The Royal Bastard~LostTechnology the after   作:アツ氏

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6.メグナード商店の日常

 朝の開店作業を終えたメグナード商店には、早くも二人の客の姿があった。

 一人はつば広帽子をかぶった少女。華奢な骨格にとがった耳、白くきめこまやかな肌などの特徴から、エルフ族であることが推察できる。横柄な態度でカウンターのうえに腰掛け、店主のメグナードに何事かしきりに詰め寄っている。

「だから、あなたにとっても大きなビジネスチャンスなのよ。まだ他に誰も発見してない新機軸の方法なの。絶対に儲かるわ。あたしを信用なさい」

 店主のメグナードは耳を傾けながらも、話半分といった風に適当に聞き流している。表面的には愛想よく振舞っているが、興がのっていないのは明らかだった。長年の商人としての経験から、彼はこうした飛び込み営業に対しては、懐疑的とはいわないまでも、慎重であった。とりわけ新機軸とか、耳慣れない方式を訴えてくるもの、その大半は詐欺だと判断していい、とメグナードは常々言っていたものだ。

 店員のクレアは、店主の隣に並んで腰掛けながら、引きつった笑みを浮かべていた。内心でメグナードに対してすまなく思っていた。眉唾物の商談を熱心に展開するこのエルフ族の少女は、スカンディアに暮らす両親の友人で、他でもない、戦時に獣人部族リオンに協力してパンカイア強襲作戦を案出した、あのミーサだった。

 魔術師であると同時に行商人でもある彼女は、戦後は世界各国を旅しながら、幾たびも事業を興しては失敗し、いまや膨大な借金を抱えていたので、スカンディア市民のあいだでは有名な鼻つまみ者だった。それが昨日ひょっこりとノイエンライナルト州に現れ、クレアの元を訪ねてきた。顔を合わせるなりミーサは、無意味なまでに高飛車な微笑をたたえつつ言った。

「ふふん。シェイズとレインディアから、上京した娘の様子を見てきて欲しいって、言いつかったの。見たところ元気そうね。何よりだわ」

 もちろん、目的がそれだけではなかったことは、今朝の商談風景を一見して明らかである。ミーサが損得勘定抜きで動くような人物でないことは、百も承知だった。

 三十年来近い両親の友人といえど、エルフ族である。容姿だけを見るなら、クレアより四つも五つも年下に見えるミーサに年長者のような態度を取られると、年端も行かぬ少女が懸命に背伸びしているように見えて滑稽である。身長にしても、体つきにしても、まだ手足は伸びきらず、未熟そのもの。瞳の輝きの豊かさも、好奇心を絵に描いたように常に潤い、長命の種族らしい渇いた老成とは無縁であった。それゆえか、少々わがままな態度を取られても、ミーサだから仕方ない、とついつい許さずにいられない愛らしさがある。良しわるしはさておいても、得な性分である。どこへ行ってもトラブルメーカーで、人品の評判は悪いが、クレアはこのエルフの少女を憎めずにいた。何十年、何百年経とうと、きっとミーサはミーサなのだろう、そう思わされるほどの傍若無人さが、かえって好ましいのである。

 それでも、戦時のころよりは少しは大人らしくなったと、付き添いのヨクトはそっとクレアに耳打ちした。ミーサの行くところには必ず付き従う、悪魔族の少年。色白で線が細くひ弱そうだが、すらりと均整の取れた体躯。ショートボブに切りそろえた艶やかな金髪から、山羊のごとき無骨な角が伸び、柔和な相貌の中に、かすかな禍々しさが漂う。彼は戦後二十五年経ったいまもなおミーサの忠実な僕であり、主人の身の回りの世話すべてを担っていた。世の中が平和になってからは、悪魔の角が人目に付いて恐れられぬよう、普段は大きめのキャスケットを被って隠しているが、それがかえって下町の少年らしい、いとけない雰囲気を醸し出している。

 召使であると同時に、わがままに過ぎるミーサの歯止め役でもあり、しばしば八つ当たりの対象にもなるが、そんな関係も長くに及んだせいか、ヨクトの態度にはどことなく達観したところがある。今も、商談を成立させようと熱弁をふるうミーサを、苦笑を浮かべつつ、傍から穏やかに見守っている。

「文明が急激に進んだせいで、社会も工業化が進んでいるでしょう。見たところ、このリビュアにも工場労働者が多いみたいね。毎日毎日、一生懸命額に汗して働いて、まったく尊敬に値するわ」

 心にもないことを、とクレアとヨクトは顔を見合わせた。行商人のミーサは、いつでも根無し草の旅暮らしである。ひとところに腰をすえて働く気など毛頭ない者が、言えるようなせりふではない。もちろん、立場の異なるものに共感を示してみせるのは、営業トークのテクニックのひとつに過ぎない。メグナードもそれが分かっているのか、頷きながらも目つきは醒めたままである。

 ミーサはさらに続けて言い立てた。

「働き者のかいた汗を、存分に吸った衣服を洗うのは主婦の務め。でもね、工場で働いていると、どんなに洗っても落ちない汚れも出てくるはず。大事に着ているつもりでも、シミだらけになっていくシャツは、やがては見苦しいからって捨てるしかなくなる。汚れさえなければ、もっと着られるのに……そんな風に思いながら、愛着のあるシャツをゴミ箱に投げ込むのは、忍びないわ」

「まあ、そうだな」

 メグナードは気のない調子で相槌を打った。ヨクトはごく小さな声で、

「ミーサの汚れ物の洗濯をするのは僕だけどね」

 とつぶやいたが、ミーサは気がつかなかったようである。彼女は肩から提げたショルダーバッグの中から、一本の小瓶を取り出し、カウンターに置いた。メグナードとクレアの視線が、その中に澱んだ無色の液体に注がれる。ミーサは二人の見物する様子をためつすがめつしてから、得意げに言い放った。

「でも、そんな悩みもこれ一本で解決。ミーサ特製衣類用洗剤を使えば、今まであきらめるしかなかったしつこい汚れも、たちどころに落とすことが出来るわ。これこそが、あたしの売り込みたい新機軸、主婦の生活を変える次世代のクリーニングよ」

 メグナードはカウンター上の小瓶を手に取り、もてあそびながら言った。

「能書きはいいからさ。どれくらい汚れが落ちるのか、効果のほどを見せてくれよ。そうでないと、なんとも言えないし」

 未来のクライアント候補の言葉を受けて、ミーサは鷹揚にうなずいた。

「もっともだわ。じゃあヨクト、あなたのシャツを脱ぎなさい」

「え、やだよ」

 ヨクトは突然水を向けられて驚きつつも、かぶりを振った。

「ここまでの旅の汚れが、さぞ染み付いてるでしょ。実演にはちょうどいいわ。いいから脱ぎなさい」

「そんなこと言ったって、昨日の晩に洗濯したばかりだから、汚れなんてほとんどないよ。ミーサの、その一週間着けっぱなしのケープで試せばいいだろ」

「あんた、あたしが汚いって言うつもり?」

「言葉のあやだよ」

「ああ、もう! 何でもいいから出しなさいよ。汚れ物! あんたあたしの下僕でしょう!」

「そんな無茶な……」

 ミーサとヨクトの二人が押し問答していると、ドアベルが鳴った。その場にいた全員が、一様に店の入り口に目を向ける。現れたのはよれよれのワイシャツを身に着けた、中年男性である。メグナードがその人物に向かって、気安げに声を掛ける。

「よお、ラルス」

 ラルスと呼ばれた中年男性が、片手を挙げて応じる。

「おう、メグナード。なんだ、取り込み中か」

「いや、なに、ちょっとした商談だよ。急いでなきゃ商品でも見て待っててくれ。たぶん、すぐ終わるから」

 すぐ終わる、というメグナードの言葉にむっとした表情を見せると、ミーサはラルスを指差して言った。

「ちょうどいいわ。おっさん。その薄汚いシャツを脱いでこっちによこしなさい。見たところ、ろくに洗濯もしてなさそうね」

 人のことをおっさんというが、おそらくミーサのほうが百年以上年上だろう、とクレアは思った。相手によっては中傷とも受け取られかねない無遠慮な言い草だったが、ラルスは腹を立てた様子もなく、漫然と返答する。

「ん、ああ。欲しけりゃくれてやるよ。服を新調しに来たところだから」

「結構よ。その代わり、見違えるほどきれいにして返してあげる。さあ、脱ぎなさい」

「ミーサ、初対面の人に、あんまり脱げ脱げ言わないで……」

 ヨクトが少しおろおろした様子で、ミーサの袖を引っ張った。メグナードは白けた表情でラルスに向かって言う。

「この人たちのために、文字通り一肌脱いでやってくれ、ラルス。そのほうが手っ取り早いし」

「ああ、いいぜ。なんだかよく分からんが、こんなきたねえシャツが役に立つならな」

 言いながらラルスは特にためらいもせず、シャツのボタンをはずし、あっという間に袖から腕を抜いてしまった。クレアが少し気恥ずかしげに目をそらす。現役の傭兵時代ほどではないとはいえ、鋼のように鍛え上げられた胸板と腹筋とが露になった。だらしない生活をしているように見せかけても、探偵の仕事は体が資本である。日々のトレーニングは欠かさなかった。ラルスは丸めたシャツを無造作にメグナードに向かって放る。それを受け取りながら、メグナードが、

「新品のシャツはショーウィンドー側の商品棚の奥だからな」

 と言うと、ラルスは短く唸るような声で返事をし、店の奥へと消えていった。

「さてと、お手並み拝見といこうか」

 薄汚れたシャツをカウンターの上に広げながら、メグナードが好奇の色を交えた口調で言った。クレアも興味深げに、身を乗り出す。ほのかにすえた汗のにおいが漂う。生きた人間が今の今まで身に着けていただけあって、袖口や首周りの部分が、黒々と汚れていた。こうした人の肉体から分泌される皮脂や、工場作業などで染み付いた油は、水で洗っても落ちにくい。もしこれを綺麗にできるというなら、確かに画期的だといえた。

 ミーサはメグナードの手元から小瓶をひったくり返すと、そのふたを開けた。とたんにつんとした刺激臭が鼻を突いた。メグナードが顔の前を手のひらで仰ぎながら、眉をひそめる。

「おい、大丈夫だろうな。ひどい臭いだぞ」

「いいから黙って見てなさいよ。仰天するわよ」

 小瓶の中身を、ラルスのシャツの最も汚れた部分に垂らしながら、ミーサが鋭く言った。布地に満遍なく液体がしみたのを確認すると、ミーサは横を向いてヨクトに命じた。

「いつもやってるように、洗うのよ」

「はいはい……」

 ヨクトは腕まくりしてシャツをつかむと、汚れのついた部分をこすり合わせ始めた。だらしない主人の世話を何十年もこなしてきているだけに、見惚れるような手際のよさである。二十回程度、その動作をくり返しただろうか。ヨクトが再びシャツを広げると、見事に汚れが浮き出し、下の白い布地が顔を覗かせている。気持ち半分ぐらいは詐欺だと決め込んでいたメグナードとクレアは、それを見て小さく感嘆の声をあげた。ミーサは満足げに鼻を鳴らして言った。

「どう? ちょっとこすっただけだけど、驚きの洗浄効果でしょ。現在、特許申請中で、審査が通れば、この洗剤はあたしだけが独占販売できるってわけ。絶対に通るに決まってるけど」

「……ほんとうは、まだ申請してないんだ」

 作業から開放されたヨクトが、クレアにひそかに耳打ちした。大方そんなことだろう、とクレアは思った。特許申請には少なからぬ費用がかかるが、計画性のないミーサにそれだけの持ち合わせがあるとは到底思えない。先に相手を丸め込んで商談をまとめ、資金を得てから動くという詐欺すれすれのやり口である。

 戦時の話になるが、ミーサはかつてチョコレートというお菓子の製法を古文書から学び、商売に応用したことがある。用意周到に、太古には男女が愛を誓うためにチョコレートを贈る風習があった、などと流言までして、それを売り出したのである。ミーサの流したうわさは瞬く間に大陸全土へ広まり、民衆はこぞってチョコレートを手に入れようとした。実際、アイデアは悪くなかったのである。ただ惜しむらくは『愛を誓う日』という風習が広く認知されるとともに、チョコレートの製法がパティシエたちに看破されてしまったことで、ミーサの独占市場という夢は、はかなく露と消えたのだった。

 で、あるからして、FSR成立後に定められた特許という制度は、ミーサにとっては過去の教訓も踏まえて、是が非でも獲得せねばならないものであったろう。とはいえ、まだ手につけてすらいないものを、あたかも確実に手に入るかのように言うのは、少々モラルに反するのではないか。しかし、クレアは黙っていた。メグナードは優しい男だが間抜けではないし、もし商談がまとまったとしても、ヨクトがうまく辻褄を合わせるだろう、と思ったからだった。ミーサがこれほど自由に、身勝手に、思いつきで行動できるのは、ヨクトが陰で必死に尻拭いをしているからである。でなければ、今日までに何人からも信用を失ったあげく、寝る間もなく借金取りに追い回されるか、詐欺罪で逮捕されていたに違いない。

「大変ですね、ヨクトさん」

 クレアがしみじみと声を掛けると、ヨクトは力なく返事をした。

「うん、まあね。少し手はかかるけど、ミーサは悪い子じゃないんだ。それに僕にはああいうアイデアや押しの強さはないから、一緒にいて楽しいよ」

「はあ。そういうもんですか」

「付き合い長いもの。そういうもんにもなるよ」

 そして、ははは、と乾いた声で笑う。クレアはそんなヨクトの横顔をうかがいながら思った。表向きには主人と下僕という間柄だが、二人が一緒にいる理由はそれだけではないのではないか。聞けばヨクトがミーサと主従の契約を交わしたとき、その見返りとして得たのは、たった一枚の銅貨だけだったという。それで一生仕え続けるなんてことが、果たして出来るものなのか。でなければ、両者の契約事項を越えた、何がしかの感情的な因子が絡んでいるのは想像に難くない。ただ、どんな感情によってこの関係が成り立っているのか、ということまで憶測するのは立ち入っているので、クレアはそれを考えないが。

 さて、ヨクトの実演のかいあってか、メグナードはミーサの持ち込んだ商談に少なからず興味を示したらしく、いくつか質問を浴びせていた。

「少し臭いがきついな。なにが入ってるんだ?」

「残念ながら企業機密よ。この天才ミーサ様が、長年研究を重ねて発見したんだから、簡単は教えられないわ。臭いは、改良すればいずれ解決する問題よ」

 ミーサの言葉に、不意にヨクトがげんなりとした表情を浮かべたが、気づいたのはクレアだけだった。ヨクトの変化をよそに、商談は続く。

「ふむ。まあ汚れが落ちるのは確かなようだ。で、お嬢ちゃんはどうしたいのかな。洗剤を売るつもりなら、いくつか仕入れてもいいけど」

 メグナードの頬に、いつもの軽薄な笑みが浮かんだ。子ども扱いされてミーサは気分を害しかけたが、せっかくまとまりかけている商談を反故にするほどに馬鹿ではない。すぐににっこりと微笑んで、条件を提示した。

「ええ、もちろんそのつもりだけど、実はこれは試作品で一本しかないの。でね、あたしの構想としては、ノイエンライナルト近郊に洗剤工場をおっ立てて、大量生産しようと思ってるの……。クレアの知り合いと見込んで誘うけど、あなた、ミーサ・クリーニング・カンパニーの出資者になってみない?」

 それを聞いて、メグナードの笑顔が少し引きつった。

「なんだ、急に話が大きくなったな」

「当然よ。現在FSRは産業革命の真っ只中。アイデアさえあれば、誰でも億万長者になれる時代なんだから、この波に乗らない手はないでしょう。でっかいことをやらなきゃだめよ。ねえ、メグナードさん。あなたは最初に資本金を援助するだけ。いずれ事業が気流に乗れば、黙っててもお金が余るほど転がり込んでくるわ。いい話でしょう。会社設立のあかつきには、栄えある主要株主第一号にしてあげようって言ってんのよ。首を縦に振らないなら、他を当たるわよ」

 だんだんミーサの口調が高圧的になってくる。とても人に物を頼む態度ではないが、あと一押しというところまで来て興奮し、ついつい地が出てしまったのだろう。メグナードはやや戸惑いがちに腕組みし、ミーサの言葉をしばし咀嚼していたが、うーん、とうなってから一言、

「……ま、考えてみよう」

 とぽつりと言ったのみだった。しかしミーサとしては、その言葉が聞ければ充分だったようだ。早々と洗剤の瓶を片付けながら、余裕しゃくしゃくに言う。

「急にこんな話を持ち込まれても、即決できないのは当然よね。いいわ。考える時間をあげましょう。あたしはしばらくこの街に滞在して、他にも出資者を募って回るつもりだから、近いうちにまたお目にかかると思うわ。よければ、そのとき答えを聞かせてね」

 そしてメグナードににっこりと微笑みかけたかと思うと、店の中に響き渡る声でラルスに呼びかけた。

「おっさん! シャツ返すわよ!」

 同じくらいの大声で返答がある。

「いらねえよ。それよりメグナード、試着室を貸してくれ。このジーンズを履いてみたい」

「おう、勝手にしろ」

 メグナードも大声でラルスに返事をする。その間にミーサはひらりとカウンターから飛び降りた。クレアは、ヨクトの浮かない表情の意味が気になっていたので、さりげなく声を掛けてみた。

「どうしたんですか、ヨクトさん。そんな顔して」

「うん……。実は、あの洗濯の仕方を発見したのは僕なんだ」

「ああ……」

 クレアは呆れと憐憫とで、そのあとの句が出てこなかった。ヨクトは沈んだ調子で話を続ける。

「あるとき、部屋の明かりをつけようとして、うっかりテーブルクロスの上にランプの油をこぼしたら、染みこんだ布地の模様が消えたことがあった。きっと油絵の具か何かだったのかな。気になって他の布でも試してみたら、いままで落ちにくかった油汚れが、簡単に落ちたんだよ。油汚れには油を使って洗うのがいいってことが分かったんだ。で、その方法で洗濯してたらミーサが『なによ、それ。油じゃないの。くっさいわね』って文句を言うから、ちゃんと説明してあげたんだ。そしたら急に、ひらめいた、って顔して……」

「じゃあ、ミーサさんにアイデアを横取りされたってことですか」

 憮然としたクレアの言葉に、ヨクトはさびしげに首を振った。

「別にそんなことはどうでもいいんだ。ただひと言『あたしの忠実な僕が発見したのよ』ぐらい言ってくれさえすれば……。ミーサにとって、僕ってなんなんだろう」

 そう言ってヨクトは肩を落とした。胸を打つほどの健気さだが、同時に哀れでもあった。もう少しヨクトのことを顧みるべきだと、クレアは思ったが、ミーサはそんなことなどどこ吹く風で、いつもと変わらぬ調子で、

「ヨクト、何ぼんやりしてんの。早く次に向かうわよ。今日中に二十件は回りましょう」

 と彼女の忠実な僕を急かすのだった。

 トラブルメーカーが店から去ってゆくのを見送ってから、メグナードは、ややためらいがちにクレアに訊いた。

「信用できるのか、あいつら」

「そうですね、ええと」

 クレアが答えに窮していると、メグナードはもの思わしげに顎をさすりながら、

「悪く言うつもりはないけど、あのエルフのお嬢ちゃんとは、あまり深くかかわらないほうがいいぜ。いつか食い物にされる」

 と言った。クレアはその言葉をそのままヨクトに言ってやりたかったが、すでに二人は去ったあとである。クレアは嘆息して、メグナードに謝罪した。

「ごめんなさい、メグナードさん。ミーサさん、私が商店で働いてるって言ったら、どうしてもついてくるってきかなくて」

「そりゃ、クレアの友達なら大歓迎だよ。いきなり商談を吹っかけられるとは思わなかったけどな。まあ、気にするなよ。まるっきり詐欺だったわけでもないし。さ、仕事に戻ろう」

 そしてメグナードは気さくに笑い、クレアの背中を軽くたたいた。

「おい、メグナード。これ、全部でまとめていくらだ」

 店の奥から服を着替えたラルスが姿を現した。新品の純白のワイシャツに、丈夫そうなキャンバス地のベストを羽織り、濃紺のジーンズを革のベルトでゆるく締めていた。足元には無骨なワークブーツを履いている。シンプルな服装だが、ラルスは体格がいいので見栄えがする。これなら探偵というよりは、小粋なワーカースタイルである。

「おお、歳の割には似合うじゃんか。これもつけてやるよ」

 メグナードがカウンター脇の帽子掛けから鳥打帽を選んで放り投げると、ラルスはそれを器用に頭でキャッチした。親友同志ならではの呼吸を感じさせるやり取りだ。ラルスはカウンターに近づきながら、脱いだスラックスのポケットから紙幣を取り出した。

「足りるか?」

「なんならツケにしといてやるよ。最近、羽振りがいいんだろ」

「そうだが、クルックスの経済面での締め付けは、相変わらずでな」

「ふふ、そう言うな。あの子はお前のためを思ってやってるんだ。幸せな野郎だよ、まったく」

「それを言うならメグナード、お前だって……」

 と言ってラルスがクレアのほうを見る。視線を受けたクレアはその意図を汲み取ることが出来ず、ただ首を傾げるだけだった。メグナードは苦笑しながら、弁解した。

「クレアはただのアルバイトだよ。医者志望なら、仕事の覚えもいいだろうと思って、雇ったんだ」

「でもよ、面接に来たのがあんなカワイコちゃんじゃなくて、むさい男だったら雇わなかっただろ」

「まあ、それは否定しないけどな」

「けっ、このスケベが」

 ラルスは下衆な笑いを浮かべ、メグナードの頭を軽くはたいた。オリーブ色の猫っ毛が揺れる。メグナードも拳を握り、ラルスのへその辺りをすばやく小突いてやり返す。いかにも気心の知れた男同士という雰囲気である。

「今日はこれからどうすんだよ」

 メグナードの問いにラルスが少し表情を引き締める。

「あ? ああ、もちろん捜査に行くが」

「もう浮浪者の振りはしなくていいのか」

 いやなことに触れられたとでもいうように、ラルスは軽く舌打ちをした。

「マルグリットに小奇麗にしとけって言われたんだよ」

「ああ、最近お前んとこ行ったのか、あのメスゴリラ」

「おう。何かたくらんでるらしいけどよ。他の依頼があるから手伝えないって言ったら、クルックス連れて行きやがった」

「女同士、喧嘩がなくていいだろ」

「そりゃそうだが、肝心の仕事のほうはうまく行ってないみたいだな……。ところで、メグナード。豆、あるか」

 それまでふざけていたメグナードの表情が、打って変わってシリアスになる。

「いくつだ」

「そうだな、これくらい」

 と言ってラルスは指を立てて合図をする。

「……ちょっと待ってろ。奥で見てくるから」

 言い残して、メグナードはカウンターを離れた。クレアは少し離れた場所で、商品棚を整理するふりをしながら獣の耳をそばだて、二人のやり取りを仔細にうかがっていた。ラルスは、メグナード商店の裏事情を知る数少ない馴染みの一人である。『豆』という隠語の示すものが何か、というのも大方予想はついていた。が、いまだ確証をつかむことが出来ずにいた。やがて、小ぶりの紙袋を抱えてメグナードが戻ってくる。店主が地下室へ行ったのは、階段を上り下りする足音で察知することが出来た。そして、商店に置いている豆類の保存場所は一階の奥であり、地下室ではない。もしかすると、限られた客にだけ売る特別な品種かもしれないが、ラルスの職業は探偵だ。もっと別のものである可能性のほうが高い。クレアはこの状況をチャンスと踏んだ。

 ラルスがメグナードから紙袋を受け取った瞬間を見計らって、クレアは棚に置かれた商品を、わざとばらばらと床に落とした。

「あっ、ごめんなさい」

 白々しく謝罪しながら、クレアはかがみこんで床に落ちた商品を拾う。

「大丈夫か、クレア」

 案の定、ラルスは気遣わしげに歩み寄ってきた。紙袋を無造作に床に置くと、同じようにかがみこんで、拾うのを手伝い始める。クレアは横目で様子をうかがい、床に落ちた商品の、最後のひとつがラルスの手に渡るように、計算しながら作業を進めた。ラルスが立ち上がり、最後に拾った商品を棚に収めるのと入れ替わりに、クレアは床に置かれた紙袋に手を伸ばした。さりげなく、中に入っている物の感触を確かめる。長方形の箱だが、振るとかすかに鈍い金属の音がする。明らかに穀物の豆ではない。たったそれだけのことだが、充分な判断材料になるのだった。クレアは素早くそれらのことを確かめると、にっこりと笑顔を浮かべて、拾った紙袋をラルスに向かって差し出した。

「手伝ってくれてありがとう、ラルスさん」

 クレアの感謝の言葉を受けて、ラルスは照れくさそうに鼻の頭を掻いたあと、紙袋を受け取った。クレアは人好きのする表情を崩さぬまま、胸のうちで今後のことを考えた。次回、トロに会うときは、たったいま確かめたことを報告しなければならないだろう。だが、それがどんな事態を招くことになるか。慎重に、考えなくてはならなかった。

「気をつけるんだぞ。もっとも、メグナードは女に甘いから、どんなに失敗しても叱られりゃしないだろうがな」

「ちっ、早く行っちまえ」

 おどけるラルスの背中に向かって、メグナードが冗談交じりにはき捨てた。ラルスはクレアに向かって穏やかに微笑むときびすを返し、ブーツのソールをごつごつ鳴らしながら店の外へ出て行った。カウンターにいるメグナードそばを通るとき、

「いい娘だね」

 とひとこと言い残して。クレアはいたたまれない気持ちがしたが、いちいち心をかき乱していては何も手につかなくなってしまう。無意識にカウンターに背を向けて店の奥に行き、クレアは過激派の一員からただのアルバイト店員に戻った。

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