チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
第三章
### 1
福井の秋風には、どこか寂寥感が混じる。
だが、藤志高のテニスコートには、季節外れの熱狂が渦巻いていた。
体育の選択授業、テニス。
千歳朔が、爽やかな笑顔でラケットを差し出してきた時点で、この展開は予測できていた。
「ねえ転校生、ペアいないなら俺と打とうぜ」
これは勧誘ではない。査定だ。
バスケのダンク、物理の黒板、不良への対応。それらが全て「まぐれ」なのかどうか、直接肌で感じ取るための儀式。
俺は弱気な笑みを浮かべてコートに入る。ギャラリーには七瀬悠月、柊夕湖、そしてクラスの連中。千歳朔の華麗なプレーを期待する視線が集まる。
パコーン、パコーン。
黄色いボールがネットを行き交う。
(……ふん、悪くない)
千歳のテニスは、彼の処世術同様にバランスがいい。
フォームは綺麗で、コントロールも正確。おそらく幼少期にスクールに通っていたのだろう。クラスレベルなら間違いなく「一番上手い奴」だ。
俺はあえて、彼の球威に合わせて打ち返す。千歳は左右にボールを散らし、俺を揺さぶる。
だが、俺にとってはその全てがスローモーションに見えていた。
足を使うまでもない。最小限の予備動作(ステッピング)で、ボールの軌道予測位置にラケットを置くだけだ。
千歳の眉がわずかに顰められる。
打ち込んでも打ち込んでも、壁打ちのように正確に返ってくるボール。
俺の「底」が見えないことに、焦りを感じ始めている。
「……粘るな、お前」
「必死なんだよ、ついていくのに!」
嘘だ。心拍数すら上げていない。
そろそろ、ギアを一段階上げてやるか。
俺はラリーの最中、スルスルとネット際へ詰めた。
(前衛に出た?)
千歳の目が鋭くなる。ストローク戦からネットプレーへの移行。
千歳は瞬時に判断した。俺の横を抜くパッシングショットか、足元を狙うか。
彼は俺のボディ付近、反応しづらい位置への強打を選択した。
「そこっ!」
千歳がラケットを振り抜く。鋭いトップスピンがかかったボールが、俺の胸元へ唸りを上げて飛んでくる。
これがテニスの「定石(セオリー)」だ。ネットに詰めた相手には、強烈なアタックで反応を遅らせる。
だが――甘い。
### 2
そのボールは、俺の「眼」には止まって見えた。
ボールの縫い目、回転数、空気抵抗による軌道の変化。
全ての情報が0.1秒単位で脳内処理される。
普通のボレーなら、面を作って合わせるだけだ。
だが、俺は違った。
ネット際でありながら、ラケットを大きく後ろに引く。**スイングポーズ。**
「は? ボレーの位置で振るのか!?」
外野の驚愕の声が聞こえる。至近距離でフルスイングなど、タイミングがコンマ数秒ズレればホームランか空振りだ。常人の動体視力では不可能に近い自殺行為。
だが、俺にはできる。
俺は飛来するボールの「芯」を、ラケットのスイートスポットで完璧に捉えた。
**ドゴォッ!!**
ボレーとは思えない、爆発的な打球音が響く。
インパクトの瞬間、ボールがひしゃげる感触が手に伝わる。
ボールは強烈なドライブ回転を帯びて加速し、千歳の反応速度を遥かに凌駕して、コートのベースラインぎりぎりに突き刺さった。
**ドライブボレー。**
空中のボールをストロークのように叩く、攻撃的ボレーの極致。
「――っ!?」
千歳は一歩も動けなかった。
ボールは彼の横をすり抜け、フェンスに激突して金網を揺らした。
シーン、と静まり返るコート。
千歳は目を見開き、自分の背後のフェンスと、目の前の俺を呆然と見ていた。
今のショットは、明らかに「素人」や「運動音痴」の次元ではない。プロレベルの反応速度と技術。
恐怖にも似た感情が、千歳の顔に浮かび上がる。
(……見せたぞ、千歳。これが俺とお前の「差」だ)
俺はすぐに表情筋を緩め、へなへなと座り込んだ。
「う、うわぁああ! 今の何!? 怖かったぁ……!」
俺はラケットを放り出し、大げさに震えてみせる。
「ボールが顔に飛んできたから、怖くて目をつぶって適当に振り回しちゃったよ! あ、当たってよかったぁ……死ぬかと思った……」
俺の言い訳に、凍りついていた空気がようやく解凍される。
優空たちが「なんだよビックリさせんな!」「奇跡かよ!」と笑い出す。
だが、千歳朔は動かない。
彼はネット越しに俺を見下ろしていた。
「……目をつぶって振った?」
千歳が低い声で問う。
「うん……怖くてさ」
俺は怯えた上目遣いで答える。
千歳は気づいている。インパクトの瞬間、俺の目が**カッと見開かれ、ボールを獲物として捉えていた**ことを。そして、あのスイングが「適当」などではなく、完璧にコントロールされたフォームだったことを。
彼はラケットを握る手に力を込め、ギリと音をさせた。
認めたくない現実。自分の得意分野ですら、この「凡人」のフリをした転校生に、手加減された上で蹂躙されたという事実。
### 3
テニスの件で、千歳朔の俺に対する疑念は頂点に達していた。
だからこそ、次の一手は決定的でなければならない。
曖昧な「まぐれ」ではなく、逃れようのない「数字」による断罪。
定期考査。
俺は今回のテストで、方針を転換した。
前回の「オール50点」は、あくまでジャブだ。今回はストレートを叩き込む。
俺はペンを走らせた。迷いはない。問題文を読んだ瞬間に答えが出ている。
現代文、数学、英語、情報、物理。
すべての科目において、俺は一切の手加減を捨てた。
そして、結果発表の日。
掲示板の前には、いつものように生徒たちが群がっていた。
だが、今日の空気は異様だった。ざわめきが、ある一点を中心に波紋のように「静寂」へと変わっていく。
誰もがその数字を見て、言葉を失っていた。
**学年順位:1位**
**氏名:綾小路**
**現代文:100点**
**数学Ⅱ:100点**
**英語:100点**
**情報:100点**
**物理:100点**
**合計:500点 / 500点**
完全なる満点(パーフェクト)。
進学校である藤志高の歴史において、かつて存在しなかった異常事態。
2位の千歳朔との点差は、歴然としていた。
「な、なにこれ……?」
「全部100点? バグじゃね?」
「転校生……だよな? あの、運がいいだけの?」
生徒たちが恐る恐る振り返り、通路を作る。
その裂け目を、俺は静かに歩いた。
道化の衣装は脱ぎ捨てた。
猫背を正し、視線を上げる。もうヘラヘラと笑って頭をかく必要はない。
かといって、高笑いをして勝ち誇る必要もない。ただ、当然のことをしただけだ。
俺は掲示板の前で立ち止まる。
自分の名前と、並ぶ「100」の数字を一瞥する。
表情筋は動かさない。喜びも、驚きも、安堵もない。ただの「データの確認」作業。
千歳朔が、群衆の中で硬直していた。
彼の顔から、血の気が引いていた。
彼は理解したのだ。これまでの「50点ジャスト」も、「偶然のシュレディンガー方程式」も、「まぐれのスラムダンク」も、「恐怖のテニス」も。
すべては、俺がお前たちのレベルに合わせて「遊んでやっていた」だけの余興だったと。
俺は千歳に一瞬だけ視線を流し、何も言わずにその場を離れた。
その背中は雄弁に語っていた。
『これが現実だ。お前は王ではない』
### 4
その日の放課後、体育の自由練習時間。
俺はもう、能力を隠すことをやめた。
バスケットボール。パスを貰い、ドリブルで切り裂き、ダンク。
この繰り返し。
周囲からは歓声が上がる。かつて千歳に向けられていた称賛は、今や完全に俺のものとなっていた。
だが、厄介な男が一人いた。
千歳朔だ。
俺が圧倒的な実力を見せつけ、テストで完膚なきまでに叩きのめした後だというのに。
彼はコートの向こう側で、膝に手をついて息を切らしながら――**笑っていた。**
「はぁ、はぁ……やっぱり、すげぇな、お前」
汗まみれの顔を上げ、千歳が俺を見る。
その目に、俺が期待していた「絶望」の色はない。
あるのは、強大な敵を前にした少年漫画の主人公のような、純粋な闘志と「認められたい」という渇望。
「テストの時も思ったけど……お前、今まで俺に合わせてくれてたんだな。俺に、花を持たせるために」
千歳が勘違いを深めながら近づいてくる。
「悔しいけど、完敗だ。……でもさ、嬉しいんだよ」
彼は真っ直ぐな瞳で俺を射抜く。
「この学校で、本気で競い合える相手なんていないと思ってた。俺が一番だと思ってた。でも、上には上がいる。……お前がいてくれれば、俺はもっと強くなれる気がするんだ」
千歳は俺の肩をバシッと叩いた。
「次は負けねぇぞ、綾小路。お前は俺の、最高のライバルだ!」
周囲の女子たち――優空や夕湖たちも、その美しい友情劇に黄色い声を上げる。
「朔くんカッコいい!」「綾小路くんもすごい!」
二人の王が並び立つ、最強の布陣。クラスは熱狂の渦に包まれていた。
俺は千歳の手が置かれた自分の肩を、冷めた目で見下ろした。
(……めでたい奴だ)
実力差を「ライバル関係」という枠組みに落とし込むことで、自我を保ったか。
あるいは、本気でそう信じ込んでいるのか。
どちらにせよ、そのポジティブな思考回路(メンタリティ)は称賛に値する。腐っても主人公、といったところか。
だが、千歳。
お前は一つ、決定的な間違いを犯している。
ライバルとは、力が拮抗している者同士を指す言葉だ。
俺とお前の間にあるのは、天と地ほどの隔絶だ。象は蟻をライバルとは呼ばない。
「……ああ。期待しているよ、千歳」
俺はあえて、彼の熱量に合わせるように短く答えた。
希望を持たせろ。自分もあそこに辿り着けると信じさせろ。
そして、最も高い場所まで登ってきたその瞬間に――梯子を外す。
「ライバル」という甘美な幻想が砕け散った時、お前は初めて本当の地獄を見るだろう。
俺は次の計画――精神的な破壊工作の準備を始めていた。
(続く)