微笑んで、部屋から去ってゆく二人の姿を見送った。扉の閉まる音を聞き届けてから、ラルスはクルックスの淹れたアイスティーのカップを手に取った。琥珀色の水の表面から、ほのかに茶葉の香りが立ち上る。ラルスはそれを一口含んでから、ぼそりとつぶやいた。
「娘ねえ……」
そして立ち上がって、窓の外に目を向けた。先ほど事務所から出て行ったばかりのマルグリットとクルックスが、ちょうど肩を並べて通りを歩いてゆくのが見えた。ラルスはその背中を眺めながら、不意にうれしいような、さびしいような、えもいわれぬ複雑な感情を胸に抱いた。