チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第三十章:二者面談編・第一話 ~王の落日と、色褪せた華~】

### 1.倦怠の進路指導室

 

 12月の放課後。

 日が落ちるのが早い北陸の冬は、校舎を早々に薄闇へと沈めていく。

 特別棟の端にある進路指導室は、古びた石油ストーブが唸る重低音と、灯油が燃える独特の臭気に満たされていた。

 

「あーあ……めんどくせぇ。なんで俺がこんな真面目な顔して、生徒の人生相談なんざしなきゃなんねーんだよ」

 

 2年5組担任、岩波蔵之介は、安っぽいパイプ椅子に深く身体を沈め、天井を仰いで盛大に悪態をついた。

 手元には、まだ半分も消化していない生徒名簿と進路調査票の束。

 俺は基本的に「適当・放任」を信条とする教師だ。

 生徒の自主性を尊重する、といえば聞こえはいいが、要するに面倒事は御免だと思っている。給料分は働くが、それ以上の熱血指導などごめんだ。

 

 特に、この2年5組に関しては、俺は楽をさせてもらっていた。

 なぜなら、このクラスには**千歳朔**がいたからだ。

 

 あいつがいれば、クラスは勝手にまとまる。

 行事も盛り上がるし、些細なトラブルもあいつが上手く処理してくれる。

 俺はあいつに「あと頼むわー」と丸投げしておけば、万事解決。

 まさに教師にとっての理想的な「王様」だったわけだ。

 

 今日の面談も、千歳に関しては形式的なもので終わるはずだった。

 成績は優秀、人望も厚い。

 『お前ならどこでも行けるだろ』『まあ適当に頑張れよ』

 そんな軽口を叩いて、5分で終わらせて、早く職員室に戻って缶コーヒーでも飲む予定だったんだ。

 

 ――コン、コン。

 

 控えめなノックの音が響いた。

 予定の時間だ。

 

「……入れ」

 

 俺は足を組み直し、少しだけ教師らしい顔を作って扉の方を向いた。

 ガララ、と引き戸が開く音が、やけに重く感じられた。

 

「……失礼します」

 

 入ってきた生徒を見て、俺は組んでいた足を解いた。

 そして、かけようとしていた軽口を、喉の奥で飲み込んだ。

 

### 2.別人の抜け殻(千歳朔)

 

「……千歳、か?」

 

 俺は思わず、そう問いかけていた。

 目の前に座った男子生徒。

 名簿には確かに「千歳朔」とある。顔の造作も、着ている制服もあいつのものだ。

 だが、纏っている空気がまるで違った。

 

 かつてあいつが発していた、あの鬱陶しいほどの陽性のオーラ、周囲を巻き込む引力のようなものは微塵もない。

 背中は丸まり、視線は床の一点を見つめたまま動かない。

 目の下には濃い隈があり、頬はこけている。

 まるで、何日も寝ていない遭難者のような、あるいはすべてを燃やし尽くしてしまった灰のような顔つきだ。

 

「……先生。進路の話ですよね」

 

 千歳の声は、乾いた砂のようにカサついていた。

 

「あ、ああ。まあな。……お前、体調でも悪いのか?」

 

 俺が尋ねると、彼は力なく首を横に振った。

 

「いえ。普通です。これが、今の俺の普通ですから」

 

 その言葉に、背筋が寒くなった。

 何があった?

 文化祭の中止、百人一首での内田の事故、西野のカンニング騒動。

 確かに今年はトラブル続きだった。あいつの周りで不幸が続いているのは知っている。

 だが、千歳朔という男は、そんな逆境こそを糧にして輝くタイプじゃなかったか?

 こんな風に、簡単に折れるようなタマだったか?

 

「……で、志望校だが。お前なら難関私大も狙えるし、指定校推薦の枠も余ってるぞ。お前が手を挙げれば誰も文句は言わない」

 

 俺は努めて事務的に話を進めようとした。

 だが、千歳は俺の言葉を遮った。

 

「どこでも、いいです」

 

「は?」

 

「偏差値とか、評判とか、どうでもいいです。……ただ、静かなところがいい。誰も俺を知らない、誰も俺に期待しない場所なら、どこでも」

 

 その瞳には、深い絶望と、人間への不信感が渦巻いていた。

 誰かと関わることを極端に恐れ、社会から逃避しようとする者の目だ。

 

「おいおい、千歳。お前はクラスの中心だろ? みんなお前を頼りにしてるんだぞ。ここで腐ってたら……」

 

 俺は努めて明るく、いつもの調子で発破をかけようとした。

 だが、それは逆効果だった。

 

「……やめてください」

 

 千歳が顔を歪め、自分の両腕を抱くようにして身を震わせた。

 

「頼られるのは、もう嫌だ。期待されるのも、裏切られるのも、もう沢山なんだ……!」

 

 悲痛な叫び。

 それは、クラスのカーストトップとして君臨していた男の、完全なる敗北宣言だった。

 

「優空はあんなことになって……明日風先輩は退学寸前で……。俺が関わった人間は、みんな不幸になるんです。俺は、疫病神なんです」

 

 彼は自分を責めていた。

 だが、その自責の念すらも、もう彼を立ち上がらせるエネルギーにはなっていなかった。ただ、自分を押し潰す重石にしかなっていない。

 

「だから、俺はもう誰とも関わりたくない。……一人になれる場所なら、Fランだろうが専門学校だろうが構いません」

 

 俺は溜め息をつき、ボールペンを置いた。

 ここまで壊れてしまっては、もう再起は不可能だ。

 俺が楽をするためのシステム(千歳政権)は、完全に機能停止した。

 

「……わかった。今日はもういい。とりあえず、少し休め」

 

 俺は彼を帰した。

 千歳は「失礼しました」と小さく頭を下げ、亡霊のように部屋を出て行った。

 

### 3.色褪せた華(柊夕湖)

 

 部屋に残った俺は、冷めたコーヒーを啜った。

 不気味だ。

 千歳という「陽」が沈んだ後、この2年5組という空間は、奇妙なほど静かで、秩序立っている。

 荒れるわけでもなく、崩壊するわけでもない。

 まるで、千歳に代わる「別の何か」が、見えない糸でクラス全体を統制しているかのような――。

 

 気を取り直し、次の生徒を呼ぶ。

 

「――入れ」

 

 ガララ、と引き戸が開く。

 入ってきたのは、派手なカーディガンと、校則ギリギリの短いスカート。甘ったるい香水の匂いが鼻をつく。

 クラスの女子カースト最上位、**柊夕湖**だ。

 

「……失礼しまーす」

 

 声が、軽い。

 いや、軽すぎる。

 以前の彼女なら、「せんせー! 進路とかマジだるいんだけどー!」と、部屋の空気を塗り替えるようなエネルギーを放っていただろう。

 だが、今の彼女の声には、中身が詰まっていない。まるで録音された音声を再生しているような、乾いた響きだ。

 

 俺は椅子に座った彼女を観察した。

 メイクは相変わらずバッチリだ。髪も巻いている。

 だが、自慢だったはずの派手なネイルアートは所々剥がれかけ、爪先がささくれているのが見えた。

 手入れをする気力すらないのか、それとも、もう誰に見せる必要もなくなったのか。

 

「で、柊。お前はどうするんだ? 進学か?」

 

 俺が尋ねると、夕湖は視線を泳がせた。

 

「えー、どうしよっかなー。……みんなが行くところでいいかなーって」

 

「みんなって、誰だ?」

 

「えっと……朔とか、悠月とか……」

 

 彼女は指先をいじりながら、かつての仲間の名前を挙げる。

 だが、その声には以前のような「仲間意識(プライド)」がない。

 むしろ、見捨てられることを恐れて必死にしがみついているような、惨めな響きがあった。

 

 俺は知っている。

 千歳は今、内田優空に依存し、他の女子を遠ざけている。

 柊は、その輪から弾き出された「余り物」だ。

 

「……自分で行きたいところはないのか?」

 

 俺が少し強めに問うと、夕湖はヘラっと笑った。

 

「ないよー。だってあたし、頭悪いし。……誰かに『こっちおいで』って言ってもらわなきゃ、どこにも行けないもん」

 

 その笑顔は、泣き顔よりも痛々しかった。

 自分には価値がないと、自分自身で認めてしまっている。

 誰かの「一番」になりたかったのに、誰からも選ばれず、居場所を失った少女の末路。

 

### 4.恐怖の萌芽

 

 書類に書き込みをしようとした時、不意に夕湖が声を潜めた。

 

「あ、でもさ、先生」

 

「ん?」

 

「綾小路くんって、どこ受けるか知ってる?」

 

 ドキリとした。

 ここで、あの転校生の名前が出るのか。

 

「……個人情報だから教えられないな。なんでだ?」

 

「ううん、別に。ただ……あいつと同じところだけは、絶対に嫌だなって思って」

 

 夕湖が身震いをする。

 その派手なメイクの下にある瞳に、明確な「恐怖」の色が走った。

 

「あいつがいるとさ……空気が薄くなる気がするんだよね。全部見透かされてるみたいで、怖いじゃん?」

 

 彼女は自分の腕をさする。

 以前はあんなに千歳たちと馬鹿騒ぎしていた彼女が、今はクラスメイト一人に怯え、逃げ場所を探している。

 彼女の本能が悟っているのかもしれない。

 自分たちの青春を食い荒らした「捕食者」の正体に。

 

「……そうか。まあ、考慮しておこう」

 

「うん、お願いねセンセー。……じゃあ、あたし帰る」

 

 夕湖は立ち上がり、逃げるように部屋を出て行った。

 後に残ったのは、残り香だけ。だが、その香りすらも、どこか古びて酸化したような、寂しい匂いに感じられた。

 

 千歳朔という太陽を失い、綾小路清隆というブラックホールに怯える日々。

 彼女の高校生活は、もう「消化試合」でしかないのだろう。

 

「……やれやれ。次は誰だ」

 

 俺は重くなった肩を回し、名簿に目を落とした。

 この歪んだクラスの構成員たち。

 一人ずつ皮を剥いでいくと、その中心にいる「異物」の輪郭が、嫌でも浮き彫りになってくる。

 

 次は、**七瀬悠月**。

 才色兼備を誇っていたあの氷の女王もまた、見る影もなく砕け散っているとの噂だ。

 俺は覚悟を決めて、次の名前を呼んだ。

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