チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第十七章:新たなる刺客編 第6章 ~夜行性の断罪者、単純さという凶器~】

### 29.凍てつく遊具の棺、圧縮された概念

 

 目が覚めた時、視界は真っ暗だった。

 肌を刺すような冷気と、吐き気を催す頭痛。

 私は、公園の土管のような遊具の中で、泥のように眠っていたらしい。

 

「っ……ぁ……」

 

 体を動かそうとすると、全身の筋肉が悲鳴を上げた。顎の関節が軋む。脳が揺れている。

 雪は止んでいたが、私の体温は限界まで低下していた。

 ……生きてる。殺されなかった。いや、「殺す価値すらない」と判断されたのか。

 

 脳裏に蘇るのは、あの無機質な瞳と、絶対的な暴力の記憶。

 

(……勝てるわけ、なかった)

 

 次元が。レベルが。格が違う。

 そんなありきたりな言葉では表現できないほど、彼と私の間には絶望的な断絶があった。

 彼が放っていたのは、単なる格闘技術の優劣ではない。

 まるで**「力」という概念をそのまま圧縮して、人の形を保たせているような威圧感**。

 この世に存在する全ての暴力、全ての支配の源泉が、あの細身の体に詰まっているかのような錯覚。

 

 私たち『No Name』が、必死に牙を研いで目指した到達点。彼は、その遥か彼方の地平に、最初から立っていたのだ。

 

「……化け物……」

 

 震える唇から漏れたのは、恐怖とも崇拝ともつかない言葉だった。

 あんな存在に喧嘩を売り、そして見逃された。その事実だけで、私のプライドは粉々に砕け散っていた。

 

### 30.敗残兵の帰路、監視者の嘲笑

 

 私は遊具から這い出し、ふらつく足取りで歩き出した。

 ダッフルコートは雪と泥で汚れ、オレンジ色の髪はボサボサだ。今の私は、完璧な美少女でも、優秀な工作員でもない。ただのボロボロの敗残兵。

 

 深夜の住宅街。街灯が点滅し、私の長い影をアスファルトに落とす。

 千歳先輩に拒絶され、綾小路清隆に蹂躙され。全てを失った私は、どこへ帰ればいいのだろう。

 足を引きずりながら、角を曲がった時だった。

 

「…………」

 

 そこには、異質な影が待ち構えていた。

 自動販売機の明かりの下。降り積もる雪の中、傘もささずに立つ男。

 黒いスーツに、黒いサングラス。深夜の住宅街にはあまりに不釣り合いな、しかし私にとっては見慣れた「組織」の人間。

 

 男は、ボロボロになった私を見ても、眉一つ動かさなかった。

 サングラスの奥の瞳は見えないが、冷徹な評価を下している気配がする。

 

「――やはり、負けましたか」

 

 男の声は、機械音声のように平坦だった。驚きも落胆もない。まるで、今日の天気を語るかのような口調。

 

「サンプル・クレハ。……あの『最高傑作』に挑むには、君では役不足でしたね」

 

(……知っていたの?)

 

 あいつが何者か。そして、私が挑めばどうなるか。彼らは全て知った上で、私を泳がせ、無様に敗北するデータを収集していたのだ。

 悔しさが込み上げる気力さえなかった。私はガクリと膝をつき、冷たいアスファルトに手をついた。

 

### 31.悪魔の履歴書

 

 粛清される。そう覚悟して身構えた私に対し、男は予想外に穏やかな口調で続けた。

 

「ご安心ください。計画が頓挫した今、組織にはあなたを拘束する義務も権利もありません」

 

 男は懐からタブレット端末を取り出し、私の目の前でチラつかせた。

 

「それより、綾小路清隆の素性について……知りたくないですか?」

 

 場所を移し、黒塗りの高級セダンの後部座席。

 男はタブレットを操作し、いくつかの資料を画面に映し出した。

 

「単刀直入に言いましょう。彼は、我々諜報機関など足元にも及ばない、ある『教育機関』の最高傑作です。通称**『ホワイトルーム』**」

 

 画面には、真っ白な無機質の部屋と、無表情な子供たちのデータ。

 

「あなたたち『No Name』は、あくまで『戦闘と諜報』に特化した尖兵として育成されました。言わば、使い捨てのナイフです。ですが、ホワイトルームは違う。彼らは『あらゆる分野で頂点に立つ人間』を作ることを目的としている」

 

 男は私を見た。

 

「その中でも、彼は別格だ。唯一の成功例にして、完成品(マスターピース)。あなたは人間として作られたが、彼は『王』として作られたのですから」

 

 腑に落ちた。あの圧倒的な威圧感。全てを見透かす観察眼。私が感じた「格の違い」の正体は、才能の差ではなく、積み上げてきた「地獄の密度」の差だったのだ。

 

 車が止まる。私の家の前だった。

 私はふらつく足で車を降りた。雪の中に立ち尽くす私を残し、黒い車は闇へと消えていった。

 

### 32.頭上の死神

 

 望紅葉を降ろした後、組織のエージェントである俺は、車を走らせながら思案していた。

 助手席には、綾小路清隆のデータが表示されたタブレット。

 あの怪物をどう利用するか。弱みはないか? 紅葉を使って揺さぶりをかけ続けるか?

 諜報員としての経験が、俺に甘い夢を見させていた。あの怪物をコントロールできるかもしれないという、致命的な慢心を。

 

 市街地を抜け、街灯の少ない一本道に差し掛かった時。

 前方の歩道橋の上に、黒い人影が立っていた。

 

「……ん?」

 

 目を凝らした、その瞬間。

 影が、落ちてきた。

 いや、違う。**俺の車めがけて、ピンポイントで「降ってきた」。**

 

 **ガシャァァァァァァァンッ!!!!**

 

 轟音。

 強化ガラス製のフロントガラスが粉々に砕け散る。

 歩道橋からの落下エネルギーと、車の進行方向への慣性。その全てを一点に集中させた、ミサイルのようなドロップキックが、ガラスを突き破り車内にねじ込まれた。

 

### 33.暴力の哲学

 

 キキーッ!!

 車がスピンしそうになるのをどうにか制御する。

 割れたガラスの上に、悪魔が蹲(うずくま)っていた。ニット帽を目深に被り、黒い手袋をした男。

 

「俺が……その情報を見逃すとでも思ったのか?」

 

 氷点下の声。

 綾小路はガラス片など気にする素振りもなく、助手席のタブレットを鷲掴みにした。

 

 **バキッ!!**

 

 彼の手の中で、タブレットが飴細工のようにへし折られる。物理的なデータ破壊。

 

「き、貴様……!」

「お前らのような手合いは、すぐに裏工作だの交渉だのと面倒な手順を踏みたがる」

 

 彼は俺の胸ぐらを掴み、その顔を近づけた。瞳には感情の色が一切ない。

 

「俺がどうして、あらゆる解決手段の中から、こういった暴力を選ぶのかわかるか?」

 

 彼は俺の首を締め上げながら、淡々と問うた。

 

「シンプルだからだ。言葉も駆け引きもいらない。肉体を砕き、意識を奪えば、相手は黙る。……最も簡単で、分かりやすく、確実な解決策だ」

 

### 34.逆鱗と交通事故

 

 呼吸ができない。視界が明滅する。

 俺は、触れてはいけないものに触れてしまったのだと悟った。ホワイトルーム。彼の素性。

 

「お前は、俺の逆鱗に触れた」

 

 綾小路はそう宣告すると、拳を振り上げた。

 

 **ドゴッ!!**

 

 顎への正確無比な一撃。俺の意識は瞬断された。

 

 ――その後、綾小路は気絶した男の体を助手席へ押しやり、自らがハンドルを握った。

 アクセルを踏み込む。向かう先は、道路脇の太いコンクリート電柱。

 時速80キロ。

 衝突の直前、彼はドアを開け、雪の積もった路肩へ身を躍らせた。

 

 **ガシャァァァァンッ!!!!**

 

 車は電柱に激突し、大破した。

 綾小路は雪の上を一回転して着地し、炎上し始めた車を一瞥した。

 タブレットは破壊済み。男は重傷。状況証拠は「雪道でのスリップ事故」。

 彼はニット帽の位置を直し、パトカーのサイレンが聞こえる前に、闇夜へと消えていった。

 

### 35.頬の傷、洗い流される罪過

 

 自宅のバスルーム。

 天井から降り注ぐ熱いシャワーが、俺の身体を打ち続けていた。

 排水溝へと吸い込まれていく水は、泥やオイル、そして微かな硝煙の匂いを洗い流していく。

 

 俺は濡れた髪をかき上げ、鏡の曇りを手で拭った。

 そこに映るのは、無表情な自分の顔。そして――右の頬に走る、一本の赤い線。

 

「……フッ」

 

 指先でその傷をなぞる。

 望紅葉。あの後輩の最後の一撃、避けたつもりが確かに俺にかすり傷をつけたようだ。

 俺に傷をつけた人間など、あそこを出て以来、数えるほどしかいない。

 

 俺は思案した。

 **内田優空**。百人一首の汚泥に沈んだ。

 **柊夕湖**。居場所を奪われた。

 **青海陽**。顔面を破壊された。

 **七瀬悠月**。路地裏で尊厳を失った。

 **西野明日風**。聖域を侵された。

 そして、**望紅葉**。最強の刺客は、初恋と出自ごと闇に葬られた。

 

 これであらかたのヒロインには絶望を与えた。

 外堀は完全に埋まった。残るは本丸――千歳朔という空っぽの王様だけ。

 

 俺はシャワーの蛇口を捻り、湯を止めた。

 水滴が床に落ちる音だけが響く。

 

「あとは――――仕上げ(フィナーレ)だな」

 

 俺は暗い感傷に浸りながら、冷えたタオルで顔を拭った。

 鏡の中の怪物が、歪に笑った気がした。

 

【新たなる刺客編・完】

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