チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
### 29.凍てつく遊具の棺、圧縮された概念
目が覚めた時、視界は真っ暗だった。
肌を刺すような冷気と、吐き気を催す頭痛。
私は、公園の土管のような遊具の中で、泥のように眠っていたらしい。
「っ……ぁ……」
体を動かそうとすると、全身の筋肉が悲鳴を上げた。顎の関節が軋む。脳が揺れている。
雪は止んでいたが、私の体温は限界まで低下していた。
……生きてる。殺されなかった。いや、「殺す価値すらない」と判断されたのか。
脳裏に蘇るのは、あの無機質な瞳と、絶対的な暴力の記憶。
(……勝てるわけ、なかった)
次元が。レベルが。格が違う。
そんなありきたりな言葉では表現できないほど、彼と私の間には絶望的な断絶があった。
彼が放っていたのは、単なる格闘技術の優劣ではない。
まるで**「力」という概念をそのまま圧縮して、人の形を保たせているような威圧感**。
この世に存在する全ての暴力、全ての支配の源泉が、あの細身の体に詰まっているかのような錯覚。
私たち『No Name』が、必死に牙を研いで目指した到達点。彼は、その遥か彼方の地平に、最初から立っていたのだ。
「……化け物……」
震える唇から漏れたのは、恐怖とも崇拝ともつかない言葉だった。
あんな存在に喧嘩を売り、そして見逃された。その事実だけで、私のプライドは粉々に砕け散っていた。
### 30.敗残兵の帰路、監視者の嘲笑
私は遊具から這い出し、ふらつく足取りで歩き出した。
ダッフルコートは雪と泥で汚れ、オレンジ色の髪はボサボサだ。今の私は、完璧な美少女でも、優秀な工作員でもない。ただのボロボロの敗残兵。
深夜の住宅街。街灯が点滅し、私の長い影をアスファルトに落とす。
千歳先輩に拒絶され、綾小路清隆に蹂躙され。全てを失った私は、どこへ帰ればいいのだろう。
足を引きずりながら、角を曲がった時だった。
「…………」
そこには、異質な影が待ち構えていた。
自動販売機の明かりの下。降り積もる雪の中、傘もささずに立つ男。
黒いスーツに、黒いサングラス。深夜の住宅街にはあまりに不釣り合いな、しかし私にとっては見慣れた「組織」の人間。
男は、ボロボロになった私を見ても、眉一つ動かさなかった。
サングラスの奥の瞳は見えないが、冷徹な評価を下している気配がする。
「――やはり、負けましたか」
男の声は、機械音声のように平坦だった。驚きも落胆もない。まるで、今日の天気を語るかのような口調。
「サンプル・クレハ。……あの『最高傑作』に挑むには、君では役不足でしたね」
(……知っていたの?)
あいつが何者か。そして、私が挑めばどうなるか。彼らは全て知った上で、私を泳がせ、無様に敗北するデータを収集していたのだ。
悔しさが込み上げる気力さえなかった。私はガクリと膝をつき、冷たいアスファルトに手をついた。
### 31.悪魔の履歴書
粛清される。そう覚悟して身構えた私に対し、男は予想外に穏やかな口調で続けた。
「ご安心ください。計画が頓挫した今、組織にはあなたを拘束する義務も権利もありません」
男は懐からタブレット端末を取り出し、私の目の前でチラつかせた。
「それより、綾小路清隆の素性について……知りたくないですか?」
場所を移し、黒塗りの高級セダンの後部座席。
男はタブレットを操作し、いくつかの資料を画面に映し出した。
「単刀直入に言いましょう。彼は、我々諜報機関など足元にも及ばない、ある『教育機関』の最高傑作です。通称**『ホワイトルーム』**」
画面には、真っ白な無機質の部屋と、無表情な子供たちのデータ。
「あなたたち『No Name』は、あくまで『戦闘と諜報』に特化した尖兵として育成されました。言わば、使い捨てのナイフです。ですが、ホワイトルームは違う。彼らは『あらゆる分野で頂点に立つ人間』を作ることを目的としている」
男は私を見た。
「その中でも、彼は別格だ。唯一の成功例にして、完成品(マスターピース)。あなたは人間として作られたが、彼は『王』として作られたのですから」
腑に落ちた。あの圧倒的な威圧感。全てを見透かす観察眼。私が感じた「格の違い」の正体は、才能の差ではなく、積み上げてきた「地獄の密度」の差だったのだ。
車が止まる。私の家の前だった。
私はふらつく足で車を降りた。雪の中に立ち尽くす私を残し、黒い車は闇へと消えていった。
### 32.頭上の死神
望紅葉を降ろした後、組織のエージェントである俺は、車を走らせながら思案していた。
助手席には、綾小路清隆のデータが表示されたタブレット。
あの怪物をどう利用するか。弱みはないか? 紅葉を使って揺さぶりをかけ続けるか?
諜報員としての経験が、俺に甘い夢を見させていた。あの怪物をコントロールできるかもしれないという、致命的な慢心を。
市街地を抜け、街灯の少ない一本道に差し掛かった時。
前方の歩道橋の上に、黒い人影が立っていた。
「……ん?」
目を凝らした、その瞬間。
影が、落ちてきた。
いや、違う。**俺の車めがけて、ピンポイントで「降ってきた」。**
**ガシャァァァァァァァンッ!!!!**
轟音。
強化ガラス製のフロントガラスが粉々に砕け散る。
歩道橋からの落下エネルギーと、車の進行方向への慣性。その全てを一点に集中させた、ミサイルのようなドロップキックが、ガラスを突き破り車内にねじ込まれた。
### 33.暴力の哲学
キキーッ!!
車がスピンしそうになるのをどうにか制御する。
割れたガラスの上に、悪魔が蹲(うずくま)っていた。ニット帽を目深に被り、黒い手袋をした男。
「俺が……その情報を見逃すとでも思ったのか?」
氷点下の声。
綾小路はガラス片など気にする素振りもなく、助手席のタブレットを鷲掴みにした。
**バキッ!!**
彼の手の中で、タブレットが飴細工のようにへし折られる。物理的なデータ破壊。
「き、貴様……!」
「お前らのような手合いは、すぐに裏工作だの交渉だのと面倒な手順を踏みたがる」
彼は俺の胸ぐらを掴み、その顔を近づけた。瞳には感情の色が一切ない。
「俺がどうして、あらゆる解決手段の中から、こういった暴力を選ぶのかわかるか?」
彼は俺の首を締め上げながら、淡々と問うた。
「シンプルだからだ。言葉も駆け引きもいらない。肉体を砕き、意識を奪えば、相手は黙る。……最も簡単で、分かりやすく、確実な解決策だ」
### 34.逆鱗と交通事故
呼吸ができない。視界が明滅する。
俺は、触れてはいけないものに触れてしまったのだと悟った。ホワイトルーム。彼の素性。
「お前は、俺の逆鱗に触れた」
綾小路はそう宣告すると、拳を振り上げた。
**ドゴッ!!**
顎への正確無比な一撃。俺の意識は瞬断された。
――その後、綾小路は気絶した男の体を助手席へ押しやり、自らがハンドルを握った。
アクセルを踏み込む。向かう先は、道路脇の太いコンクリート電柱。
時速80キロ。
衝突の直前、彼はドアを開け、雪の積もった路肩へ身を躍らせた。
**ガシャァァァァンッ!!!!**
車は電柱に激突し、大破した。
綾小路は雪の上を一回転して着地し、炎上し始めた車を一瞥した。
タブレットは破壊済み。男は重傷。状況証拠は「雪道でのスリップ事故」。
彼はニット帽の位置を直し、パトカーのサイレンが聞こえる前に、闇夜へと消えていった。
### 35.頬の傷、洗い流される罪過
自宅のバスルーム。
天井から降り注ぐ熱いシャワーが、俺の身体を打ち続けていた。
排水溝へと吸い込まれていく水は、泥やオイル、そして微かな硝煙の匂いを洗い流していく。
俺は濡れた髪をかき上げ、鏡の曇りを手で拭った。
そこに映るのは、無表情な自分の顔。そして――右の頬に走る、一本の赤い線。
「……フッ」
指先でその傷をなぞる。
望紅葉。あの後輩の最後の一撃、避けたつもりが確かに俺にかすり傷をつけたようだ。
俺に傷をつけた人間など、あそこを出て以来、数えるほどしかいない。
俺は思案した。
**内田優空**。百人一首の汚泥に沈んだ。
**柊夕湖**。居場所を奪われた。
**青海陽**。顔面を破壊された。
**七瀬悠月**。路地裏で尊厳を失った。
**西野明日風**。聖域を侵された。
そして、**望紅葉**。最強の刺客は、初恋と出自ごと闇に葬られた。
これであらかたのヒロインには絶望を与えた。
外堀は完全に埋まった。残るは本丸――千歳朔という空っぽの王様だけ。
俺はシャワーの蛇口を捻り、湯を止めた。
水滴が床に落ちる音だけが響く。
「あとは――――仕上げ(フィナーレ)だな」
俺は暗い感傷に浸りながら、冷えたタオルで顔を拭った。
鏡の中の怪物が、歪に笑った気がした。
【新たなる刺客編・完】