The Royal Bastard~LostTechnology the after 作:アツ氏
バルティアは、旧大陸時代より続く、中原の鉱山都市である。
ライナルト帝国統治下においては、良質の金、銀、鉄鉱石を産出し、国家経済を支える重要な都市であった。にもかかわらず、採掘作業にあたる人夫の多くが無教養であることを理由に、住民は差別を受け、帝国領土としては最も扱いが悪い地区のひとつであった。また、初代皇帝崩御後の宰相ホラーツ執政期には、大幅な税率の引き上げのために、多くの民衆が生活苦を強いられ、餓死者が数多く出た。いかに身を粉にして働いても、暮らしが良くなる兆しが見えず、自殺する者さえ相次ぐ始末だった。
そんな状況を憂えて、圧政に苦しむ不満分子を啓発し、蜂起を呼びかけたのが、時のバルティア領主、ハーラルトであった。
現在は『ライナルト帝国興亡記』の著者として名高いが、元は建国期から帝国に仕える文官の嫡子であり、当人も為政者として有能、かつ温情に厚く人格高潔、民衆から慕われる名士であった。しかし、それがゆえに磐石な政治の実権を欲したホラーツに疎んじられ、一方的に宮中の役職から地方領主に降格されてしまったのである。
派遣されたのは、帝国領内でも最も貧しいといわれる、鉱山都市バルティアであった。
ハーラルトは理不尽な人事にも腐ることなく、バルティア領主として、貧困にあえぐ民衆の暮らしを少しでも改善しようと、寝る間も惜しんで尽力した。しかし、俸禄を割いて施しても焼け石に水、生活保障と税率の引き下げを上奏する文書は握りつぶされ、深刻な物資難によって領民間に蔓延するのは、栄養失調や飢餓、疫病、そして死。そんな地獄絵図を目の当たりにし、日々胸を痛めながらも、地方領主の権限ではもはや打つ手がなく、身を切るような絶望と無力感とにさいなまれた、とハーラルトは後の著書において当時の心境を綴っている。
帝国の腐敗は止まるところを知らなかった。国民の血税は、軍備と宮中の贅沢に費やされ、成り上がりを目論む役人たちの間で、政治工作や賄賂が横行した。貴族の中には、ホラーツと、その右腕ゲレオンに取り入るために、身内を差し出すものもいた。後世に伝わるところによるとホラーツは両性愛者であり、事あるごとに若くて美しい小姓を手篭めにしていたというし、ゲレオンもまた筋金入りの好色漢で、その毒牙にかかった貴族の娘は数知れず……そんな有様であったらしい。
帝国でこの二名の奸物を超える権力者といえば、もはや皇帝以外に存在しなかったが、当時、即位したばかりのアグネスはまだ十四歳の少女で、政治の知識もなかったため、ホラーツの甘言に惑わされ、体よく操られるばかりであった。のちにFSR大統領に就任するだけの政治家としての才覚は、まだその片鱗を見せていなかった。
宮中の内情を知らない民衆は、悪政の矢面に立つ皇帝アグネスを憎んだが、真に打倒すべき敵が誰か、ハーラルトにはよく分かっていた。
獅子身中の虫、ホラーツとゲレオン。この両者を抹殺せぬ限り、帝国領民が人間らしい生活を享受できる日は訪れまい。そう考えたとき、不意に武力蜂起という言葉が脳裏をよぎった。政治の中枢が腐敗している以上、いっそ犠牲を伴ってでも闘争し、権利を勝ち取るべきではないのか。すなわち革命である。しかし、飢えた民衆を率いて戦ったところで、強大な帝国軍が相手では、手もなく鎮圧されるのが関の山である。革命に加担した者は、逆賊の汚名を課せられ、例外なく処刑されるだろう。領民のためならば喜んで命を差し出す覚悟はあった。が、自分が死ねば、ホラーツの息のかかった新たな地方領主が派遣され、状況は今よりずっと悪くなるだろう。それでは無意味なのだ。ハーラルトは、望みの薄い思いつきを即座に打ち捨てた。
天が彼の嘆きを聞き入れたかどうか分からない。ただ、スキアパレリの情勢を大きく揺るがす一大事が、程なくして勃発した。中原からチュレニー海を隔てた北西部、城塞都市ケクロピアを本拠とするクーニッツ騎士団が、ライナルト帝国に対して宣戦布告を行ったのである。果たせるかな、戦争のためにクーニッツ騎士団長ジギスヴァルトが掲げたのは、圧政に苦しむ民衆を救うという大義であった。
開戦の報せを受けたハーラルトは、この時勢の変化に一縷の希望を見た。蜂起するには、今を置いて他はない。民兵のみでは心もとないが、精強なるクーニッツ騎士団の中原侵攻に乗じれば、帝政を打倒することも可能であろう。ハーラルトは速やかに、同じく不満分子を多く擁するクリセ、メソガエアの各都市に部下を派遣し、共闘の打診を行った。
ジギスヴァルトの投じた一石の波紋。それに対する帝国領民の反応には、共時性があった。誰もがすでに忍耐の限界を超え、帝政の打倒という望みを抱きながら、軍隊の脅威に臆して泣き寝入りばかりしてきたのだった。それがハーラルトの呼びかけをきっかけに噴出し、瞬く間に革命派一致団結の機運を高めたのである。バルティア、クリセ、メソガエアの三都市は本国に反旗を翻した。中原は王都オルテュギアを境に東西に分断され、帝国軍は、東の革命軍と西のクーニッツ騎士団とに挟み撃ちを受ける形勢となった。
それだけではない。リビュアの西に位置するアルシア山岳地帯からは、クロム率いるドワーフ勢力のアポイタカラ、大陸南部のアウソニア森林地帯からは、エフェメラル率いるエルフ勢力のアルフヘイム、そして中原北方の山脈を越えたセラニウストロス荒野からは、スカーレットという名の女騎士率いるファーブニル竜騎士団が、それぞれ同時多発的に中原侵攻を開始し、帝国は瞬く間に四面楚歌となったのである。帝国軍は各勢力と交戦しつつ暴徒の鎮圧に追われたが、ホラーツが己が身の保全のために、先帝に忠誠を誓っていた有能な武官たちをことごとく粛清していたことが仇となった。指揮系統は錯綜し、唯一統制を維持していた近衛騎士団の奮戦によって、ようやく持ちこたえているという状況であった。
スキアパレリのあらゆる勢力が、予てより帝国打倒の機をうかがっていたのだ。そこにクーニッツ騎士団が宣戦布告したため、各国境間の緊張状態が一気に瓦解した。四方八方から雪崩れ込む敵兵に、帝国軍も抗しきれず、戦線はつぎつぎに突破されてゆく。そして、ついには皇帝アグネスの居城が在する王都オルテュギアが残されるのみとなった。
もはや帝国の運命は決したといってよかった。
王城に攻め入る夥しい数の兵士たち。しかし、そこにはホラーツ、ゲレオンの姿はさることながら、皇帝アグネスの姿もなかった。王都陥落を目前にして、すでに逃亡していたのであった。オルテュギア占領後、各軍の兵が帝国領内をくまなく捜索したが、ついぞ発見されることはなかったのである。
かくして帝国は滅び、貧苦にあえいでいた民衆は歓喜の声を上げた。オルテュギアは民主主義を掲げるクーニッツ騎士団の統治下におかれ、もはや人民が圧政に虐げられることはなくなった。しかし、多くの血が流されたこともまた事実であった。戦闘員、非戦闘員を問わず、数え切れぬ人が命を落とした。革命軍の指揮を執ったハーラルトは、素直に喜ぶことが出来なかった。彼は本来、軍人ではない。いかなる艱難であれ、為政者としては、武力以外の方法で解決するのが最大の理想であった。革命によって、バルティアの領民も数多く死んだ。喜ぶ者がいる一方で、家族を失った者は哀しみにくれている。武力による闘争が最善の方法だったとは、どうしても思えなかったのである。それでも、悲惨な戦火が嘗め尽くした灰の上に、平和な世の中を築くことができるのなら……。人類は試されている。ハーラルトは沸き返る民衆たちを目の前にして、かえって身の引き締まる思いがしたと、回顧している。
その後、亡国の皇帝アグネスがいかなる道を歩んだかについては、すでに幾度かにわたって述べたとおりである。ただ、ホラーツとゲレオンの消息に関しては、いくつかの謎が残されている。この二名は、帝国崩壊から程なくしてクーニッツ騎士団領、城塞都市ケクロピア郊外にて変死体で発見された。ホラーツは首と胴とを切り離され、ゲレオンはナイフで刺殺されていた。ゲレオン殺害に関しては、スティーグという男が自首することによって、犯人が明らかとなった。
スティーグはかつてゲレオンに絶対の忠誠を誓い、手足となって働く私兵であったが、それは流行り病に伏した娘が、ゲレオンが主催する『自由平等の会』によって保護され、治療を受けていたためであった。もとは帝国領内の寒村に暮らす素朴な平民に過ぎなかったが、突如蔓延した流行り病によって生活が一変し、娘以外の身寄りを失ってしまった。その娘すら病に侵され、虫の息となっているところへ、ゲレオンが救いの手を差し伸べた。自らの主催する組織の医療技術をもってすれば、かけがえのない小さな命を救うことが出来る。最後の肉親を失いつつある哀れな男に、もっともらしく慈悲深さをたたえながら、そう言い含めたのである。
仁義に厚いスティーグは、それ以来ゲレオンを神のごとく崇め、恩に報いるために、いかなる悪事にも手を染めたという。暗殺、諜報、流言、ペテンの片棒担ぎ……。しかし、自分自身がそのペテンの被害者であるとは夢にも思わなかった。そもそもスティーグの村を襲った疫病は、ゲレオンの手下が意図的に生活用水に毒薬を含ませたために、発生したものだったのである。その事実を、何らかのきっかけで知ることになったのだろう。スティーグは自らの意志で、ゲレオンを刺殺したと自供した。
要は利用されていただけなので情状酌量の余地はあったが、それにしてもゲレオンの指示によってなされた犯罪の数が、あまりにも多すぎた。実行犯のスティーグには終身刑の判決が下り、彼はあまりある余生のすべてを刑務所で過ごすことになった。それと同時に、ホラーツとゲレオンの両者が、かつてライナルト帝国で行った数多の悪事について、獄中で暴露し続けたという。このスティーグの一連の供述によって、当時すでにケクロピアに亡命していたアグネスは、自ら民衆を苦しめた暴君ではなく、卑劣な奸臣に利用された悲劇の皇帝という理解を得て、同情を受けることになったのである。
さて、ホラーツの殺害については、スティーグは容疑を否認した。尋問に当たった騎士団の見解においても、その証言は信用に値すると判断された。ホラーツの遺体に残された唯一の痕跡、すなわち首と胴とを切り離した傷についてだが、その手際は鮮やかと呼ぶほかなかった。分厚い脂肪から骨に至るまで、完全に一刀のもとに切断しており、武人として最高の技量を持ち、かつ優れた武器を用いなければ、このような切り口は再現できない、と検死官は言った。もともと平民出のスティーグには、それほどの戦闘技能はなかった。もしや殺害の現場を見ていたのではないか、という追及に関しては、スティーグは徹底して黙秘を決め込んだ。おそらく、故郷の村を壊滅へと追いやったゲレオンのペテンを明らかにしたのも、ホラーツの殺害犯なる人物だったのだろう。スティーグの沈黙は仁義に溢れていた。己に真実を告げた者を、決して売るまいとするがごとく。結局、ホラーツ殺害の真犯人は判明せず、事件は迷宮入りとなったのである。
……以上のことは、事実に則して『ライナルト帝国興亡記』にすべて記されていることであり、同著を読み終えたばかりのレオンハルトの記憶に新しかった。かつて戦乱の渦中にあったオルテュギアも、現在ではFSR最大の主要都市である。しかし、当時の面影をしのばせる風景も、数多く残されている。
ライナルト帝国王城跡も、そのひとつである。スキアパレリで最も巨大にして、最も壮麗と称された皇帝の居城は、帝国崩壊直後に賊党による破壊と略奪の憂き目に会ったが、そもそも構造が堅固であったため、長らく原形をとどめていた。戦後、ジギスヴァルトが史跡としての価値を認め、国費を投じて補修を命じ、旧大陸時代の姿そのままに再現させたのである。以来、王城跡は大陸全土から拝観者の訪れるオルテュギア最大の観光名所となったのだった。
レオンハルトは高台に美しい王城を臨む市街地から、路面を走る市電に乗り込んだ。行き先はバルティア地区。憂国の士ハーラルトが旧大陸時代を過ごした都市である。緩慢に線路を走る車体の振動に合わせて、レオンハルトの胸のうちはひそかに躍るようであった。歴史小説ファンの彼にとって、その著者ゆかりの土地を訪ねるのは、少なからぬ興奮がある。が、本来の目的はそれではない。レオンハルトは次の瞬間には気持ちを引き締めた。史跡めぐりに行くわけではなかった。悪漢たちを相手取って、命を賭した大立ち回りを、これから演じなければならぬ。ハイスクールの制服の裾がかすかに震えているのは、路面電車の揺れのためばかりではないだろう。しかし、果たしてそれが脅えによるものなのか、武者震いであるのか、レオンハルト自身にも良く分からなかった。
バルティアン・ラスカルズの縄張りに、単身足を踏み入れること。よほどの世間知らずでなければ、その意味が分からぬ者はいない。
バルティアの、特にハーラルトパークがある第三区は、FSR屈指のスラム街である。いかに政治体制が優れていようと、貧民が生じるのは資本主義の宿命のようなものである。バルティア鉱山は、産業革命による採掘技術先端化の影響で、限りある鉱石の産出量はかえって減少傾向にあり、戦後乱立した鉱山会社は相次いで倒産、多くの人夫が失業することとなった。
生き残った鉱山会社に雇用を求める、あるいは別の地区に出稼ぎに出る、そうした真っ当な処し方が出来る者は良い。FSR政府も失業者に対する支援を惜しまず、失業手当の交付や、職業斡旋などの対策を積極的に行った。しかし、運悪く職にありつけなかった労働者も少なからずいた。日々の糧を得なければならないがゆえに、彼らは焦燥感に駆られる。街をさまよい口々に言う。何でもいいから仕事をくれ。
そうした失業者の心理につけこむのが、犯罪組織である。近年、ノイエンライナルト州に跋扈するネオ・アルカトラズの構成員には、バルティア地区出身者が多い。すなわち、失業者をスカウトしているのである。失業者のほうから望んで組織に組するものも多い。いまやその所属人数は、千から二千へ届こうというほどに、ネオ・アルカトラズの勢力は肥大化しつつあった。で、十代のギャングたちで構成されるバルティアン・ラスカルズはその予備軍と目され、現在、警察が不穏分子としてマークしている……というのが、生徒会長補佐ダグラスの言である。マリファナやクラックなどの比較的安価なドラッグの売買を、上部組織から請け負っているという。あるいは、それ以外の犯罪も。とにかく、バルティアは治安が悪い。FSRに暮らす誰もが口をそろえて言うことだ。不用意にスラム街へ足を踏み入れて、命を奪われても文句は言えないのである。
車外の風景は、活気に溢れる中央市街地から、だんだん荒廃したダウンタウンの様相を呈し始める。通りの壁や塀のいたるところに、攻撃的な文句、あるいは卑猥なスラングをもじった落書きが、ペンキで塗りたくられている。破壊された建造物。道路に散乱するゴミの山。捨て犬のように暗くよどんだ目つきをした住民たち。それらを目にしてレオンハルトの胸に生じた感情は、厭悪でも、軽蔑でも、ましてや恐怖でもなかった。ある種の怒りと使命感。果たしてこの街を、このままにしておいていいのか、という想いであった。ダンデライオンにしても、クェンティンにしても、レオンハルトが多くの者から慕われるのは、その強さのためばかりではない。彼は、自分を慕う者、あるいは虐げられている者に対する、掛け値のない仁愛の持ち主であった。強きを挫き、弱きを助ける、義侠の心を重んじていた。人々が彼に惹かれるとすれば、むしろその内面においてであった。
それがゆえに、今回の騒動も、望みもせず祭り上げられたダンデライオンのリーダーとして、ただ一人責任を背負い、バルティアまで足を運んだのである。脅迫に屈して、軽率にラスカルズと関係したメンバーを差し向けるのでもなく、また不良たちを率いて抗争するのでもなく、ただ話し合いによって、オルテュギア・ハイスクールへの襲撃を阻止するためにだ。
相手が相手だけに、容易ならざることである。レオンハルト自身にも良く分かっていた。だが、自分以外の誰をも絶対に犠牲にしたくなかった。事態を大きくして、学園に迷惑をかけるのも嫌だった。だから、一人で行くと決めた。リーダーのためなら命を捨ててもいいと訴えたディアスやジェラルド、そして兄弟のように慕うクェンティンすら、その決意を揺らがせられなかった。三名は結局、バルティアへ向かうレオンハルトの後ろ姿を、校門から見送ることしか出来なかった。
いつしか、市電の車内はがらんと人気がなくなってしまった。見回しても、他の乗客といえば、最後部の座席に新聞を広げて座る、鳥打帽の中年男だけ。オルテュギア市街地からバルティア三区まで行くような物好きは、ほとんどいないという事実の表れだ。レオンハルトの神経は、だんだんと研ぎ澄まされていくようであった。ハーラルトパークで、何人のギャングが待ち伏せしているか分からないが、いかに多勢に無勢であろうと、気圧されたらその時点で交渉は決裂する。毅然と振舞うことが重要だ。不良の世界では何よりも度胸がものを言う。レオンハルト自身は不良を嫌っていたが、それは行動が反社会的だからであって、それに属する人そのものを憎んでいるわけではない。ディアスにせよ、ジェラルドにせよ、さらにはバルティアン・ラスカルズにせよ、理解を示すことにやぶさかではなかったのである。
電車が停まり、ついにバルティア三区へとたどり着いた。この先に駅はない。危険区域であるため、線路が敷かれないのである。辺りにあるのは鉄骨のむき出しになった骸骨のようなビル、破壊された壁、汚物にまみれた路地ばかりである。降り立った場所から、ハーラルトパークはさほど遠くない。空を見れば日は傾き、脅迫状で指定された夕刻が迫っていた。狂気を無理やり抑え込んだような不気味な静けさの中、夏の生暖かい風が頬をなでるが、背筋にはえもいわれぬ悪寒が走る。スラムのおぞましい空気を振り払うように、レオンハルトはひとつ深呼吸すると、オルテュギアであらかじめ手に入れておいた地図を頼りに、目的地へと足を向けた。