チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第十七章:新たなる刺客編 第5章 ~高速の問答、井の中の蛙と大海の魔王~】

### 25.月下の密会、混ぜ合わせた人格

 

 深夜22時。

 千歳朔が逃げ出したあの公園は、死んだように静まり返っていた。

 街灯がチカチカと点滅し、降り積もった雪を青白く照らし出している。

 

 俺はベンチに座り、缶コーヒーのプルタブを開けた。カシュッ、という音が寒空に響く。

 普通の高校生なら補導される時間だが、今から来るのは「普通」の枠には収まらない存在だ。

 

「……意外と早かったな」

 

 俺はコーヒーに口をつけず、背後の闇に向かって声をかけた。

 足音はしなかった。気配も消していた。だが、俺の肌が異質な殺意の接近を感知していた。

 

「――こんばんは、綾小路先輩」

 

 闇の中から、オレンジ色の髪がふわりと浮かび上がった。

 望紅葉。

 制服の上にダッフルコートを羽織り、マフラーを巻いている。一見すれば、デートの待ち合わせに来た可愛らしい後輩だ。その瞳に、底知れない闇が渦巻いていなければ。

 

「待たせてごめんなさいっ! 準備に時間がかかっちゃって」

 

 紅葉が駆け寄ってくる。その声色は、学校で千歳に向けていたものと同じ、甘く弾むようなトーンだ。

 彼女は俺の前のベンチにちょこんと座り、小首を傾げてニコリと笑った。

 

「……で? 遺言の準備はできましたか?」

 

 瞬間、声の温度が氷点下まで下がった。

 笑顔のまま、瞳孔だけが冷徹に収縮する。「可愛い後輩」と「冷酷な始末屋」。二つの人格(ペルソナ)が、マーブル模様のように混ざり合っている。

 

「随分と物騒な挨拶だな。先輩に対する敬意が足りないんじゃないか?」

「あはは! 先輩こそぉ! あんな動画を送ってくるなんて、性格悪すぎですよぉ」

 

 甘い声。

 

「千歳先輩、泣いてたんですよ? 私のこと、化け物を見る目で見て……震えてて。……あ、でもやっぱり許せないなぁ。私の計画(ミッション)、完璧だったのに」

 

 ドスの効いた声。

 彼女は立ち上がり、俺の顔を覗き込む。その距離、わずか数センチ。

 

「私の初恋、返してくださいよぉ、綾小路センパイ?」

 

「……断る」

 

 俺は短く答えた。

 その言葉に、紅葉の表情から笑みが消えた。真顔。それは施設で訓練を受けていた頃の「No Name」の顔だ。

 

「……ねえ、一つ聞いていいですか? 貴方の目的は、何ですか? 千歳先輩を壊して、私を煽って……何がしたいんですか?」

 

 純粋な疑問。彼女には理解できないのだろう。任務(オーダー)もなしに破壊を行う俺の思考が。

 

「答える義理はないな」

 

 俺はけだるげに言い放ち、缶コーヒーを地面に置いた。

 

「強いて言うなら……退屈しのぎだ」

 

「……そうですか」

 

 紅葉は深くため息をつき、マフラーを外した。

 ダッフルコートの前を開け、動きやすい状態を作る。

 

「退屈しのぎで私の人生を狂わせたなら……その代償は、体で払ってもらいますよ」

 

 彼女が半歩、足を引く。構えなど取らない。自然体こそが最も速いと知っている者の立ち姿。

 

「なら、勝ったら教えてもらいましょうかねっっ。貴方の正体も! 目的も!」

 

 **ザッ!!**

 

 彼女の足が爆発的に地面を蹴った。雪が舞い上がる。

 会話終了。交渉決裂。火蓋は切って落とされた。

 

### 26.高速の問答

 

 **ヒュンッ!!**

 

 鋭い風切り音が、俺の鼻先数ミリを通過した。

 貫手(ぬきて)。狙いは眼球、あるいは喉仏。当たれば即死の鋭さ。

 俺は首をわずかに傾けるだけで躱すが、次の瞬間には脇腹へと回転蹴りが迫っていた。

 

 **ドォン!!**

 

 俺は左腕でガードする。重い。鉄柱で殴られたような芯のある衝撃。

 彼女は蹴りの反動を利用してバックステップし、着地した。

 

「……硬いですねぇ、先輩」

「鍛えているだけだ。お前こそ、骨格の使い方が人間離れしているな」

 

 互いに距離を取り、円を描くように歩く。

 その一合だけで理解した。彼女の技術はスポーツ格闘技ではない。効率的に人体を破壊するための軍隊式近接格闘術(CQC)。

 

「じゃあ、答え合わせといきましょうか」

 

 紅葉が再び踏み込む。フェイントを織り交ぜた連撃。

 

「文化祭のお化け屋敷。あのワイヤー、切断面が鋭利すぎました。時間差で切れる『細工』ですよね?」

 

 **バシッ、パパンッ!**

 俺は彼女の拳を掌で受け流す。

 

「……よく見ているな」

「理科室のボヤ騒ぎ。ニトログリセリンですよね? 精製したんでしょう?」

 

 紅葉が低い姿勢から足を刈りに来る。俺は軽く跳躍してかわし、カウンターを放つが、彼女はブリッジのような体勢で避けた。異常な柔軟性。

 

「そして、傑作だったのは百人一首大会。優空先輩の豚汁……お肉に何か塗りましたよね? 油膜でコーティングして、煮込んでいる間に溶け出すようにした!」

 

 **ガギィッ!!**

 

 彼女の踵落としを、俺は両腕をクロスさせて受け止める。

 

「……正解だ。下剤を濃縮した時限爆弾だ」

「やっぱり……! 最低です、貴方は!」

 

 紅葉が空中で体を捻り、二段蹴りを放つ。

 俺はそれを紙一重で躱し、彼女の着地の隙を狙って掌底を打ち込む。

 **ドンッ。**

 彼女は雪の上を滑るが、倒れない。

 

 俺は構えを解かず、静かに観察した。

 分析力は合格点。戦闘技術も、一般人が一生かけても到達できない領域にある。

 『No Name』の最高傑作。あながち嘘ではないらしい。

 

 だが――惜しいな。

 

「分析力は合格点だ。だが、詰めが甘い。感情で動きすぎだ」

「うるさいッ!!」

 

 紅葉が激昂し、大振りの右フックを放つ。

 俺はその懐に潜り込み、彼女の鳩尾に拳をめり込ませる――寸前で止めた。

 

「……!?」

 

 紅葉が動きを止める。俺の拳が、皮一枚で停止している。

 

「遊びは終わりだ、後輩。答え合わせは済んだな? なら、次は俺からの出題(テスト)だ」

 

### 27.大海を知らぬアヒル

 

 俺は拳を引き、不敵に笑った。

 紅葉の顔色が変わる。彼女はまだ、自分が拮抗できていると錯覚していたのだ。俺の攻撃を避け、自分の攻撃が届く距離にいると。

 

(……めでたい奴だ)

 

 彼女は気づいていない。俺が「あえて」その距離で戦ってやっていることに。

 彼女のリズムに「合わせてやっている」ことに。

 

 **アヒルが急に大海に放り出されても、その広さを理解できないように。**

 目の前の水面しか見えていない鳥は、自分が世界の果てまで泳げると錯覚する。

 **貧しい子供が美酒を知らないように。**

 泥水を啜ってきた者は、それが最高のご馳走だと信じて疑わない。

 

 圧倒的な差というものは、時に理解すら拒む。

 彼女は俺の深淵(レベル)が見えていない。だからこそ、恐怖を感じずに拳を振るうことができる。

 

 俺は脳内のスイッチを切り替えた。

 ギアを一段、上げる。

 

 **ザンッ!!**

 

 俺の動きが変わった。速さではない。「質」が変わった。

 紅葉の突きを、最小限の動きで逸らす。今までは大きく避けていたものを、皮膚一枚の距離で見切る。

 

「……っ!?」

 

 紅葉が違和感に眉をひそめる。俺はその隙間(ポケット)に滑り込み、彼女の耳元で囁いた。

 

「次は、お前の素性の答え合わせといこうか」

 

 俺の拳が彼女の脇腹を浅く掠める。それだけで彼女の体勢が崩れる。

 

「内閣情報調査室・特別育成機関。……通称『No Name』(名もなき計画)」

 

 その単語が出た瞬間、紅葉の動きがピタリと硬直した。

 致命的な隙。俺は彼女の腕を絡め取り、関節を極めながら続ける。

 

「な……んで……」

「その構え。重心移動の癖。教官は『カザマ』か? いや、そのステップは第4セクターの訓練課程だな」

 

 俺は彼女を突き放し、追撃の回し蹴りを放つ。彼女はガードするが、数メートル吹き飛ばされる。

 

「ど、どうして知ってるんですか……! 貴方は何者なんですか!?」

 

 紅葉がガタガタと震え出す。

 俺が単なる高校生ではないことを、肌で理解し始めたのだ。

 彼女が錯乱して突っ込んでくる。だが、その攻撃はもう鋭さを失っていた。

 俺はその拳を、掌で包み込むように受け止めた。

 **バシッ。**

 

「知っているも何も。……お前が教わったその技術(スキル)。その教本(マニュアル)を作った内の一人が、俺だと言ったらどうする?」

 

「……ッ!!」

 

 嘘か真実か。それを判断する冷静さすら、今の彼女にはない。

 ただ、目の前に聳え立つ「壁」の高さが、天まで届いていることだけは理解できたはずだ。

 

「さあ、泣き叫べよ、最高傑作」

 

 俺は握った手を引き寄せ、彼女の腹部に膝を叩き込んだ。

 

 **ドゴォッ!!**

 

「が、はっ……!!」

 

 紅葉の体がくの字に折れる。

 大海を知ったアヒルが、波に飲まれて沈んでいく。

 ここから先は、戦いではない。上位種による、一方的な「管理」の時間だ。

 

### 28.強制終了(シャットダウン)

 

 それでも、彼女は抗った。

 口から胃液を垂れ流しながら、なりふり構わぬ乱打を繰り出す。

 指で目を突き、噛みつき、頭突きを狙う。生存本能と意地が、壊れかけた肉体を駆動させる。

 

(……しつこいな)

 

 俺は冷ややかに評価する。

 だが、無意味だ。俺と彼女の間にあるのは、「完成品」と「廃棄品」の構造的な欠陥の差だ。

 雪が激しくなり、視界を白く染める中、俺は彼女のあがきに飽き始めていた。

 

「はぁ、はぁ……っ! まだ、まだ私は……!」

 

 紅葉がふらつく足で、決死の右ストレートを放つ。

 俺はその軌道を見切り、半歩だけ内側へ踏み込んだ。

 

「……もう、良いだろう」

 

 俺は低く告げると同時に、沈み込んだ体勢から爆発的な運動エネルギーを解放した。

 狙うのはボディではない。意識を刈り取るスイッチだ。

 

 **ズンッ!!**

 

 俺の右膝が突き上げられた。

 骨を砕かないよう制御し、紅葉の顎の先端を**「擦り上げる」**ようにヒットさせる。

 

 **ガッ。**

 

 軽いが、鋭い衝撃。

 脳が頭蓋の中でシェイクされ、三半規管が機能不全に陥る。**脳震盪**。

 

「あ……、が……?」

 

 紅葉の瞳から光が消失する。

 その薄れゆく意識の中で、彼女の脳裏に閃くものがあった。

 感情を排した制圧術。人間離れした反応速度。「教本を作った」という言葉。

 彼女は、施設の教官たちが恐れ、憧れていた「ある機関」の噂を思い出した。

 

 彼女の唇が、戦慄と共に動く。

 

「あなた……まさか……『ホワイトルー』――」

 

 **「――そこまでだ」**

 

 俺は彼女がその禁忌の単語を紡ぎ終えるのを待たなかった。

 俺は崩れ落ちる彼女の襟首を掴み、引き寄せた。

 そして、空いている左掌で、彼女の側頭部に鋭い衝撃(インパクト)を叩き込んだ。

 

 **ドンッ!!**

 

 思考回路の物理的遮断。

 紅葉の瞳が完全に裏返る。彼女は糸が切れた操り人形のように脱力し、俺の手を離れると、冷たい雪の積もった地面にひれ伏した。

 オレンジ色の髪が、白い雪に埋もれていく。

 

 俺は彼女を見下ろし、息を吐いた。

 

「……喋りすぎだ、後輩」

 

 静寂が戻った公園で、俺は意識のない彼女のポケットからスマートフォンを抜き取った。

 さて、この「壊れたおもちゃ」をどう処理するか。

 俺は次なる計画の構築を始めた。

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