チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
### 1.汚染された朝の空気
週が明け、月曜日の朝。
福井の空は、昨日の雨が雪に変わり、重く湿った鉛色をしていた。
登校時間の昇降口。
いつもなら「おはよう」という挨拶や、部活に励む生徒たちの笑い声が交差するこの場所が、今朝は異様な「湿り気」を帯びていた。
ざわ……ざわ……。
波の音のような、無数の囁き声。
生徒たちは皆、スマホの画面を見せ合い、口元を手で隠し、ひそひそと情報を交換している。
その視線は一様に、3年生の教室がある棟へと向けられていた。
「ねえ、聞いた? あの西野先輩が……」
「マジらしいよ。昨日の模試で、現行犯だって」
「嘘でしょ? あんなに頭いいのに?」
「ポケットからガッツリ出てきたって話だよ。見かけによらないよなー」
**カンニング。不正行為。**
その単語が、ウイルスのごとき感染力で校内を駆け巡っていた。
噂の伝播速度は光よりも速い。特に、普段「完璧」だと思われている人間が堕ちる話ほど、大衆にとっては極上の蜜の味となる。
才色兼備、クールで知的な文学少女。
そんな西野明日風のブランドは、一夜にして「裏で卑怯な手を使う詐欺師」へと書き換えられていた。
俺は上履きに履き替えながら、その粘着質な空気(ノイズ)を心地よく吸い込んだ。
誰も、俺がやったとは疑っていない。
ただ、「西野明日風がプレッシャーに負けて自滅した」という事実だけが、揺るぎない真実として定着している。
### 2.崩壊した最後の砦
2年5組の教室に入ると、そこは小さなお通夜会場のようだった。
クラスメイトたちも、この話題で持ちきりだ。
そして、その中心――ではない、教室の隅の席に、千歳朔が座っていた。
彼は机に突っ伏し、ピクリとも動かない。
まるで、魂が抜け落ちた抜け殻のようだ。
彼にとって、西野明日風は「最後の砦」だった。
内田優空が汚物にまみれ、七瀬悠月や柊夕湖が去り、望紅葉が化け物だと判明したこの世界で、唯一「正しく、美しく、自分を受け入れてくれる」聖域。
その聖域が、最も醜悪な形で汚されたのだ。
「……朔」
内田優空が、腫れ物に触るように声をかける。
だが、千歳は顔を上げない。
彼の手元にあるスマートフォンが、ブブッ、と短く震えた。
通知画面が見える。
『明日風先輩』からのメッセージ。
おそらく、「やっていない」「信じてほしい」という悲痛な叫びが綴られているはずだ。
しかし、千歳は画面をタップすることさえしない。
指先が震え、拒絶している。
なぜなら、彼は「見てしまった」からだ。
他ならぬ望紅葉の一件で、「信じていた相手の裏の顔」を突きつけられたばかりなのだ。
人間不信。疑心暗鬼。
『明日風先輩も、俺を騙していたのか?』
『あの知的な態度は、全部演技だったのか?』
一度芽生えた疑念の種は、俺が撒いた肥料によって急速に成長し、彼の思考回路を埋め尽くしている。
「信じたい」という気持ちよりも、「また裏切られるのが怖い」という防衛本能が勝ってしまっているのだ。
### 3.大衆という名の処刑人
「ショックだわー。西野先輩、憧れてたのに」
「推薦狙いだったんでしょ? これで取り消し確定じゃん」
「てか、今までの成績も実力だったのか怪しくね?」
教室のあちこちから聞こえる、無責任な断罪の声。
かつて明日風を崇めていた者ほど、掌を返して石を投げる。
「信じていたのに裏切られた」という勝手な被害者意識が、攻撃性を正当化するからだ。
俺は自分の席に座り、教科書を開いた。
その視界の端で、千歳の肩が小刻みに震えているのが見えた。
彼は両手で耳を塞いでいた。
大好きな先輩が悪口を言われているのを聞きたくないのか。
それとも、先輩を庇うこともできず、信じることもできない自分自身の情けなさに耐えられないのか。
河川敷で過ごした、静謐で文学的な時間。
あれはもう、二度と戻らない。
今の明日風は、針の筵(むしろ)の上で、好奇の目に晒されながら必死に身の潔白を訴える「惨めな容疑者」でしかないのだから。
### 4.観察者の独白
(……脆いものだ)
俺はページをめくるふりをして、口元を緩めた。
人の評価など、紙切れ一枚(カンペ)で反転する。
積み上げた信頼も、実績も、ブランドも。
悪意という名の劇薬を一滴垂らすだけで、どす黒く変色し、腐敗していく。
千歳朔。
お前の周りにいた「光」は、すべて消えた。
料理上手な家庭的な少女は、汚物にまみれた。
有能な美女は、暴力に屈した。
最強の後輩は、お前を拒絶した。
そして、憧れの先輩は、卑怯者の烙印を押された。
お前は今、本当の意味で「独り」になった。
誰も助けてくれない。
誰も導いてくれない。
硝子の王様は、誰もいない玉座で、ただ砕け散るのを待つのみ。
「……さて」
俺は窓の外を見る。
雪が激しくなってきた。
世界を白く塗りつぶす雪のように、俺がこの物語を終わらせてやる。
そろそろ、チェックメイトの時間だ。
俺は千歳の震える背中に向けて、音のない引導を渡した。
次の舞台は、逃げ場のない雪山(合宿所)だ。