チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
第一章
### 1
福井の夏は、俺が想像していたよりも遥かに湿度が高く、そして青が濃かった。
九頭竜川を越え、恐竜のモニュメントが鎮座する駅前を抜け、路面電車がガタゴトと走る街並みを眺めながら、俺は新しい制服の襟を正した。
県内随一の進学校、藤志高(ふじたか)。そこが俺の新しい潜伏場所であり、狩り場だ。
「……ま、適当にやるか」
独り言が、粘つくような熱気の中に溶けていく。
俺がこの地に来た理由は、表向きは親の都合による転勤だ。だが、真の動機はもっと暗く、澱んだ場所にある。
俺の深淵にある野望。それは決して知られてはならない、闇の願望。
――千歳朔(ちとせ さく)。
この学校のカーストの頂点に君臨し、福井の空気を我が物顔で支配する「リア充の王」。
彼に、本当の「絶望」を味合わせること。
彼のような、恵まれた容姿と環境、そして天性の愛嬌だけで世界が回っていると勘違いしている幸福な子羊に、現実という名の冷水を浴びせかける。
そして、その光に群がる蛾のような取り巻きたち――特に、あの騒がしい金髪ギャルたちにも、相応の「教育」が必要だ。
俺のスペックを表示しよう。
身長180センチ。細身に見えるが、その制服の下には極限まで練り上げられた筋肉が鋼のように張り巡らされている。
握力計の針を振り切る程度の力は造作もなく、垂直跳びは優に70センチを超える。動体視力と反射神経に至っては、人間の領域(ゾーン)を逸脱し、神域に達していると言っても過言ではない。
学力においても、高校レベルなどとうに通過点に過ぎない。数学、物理は大学院レベルの難問すら、俺にとっては朝のストレッチ程度の負荷だ。フーリエ解析、量子力学、複雑系科学……あらゆる理(ことわり)は俺の脳内で体系化されている。
だが、俺は「凡人」を演じる。
髪型は目にかかる狭いセンターパート。背を少し丸め、気配を殺す。
俺は、ただの「冴えない転校生」として、彼らの聖域(サンクチュアリ)に侵入するのだ。
### 2
2年5組。教室の扉を開けた瞬間、騒がしかった空気が一瞬だけ止まった。
担任の紹介もそこそこに、俺は指定された席へと向かう。
窓際、後ろから二番目。アニメなら主人公席と呼ばれる場所だが、俺にとっての重要事項はそこではない。
問題は、俺の隣――教室の最後尾、窓際の席に座っている男だ。
千歳朔。
そいつが放つ引力が、明らかに異常だった。
整った顔立ち、余裕のある笑み、絶妙に着崩した制服。窓から差し込む陽光すらも、彼を照らす演出照明(スポットライト)のように機能している。
彼の周りには、華やかな女子たちが衛星のように旋回していた。
「――お、転校生か。珍しいな」
俺が席に着くと、千歳が顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべた。
爽やかすぎて、嘘くさいほどの笑顔。だが、その瞳の奥は笑っていない。
俺が「敵」か「モブ」か、それとも「味方」になりうるか。瞬時に計算し、値踏みしている目だ。
(……感は鋭いな。腐っても原石か)
俺は喉の筋肉を調整し、少し裏返ったような、間の抜けた声を作った。
「あ、よ、よろしく……。綾小路です」
「俺は千歳朔。よろしくな、お隣さん」
彼が手を差し出してくる。俺は恐縮したふりをして、その手を弱々しく握り返した。
その瞬間、彼の取り巻きの一人、派手な金髪の女子が割り込んできた。
「ねーねー朔ぅ! その子、なんか暗くない? ウケるんだけど!」
柊夕湖(ひいらぎゆうこ)。
スクールカースト上位特有の、他者へのデリカシーのなさ。声の大きさだけで場を支配できると信じているタイプだ。
彼女の隣には、クールな美貌を持つ七瀬悠月(ななせゆづき)もいて、興味なさそうに俺を一瞥してスマホに視線を戻した。
「夕湖、やめとけって。彼、緊張してるんだよ」
千歳が苦笑しながら夕湖を諌める。
一見、優しいリーダーの振る舞いだ。だが、その根底にあるのは「俺たちは寛容な強者である」という無自覚な傲慢さだ。
自分たちが世界の中心であり、異分子を受け入れてやる度量があることに酔っている。
(……反吐が出るな)
俺は前髪の奥で、冷ややかに目を細めた。
まずは、この平和ボケした箱庭に馴染むふりをしよう。毒を盛るのは、彼らが完全に油断してからだ。
### 3
数日後。俺は「地味で目立たない、ちょっとドジな転校生」というポジションを確立しつつあった。
だが、千歳朔の観察眼は侮れない。彼だけは、俺のふとした仕草に違和感を覚えているようだった。
放課後、俺が鞄を整理していると、香水の甘ったるい匂いが鼻を突いた。
柊夕湖だ。彼女は俺の机に腰掛け、短いスカートから足をぶらつかせながら、俺を見下ろしている。
「ねーねー、転校生くんさぁ。なんかノリ悪くない? もっと愛想よくしなよー」
彼女の手が伸びてくる。俺の前髪を弄ろうという魂胆か、それともデコピンでもするつもりか。
その動きは、俺の目には止まって見えた。
(……遅すぎる)
ハエが止まるほどの速度。
俺の反射神経ならば、彼女の手首を掴み、関節を逆方向にねじり上げて悲鳴を上げさせるシミュレーションが、脳内で0.1秒のうちに完了する。
握力計を破壊する俺の力なら、その華奢な骨など小枝のように折れるだろう。
だが、俺は動かない。
ギリギリまで引きつけて――
「うわっ!? び、びっくりしたぁ!」
俺は大げさにのけぞり、椅子ごと後ろに倒れるフリをした。
ガシャンッ! と大きな音が静かな教室に響き渡る。
「きゃはは! 何それ、ビビリすぎでしょウケるー!」
夕湖が腹を抱えて笑う。周囲の生徒もクスクスと笑う。
俺は床に尻をついたまま、痛がる演技をしながら、前髪の奥で冷徹な視線を彼女の無防備な足元に向けた。
(笑えよ、柊夕湖。今のうちに精一杯な)
お前のその無防備な手首が、いつまで無事でいられるかな。
俺は「痛い痛い……」とさすりながら立ち上がる。
ふと、視線を感じた。
千歳朔だ。
彼は笑っていなかった。倒れた俺と、笑う夕湖を交互に見て、わずかに眉を寄せている。
「……夕湖、あんまりいじめるなよ。彼も困ってるだろ」
千歳が俺の方へと歩み寄り、手を差し伸べる。
「悪かったな。怪我はないか?」
その目は、俺を案じているようでいて、どこか探るような光を宿している。
――勘がいいな、千歳。
俺がただ「無様に転んだ」のではなく、不自然なほど完璧に「攻撃を回避するような動き」で倒れたことに、違和感を覚えたか?
俺は差し出された手を無視し、自分で立ち上がった。
「だ、大丈夫だよ千歳くん。……僕、運動神経悪いからさ」
嘘だ。
お前より高く跳び、お前より速く動ける。
だが、その絶望を味わわせるのは、お前が一番高い場所に上り詰めた時だ。
「……そうか。ならいいんだけど」
千歳が手を引っ込める。
俺は心の中で、低く、地を這うような声で呟いた。
首を洗って待っていろ、リア充の王様。お前の築き上げた王国を、内側から崩壊させてやる。
### 4
そして訪れた、最初のターニングポイント。定期考査。
俺はこのテストを、千歳への最初の「挨拶状」にすることにした。
トップを取る? いや、そんな単純なことでは面白くない。
俺が目指すのは、作為的なまでの「平凡」の演出だ。
数日後、廊下の掲示板に順位と点数が張り出された。
俺は人混みの後ろから、気配を消してその様子を眺める。
「うわっ、なにこれー! マジうけるんだけど!」
静寂を切り裂いたのは、あの甲高い声。
夕湖が指差した先には、俺の名前と点数が並んでいる。
現代文:50点
数学Ⅱ:50点
英語:50点
理科:50点
社会:50点
合計:250点
見事なまでの一直線。
全教科、配点を完璧に計算し、正答率を操作し、解答用紙に作為を感じさせないように間違える。
100点を取るよりも遥かに難易度が高い「50点の芸術」だ。
「ねえ見て見て悠月! 転校生くん、全部50点! すごくない? 逆に奇跡じゃん!」
「……本当ね。狙っても普通はこうはならないわ。ある意味、凡人の極みって感じ」
悠月と夕湖が嘲笑する。
陽キャの輪の中で、俺の点数は格好の笑いのネタとして消費されていく。
それでいい。俺は「冴えない凡人」というレッテルを強固にしたかった。
だが――。
千歳朔だけは、笑っていなかった。
彼は腕を組み、掲示板の数字をじっと見つめている。
その視線は鋭く、獲物を探るような光を宿していた。
(……気づいたか?)
5科目すべてでジャスト50点。確率論で言えば、偶然で起こり得る事象だ。
だが、その天文学的な確率を「作為」だと疑えるかどうかが、凡人と非凡の分水嶺だ。
千歳がゆっくりと振り返り、遠巻きに見ていた俺と目が合った。
俺はすかさず、自信なさげに肩をすくめ、苦笑いを浮かべてみせる。
「あはは……なんか、偶然揃っちゃって。恥ずかしいよ」
情けない声を演出する。
千歳は数秒、俺の目を覗き込んだ。
その瞳の奥で、彼の直感(センサー)が警鐘を鳴らしているのが分かる。
『何かがおかしい』
『こいつは本当に、ただの偶然でこれを?』
だが、決定的な根拠がない。
それに、わざわざ転校生がそんな労力を割いて50点を取るメリットが、常人には理解できない。
やがて、千歳はふっと表情を緩めた。疑惑を、常識という蓋で閉じ込めたのだ。
「……お前、ある意味すげーな。ここまで綺麗に揃うと、いっそ芸術的だわ」
彼は俺の肩をポンと叩く。
「ま、赤点じゃないだけマシだろ。次は勉強教えてやろうか?」
「え、あ、うん……ありがとう、千歳くん」
千歳は爽やかに笑い、優空たちを連れて去っていった。
違和感を「気の所為」として処理したのだ。
俺は彼らの背中を見送る。
前髪の隙間から、冷え切った視線を投げかけながら。
(それでいい、千歳。違和感を覚えながらも、お前は俺を敵とは認識できなかった)
疑念の種は蒔いた。
だが、それはまだ芽吹かない。
油断し、増長し、俺を「無害なモブ」だと完全に信じ込んだ瞬間こそが、処刑の合図だ。
俺はポケットの中で、握力計を壊しかねないほどの力で拳を握り、すぐに解いた。
次の授業は体育か。
そろそろ、少しだけ「爪」を見せてやってもいい頃合いかもしれない。
俺は誰にも聞こえない声で呟いた。
「……まずは手始めに、重力でも捻じ曲げてやるか」