チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第十七章:新たなる刺客編 第2章 ~汚された聖域と三ツ星の侵略者~】

### 7.水辺の哲学者、黄昏の待ち人

 

 福井の冬は、空の色だけでなく、川の水面さえも鉛色に染め上げる。

 学校からの帰り道にある、九頭竜川の河川敷。

 そこは、**西野明日風(にしの あすか)**にとって、そして千歳朔にとっても、日常の喧騒から切り離された特別な場所(サンクチュアリ)だった。

 

 彼女は3年生の先輩であり、中性的で圧倒的な美貌を持つ文学少女だ。

 夕暮れの河川敷で、一人静かに文庫本を読む。

 千歳朔は、そんな彼女の隣に座り、言葉少なに時を過ごすことで、傷ついた羽を休めていた。

 他のヒロインたちが見せる「恋心」や「独占欲」とは違う、もっと精神的で、高尚な繋がり。

 明日風は信じていた。

 朔がどれだけ傷つき、変わってしまっても、この場所に戻ってくれば、また「本当の彼」に会えるのだと。

 

(……遅いな、朔君)

 

 明日風は、読みかけのページの角を白い指でなぞった。

 冷たい風が、彼女のショートヘアを揺らす。

 彼が部活(野球)をやめてから、ここは彼の逃げ場所であり、帰る場所だったはずだ。

 今日もまた、彼が来るのを待っている。言葉はいらない。ただ隣に座って、同じ夕日を見るだけでいい。

 

 ふと、土手の上から足音が聞こえた。

 砂利を踏む音。だが、それは一人分ではなかった。

 二人分の足音が、軽快なリズムで近づいてくる。

 

 明日風は顔を上げた。

 朔君だ。

 彼女の口元が自然と綻びかける。

 けれど、その微笑みは、次の瞬間に凍りついた。

 

### 8.オレンジ色の侵略者

 

「――あはは! 千歳先輩、それって太宰治ですか? 私も『人間失格』読みましたけど、結構共感しちゃいました!」

 

 朔の隣にいたのは、鮮やかなオレンジ色の髪をなびかせた少女、**望 紅葉**だった。

 彼女の手には、文庫本が握られている。

 

「え、紅葉ちゃんも読むの? 意外だな、スポーツ一筋かと思ってた」

「ひどーい! 私だって読書くらいしますよ。……先輩の好きなもの、もっと知りたいですから」

 

 紅葉が、朔の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑う。

 朔が照れくさそうに頭をかく。

 

 その光景は、明日風にとって信じがたいものだった。

 この河川敷は、静寂と文学を愛する者だけの聖域だったはずだ。

 あんな、太陽のエネルギーを凝縮したような「リア充全開」の少女が、足を踏み入れていい場所ではない。

 文学? 読書?

 彼女のような手合いには、最も縁遠い世界のはずだ。

 

 だが、現実は残酷だ。

 紅葉は、明日風が座っている定位置(ベンチ)のすぐ近くまで、朔を連れてきていた。

 そして、あろうことか――。

 

「あ、ここの景色いいですね! 夕日がきれい!」

 

 紅葉は、明日風がいつも座っているベンチの隣に、迷いなく腰を下ろした。

 そして、自分のマフラーを少し緩めて、朔の首に巻きつけた。

 

「先輩、寒そうです。半分こしましょう?」

「えっ、いいの? 悪いよ紅葉ちゃん」

「いいんです。……あったかいですね」

 

 一つのマフラーを共有する二人。

 その距離はゼロ。

 文学的な会話? 詩的な表現?

 そんな高尚なものは、そこにはなかった。

 あるのは、ただ圧倒的に「若く」「温かく」「生々しい」男女の触れ合いだけ。

 

### 9.物語の配役変更

 

 明日風は、持っていた本を取り落としそうになった。

 彼女は咄嗟に、橋脚の陰に身を隠した。

 隠れる必要などないはずなのに。ここは彼女の場所なのに。

 けれど、あの二人の間に流れる空気が、明日風を「部外者」として弾き出したのだ。

 

(……嘘でしょ)

 

 明日風の美貌が、動揺で歪む。

 彼女は自負していた。自分だけが、朔の心の奥底にある孤独を理解していると。

 他の騒がしい女子たちとは違う、特別な存在だと。

 

 でも、今の朔を見て。

 彼は、難しい顔で哲学を語るよりも、紅葉の体温と甘い声に癒やされている。

 「高尚な理解者」よりも、「隣で温めてくれる無邪気な後輩」を選んでいる。

 

「私、先輩のこと支えたいです。……野球も、勉強も、全部」

 

 紅葉の真っ直ぐな言葉が聞こえる。

 それは、明日風が言えなかった言葉。

 あえて言わずに、察することで繋がっていると思っていた言葉。

 それを、紅葉はあっけらかんと口にし、朔の心を解かしていく。

 

 明日風の居場所だった「河川敷」は、今や紅葉と朔のデートスポットに上書きされていた。

 そこにはもう、本を読む静かな先輩の席など用意されていない。

 

 俺は土手の上から、橋脚の陰で震える西野明日風を見下ろしていた。

 彼女の敗因は、「特別」にあぐらをかいていたことだ。

 紅葉は、明日風の持つ「知的な会話」という領域にまで、浅くとも踏み込んできた。「私も本読みます!」というアピール一つで、明日風のアイデンティティを薄め、無力化した。

 恐ろしいまでの適応力だ。

 

### 10.リハビリの弁当箱

 

 1月下旬の昼休み。

 教室の暖房が効きすぎた生暖かい空気の中で、**内田優空**は緊張していた。

 彼女の机の上には、可愛らしい包み紙に包まれたお弁当箱がある。

 

(……大丈夫。今度は絶対に失敗しない)

 

 あのおぞましい百人一首大会の「事件」以来、優空は料理から少し距離を置いていた。

 包丁を握るたびに、あの日の悪臭と、千歳の絶望した顔がフラッシュバックするからだ。

 けれど、千歳朔は優しかった。

 「また優空の飯が食いたいな」と、震える声で(それはトラウマからくる震えだったかもしれないが)言ってくれたのだ。

 

 だから、優空は勇気を出した。

 早起きして作った、彩り豊かな特製弁当。

 冷凍食品は一切なし。出汁から引いた卵焼きに、朔くんの好きな生姜焼き。

 これが成功すれば、また私は「朔くんの特別」に戻れる。

 

「朔くん、これ……よかったら」

 

 優空はおずおずと弁当を差し出す。

 千歳は一瞬ビクリとしたが、すぐに笑顔を作った。

 

「お、サンキュー優空。腹減ってたんだ」

 

 彼が箸を伸ばす。

 優空は祈るような気持ちで見つめる。

 美味しいと言ってほしい。あの日の記憶を、上書きしてほしい。

 

### 11.三ツ星の黒船

 

「――失礼しまーす! 千歳先輩、ここにいましたか!」

 

 その時、教室の扉が勢いよく開いた。

 鮮やかなオレンジ色の髪。望紅葉だ。

 彼女の手には、重箱のような立派なランチボックスが握られている。

 

「紅葉ちゃん? どうしたの?」

「へへ、実は昨日の夜、フレンチのフルコースの練習をしたんですけど、余っちゃって。先輩の口に合うか分からないんですけど……」

 

 謙遜しながら彼女が広げた中身を見て、教室中がどよめいた。

 

 それは「弁当」という次元を超えていた。

 ローストビーフの赤ワインソース仕立て。

 彩り野菜のテリーヌ。

 キッシュ・ロレーヌ。

 まるで高級ホテルのビュッフェから切り取ってきたような、宝石のような料理たち。

 

「す、すげぇ……! これ、紅葉ちゃんが作ったの!?」

「はい! 父がシェフをしてて、小さい頃から仕込まれたんです」

 

 紅葉が悪戯っぽく笑う。

 料理が得意、というレベルではない。英才教育を受けた「本物(プロ)」の腕前。

 

「ど、どうぞ! 食べ比べてみてください!」

 

 紅葉が強引に箸を渡す。

 千歳は圧倒されながらも、ローストビーフを口に運んだ。

 

「……ッ!!」

 

 千歳の目が、カッと見開かれる。

 

「う、うまっ……! なんだこれ、店より美味いぞ!?」

「本当ですか? よかったぁ! ソースの煮詰め具合にこだわったんです!」

 

 千歳の反応は、劇的だった。

 舌鼓を打ち、次々と紅葉の料理を口に運ぶ。

 そこには、優空への気遣いやトラウマなど入り込む隙間もない、純粋な「食への感動」があった。

 

### 12.味覚の格差社会、奪われたエプロン

 

 一方で、優空の弁当は――蓋が開けられたまま、放置されていた。

 

 優空の料理は「家庭料理」だ。

 美味いか不味いかで言えば、間違いなく美味い。

 だが、紅葉の料理は「美食」だ。

 素材、技法、見た目。全ての次元が違う。

 家庭的な温かさ? そんな曖昧なものは、圧倒的なプロの技術の前では「地味」という評価に変わる。

 

「あ、優空先輩のお弁当も美味しそうですね! ……あ、でも卵焼き、ちょっと焦げちゃってます? ドンマイです!」

 

 紅葉が無邪気に指摘する。

 優空の卵焼きの端にある、ほんの僅かな焦げ目。

 それは「手作りの温かみ」だったはずなのに、紅葉の完璧な料理の横に並ぶと、ただの「失敗」に見えてしまう。

 

「……あ」

 

 優空の手から、自分の箸が滑り落ちた。

 カラン、と乾いた音がするが、夢中でローストビーフを頬張る千歳には聞こえていない。

 

(負けた……)

 

 優空の目から、大粒の涙が溢れ出した。

 料理は、私だけのものだったはずなのに。

 私が朔くんの胃袋を支えて、朔くんの健康を守って、二人で「美味しいね」って言い合う。

 それは、私だけに許された、特別で神聖な日常だったはずなのに。

 

 紅葉の料理には、百人一首大会の「毒」の記憶もない。

 ただただ美味しくて、綺麗で、朔くんを幸せにする魔法。

 私には、もう勝てる要素が何もない。

 

「ごめん、なさい……」

 

 優空は小さく呟くと、自分のお弁当をひったくるように回収し、教室を飛び出した。

 背後で千歳が「あ、優空!?」と呼ぶ声がしたが、すぐに紅葉の「先輩、こっちのデザートも食べてください!」という明るい声にかき消された。

 

 俺は廊下の陰で、泣きながら走り去る優空を見送った。

 残酷だな、才能というのは。

 努力家が十年かけて積み上げた城を、天才は一夜にして、しかも無邪気な笑顔で更地にしてしまう。

 

 夕湖、陽、明日風、そして優空。

 千歳朔を支えていた柱が、次々と折られていく。

 残るはあと一人。

 最もプライドが高く、最も手強い――七瀬悠月。

 そして、この天然の嵐(紅葉)が最後に飲み込むのは、千歳朔自身かもしれない。

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