チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語   作:Valkiria

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【第三十章:二者面談編・第二話 ~仮面の下の傷跡、消えない幻臭~】

### 5.ひび割れた氷像(七瀬悠月)

 

 柊夕湖が逃げるように去った後、俺は少し長めの休憩を入れた。

 このクラスの面談は、ただの業務ではない。精神を削られる「検視作業」のようだ。

 かつてあれほど華やかで、生命力に溢れていた生徒たちが、まるで別人のように生気を失い、壊れている。

 

「……次は、七瀬か」

 

 **七瀬悠月**。

 クラスでも一、二を争う美貌の持ち主であり、成績優秀、スポーツ万能。

 クールで少し高飛車なところはあるが、千歳の参謀役としてクラスを裏から支える、理知的で頼れる存在だったはずだ。

 

 ――コン、コン。

 

 ノックの音は、微かに、しかし小刻みに震えていた。

 「入れ」と言うと、扉がゆっくりと、恐る恐る開く。

 

「……失礼します」

 

 入ってきた姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。

 そこには、かつての「完璧な美少女」はいなかった。

 

 彼女は、顔の半分以上を覆うような大きな**白いマスク**をしていた。

 さらに、前髪を深く下ろし、目元以外を徹底的に隠している。

 歩き方もぎこちない。右足を少し引きずり、脇腹を庇うように背を丸めている。

 まるで、大怪我を負った野良猫が、傷を隠して震えているような姿だ。

 

「……七瀬、その顔はどうした? 風邪か?」

 

 俺が尋ねると、彼女はビクリと肩を跳ねさせた。

 

「は、はい。少し……喉の調子が悪くて」

 

 嘘だ。

 マスクの隙間から覗く肌の色が、異様に白い。いや、ファンデーションを厚塗りして何かを隠している色だ。

 それに、あの自信に満ちた強い瞳が、今は怯えきって床を泳いでいる。

 

「座れ。……成績は相変わらず優秀だな。このまま行けば、お前の希望する大学の推薦も……」

 

「……あ、あの」

 

 悠月が俺の言葉を遮る。

 その声は、消え入りそうに細い。

 

「推薦……辞退させてください」

 

「は? なんでだ。お前なら指定校推薦で……」

 

「無理なんです」

 

 彼女は膝の上で、拳を握りしめた。その手が小刻みに震えている。

 

「私には……そんな価値はありません。人前に出るのも、評価されるのも……もう、怖いんです」

 

 かつて「私は特別よ」と言わんばかりのオーラを放っていた彼女が、ここまで自己肯定感を喪失している。

 何があった?

 噂では、1年生の後輩と揉めたとか、路地裏で誰かに殴られたとか聞いたことがあるが……まさか、それが事実なのか?

 

「……いじめ、とかじゃないよな?」

 

 俺が核心に触れようとすると、悠月は激しく首を振った。

 

「違います! 私が……私が、弱いから……。調子に乗って、身の程知らずなことをしたから……罰が当たったんです」

 

 自罰的な言葉。

 それは、完全に心を折られた人間が吐く言葉だ。

 彼女のプライド(エゴ)は、徹底的な暴力によって粉砕され、今は「従順な敗北者」としての殻に閉じこもっている。

 

### 6.流出した悪夢

 

 悠月は、ふと顔を上げて俺を見た。

 その瞳には、救いを求めるような、しかし同時に諦めきった絶望の色が宿っていた。

 

「先生……。私のこと、笑ってますか?」

 

「は? なんで俺が笑うんだ」

 

「だって……みんな知ってるんでしょ? 私が、あんな無様に……ゴミみたいに捨てられたこと……」

 

 彼女はマスクの上から、自分の頬を強く押さえた。

 そこには、隠しきれない傷跡があるのかもしれない。

 

「動画……回ってたんです。誰かが見てたんです。……だから、もう私は、ここでは生きていけない」

 

 動画?

 俺は眉をひそめたが、深くは聞けなかった。

 聞いてしまえば、彼女が今にも崩れ落ちてしまいそうだったからだ。

 

 彼女は何かに怯えている。

 自分の醜態が記録され、拡散されることへの恐怖。

 そして、そのカメラを回していた「誰か」の冷徹な視線に。

 

「……遠くへ行きたいです。誰も私の顔を知らない場所へ」

 

 悠月はそう呟くと、逃げるように席を立った。

 去り際、彼女の足元がふらつき、机に手をついた。

 その時、袖口から覗いた手首に、痛々しい包帯が巻かれているのが見えた。

 

 扉が閉まる。

 俺は頭を抱えた。

 このクラスの上位層(トップカースト)は、全滅だ。

 まるで、見えない爆弾によって、内側から爆破されたビルのように。

 

### 7.香水と消毒液(内田優空)

 

 悠月が出て行った後、俺は大きく深呼吸をした。

 次に来る生徒のことを考えると、胃がキリキリと痛んだからだ。

 このクラスの崩壊の、決定的な引き金を引いてしまった少女。

 

「……入れ」

 

 扉が開く。

 入ってきた**内田優空**の姿を見て、俺は鼻をひくつかせた。

 

 **臭い。**

 いや、悪臭ではない。

 強烈なフローラル系の柔軟剤と、制汗スプレー、そして消毒液の匂いが混ざり合った、鼻腔を刺すような人工的な香りだ。

 

「……失礼します」

 

 優空もまた、分厚いマスクをし、さらにその上からマフラーで口元を覆っていた。

 教室の中でも決してコートを脱がないという噂は聞いていたが、ここでもか。

 彼女は部屋に入ってくるなり、携帯用の除菌スプレーを取り出し、自分の座る椅子と、その周囲の空気にシュッシュッと吹きかけた。

 異常な潔癖症。

 あるいは、自分自身から発せられる(と思い込んでいる)「汚れ」に対する、強迫的な恐怖。

 

 彼女が椅子に座る。浅く、自分の体が汚れないように、あるいは椅子を汚さないように。

 

「……内田。体調はどうだ?」

 

 俺が慎重に尋ねると、彼女はマスクの下で力なく笑った気配がした。

 

「大丈夫です。……お腹の調子も、薬を飲んで止めてますから」

 

 その言葉だけで、あの日の惨劇が脳裏に蘇る。

 全校生徒の前で、大量に漏らしてしまった記憶。

 あれ以来、彼女は固形物を口にするのを極端に恐れているらしい。激痩せした手首が、それを物語っている。

 

「進路だが……お前、調理師専門学校の志望を取り下げたんだな」

 

 俺は手元の調査票を見た。

 彼女の夢は、料理の道に進むことだったはずだ。

 

「はい。……私には、無理ですから」

 

 優空は自分の両手を見つめた。

 かつてはあかぎれができるほど食材と向き合っていたその手は、今はアルコール消毒のしすぎで赤くただれ、ボロボロに荒れている。

 

「包丁を握ると……震えるんです。また、私が毒を作ってしまうんじゃないかって。大切な人を、私の料理で殺してしまうんじゃないかって……」

 

 彼女の声が震える。

 トラウマ。

 あの日、彼女の作った豚汁がクラス全員を苦しめ、千歳を地獄に突き落としたという事実(と彼女は信じ込まされている)が、彼女から「料理」というアイデンティティを永久に奪い去ったのだ。

 

### 8.共依存の沼と幻臭

 

「じゃあ、卒業後はどうするつもりだ?」

 

「……朔くんのそばにいます」

 

 優空は即答した。

 その瞳に、暗く、澱んだ執着の光が宿る。

 

「朔くんも、傷ついてますから。私が支えてあげないと。……私があんなことにしてしまったんだから、私が一生かけて償わないと」

 

 それは愛ではない。

 「罪悪感」と「共依存」。

 自分が汚してしまったから、責任を取る。他に誰も彼を受け入れないから、私がやるしかない。

 そんなネガティブな鎖で繋がれた関係。

 

「朔くんも言ってたんです。『俺たちには、もうお互いしかいないな』って」

 

 優空はうっとりと、しかしどこか虚ろに呟く。

 地獄の底で手を取り合う二人。それを「絆」と呼ぶには、あまりに痛々しすぎた。

 

 面談の終わり際、優空は立ち上がりかけ、ふと俺に尋ねた。

 

「あの、先生……」

 

「ん? なんだ」

 

「私……臭くないですか?」

 

 彼女は真剣な目で、俺を見つめていた。

 マスク越しでも分かる、必死な形相。

 

「え……いや、香水の匂いはするが……」

 

「本当ですか!? 嘘ついてません!? ……あの日みたいに、腐った匂いはしませんか!?」

 

 彼女が詰め寄ってくる。

 俺は思わずのけぞった。

 彼女はまだ、あの体育館にいるのだ。

 自分の下半身から溢れ出した汚物の臭いの中に、精神が囚われたままなのだ。

 

「し、しない! 全くしないぞ!」

 

 俺が慌てて否定すると、彼女は「よかった……」と胸を撫で下ろし、また除菌スプレーを自分のスカートに吹きかけた。

 

「……失礼しました」

 

 優空が出て行く。

 廊下に残る、過剰な消毒液の匂い。

 それが、彼女の抱える闇の深さを物語っていた。

 

 俺はぐったりと椅子に沈み込んだ。

 もう限界だ。

 千歳、柊、七瀬、内田。

 焼け野原だ。

 誰が、何のために、こんな徹底的な破壊を行ったのか。

 

 ……まだだ。まだ終わらない。

 次は、他のクラスにも延焼した被害者たちの番だ。

 俺は震える手で、次の生徒の資料を手に取った。

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