チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第二十八章:堕ちた偶像、あるいは囁きの教室】

### 1.汚染された朝の空気

 

 週が明け、月曜日の朝。

 福井の空は、昨日の雨が雪に変わり、重く湿った鉛色をしていた。

 登校時間の昇降口。

 いつもなら「おはよう」という挨拶や、部活に励む生徒たちの笑い声が交差するこの場所が、今朝は異様な「湿り気」を帯びていた。

 

 ざわ……ざわ……。

 

 波の音のような、無数の囁き声。

 生徒たちは皆、スマホの画面を見せ合い、口元を手で隠し、ひそひそと情報を交換している。

 その視線は一様に、3年生の教室がある棟へと向けられていた。

 

「ねえ、聞いた? あの西野先輩が……」

「マジらしいよ。昨日の模試で、現行犯だって」

「嘘でしょ? あんなに頭いいのに?」

「ポケットからガッツリ出てきたって話だよ。見かけによらないよなー」

 

 **カンニング。不正行為。**

 その単語が、ウイルスのごとき感染力で校内を駆け巡っていた。

 噂の伝播速度は光よりも速い。特に、普段「完璧」だと思われている人間が堕ちる話ほど、大衆にとっては極上の蜜の味となる。

 

 才色兼備、クールで知的な文学少女。

 そんな西野明日風のブランドは、一夜にして「裏で卑怯な手を使う詐欺師」へと書き換えられていた。

 

 俺は上履きに履き替えながら、その粘着質な空気(ノイズ)を心地よく吸い込んだ。

 誰も、俺がやったとは疑っていない。

 ただ、「西野明日風がプレッシャーに負けて自滅した」という事実だけが、揺るぎない真実として定着している。

 

### 2.崩壊した最後の砦

 

 2年5組の教室に入ると、そこは小さなお通夜会場のようだった。

 クラスメイトたちも、この話題で持ちきりだ。

 

 そして、その中心――ではない、教室の隅の席に、千歳朔が座っていた。

 彼は机に突っ伏し、ピクリとも動かない。

 まるで、魂が抜け落ちた抜け殻のようだ。

 

 彼にとって、西野明日風は「最後の砦」だった。

 内田優空が汚物にまみれ、七瀬悠月や柊夕湖が去り、望紅葉が化け物だと判明したこの世界で、唯一「正しく、美しく、自分を受け入れてくれる」聖域。

 その聖域が、最も醜悪な形で汚されたのだ。

 

「……朔」

 

 内田優空が、腫れ物に触るように声をかける。

 だが、千歳は顔を上げない。

 彼の手元にあるスマートフォンが、ブブッ、と短く震えた。

 通知画面が見える。

 『明日風先輩』からのメッセージ。

 おそらく、「やっていない」「信じてほしい」という悲痛な叫びが綴られているはずだ。

 

 しかし、千歳は画面をタップすることさえしない。

 指先が震え、拒絶している。

 

 なぜなら、彼は「見てしまった」からだ。

 他ならぬ望紅葉の一件で、「信じていた相手の裏の顔」を突きつけられたばかりなのだ。

 人間不信。疑心暗鬼。

 『明日風先輩も、俺を騙していたのか?』

 『あの知的な態度は、全部演技だったのか?』

 

 一度芽生えた疑念の種は、俺が撒いた肥料によって急速に成長し、彼の思考回路を埋め尽くしている。

 「信じたい」という気持ちよりも、「また裏切られるのが怖い」という防衛本能が勝ってしまっているのだ。

 

### 3.大衆という名の処刑人

 

「ショックだわー。西野先輩、憧れてたのに」

「推薦狙いだったんでしょ? これで取り消し確定じゃん」

「てか、今までの成績も実力だったのか怪しくね?」

 

 教室のあちこちから聞こえる、無責任な断罪の声。

 かつて明日風を崇めていた者ほど、掌を返して石を投げる。

 「信じていたのに裏切られた」という勝手な被害者意識が、攻撃性を正当化するからだ。

 

 俺は自分の席に座り、教科書を開いた。

 その視界の端で、千歳の肩が小刻みに震えているのが見えた。

 

 彼は両手で耳を塞いでいた。

 大好きな先輩が悪口を言われているのを聞きたくないのか。

 それとも、先輩を庇うこともできず、信じることもできない自分自身の情けなさに耐えられないのか。

 

 河川敷で過ごした、静謐で文学的な時間。

 あれはもう、二度と戻らない。

 今の明日風は、針の筵(むしろ)の上で、好奇の目に晒されながら必死に身の潔白を訴える「惨めな容疑者」でしかないのだから。

 

### 4.観察者の独白

 

(……脆いものだ)

 

 俺はページをめくるふりをして、口元を緩めた。

 人の評価など、紙切れ一枚(カンペ)で反転する。

 積み上げた信頼も、実績も、ブランドも。

 悪意という名の劇薬を一滴垂らすだけで、どす黒く変色し、腐敗していく。

 

 千歳朔。

 お前の周りにいた「光」は、すべて消えた。

 料理上手な家庭的な少女は、汚物にまみれた。

 有能な美女は、暴力に屈した。

 最強の後輩は、お前を拒絶した。

 そして、憧れの先輩は、卑怯者の烙印を押された。

 

 お前は今、本当の意味で「独り」になった。

 誰も助けてくれない。

 誰も導いてくれない。

 硝子の王様は、誰もいない玉座で、ただ砕け散るのを待つのみ。

 

「……さて」

 

 俺は窓の外を見る。

 雪が激しくなってきた。

 世界を白く塗りつぶす雪のように、俺がこの物語を終わらせてやる。

 

 そろそろ、チェックメイトの時間だ。

 俺は千歳の震える背中に向けて、音のない引導を渡した。

 次の舞台は、逃げ場のない雪山(合宿所)だ。

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